RED ORCA

RED ORCA インタビュー ( 金子ノブアキ / 来門 )

金子ノブアキ、来門(ROS,SMORGAS)、PABLO(Pay money To my Pain,POLPO)、葛城京太郎、草間敬から成るRED ORCA。
限りない未来に放たれたポジティヴなメッセージをパッケージした1stアルバム「WILD TOKYO」について、金子ノブアキ、来門の2人にメンバー・楽曲について話を訊いた。

ー先日、レコーディング現場にお邪魔させていただいたときに、”大人の部室感”を感じたんですよね。

金子:ありますね(笑)。例えば、失敗の回避方法も挽回方法も経験上わかってるメンバーがいて、そこに若い京太郎(葛城)がいることも、そういった空気感や制作のスムーズさを産んでるんだと思います。

来門:あっくん(金子ノブアキ)や俺は、良いことも悪いことも音で表現してきた人間だから、レコーディングでも安心してメンバーと共鳴もできてたし預けることもできてたんですよね。

ーそんな作用をもたらす”RED ORCA”は、プロジェクト名と捉えるべきなのか、はたまたバンド名と捉えるべきなのでしょうか?

金子:90年代から所謂バンド・カルチャーにいて、その尊さっていう部分を痛いほどわかっているメンバーが多い中、そこに京太郎が付き合いたてのカップルのように「今日は○○ですね!」っていうフレッシュさを持っていて(笑)。しかも、その1人1人が個人としてもやっている猛者達なので、「俺たちはバンドなんだ!!」っていう宣言をすることで繫ぎ止める感じでもないんですよ。ある種、ニュートラルな感じもするし「何も考えずに楽しいことやろうよ!」って向かってることが、むしろ決め事の上でやってるバンドよりバンドらしさもある。プロジェクトって言うと冷たいしバンドって言うと暑苦しい(笑)、でも尊さをより実感しているのがRED ORCAだし、”部室感”なんてこの現象の煌めきの部分をまさしく指している言葉だと思います。

来門:元々、他愛ない部分で繋がってる所があるからなんですよね。例えば俺とあっくんは、ファミレスで4時間くらいくだらない話をすることができる(笑)。でも、そういうのが実際に音になって出すことが出来るから。

ーそう伺うと、RED ORCAの始まりは金子ノブアキのプロジェクトとして、ラッパーへの貞操観念を取っ払った「illusions」があったからこそな気もしますね。結果論にはなりますが、来門さんに声を掛けることがある種必然的だった感じもします。

金子:確かに「illusions」は大きいです。リリース時に僕のライヴでも演ったんですけど、客席をシーティングにしたり音をアンビエントに寄せてたんです。ある日、日高(SKY-HI)君のライヴで「illusions」を演奏したんですけど、そのときのオーディエンスの熱や反応を感じた瞬間に「これをやればいいんだ」って気づいて。当時からラッパーとやりたいと言ってましたけど、知らない人とはやりたくないし、人選としては合わせなくても合う人ですよね。だからこそ来門に声を掛けて、まず最初に「MANRIKI」を録ったんです。

ーそのタイミングで現メンバーは固まっていたんですか?

金子:その時期に、京太郎はたまたま何故か同じ現場で会うことが多くて、「ストーカーか?」みたいな(笑)。連絡先を交換したときも「しつこいですけど良いですか?」って言ってきて、実際にしつこかったけど(笑)。でも、精神的には全然大人だし人間的にもこれからの時代を引っ張っていく人間で、こっちから「一緒にやろうよ」って。PABLOも、自身のプロデュース現場へ京太郎を呼んだりしてたんで、そういう人の縁みたいなものや引き寄せられてるタイミングは逃さないっていう。その瞬間には、来門と京太郎が並んでパフォーマンスをしてるところを想像しましたよね。

ーRED ORCAの絵に必要なピースが、気持ち良いくらいにハマった瞬間ですね。

金子:来門で言えば、僕はラッパーとずっとやってきてるんで、ラッパーを輝かせるビートに自信がある。京太郎もそうで、ああいうファンキーなベースを立たせることに自信がある。逆説的に言えば、僕のドラムが立つことでもあるから、スポーツで言うチームみたいな感じです。ポジションやキャラがあって、僕が出すパス軌道にみんながいるようなね。同じ理想を求めて、それぞれのパートをやってるから年齢は関係ないし。

ー互いの武器や特徴を理解しているからこそ、局面毎の役割もスムーズでレコーディングの空気感がまさにそういうことだったんですね。

金子:スピード感がすごかったですね。強い言い方をしてしまえば、同じゴールがあってその届き方や点の入り方を感覚的に解り合えてる人としかやりたくないっていうことでもあるから。

来門:俺があっくんを例えるなら、ドラクエでいう賢者だね。「WILD TOKYO」のトラックは全部あっくんが作ってるんだけど、攻撃性もあれば守備性の要素もある。で、俺が遊び人だからうまくその音に乗っかれる感じ。

