Thin Lizzyのフロントマンであるフィル・ライノットの母親が逝去。享年88歳

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シン・リジィのフロントマンであるフィル・ライノットの母親、フィロメーナ・ライノットが亡くなった。享年88歳だった。

アイルランド『ホット・プレス』誌によれば、フィロメーナ・ライノットは長年にわたる癌との闘病の末に現地時間6月12日にダブリンで亡くなったという。

フィロメーナ・ライノットは1995年に、マンチェスターやダブリンで生まれ育ったフィル・ライノットがシン・リジィという伝説的なバンドのフロントマンになるまでを綴った回想録『マイ・ボーイ(原題)』を『ホット・プレス』の発行元より刊行している。

「彼女は相手に畏怖の念を起こさせるような、聡明な女性でした」と『ホット・プレス』誌の編集者であるナイル・ストロークスは述べている。「彼女の類まれなる物語を共に伝えられたことを誇りに思っています。彼女は本当に類いまれなる女性でしたから」

彼は次のように続けている。「彼女のことを知っていた方であれば、彼女がいかに最後まで若々しかったかをご存知のことでしょう。彼女はとても惜しまれることになります。シン・リジィのファンにとってのみならず、フィロメーナ・ライノットのファンからも惜しまれることになるはずです」

アイルランド出身のフィロメーナ・ライノットは1947年にイングランドに移住して、ロンドンで働いていた当時イギリス領だったジョージタウン出身のセシル・パリスと出会い、フィル・ライノットを妊娠している。

フィロメーナ・ライノットはフィル・ライノットの出産後もイギリスに残ってマンチェスターでの生活を続けていた一方で、フィル・ライノットはダブリンにある祖父母の家で育てられ、幼少期には人種差別に遭っていたことでも知られている。その後、アイルランドで最も愛されるミュージシャンの1人となったフィル・ライノットは1986年に36歳の若さで亡くなっている。

フィロメーナ・ライノットはフィル・ライノットが亡くなった後も精力的に彼の功績を伝え続けるための活動を行っており、2005年には彼女の働きかけでダブリンにフィル・ライノットの銅像が建てられている。

また、フィロメーナ・ライノットは2012年に、当時の米大統領選に出馬していた共和党議員のミット・ロムニーがキャンペーンでシン・リジィの“The Boys Are Back In Town”を使用していたことを批判したことでも知られている。

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