フィル・コリンズは1985年にライヴ・エイドでレッド・ツェッペリンの再結成パフォーマンスに参加した時のことを振り返り、自身が「余分なパート」のように感じていたことを明かしている。
フィル・コリンズは当時、ドラマーであるトニー・トンプソンやベーシストのポール・マルティネスと共に、レッド・ツェッペリンの存命のメンバーであるロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズと共演している。
『クラシック・ロック・マガジン』誌によるインタヴューの中で、フィル・コリンズは今回、リハーサルの不足や機材のトラブル、ロバート・プラントの声の不調といったよく知られた当時の一連の問題について振り返っている。
フィル・コリンズは当時、リハーサルとして行ったのは飛行機の中でレッド・ツェッペリンの楽曲を聴くという作業がほとんどすべてだったとして次のように語っている。「現地ではリハーサルをせずに、(移動中の)コンコルドの中で“Stairway to Heaven”を聴いていたんだ。到着して(出演者が待機していた)トレーラーに向かうと、ロバートから『ジミー・ペイジがお怒りだぞ』っていうことを言われたんだ」
その後、“Stairway to Heaven”の演奏の仕方を尋ねてきたジミー・ペイジにドラムのパートを披露するも、彼には納得してもらえなかったとしてフィル・コリンズは次のように語っている。「こうやって(ドラムのパートを演奏)したんだけど、ペイジからは『違う! そうじゃない!』っていうことを言われたんだ。それで、ドラマー2人体制でやるからには滅茶苦茶なことはできないと思って、トニー・トンプソンにこう話したんだ。『お互いのやり方は忘れて、シンプルに演奏しよう』ってね」
「ロバートはフィットしたとは言えなかったね。立ち去ることができたなら、僕はそうしていたよ。僕は必要とされていなかったし、自分が余分なパートのように感じていたんだ」
同じインタヴューの中で、フィル・コリンズはジェネシスのフロントマンを務めることになったことについても振り返っており、できればドラマーのままでいたかったとして、フロントマンとしての「役割は望んでいなかった」と語っている。
「ドラマーのままでいたかったよ。毎週月曜日に(オーディションで)5人か6人を落とすという感じでね。僕がどうしなきゃいけないかを教えていたんだ。(1976年発表の)『トリック・オブ・ザ・テイル』を書いていた時で、僕は(1973年発表の『月影の騎士』に収録されている)“Firth of Fifth”とかの古い曲を彼らに教えていたんだけど、最終的に僕のほうがうまくなってしまったんだ」
「ジェネシスは家族のようなものだったからね。『この人を家族に入れたい? 彼は僕らのやり方に合うだろうか?』っていうことを問いかけてみるんだ。いずれによ、一緒にやる人を見つけられることはなかったんだけどね」