2020年を共に生きる人々に届ける、坂本龍一の無観客オンラインピアノコンサート

「生の音楽が一定期間消えてしまったことで、音楽の楽しみ方をもう一度考え直さなければいけない。生・デジタルと分けるのではなく、新しいビジョンを持ってエンターテインメントの在り方を広く考えていかなければいけないと思っています」

と本編前のインタビューで坂本は言った。直に体験する“生の音楽”と、オンラインで発信する“情報としての音楽”を組み合わせた新しい形を目指すのが、このライブの挑戦でもある。そこで鍵となるのが、Rhizomatiksによる映像演出だ。

真鍋は、“まるで隣で弾いているような”というコンセプトに添い、“坂本の自室”を表現する白い部屋をベースとし、海、波、雨、荒野などのシチュエーションを用意。坂本の音楽を、“空間”という手法で支え、各楽曲が持つ世界観や魅力を引き立てる。特に自然が背景に映る時は、坂本が自然の一部となったように溶け込んだ。近年自然との共生を訴え続ける坂本を、真鍋は視覚的に表現したのだろう。

坂本龍一

中でも「aqua」では、とびきり美しい光景が広がった。画面上にいくつも雫が落ち、雨に濡れる窓から坂本の姿を覗いているようだった。坂本の愛情を象る温かく、清らかな音色に連なり、背後には光り輝く水面や揺れる。時折白い髪が透けて、海と同化しそうになる坂本の姿には、儚さを感じた。ここで、音と映像のどちらかに身を寄せるのではなく、2つが溶け込む様をじっくり見るのが、このライブパフォーマンスの醍醐味でもあるのだと気づく。

窓の外で雨が降るのをぼんやりと見つめている時のように、ピアノを弾く坂本の姿や跳ねる水滴をぼんやりと見つめ、“無”の時間を楽しむのもひとつ。いつもより身近に感じる演奏と映像に、「隣で自分のためにピアノを弾いてくれているのではないか」と思うほど入り込んで楽しむのもひとつ。どちらもまた、コロナ禍で不安や悲しみを抱えながら励む人々へ寄り添うあたたかな時間だった。

また、Zakkubalanによるカメラワークがまた面白い。坂本の顔がクローズアップされる瞬間も多く、プレイヤーの表情の変化をこれほど目の当たりにする機会も少ないだろう。坂本は、一瞬一瞬の響きを楽しむために、耳で聴くだけでなく、身体全体で味わおうとする姿勢についてインタビューで語っていたが、それを体現するように、坂本は全身で音楽を奏で、耳で受け取り、余韻を楽しんでいる。その姿を見て、彼の呼吸や身体の動きに合わせて、自然と身体を動かせる視聴者も数多くいたことだろう。

坂本龍一

生のライブ空間と同じように、プレイヤー・来場者すべてが一体となるのは難しい。しかし、オンラインでしか見えない角度により、プレイヤーと視聴者が一対一で呼吸を共にすることはできる。これが、坂本が言う“身体性のあるパフォーマンスの実現”に繋がる大きな一手となったのではないだろうか。

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