宍戸 翼(The Cheserasera) インタビューvol.43

4月6日に2nd full album『Time To Go』をリリースしたThe Cheserasera。前作『YES』から半年足らずという期間で作り上げられた作品は、宍戸 翼(Vo.Gt)から先にコメントで綴られている通り「行き先」とされる所以には、放たれたサウンドからも確実な前進が見られている。リリースを記念して、都内にあるお店「けせらせら」で撮影した写真と共に、宍戸 翼のインタビューをお届けする。

—”なんとかならないとき”こそ、言い合う言葉

—ではでは、せっかく「けせらせら」に来たので、飲みながらバンド名の経緯を改めて教えてください。

宍戸:まず、バンドの始まりは大学の軽音楽サークルで、ドラムの美代くんが先輩だったんですよ。「遊びでスタジオに入ってみようか」っていうところから始まって、美代くんが「幼馴染みでベーシストいるよ」って連れてきてくれたのが、ベースの西田くんだったんです。だから、2人年上で僕だけ年下の3人組なんです。そのまま、西田くんが入る前のバンド名のまま活動してたんですけど、ちゃんと頑張ろうと思って。雑につけたバンド名が、ずっと残ってることってあるあるだと思うんですけど、それよりも本格感を出したいなと(笑)。

—遊びの延長ではなく、ちゃんと音楽を軸に考えられるような?

宍戸:そうですね。「ちゃんと真面目なんだよ」っていう感じを出したかった(笑)。それとポジティブさだったり、字面で見ても良い感じのバンド名にしたいなと思って、意味から探していったんですよ。その中に「なんとかなるさ」って言葉があった。いろんな綴り、いろんな国の慣用句があってどれも良かったんですけど、その中に「Que Será, Será」っていう言い回しがあって。これはひと言で言える言葉だし、語感も気持ち良かったのでバンド名になりました。

—意味から候補を探していくのも面白いですね。他の候補では、意味合いも含めてこれを超えるものがなかったと。

宍戸:そうですね。「Let it be」は辞めておこうって話はありましたけどね(笑)。

—(笑)。元々が英語ではないから「The Cheserasera」の方がオリジナルティもあるし。

宍戸:そうですね。元々はスペイン語なんですけど、ちょっと捩ることでオリジナルになるし、英語の方が読みやすいかなと思って付けました。今となっては、全然読みにくいなって思いますけどね(笑)。

—(笑)。そうやってバンド名をつけてから5年ぐらい経っていますけど、読みにくい(笑)としてもしっくりは来ているんですよね?

宍戸:すごく考えたんで、もちろんですよ(笑)。みんな、ちゃんとやっていけるかどうかっていうのも考えましたし。「なんとかなるさ」っていう意味は、表面的にはポジティブなんですけど、そういうのって”なんとかならないとき”こそ、言い合う言葉なんじゃないかと思っていて。僕は歌詞を書くときに、明るい話だけじゃなくて裏側も描きたいと思ってるんですけど、そういう意味でも自分の肌に合ってるなって思いますね。

—歌詞を見ていても思うんですけど、やっぱりちゃんと陰と陽があるからリアリティを感じます。陽だけだと嘘っぽいし、陰だけだとあまりにも内向き過ぎるし(笑)。

宍戸:そういう両極端に身を預けられないんですよね。単純に「それだけじゃねぇだろ」って思うところがすごくあるので。

—自分が吐きだす題材や言葉が、仮にフィクションの世界を描いていても” 宍戸 翼のリアル”さが大きいですよね。

宍戸:全ては、自分の想いから始まってますね。誰かの知り合いとかを曲に投影することもあるんですけど、それも結局、自分が見たその人の像だったりその人に共感した部分だったりするんで、やっぱり僕の言葉として出てくるんですよね。だから僕と関係ないところからは生まれてこないですね。

—それは直接会っていない人や題材でも、要素として存在しているんですか?

宍戸:そうですね、テレビとか映画の中の人だったりもするし。基本的には、僕が「そういうこともあるよね」って思ったり、切ないなって思ったりする共感から、歌にしたくなりますね。

—身近な人との会話なんかが、それに当てはまりそうですけど?

宍戸:そうですね。それこそ、渋谷のマックでハンバーガーを食べてるときに「彼氏がさぁ」って言ってる女の子の会話とかを聞いてても、色んなことが浮かびますね。1日中人間観察してるんですけど、スクランブル交差点を泣きながら歩いてる人とかをたまに見たりすると、そこでも色々と考えちゃいますね。

—“誰かの想いと重なるものを感じないと、逆に歌にしたいって強く思わない”

—”他人”っていう言葉にするとすごく突き放しちゃいますけど、そういう一期一会的に遭遇する人にさえ興味を持つことは、昔からなんですか?

宍戸:「人に興味がある」って言われると、自分でも新鮮な感じがしますけど…まぁ人をメッチャ見てるんで、そういうことですね。

—”自分ゴト”を歌にして、それに共感されているアーティストって多いと思うし、表現者としての欲求と考えても健全だと思うんですけど、「自分を出したい、自分の想いを感じて欲しい」という、自分自身の題材にはされないんですね。

宍戸:確かにそうですね。自分が感情的になったりすることを歌にしたこともありますけど、それと同時に色んな人や景色を思い出しているんですよね。

—これまでの楽曲の何れもが、そのときに感じたことが内包されているならば、宍戸さん自身でもすぐにフラッシュバックできるんですか?

宍戸:そうですね。”できる”っていうか”する”っていう感覚。そういう誰かの想いと重なるものを感じないと、逆に歌にしたいってそこまで強く思わない。そう言われて気づいたんですけど、僕だけの気持ちで歌ってる曲はないかもしれないですね。必ず誰かがいて、もしくは誰かの想いや共感が入る曲ですね。

—自分が共感したものを曲や歌詞に乗せて、また”誰か”がだった人に届くからライブに足を運んだり、ファンになっていくと思います。そういう自分の作ったものが共感されることは、宍戸さんにとって喜びになるんですか?

宍戸:最初はすごく意外だったんですよ。「そんなことってあるんだ?」っていうぐらい。もともとは、本当に自分がいたたまれなくて、その自分に対する苛立ちとかを歌にしてたんで。誰にも言えないようなことだったり、僕だけの想いだと思ってたことが共感されるっていうのはすごくびっくりでした。でも、それによって繋がれるんだなっていう希望が、思わぬところから生まれたと、自分では感じています。

—ある種、自分が特別じゃないってことを共感されたことで思い知らされたということですか?

宍戸:自分だけで孤独な気持ちになったりしたんですけど、共感されることによって良くも悪くも「自分って思ったより変わった人間じゃないんだ」って思えました。誰でもそうかは分かんないんですけど、本当は自分が特別でありたいんでしょうし、どっかで人と違うと思いたいんでしょうね。そういう部分に「自分ってちっぽけだな」って思う瞬間がけっこうあって、そういう凡人感っていう僕の強みで歌詞を書いているんですけど、それに共感してくれることは、嬉しいしあったかいなって思いますね。

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