元ニュー・オーダーのピーター・フックはクラフトワークの結成メンバーであるフローリアン・シュナイダーことを受けてクラフトワークについて語っている。
フランスのウェブサイト「ウェスト・フランス」はフローリアン・シュナイダーの遺族が訃報を認めたと報じている。
米『ビルボード』誌によれば、クラフトワークの結成メンバーであるラルフ・ヒュッターも訃報を認めており、声明で次のように述べている。「非常に悲しいニュースだが、友人にして何十年もの仲間だったフローリアン・シュナイダーが73歳の誕生日から数日後に短期のガンで亡くなった」
ピーター・フックは『NME』のインタヴューに答えて、次のように語っている。
「フローリアン・シュナイダーが亡くなったと聞いて悲しいよ。クラフトワークの最初の記憶はイアン・カーティスからアルバムをもらったことだね。彼は『アウトバーン』を聴かせてくれて、次に『ヨーロッパ特急』を聴かせてくれた、両方とも魅了されたよ。イアンはジョイ・ディヴィジョンでステージに行く時にいつも『ヨーロッパ特急』に向けてやっていたんだ。最初のライヴから、最後近くのライヴまででね」
「イアンの音楽的教養はすごかったよ。ザ・ドアーズからカンまで、すべてを俺たちに教えてくれたんだ。彼はバーニー(・サムナー)と僕にそれらを教えてくれて、自分たちにとっても重要なものとなっていった。ジョイ・ディヴィジョンはクラフトワークにすごく結びついていた。ニュー・オーダーになるまで、主なインスピレーション源となったものを使えなかったんんだけどね。『クラフトワークを真似してみよう』ってね。彼らの音楽は面白いほどシンプルだけど、複製することはできないんだよね」
「クラフトワークって1人1人のことは分からないだろ。多くの人たち同様、グループとして問題を抱えていたことは俺も知っている。でも、一体のユニットとしての見せ方が好きなんだ。イアンはジョイ・ディヴィジョンでやりたいことについてクラフトワークのアティテュードをモデルとしてきたんだ。間違いなくね。みんなイアン・カーティス&ジョイ・ディヴィジョンにしたがったんだけど、彼は『いやいや、クラフトワークみたいじゃなきゃいけないんだ。全員で一つなんだよ』って言っていた。そのイメージを受け入れたよ。いまだにクラフトワークについては誰が何をやっているのか分かっていない。でも、そこに強さや率直さがあり、敬意を持っているんだ」
「だから、クラフトワークは音楽的にもスタイル的にも両方で大きな影響を受けたよ。イアンは彼らの衣装や振る舞い、そして音楽を尊敬していて、それは完璧なトライアングルだった。多くの音楽を聴いていても、クラフトワークの影響を見つけることができる。アシッド・ハウスが来た時にクラフトワークを観た時は初めて楽しめなかったけど、4分の4拍子にハマっていたんだ。だから、自分が変わってしまったのかと思ったよ。そう考えると、おかしいよね」
「エレクトロニック・ミュージックの視点でも彼らは誰よりも先んじた存在のわけでね。他の人よりも何年も早く独自のシーケンサーを作っていた。マンチェスターのフリー・トレード・ホールで観たことがあるんだけど、彼らはステージに出てこなかったんだ。満員の会場が4体のマネキンを眺めていて、それで問題にならなかったんだ。音楽が素晴らしかったからね。彼らはフリー・トレード・ホールに4チャンネルのPAを入れていてさ、ニュー・オーダーでもすぐに真似をさせてもらったよ」
「彼らには会ったことがないんだ。フローリアンがいての最後のライヴは2006年のスペインだったんだけどさ。俺たちとスヌープ・ドッグも一緒だったんだ。バーニーは少し酔っているような感じでね。すごく浮かれてクラフトワークに会いたがっていた。妻にはこんな機会を逃すのかと怒られたけど、でもバーニーが楽屋に行って喋りまくっていたら、出ていくように言われたんだ。だから、自分が行かなかったのはよかったよね」
「クラフトワークと同じホテルになったこともあったんだけど、チェックインの時に通路でフローリアン・シュナイダーを見かけたのを覚えているよ。未来的なナイロン・スーツを着ていた。『今はオフだぞ。やりすぎだぞ』と思って、喋らなかった。すごく影響を受けた人になんて言ったらいいか分からなかったんだ。彼が亡くなったなんて世界で最も悲しいことだよ。先週はザ・ストラングラーズのデイヴ・グリーンフィールドも亡くなっただろ。彼らもキッズの時に観て、いつかあんなふうになれたらと思っていた人だった。こうしたことはすごく死について考えさせられるよ」