ブラック・サバスのギーザー・バトラーはオジー・オズボーンがパーキンソン病を公表した後、連絡しなかったことで「ろくでなし」と言われていることについて見解を明らかにしている。
オジー・オズボーンは英『ローリング・ストーン』誌のインタヴューで健康上の懸念と周りから受けている支援について語る中で、二人の間の確執が明らかになっている。
インタヴューでオジー・オズボーンはトニー・アイオミが健康上の問題について常に支えてくれるのに対して、ギーザー・バトラーからそうしたものはなかったと語っている。
「自分が経験したようたことを経験すると、本当の友人が誰かというのが分かるんだ」とオジー・オズボーンは語っている。「トニー・アイオミは身体を崩してから非常に自分のことを支えてくれた。ギーザー・バトラーは電話を1本たりとも寄こしてこなかった」
オジー・オズボーンはギーザー・バトラーとの間にあったかつての確執を引き合いに出している。「彼の子どもが生まれたとき、ブラック・サバスと自分はいがみ合っていたけれど、毎晩電話をしたからね。『どうでもいい。彼は友達だ。彼に電話する』と思ったんだ」
「でも、彼からは電話一本もなかった。悲しいよね」とオジー・オズボーンは続けている。「一緒に大人になったのに、電話を手に取ることもなく、自分が何をしているのかを確認してくることもなかった。ビル・ワードでさえ連絡をくれたんだ」
「ビル・ワードについてちょっと言ったこともあったけど、なんでそんなことを言ったのかと思うよ。なのに、身体を崩したら、連絡をくれたんだ。一方、ショックではないけど、電話もくれず、『調子はどう?』と言ってくれなかったのは悲しかったよ。ろくでなしだね」
しかし、ギーザー・バトラーはソーシャル・メディアで自身の見解を明かし、健康の問題で苦しんでいることを聞いて何度も連絡したと述べている。
「噂では私から電話やメッセージがなかったと言って、オジーが怒っているらしいね。身体を崩したのを受けて、二度、違うタイミングで連絡を取ろうとしたんだ」
「最初のEメールは2019年2月8日で彼の事務所を通してのものだった。メールする携帯電話の番号を知らなかったんだ。シャロン・オズボーンが返事をくれたけど、オジーの声は聞かなかった。11ヶ月後の2020年1月21日、オジーのことを確認するためにシャロン・オズボーンにメールをした。そのメールに返事はなかったよ。仕返しをしたいわけじゃない。オジーの健康を願って、二度違うタイミングで連絡したんだけど、返事がなかったんだ。個人的に彼のことを思い続けるのが一番だと思ったんだ」
現時点でオジー・オズボーンはギーザー・バトラーの見解について反応を示していない。
また、オジー・オズボーンは長きにわたる医療処置と手術の末に二度とライヴをしないかもしれないと語っている。
今年9月、オジー・オズボーンは2019年に転倒した怪我に対処する「最後の手術」を受けている。オジー・オズボーンは2019年に転倒したために2003年の四輪バイク事故で身体に入れた金属棒を取り除く事態となっていた。
「今は1日1日をありのままで過ごしているけど、もう一度パフォーマンスできることになったら、ぜひやりたいね」とオジー・オズボーンは語っている。「でも、人生でも最高の関係性に別れを告げたのかもしれない。病気になった当初、ツアーを止めた時は自分にも医者にも世間にも本当に腹が立った。でも、時が経つに連れ、『その事実を受け入れなきゃいけないかもしれない』と思うようになったんだ」