ビースティ・ボーイズは名曲“Sabotage”について腹立たしく思っていたレコーディング・エンジニアについて書かれた楽曲であったことを明かしている。
“Sabotage”はビースティ・ボーイズの1986年の名作『イル・コミュニケーション』に収録された楽曲で、ニューヨーク出身のビースティ・ボーイズの代表曲の一つとなっている。
本名をアダム・ホロヴィッツというアドロックは、10月30日に刊行されたバンドの回想録『ザ・ビースティ・ボーイズ・ブック(原題)』の中で“Sabotage”を作るインスピレーションについて明かしている。アドロックはその中で、当時バンドと仕事をしていたエンジニアのマリオ・カルダート・ジュニアが、バンドのセッションの進行スピードに不満を持っていたことを明かしている。
「俺たちは何を、いつ、どうして、どうやれば曲が完成するのかを知らなかったんだ。それで、マリオが苛立ち始めてしまってね」とアドロックは明かしている。「そう言えば穏やかに聞こえるだろうけどね。彼は俺たちにカンカンに激怒していて、何であれ何かしらの曲を完成させろって俺たちに怒鳴っていたんだよ。少しでも完成に近づけるために、彼は俺たちの作ったヒドいインストのトラックですら推してきたんだ」
アドロックは続けて“Sabotage”についてアルバムの中で最後に完成した曲であることを明かし、今日の楽曲になるまでにいくつかの形態を経てきたことを明かしている。曲が完成することになった経緯について、彼は次のように語っている。「いかにマリオが俺たちを押さえつけいていたか、いかに彼がすべてをメチャメチャにしようとしていたか、そして彼が俺たちの素晴らしい芸術作品をいかに妨げ(“Sabotage”)ようとしているかを曲にしたら、面白いんじゃないかって思ったんだ」
先日、アドロックとマイクDは2012年に著書の中でガンで亡くなったバンドメイトのアダム・ヤウクの死について触れたことについても語っている。
アダム・ヤウクの死について書くということについてマイクDは次のように語っている。「大変だったね。ものすごくつらかったことだからね。友人であり、パートナーである人間を失うこと、しかも、ああいった形で失うことを経験することになるなんて予想していなかった。今も悲しいよ」