圭(BAROQUE)インタビュー

単純にデュエットだし特殊ですよね。本来、提供するはずで作った曲が、別の曲で採用されて。これを怜が聴いて、BAROQUEでやりたいっていうとこからこのアルバムに入れようとなった曲です。元々が女性に向けて提供するために作ったので、すごいキーが高くて下げちゃうと雰囲気が変わっちゃったんです。じゃあどうしよう?ってなったときに、アルバムは「少年少女」っていうタイトルだし、少年と少女が交わるじゃないですけど、そういう瞬間にしようかなっていうところから、怜とのデュエットに決めたんです。話的には、思春期の少年少女の時代を書いています。本来、提供する子と会ったときに、曲を提供するのであれば、自分と共通点ある部分を探そうと思って、その彼女には怒られちゃいそうですけど、僕は闇を感じたっていうか。もしかしたら、自分が思春期のときに感じたことに近いんじゃないかって。

ー 見出した共通項の世界に、『PUER ET PUELLA』で描けるストーリーと一致したんですね。

僕が少年のとき、もちろん幸せだった瞬間もありますけど、もう今すぐにでも死にたいと思ったような時代もあったので、そういうときに「もし似たような境遇の人がいたらどうなるんだろう?」みたいなところから始めた曲です。怜にも同じように説明したんですけど、『LAST SCENE』の1番恐ろしいところは、女の子と男の子は別に愛し合ってるわけじゃないんです。それぞれ別に「死のう」みたいに言ってるというか。たまたま目的が同じだから一緒にいる、みたいなところをすごく大事にしようと思って作ったものです。

ー そういう“死”の部分で言えば、『BIRTH OF VICTORY』で始まった”生”から、”死”の景色が描かれた『RINGING THE LIBERTY』、その後に迎える『PERFECT WORLD』の流れは、『LAST SCENE』も然り、それまでの楽曲があってこその説得力があるように思えました。

『PUER ET PUELLA』を人の一生として考えたときに、『BIRTH OF VICTORY』からスタートしてますけど、『RINGING THE LIBERTY』の最後のメロディーが『BIRTH OF VICTORY』と一緒なんです。『BIRTH OF VICTORY』ではギターを弾いて、『RINGING THE LIBERTY』では歌っていて、死ぬ瞬間の景色みたいのをイメージしたんです。『PERFECT WORLD』がなぜ『RINGING THE LIBERTY』の後にあるかは、死んでも残したいと思うような記憶とか、人生で得た宝物みたいなものを表現したかったからですね。

ー それは感情的なことでも良いし物理的なことでも良い?

そうですね。子供のときからずっと僕は「死んだらどうなるんだろう?なんで死ぬのは嫌とか、怖いって思うんだろう?」って考えてて。個人的には、別に肉体的な痛みが伴うことを怖いと思わないんです。病気になったり事故にあって、もちろんそれはそれで苦しいんでしょうけど、それよりも死んで自我がなくなるとか、何かがなくなったり忘れるっていうことが、やっぱり僕の中では怖いなと思って。それって、やっぱり自分が忘れたくないなと思うものがあるからだし、それは自分自身さえもそうかもしれない。自分自身のことを愛していて、近くにあるものを愛しているからこそ、忘れるとか失くなってしまうのが怖いんじゃないかなっていう。そう思っていた子供の時の感情がすごく今回のアルバムには影響を与えてて。もし、死んだあとに大事なものだけ持って行けるとしたら、喜んで死にますよじゃないですけど、そのくらい『PERFECT WORLD』は『PUER ET PUELLA』のラストを飾って欲しかった曲です。

ー 『PERFECT WORLD』という理想の世界ではありますけど、ちょっと怖いなとも思ったんですよね。『RINGING THE LIBERTY』まで、自分がそういうものを見つけられる人生を過ごせているかなっていう。

それに近い話で、難民支援の活動の話を聞くタイミングがあって、その活動で内戦とか起こっている国の子供にインタビューをしていて。状況で言ったら悲惨な環境にいるんですけど、「あなたが生まれ変わったら何になりたいですか?」って聞いたら、その子は「私はまた同じ場所に、同じ自分として生まれたい」って言ってて。まだまだ色んな世界を知らないからっていうのももちろんあるし、年齢もあるでしょうけど。でもどんな環境であれ、完璧な世界なんてないし、逆にどんな環境であれ、自分が完璧だと思ったら完璧な世界だし。それは生き方次第でもあるし、自分が何を大切にしているかでもあると思ったんです。当たり前ですけど、完璧な理想の世界なんてないですし、その人自身がそう思える人生を送るとか、そう思えるものを見つけられたら、それでいいんじゃないかなって、そのときすごい思ったんですよね。

