Soft CellのDave Ballが享年66歳で逝去

Dave Ball

ソフト・セルのデイヴ・ボールが亡くなった。享年66歳だった。

ザ・グリッドとしても活動したデイヴ・ボールは現地時間10月22日にロンドンの自宅で亡くなったという。死因については明らかにされていない。

デイヴ・ボールはソフト・セルとして北米ツアーを行った後に今年8月にヘンリー・オン・テムズで開催されたリワインド・フェスティバルに出演しており、これが最後のライヴとなっている。

ソフト・セルのフロントマンであるマーク・アーモンドは訃報を受けて追悼の意を表して、デイヴ・ボールのことを「素晴らしく輝かしい音楽の天才」と評しており、二人による最後のアルバム『ダンステリア』を完成させていることを明かしている。

「デイヴ・ボールは感情面でも素晴らしい状態にあったので、これを書くことも、受け止めることも難しい状態です。彼は文字通り数日前に完成したニュー・アルバムに集中し、満足していました」とマーク・アーモンドは述べている。

「2026年は彼にとって盛り上がる1年になるはずだったので悲しいです。完成したアルバムを聴いて素晴らしい作品だと感じてくれたという事実に、いくぶんか安らぎを感じています。デイヴ・ボールの音楽はこれまで以上のものになっています。彼のメロディーやフックは紛れもなくソフト・セルですが、それを次のレベルまで引き上げていました。彼は素晴らしく輝かしい音楽の天才であり、私たち二人は50年近くその歩みを共にしてきました」

「初期の頃は私たちはたとえ間違ったやり方であっても自分のやり方で物事を進めようとする、反抗的で、気難しい、好戦的なアート学生でした。私たちは世間知らずで、間違いも犯しましたが、そうは考えていませんでした。それはすべて冒険の一部でした。デイヴ・ボールと私は似て非なる二人でしたが、だからこそ、その相性はうまくいったのかもしれません」

「長く離れていた時期を経て、もう一度一緒にやり始めると、そこには常にあたたかさと化学反応がありました。お互いに深く尊敬し合っていたからこそ、私たちの曲作りには他にはない力強さが生まれていました。私たちはよく笑い、ユーモアのセンスを共有し、映画、本、音楽への愛も共有していました。デイヴ・ボールの棚には本が詰まっていて、素晴らしくて驚きに満ちた音楽の資料がたくさんありました。彼はソフト・セルの核であり、自分たちの功績を誇りに思います」

マーク・アーモンドは次のように続けている。「次のアルバムが『ダンステリア』というタイトルなのは、いろんな意味でふさわしいんじゃないかと思います。テーマは私たちの音楽的アイディアの多くが形作られた1980年代前半のニューヨークに舞い戻るというものでした。あの時代と場所が私たちを形成してくれました。典型的なイギリス人でありながら、私たちは輝かしいアメリカのバンドのようにも感じていました」

「私たちはソフト・セルの神話と物語に心血を注いできました。『ダンステリア』は一周回った感慨深いアルバムになるでしょう。デイヴ・ボールが数年後に迎える私たちの結成50周年までいてくれたら良かったのにと思います」

「彼はソフト・セルのファンに今後も愛されるでしょうし、彼の音楽と思い出は生き続けます。いついかなる時も、世界のどこかで誰かがソフト・セルの曲に喜びを見出してくれるはずです」

マーク・アーモンドは次のように締めくくっている。「デイヴ、私の人生にとってかけがえのない存在であり、そして音楽を与えてくれてありがとう。君がいなかったら今の自分はありません」

デイヴ・ボールとマーク・アーモンドは共にリーズでアート学生だった1979年にソフト・セルを結成しており、ソフト・セルは1980年代のイギリスのサウンドを決定づける存在となっている。1981年発表のデビュー・アルバム『ノン・ストップ・エロティック・キャバレー』はポップ・ミュージックの潮流を変えて、ペット・ショップ・ボーイズ、ユーリズミックス、ヤズー、イレイジャーといったデュオに道を切り拓くことになった。

セカンド・シングル“Tainted Love”はUKのほか、世界17ヶ国で1位を獲得している。“Tainted Love”は1981年にイギリスで最も売れたシングルとなり、全米シングル・チャートに最も長くチャートインしていた楽曲としてギネスにも登録されている。

1982年から2022年までにソフト・セルは『別れの美学』、『ソドムの夜』、『クルーエルティ・ウィズアウト・ビューティー』、『*ハッピネス・ノット・インクルーデッド』という4枚のアルバムをリリースしている。

ソフト・セルは“Bedsitter”、“Torch”、“What!”、“Say Hello, Wave Goodbye”といったシングルで全英トップ10入りを果たしており、12インチ・シングルのミックスの土壌を作ることになった。デイヴ・ボールはしばしばカミソリの刃を使ってテープをつなぎ合わせ、クラブ向けの音源を制作していた。

1959年にチェスターで生まれたデイヴ・ボールはファイン・アートを学ぶためにリーズに移り、マーク・アーモンドによる即興パフォーマンス・アートに電子音の音楽を制作したことが結成のきっかけとなっている。

デイヴ・ボールはソフト・セル以外ではリチャード・ノリスと共にザ・グリッドとして活動しており、90年代には全英チャートで3位を獲得した“Swamp Thing”といったシングルでチャートで成功を収めている。

デイヴ・ボールはデヴィッド・ボウイ、カイリー・ミノーグ、ペット・ショップ・ボーイズ、イレイジャーといった大御所アーティストをはじめ、サイキックTVやギャヴィン・フライデーといったオルタナティヴのアーティストとも仕事をしてきている。

ソフト・セルは新作に加え、『別れの美学』の6CDボックスセットがリリースされることも決定している。新作のリリース日については現時点で明らかになっていない。

ザ・グリッドのリチャード・ノリスも次のように追悼の意を表している。「デイヴは長年にわたって私の音楽人生で大きなパートを占めていました。デュオを組むというのはバンドとは違うものなのです。その絆は深く、私たちもそうでした」

「目覚ましく並外れた、人生が肯定されるような体験を数多く経験しました。ありがとう、デイヴ。素晴らしい時間を、尽きることのない笑いを、揺るぎない友人関係をありがとう。なにより、その音楽に感謝します」

ミュート・レコーズの創業者であるダニエル・ミラーは次のように述べている。「真にオリジナルな存在を亡くしました。何年も前に彼とマークと一緒に仕事をする機会があったことを本当に嬉しく思います。マーク、家族、そしてクリスにお悔やみを申し上げます」

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