圭

受難が歓喜へ、回帰が進化へと転ずる瞬間。圭が3ヵ月ぶりのライヴで提示した、未知の可能性。

7月10日、圭が東京・日本橋三井ホールにて『THE SCRIPTURE -回帰の受難-』と銘打たれたライヴを行なった。時期的にはあいにく東京都での4度目の緊急事態宣言発令が確定した直後、さまざまな音楽フェスの中止が相次ぐ中での開催となったが、万全の感染防止対策がとられ、客席の間隔が充分に確保された会場には熱心なファンが集結し、それを遥かに超える数多くの人たちが配信を介してこのライヴの目撃者となった。

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公演タイトルに掲げられた英単語が意味するのは、聖書や経典といったもの。また、同夜の公演終了後、圭自身がツイッターを通じて発信した感謝のメッセージには「どんな受難があろうと演奏し続けたい、愛する曲たちを呼んだ新月の夜でした」という言葉が添えられていたが、ステージ上で演奏する圭のたたずまいは、困難に押し潰されそうになりながら苦闘しているというよりも、自らが信じ、愛する音楽を奏でられること、それを共有できることの喜びの大きさを感じさせるものだった。

盟友というべきヴォーカリスト、怜の音楽活動引退に伴いBAROQUEが無期限の活動休止の意向を示したのが2020年9月のこと。その直後にも、そして今年の4月にも圭は個人名義でのライヴを行なっている。こうした一連の機会は、新たな表現形態を単純に提示するものというよりも、時間経過とともに彼自身のヴィジョンや決意といったものがより明確かつ強固なものになっていくさまを示すものになっていたと思われる。たとえばそれは、ある種の覚悟をもって臨んだことによって固まった決意が、さらなる確信を伴ったものになっていく過程だったのではないだろうか。実際、去る5月の時点において、前回、前々回の公演を振り返りながら、圭は次のように語っている。

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「自分でもあまり実感がないまま9月にBAROQUEの休止を発表して、その前から決まっていたソロ・ライヴをやって、それから4月までの間に7ヵ月あって……。その経過の中でようやく『ああ、俺、ホントにひとりになったんだな』と実感したんです。たとえば新しい曲を作ろうとして、いいメロディが思いついたとしても、『いい曲になりそうだな』と思った次の瞬間『だけど誰が歌うの?』ということになる。そこでシンガーを探すことも含めていろんな方法を考えたんだけど、どれも完全にはしっくりこなくて。ホントに毎日、自問自答を繰り返してましたね。ただ、すべてをポジティヴに捉えるとすれば、これはある意味、もっと難しいことにチャレンジできるチケットを授かったってことなんじゃないかなと思って。バンドのギタリスト出身のやつがひとりでやっていく。それがすごく大変なことも、それを上手く続けられる人がなかなかいないこともよく知ってるわけですけど、そこで挑戦するかしないかは自分次第じゃないですか。そこでチャレンジして、もしもそれをやり遂げられたなら、もっと価値のある何かが獲得できるのかもしれない。だから、そこへの挑戦権を神様からもらえたんじゃないかと捉えることにしたんです」

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受難という重い言葉が指すのは、まさにそうした「より困難なことへの挑戦」なのだろう。去る4月のライヴの際と同様、今回の公演でも、ステージ中央から客席フロアへと長い花道がまっすぐに伸びていた。前回の公演においてこの花道が意味していたものについて、圭は「自分の中にある花道、つまりギタリストとシンガーとの境界線みたいなものでもあった。メッセージを発信するギタリストに憧れて歩み始めた俺が、あの花道を進んでいくことで自分の理想とする存在へと近付いていくかのような図をイメージしていた」と認めている。同時に彼は、根拠のない自信と抑えることのできない衝動に突き動かされた16歳当時の感覚が、さまざまな経験を重ねながら音楽的にも人間的にも成熟を遂げてきた今現在の彼自身の中に蘇ってきている、とも発言している。つまり、衝動と理性、理屈抜きの領域と理論的な裏付けを併せ持った状態で、いわば無邪気な確信犯であれるのが現在の彼ということになるのかもしれない。その花道の上を軽快なステップで躍動する彼の姿には、まるで現実と理想の間を自由に瞬間移動できるかのような身軽さが感じられた。

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