中津川 THE SOLAR BUDOKAN 2015

2015年9月26、27日の2日間、「中津川 THE SOLAR BUDOKAN 2015」が開催された。今年も40組あまりのアーティストが出演し、述べ約2万人の観衆を集めるロックフェスティバルとなった。
大盛況を収めるこのフェスティバルの発起人、シアターブルックの佐藤タイジは、メジャー・デビュー20周年の今年に、豪華アーティストを集結させたアルバム『LOVE CHANGES THE WORLD』をリリース。レコーディングに関わる全ての電力は、太陽光によるエネルギーだけの使用とした。アルバムには2012年以降、このロックフェスティバルを通じて交友を深めたミュージシャンたちが多数友情参加し、中でもRCサクセションが『COVERS』で披露した「ラブミーテンダー」をさらに シアターブルックがリアレンジした「何やってんだー」では、“気に入ってんだ 太陽、音の良さを 賛成運動なのさ じゃまをするな”と歌う。全ての源泉キーワードとなる”太陽”と”賛成運動”は、いかにして掲げられたのか?

未だ記憶に新しい2011年3月11日、日本は東北地方太平洋沖地震と津波、余震などによって引き起こされた大規模地震災害、俗に言う「東日本大震災」に見舞われる。この地震によって、福島第一原子力発電所では炉心溶融(メルトダウン)が発生し、大量の放射性物質の漏洩を伴う、重大な原子力事故にまで発展した。すぐさま、政府による対策が敷かれ、また数多くのボランティアも次々と現地へ向かう。
その1週間後にあたる3月17日、日常における音楽や娯楽など、数々のイベント興行が”電気の消費””震災時の不謹慎”などのムードとなる中、のちに「THE SOLAR BUDOKAN」を発起する佐藤タイジは、その原点とも言うべき復興支援イベント「LIVE FOR NIPPON」を下北沢風知空知にておこなう。
当時について、佐藤タイジは「自粛ムードだったけど、俺は自粛する意味がわからなかった。当日はアコースティック・ライブだったから、電気のことを考えずに済んだのもあるだろうけどね。イタズラに自粛することは良くないと思ってたし、あれをやってすごい良かった。ショック状態だったかもしれないけど、ミュージシャンは音楽をやってないと不安だし、健康ではいられないんですよ。奏でることで、精神的にも肉体的にも保ってられるからね」と振り返る。
そして、のちの「インディーズ電力」へと繋がる、うつみようこ・高野 哲と共に塩釜へ向かうこととなるのだが、遡ること1995年1月17日、「阪神・淡路大震災」での後悔が佐藤タイジにはあったという。「まずね、俺が神戸の震災の時に何もできなかった。当時のレーベルの社長に”お前が行っても何の足しにもならんし、邪魔になるだけやから行くな”って言われて。本当はどういう状況になってるんやとか、何が必要なんやとか、自分の目で見たかったんやけど、「行くな」って言われたからいかへんかってん。それがすごい後悔の念として残ったわけ。」

3人で実際に向かった先は、完全に電気のないショッピングモールの駐車場。その寂しさや不安を和らげるように、「UFO」「津軽海峡冬景色」そして「ありったけの愛」を披露した中の1人、高野 哲はこう振り返る。「ロックをやってる3人が、流しみたいに演ってるのが既にコミカルな感じがしたし、その500人くらい集まって頂いた人には”震災後、初めて笑いました”なんて人もいた。」

震災以降、月に1度のペースで「LIVE FOR NIPPON」は続き、実際に現地へ出向きその現状を知り、現地の人々と触れ合う中、2011年6月9日に佐藤タイジから、ある表明が告げられる。その全文はこうだ。


