宍戸 翼(The cheserasera)インタビューvol.35

ー少し早いかもしれませんが、今年を振り返っていただければと。まずは、1stフルアルバム「WHATEVER WILL BE, WILL BE」のリリースから始まり、イベント出演に2月からはツアーとライブが中心の活動でしたが、「WHATEVER WILL BE, WILL BE」でのフリーライブの中止という、悔しい出来事がありましたね。

出鼻を挫かれた感じで(笑)。どうしても喉に緊張が走るので、音楽を聴くこともしていなければ喋るのも良くないので、酷い時期は2週間くらい家に引き篭もりでしたね。病院で喉のレントゲン写真を見せてもらって「治して行きましょう」ということで薬をもらって飲んでいたんです。治って、歌っていくうちに嗄れてはいくんですけど、休んで復活したときの自分の声がツルッツルで(笑)、嗄れの影もない感じでした。「こんな状態の自分の声を久しぶりに聴いたな」と思えたぐらい、声を消耗して歌ってたんだなっていうのがありましたね。ライブ自体も多かったので、またそうなる時期が来るかもしれないから、歌い方もすごく考え直したし、それこそ生活も含めて、それに備えられるように一から考え直しましたね。

ー喉への負担がきっかけとなったことではありましたが、音楽に触れない期間が2週間もあったのは、宍戸さんの人生でも初に近いんじゃないでしょうか?

そうですね。「全てが終わるのかもしれない」って考えましたし、どうなっていくのかが想像できないんですよね。そういう精神的にもヤバかった時期が終わって、またライブに戻れましたけど今度はツアーファイナル(東京 Shibuya WWWワンマンライブ公演)で、西田くん(Ba)が入院になって(苦笑)。メンバー3人共、精神的に追い込みながら緊張を保っていた部分があるので、”気張り”だけではダメなんだなっていうのが、収穫というと語弊がありますけど、ファーストアルバムを出してブチ当たった壁でしたね。

ーしかも、3ピースであれば尚更かもしれないですが、個の重要さや誰1人欠けても成立しないという再認識ともなったでしょうし。

アンサンブルにならないっていう(笑)。ホント、そう思いますね。

ーある種、アルバムタイトルもそうですが” The Cheserasera”の名刺代わりとも言える作品であったと思いますし、非常に不謹慎な表現ですが、振り替え公演も無事に終え「WHATEVER WILL BE, WILL BE」の”なんとかなるさ”を体現できたのかなと。

(笑)。まぁ、自分たちが感じてたあの状況っていうは「マジでなんとかなってねぇ」っていう自己批判でしたけどね。仙台公演が終わって東京に帰って来て、歌を控えた個人のゲネリハをスタジオでやってたんですけど、夜11:00くらいにマネージャーから「西田が病院から出してもらえないから、明日は中止だ」っていう電話が掛かってきて。ムダに広いスタジオでポツンってなっちゃって「どうなってしまうんだろう?」っていう空気に支配されたし、その壁に遮られたまま今回のアルバムの話が時期的にも始まって、真っ白でしたね。

圧倒的にポジティブなものであるべきだ

ー今回の7曲はそのタイミングから作り始めたものですか?

一から構想していきましたし、良い意味ですごくこの影響を受けたと思います。

ー「YES」に込められた「良いことも、そうでは無いことも、どんなことも全て受け入れ肯定して前に進みたい」へ、行き着く前半でもあったように思えますね。

こういうアルバムを作ろうとはなってなかったと思います。フルアルバムを携えて、1番の勝負時だった4〜5月が挫折だったので、それを経たこのアルバムが僕たちやお客さん、スタッフ、全ての人にとって「圧倒的にポジティブなものであるべきだ」と思いましたし、そうじゃないと顔向けが出来ないというか、自分たちが強く立てないと思ったんですよね。

ー外向きな想いがありながらも、それを自分たち自らが感じることが「YES」の源泉にもなっていると?

そうですね。そういう想いを抱えながら、曲と詞をひたすら書いていきましたね。今までは、アルバム毎で3人とも意見がバラバラだったし。そもそも「こういう音楽をやろう」って集まったバンドではなくて、3人がいてただガムシャラにやってきたんです。その中で、一緒にやってきた時間が伊達に長くないなと思えたのが、「今、俺はこう思ってるんだ」って話すと「わかる、そう思ってるよね」って、僕が思ったことをメンバーも感じてくれてて。今回の「YES」の制作を通して、バンドの距離が近づいたしアンサンブルのバランスが取れてきた印象を受けましたね。

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