Brian James、遺言に従って海葬されたことが明らかに

Brian James

ザ・ダムドの結成メンバーであるギタリストのブライアン・ジェイムスは遺言に従って海葬されたと報じられている。

ブライアン・ジェイムスは3月6日に亡くなっている。享年70歳だった。死因については発表されていないが、公式フェイスブックで発表された訃報によれば、ブライアン・ジェイムスは家族に囲まれて「穏やかに」亡くなったという。

『ザ・サン』紙の報道によれば、ブライアン・ジェイムスはイングランドのイースト・サセックス州ニューヘイヴン沖で行われた葬儀で海葬されたという。葬儀には妻のミーナ、息子のチャーリー、義理の娘であるアリシア、そして9人の友人が出席している。

ミーナは『ザ・サン』紙に次のように語っている。「美しい日で、海も穏やかでした。18歳から一緒でしたから、すごく感情的になってしまいました。海葬はかなり珍しいことですが、彼の遺言にあったので、そうすることになりました」

参列者はイーストボーンから「船で3時間」をかけて移動し、その後、ブライトンの自宅近くの教会でささやかな葬儀が執り行われている。

参列者の一人は『ザ・サン』紙に次のように語っている。「ブライアン・ジェイムスは今は魚と共に眠っています。それは生前に彼が望んでいたことです。彼は本当にオリジナルな存在で、死後もそれは受け継がれています」

「パンクの精神が彼から離れることはなく、最後の安息の地を海にするという思いは堅いものでした。仲の良かった数人が船で3時間ほど乗って、沈んでいくのを見守りました」

ザ・ダムドのキャプテン・センシブルは訃報を受けて、ブライアン・ジェイムスとの写真を投稿して次のように述べている。「ザ・ダムドのクリエイターにして素晴らしい親友であるブライアン・ジェイムスが悲しくも亡くなったと聞いて、ショックを受けている。幸運にも何年も前に会うことができた素敵な奴で、パンクとして知られることになる音楽の革命の探求をするにあたって、なにかしらの理由で私を選んでくれた」

ブライアン・ジェイムスはヴォーカリストのデイヴ・ヴァニアン、ベーシストのキャプテン・センシブル、ドラマーのラット・スケイビーズと共に1976年にザ・ダムドを結成している。

ザ・ダムドは同年10月にデビュー・シングル“New Rose”をリリースしており、1977年2月にはデビュー・アルバム『地獄に堕ちた野郎ども』をリリースしている。1977年11月に『ミュージック・フォー・プレジャー』をリリースした後、ブライアン・ジェイムスはバンドを脱退している。

ザ・ダムド脱退後は短期間の活動に留まったタン・ダー・ユースを結成しており、1979年にはイギー・ポップのツアー・バンドに参加している。ブライアン・ジェイムスはポリスのドラマーであるスチュワート・コープランドが参加したソロ・シングル“Ain’t That A Shame”と“Why, Why, Why?”を1979年と1982年にリリースしている。

1992年から1996年にはブライアン・ジェイムスはザ・ドリッピング・リップスに参加している。2001年にはMC5のウェイン・クレイマー、ガンズ・アンド・ローゼズのダフ・マッケイガン、スチュワート・コープランド、クレム・バークと共にスーパーグループのラケッティアーズに参加しており、ラケッティアーズは『マッド・フォー・ザ・ラケット』というアルバムをリリースている。

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