ー(笑)。それでいうと全員が賢者かもしれないですよ。来門さんはディフェンスにも回れるし、金子さんはオフェンスにも回れるんじゃないかと。

金子:サッカーのセット・プレーに近いところですよね。さっきのプロジェクト名かバンド名かっていう次元じゃないのは、そこにある気がするんですよね。もうちょっと根っこの部分で繋がってるから。

来門:僕が攻撃性のあるトラックに攻撃性のあるリリックを乗せるのはもちろんなんですけど、ポエトリーっぽいところは切ないんですよ。上辺だけじゃ、そういうリリックは書けないし歌えないんで。

金子:来門はブルース・マンだからね。アルバムの中で「Saturn」は1番静かな曲だけど1番攻めてる曲で、あれにラップを乗せるっていうのが目標の1つでもあったんです。アンビエントの世界で拍数がわかるかギリギリのところに、宇宙で1人ぼっちでラップしてる感じを求めたんですけど、恐ろしいほど彼の成分が抽出されて、あれは来門の世界でしか出せないものです。RED ORCAが、今後も作品を作り続けられるかを分けた楽曲だと思います。生半可な人に任せると沈むんだけど、トラックに乗るっていう確信もあったし、安心して任せられた部分はありましたよね。彼が持っている音楽性という意味では、ダンス・ミュージックにも傾倒があってそれは他のやってるバンドでは出ていないものだったりする。

ー「ORCA FORCE」がそれに当たりますよね。

金子:そう。来門とやるんだったらドラムン・ベースものはやりたいって思ってて、彼も同じように思ってくれてて。90年代特有なのかもしれないですけど、軽やかでありながらも切れ味が鋭い音楽、そういう縦も横も体現できる人は彼だなって。これは来門と京太郎が核になってる曲ですね。2人は20才以上も年が離れてるけど、例えるなら「ベンジャミン・バトン」って感じ(笑)。

来門:それ、ホント良く言ってるよね。ずっと言ってて「どんなかっこいいバンドだろう?」って調べたら「この映画か!」っていう(笑)。

金子:あの邂逅してる感じがね。2人には爆発力を求めたんですけど、後ろでドラムを叩いてるとそれ以上に深くて尊いものを2人の背中に感じるんです。RIZEをやってる経験上、ライヴでは”点取り屋は2枚”っていうことが無意識にあって、2人はそこに情熱を持ってくれている。その先に見たい景色が同じだからこそって思えるし、それが見える瞬間ていうのはとてつもなく美しい。成り立ちから見ても、ライジング・スターで前進して昇っていく京太郎と、這い上がってブルースしてる来門の2人が爆発してる。誰にも負けない武器と火力を持ててるのは、その来門が持つ”ブルー”の要素が大きいんですよね。

ー加えて全ての楽曲に共通して言えるのは、来門さんのリリックには”過去”というものがないんです。金子さんが言葉でなくトラックで表現したことを、目の前の現在や未来をブルーの役割を持つ来門さんが乗せるから、説得力も生まれている気がします。

来門:やっぱ生きてる中で、今と未来しかないじゃないですか。変えられない過去を歌うより、可能性しかない今や未来をRED ORCAで歌いたかったから。当然、ポジティヴを歌うっていうことは過去の自分自身への反逆の意味もある。そういう境遇の人って、俺だけじゃないと思うんですよ。俺のリリックで「それはダメだよ、違うよ」っていうことや「オマエ、頑張ってるよ」っていうのは自分自身に対してで、人に何かを強要することはしたくないんです。あっくんがそのリリックに共鳴してくれたりとか、聴いてくれた人が同じように共鳴してくれるだけで嬉しいというか。

ーネガティヴの怖さを過去に知ったからこそ、共鳴させるならポジティヴの喜びだっていう。

来門:ポジティヴ・ヴァイブレーションってキーワードが、今の俺の中にあるんです。振り返ると、2000年代に俺たちがやってたバンドはポジティヴ・ヴァイブレーションだったから、俺はそれをRED ORCAで最初から積み上げていきたいんですよね。

金子:僕らもいい歳で、そんなに時間が残されているわけでもない。でも、遺言にするにはまだ早いっていうね。

来門:俺個人で言えば、どう足掻いてもでかいステージに立てなかったけど、この前のBLARE FEST.2020で見た景色とか得た感覚は忘れられなくて。これをもっと味わいたいっていう”次”をRED ORCAで目指したいんですよね。

金子:不思議と、あのライヴは緊張しなかったんですよね。バンド・カルチャー特有なのかもしれないですけど、勝ち負けとか競争じゃないにしろ、敵がいないのはわかっていて、ただ勝てるっていう確信があって。あそこまでリラックスしていたのは、今より尖ってたけどRIZEでデビューしたときくらいですね。そのくらい、自分の中でもう次のゾーンに入ったんだと思うんですよね。ファーストツアーのときは試運転も兼ねてだったけど、アクセルは踏みっぱなしで(笑)。それでやってみたら自信が確信に変わり、その後にBLARE FEST.2020だったっていうのはあるかもしれない。

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