“Great Balls Of Fire”、“Whole Lotta Shakin’ Going On”といった曲で知られるロックの先駆者であるジェリー・リー・ルイスが亡くなった。享年87歳だった。
『ガーディアン』紙の報道によれば、ジェリー・リー・ルイスはミシシッピ州デソト郡の自宅で自然死で亡くなったという。
1950年代後半に“Breathless”、“High School Confidential”といった曲で名声を得たジェリー・リー・ルイスは2019年に発作で入院していた。この時、いくつか予定されていた活動をキャンセルすることになったものの、その後は全快していた。
ジェリー・リー・ルイスはルイジアナ州で生まれ、1956年にメンフィスのサン・レコーズでセッション・ミュージシャンとなり、エルヴィス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、カール・パーキンスらと共演を果たしている。その破天荒なパフォーマンスから彼は「ザ・キラー」と呼ばれ、キャリアにおいて40枚のスタジオ・アルバムをレコーディングしている。
ジェリー・リー・ルイスのキャリアは物議を醸すものでもあり、1958年にUKツアーを行った時には一緒に同行していた妻のマイラ・ゲイル・ブラウンは13歳で、彼の従兄弟だったことが報じられている。また、マイラ・ゲイル・ブラウンと結婚した時、彼は2番目の妻とも婚姻関係にあったことも明らかになり、この報道が広がったことで、ツアーはキャンセルされ、ラジオでは放送禁止となった。
AP通信によれば、ジェリー・リー・ルイスはその後の数十年もドラッグとアルコールの依存症、法廷闘争、体調不良を抱えることになった。しかし、彼はカントリー・シンガーとして再出発することを決意して、音楽業界が彼を再び受け入れたことで、結果として3つのグラミー賞を獲得している。
ジェリー・リー・ルイスは今月カントリーの殿堂入りも果たしていたが、風邪のために式典への出席を辞退していた。代わりにクリス・クリストファーソンが式典には出席している。
殿堂入りのスピーチでジェリー・リー・ルイスは次のように述べている。「今日、対面で自分の考えを伝えられず、病床から手紙を書いていることに落胆していますし、心から悲しんでいます。体力をつけるためにできる限りのことはしていたのです」
「ハンク・ウィリアムス、ジミー・ロジャーズといった自分のヒーローたちと同じ殿堂に入ることができて光栄です。そして、言うまでもなく長年にわたって自分によくしてくれた素晴らしい友人がたくさんいました」
「カントリーの殿堂に選んでくれたこと、みなさんの応援と愛に感謝します。そして、なにより、このような光栄なことを経験させてくれた神に感謝します」
10月26日の時点で『TMZ』はジェリー・リー・ルイスの訃報を報じたが、彼の代理人はまだ存命であることを発表していた。