レッド・ツェッペリンのロバート・プラントはレッド・ツェッペリンの曲をライヴでやることや再結成について触れ、「刺激を受けたいという僕の欲求を満たしてはくれないだろう」と語っている。
レッド・ツェッペリンはドラマーのジョン・ボーナムが亡くなったことを受けて1980年に解散している。その後、何度か再結成を果たしており、最も最近のものは2007年に一夜限りで行われたライヴとなっている。ロバート・プラントは自身のソロ公演ではレッド・ツェッペリンの曲を披露している。
昨年、アリソン・クラウスとのコラボレーション・アルバムをリリースしたロバート・プラントは『ロサンゼルス・タイムズ』紙のインタヴューで数年前にアイスランドで“Immigrant Song”を披露したことを初め、レッド・ツェッペリンの曲をやることについて語っている。
「1968年に生み出すことになった喉を開いたファルセットが飽きるまでは僕を支えてくれたことは知っているよ」と彼は自身の声について語っている。「その後はヴォーカル・パフォーマンスの誇張された個性は形を変えて、別の場所に行くことになったんだ」
「でも、事実として新型コロナウイルスの前にアイスランドのレイキャビクで、6月のミッドサマー・ナイトという休日にフェスティバルに出たんだけど、『よし、“Immigrant Song”をやろう』と言ったんだ。それまではやったことがなかった。そうしたら、うまくいったんだ。『ああ、まだこんなことができるなんて』と思ったよ」
同じことをやるためにレッド・ツェッペリンを再結成させるかどうかについて訊かれると、ロバート・プラントは次のように答えている。「大喝采を浴びるために元々に立ち返るなんて、刺激を受けたいという僕の欲求を満たしてはくれないだろうね」
昨年、ロバート・プラントは何十年も活動している大物バンドについて「救命イカダにしがみついている」ようなものだと語っている。
「バンドにいる多くのミュージシャンというのは20年も30年も50年も終わるまで一緒にいるわけだけど、悲しいことに老朽化し始めるわけだよね。それは救命イカダにしがみついているか、居心地のいい場所に留まっているようなものなんだよ」
今年、ロバート・プラントはレッド・ツェッペリンのロックンロールとしての過剰さについて「すごく誇張されている」と語っている。「あんまりよく分かっていないんだ。自分は離れてしまっているからね。メディアではちょろちょろ読むこともあるけど、事実からかけ離れているんだよね。一番いいのはその多くがすごく誇張されていると想像することで、最も重要なのは立ち返って、新しい視点を獲得して、成長することだよ」
先日、レッド・ツェッペリンのベーシストであるジョン・ポール・ジョーンズは世界各地の17人のミュージシャンと共に1971年発表の“When the Levee Breaks”を再レコーディングした映像が公開されている。
このセッションにはジェーンズ・アディクションのドラマーであるスティーヴン・パーキンス、デレク・トラックスとスーザン・テデスキの夫婦、サーミのヴォーカリストであるエル・マリア・アイラ、マオリのアーティストであるミヒランギ、コンゴのミュージシャンであるマーマンズ・モセンゴ、ナイジェリアのパーカッショニストのシキル・アデポジュが参加している。