「はじめまして。私は日本でロックバンドをやっている(当時)44歳の男、佐藤タイジと申します。
今、日本は大変なことになっております。「3.11」は大震災と大津波と原発事故の3つの災害が同時に訪れた、人類史上初めての災害ということをご理解ください。地震慣れしている日本人の私も、実際被災地に行ってみると、あまりの被害の巨大さと深刻さに、今もまだ茫然自失の状態です。
きっと、あなたも同じ景色をみると、私と同じ印象を持たれると思い、ペンを取りました。
私は自分のバンドメンバー・スタッフたちと、去年から”2012年12月22日に武道館でライブをしよう!”と計画しておりました。我々、日本でロックに携わる人間にとって、武道館は聖地なのです。そして、震災前だった当時は、マヤ暦最後の日の前日、2012年12月22日に生まれて初めて武道館のステージに立つんだという計画に、無邪気にみんなで盛り上がっていました。
そんな中、「3.11」は起きたのです。
世界は一瞬で変わってしまいました。
”何かやらなくては”という気持ちから、仲間を集め「LIVE FOR NIPPON」と銘打って、インターネットチャリティーライブを始めました。
震災後、3月17日から毎月1回やっています。そしてライブを重ねる度に、自分の考えはまとまってきました。
「100%ソーラー武道館」これが私の結論です。
しかも、だいたいマヤ暦最後の日です。全ての電力を太陽で賄うライブを武道館でやりたいのです。今回の震災で、原子力発電の本当のリスクを体で理解しました。人間は、原子力発電の本当のリスクに、耐えられる存在ではないのです。
我々人類には、原発に替わる再生可能なエネルギーが必要なのです。そしてそれは、地球温暖化に対しても有効であるべきなのです。地熱発電も良いと思います。風力発電も良いと思います。でも太陽がベストだと信じています。
かつて私は、自分の作品で「その上の太陽はありったけの愛だけで出来てると思いませんか?」と歌ってきました。
今もその気持ちに変わりはありません。太陽がベストだと信じているのです。「現実的に可能なの?」という声が聞こえてきます。集客はもちろん、100%ソーラーとなると膨大な数のパネル、膨大な数の蓄電池、膨大な送電システムなどなど。そこで世界中の新市民のみなさんに、協力をお願いしたいのです。
”1万人規模のロックコンサートの電力を100%ソーラーシステムで賄うことは現実的に可能か”という、社会実験であり科学実験を成功させるために、みなさんのアイディアと技術と資金と信じる力を貸してください。
私は信じています。この計画が成功すれば、世界は変わると。そして、世界中のロックバンドに、このシステムでライブをして欲しいのです。
そうなると、太陽光発電に対する評価も、それ自体の技術力も大きく進化するはずです。太陽だけでロックはできるという現実を地球上に作りたいのです。未来に対して責任を感じてる人全てが、ここに集まることは可能なのです。
私たちの未来は、私たちが作ることができるのです。「3.11」が未来にとって、ポジティブであるために、みなさん協力してください。
2011年6月9日 佐藤タイジ」


2012年12月22日、武道館の公演で使用する電源を太陽光発電で賄った「THE SOLAR BUDOKAN」が開催された。
開催までには、電力確保に奮闘し続け、結果として多くの賛同企業を集めた、松葉(THE SOLAR BUDOKAN:プロデューサー)氏の功績も大きく、タイジはこう振り返る。「武道館っていう規模もあるけど、電気を選択することは大変やったね。でも「LIVE FOR NIPPON」があったから、協力を申し出てくれる人は集まりやすかったし、その連鎖やったと思うんですよね。松葉くんが色んなソーラーパネルの会社に話をしてくれて。もうシアターブルックで武道館をやることが重要なわけじゃなくて、ソーラーでやることの重要度が増したわけやん。提示したことで、その手柄をソーラーにしたかったのはあるな。1人でも武道館やれるミュージシャンもいたけど、みんなでやることが大事だし、それを協力してくれる会社にも求めたんよね。音楽ってさ、ビジネス以外の部分がすごい大きいからね。」

結果として、佐藤タイジが提唱した趣旨に賛同したミュージシャン、延べ18組が集結し、4時間近くに及ぶライブを「太陽光発電だけで大規模なロックフェスは可能なのか?」という問いに対して、成功という答えを示した。また「クリーンな電気は音が良い」という発明をも手にしたことは、大きな収穫の1つとなった。
「俺のマーシャル・アンプをいつものコンセントから電池に差し替えて弾いたら、音のレヴェルが格段に上がってるんですよ。考えてみれば、ここで発電して余計なものを介してないから、ノイズが入る余地がないなと。音響エンジニアたちは、音をクリアにする為に時間と労力を使うわけだが、東電が公表している通り、流通している電気はきれいではないんだよね。だけど、独立して作ることによって、ノイズの無い電気を確保出来るし、音響機器に有効であることに気づいたとき、俺の道が照らされた気がしたもんね。「タイジ、こっち行けよ」って(笑)」

参加アーティストの誰もがその音の良さを絶賛し、武道館の照明さえ暖かみを放っていた。100%ソーラーで出来たと同時に、佐藤タイジは完成して終えたというよりも、これが始まりで続けなければいけないと悟ったという。その武道館の打ち上げで、中津川にある協力会社から「野外をやりましょう」と提案を受け、一貫して提唱された「反対は続けられないけど、賛成は続けられる」という、決して負の事実を嘆き悲しむのではなく、如何に肯定的なものに変えていくかという”賛成運動”を「中津川 THE SOLAR BUDOKAN」の地へ受け継がれることとなる。

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