ー 人によって、その”理想”って違って当たり前で、それぞれの『PERFECT WORLD』があるっていう。

そうなんですよ。誰しもがね、億万長者になりたいと思ってるわけではないし、お金がなくても、すごく大事なものを持ってる人の方が幸せかもしれないし。

ー 『PLANETARY SECRET』から『PUER ET PUELLA』に辿り着くにあたって、BAROQUEとしての『PERFECT WORLD』も、また他のバンドやミュージシャンと違って唯一のものでしょうし。

やっぱり今のBAROQUEは2人になって、それぞれが1番好きなことをやってる感じがするんですよね。僕は表現したい何かがあって、それを楽曲として表現出来ている。多分、怜の場合はそういうのを近くに作る人がいて、それを自分の感性で歌うのが楽しい。だからお互いが1番楽しいと思ってることが自然に出来てるんじゃないですかね。

ー そこまでBAROQUEに対して腹が括れた、とも言えますよね。

そうですね。もはや、2人で「こういうバンドになろう」っていう部分は、あんまり話さないですし。次何を表現したいのかまず考えるのは僕で、そこから膨らませて、自分の表現を見つけてくのが怜で。もちろん、2人になった『PLANETARY SECRET』を出す前に話はしましたけど、今はこのスタイルやクリエイティブの仕方を、2人で突き詰めて極めていくのが僕らの道だなと思っているというか。

ー 突き詰めれば、圭さんと怜さんの出会いこそが、BAROQUEの核の部分でもあるのかなと。

間違いなく、怜との出会いが起点になって今のストーリーになってるんで、そこが僕らの核なんでしょうね。怜が初めて僕の家に来た頃に、なんとなく作曲とかやってて、「ちょっとそれ歌ってみてよ」っていうところから始まったのが、結局今はそこに戻ってるっていう。そこから、「じゃあ演奏してくれるいいメンバー見つけようぜ、こういうバンドやろうぜ」っていう時期がありましたけど、色々あってそういう人たちも去っていって、そこに戻ったっていう。

ー 同様に『4 deus.』も、このタイミングや環境があってこそ産み出されたものなんでしょうね。

ヘンな話ですけど、外的なものじゃなくて、自分の音楽とか内的なものにすごいコンプレックスがあったんです。例えば、ソロも10年前にもやって、内面を音楽にして表現したことってあるんですけど、人とあまりにも違うんじゃないかとか、人に受け入れられないんじゃないかっていう、生み出すものへのコンプレックス。今までのキャリアの中でも、度々そういう片鱗を見せたアルバムを作ったことあるんですけど、そのときのファンの人が求めてるものとかけ離れてたりとかして、単純にセールスとかが落ちたりとかもあったし。

撮影=KEIKO TANABE

ー 状況は違いますけど『PUER ET PUELLA』での理想と現実のズレに近いものがありますね。

確かに。やっぱり、僕が16歳ぐらいでBAROQUEを始めて、早い段階でプロになったこともあって、常にファンの人がいてくれるっていう責任感がずっとあるんです。僕が何かを作って出すときには、必ず相手がいてくれているので、落胆させることもできれば、喜ばせることもできるっていう。その喜ばせたい気持ちと平行して、自分の中で膨れ上がった世界感を出すと、ファンをガッカリさせるんじゃないか、みたいな恐怖っていうのもずっとあって。もっと言うと、昔はファンだけではなく身近なメンバーとも、あまりにも観点が違ったんですよね。子供のときとか若いときは、それが何故だかわからなかったんです。例えばメンバーが先に帰るんだけど、1人だけずっとスタジオにいて、異常なほど音に執着して何時間もやってるとか。みんなからすると、「なんでそんなに時間かけるの?」みたいなことを言われてたし、それがきっかけで輪を乱したりもしてたんで。だからそれを全面に出すこととが、やっぱりコンプレックスだったんです。

ー だからこそ、今回の『4 deus.』は、それらを払拭するきっかけをももたらしてくれたものだし、10年前との環境も開放の仕方も明らかに違うと。

そうですね。当時はバンドがストップしたり怜が病気になったりっていうタイミングのソロで、本体も止まってたんでその間ファンの心配を少しでも紛らわせられたら、という気持ちもありました。そういうことから全く開放された状態で、しかも『PUER ET PUELLA』の目処もついたタイミングというのが良かったんです。セールスやポピュラリティ、ファンの人にどう思われるとかは気にせずに、本当に自分の裸みたいなものを表現しないとって思えたので。1曲10分で、4曲で40分なんてメチャクチャじゃないですか(笑)。それでも、素を見せることでどうなるかも知りたかったっていう方がコンプレックスより勝ってたので。

ー 実際にその答え合わせではないですけど、『4 deus.』でのライヴに対しての反応はどうでした?

3月30日のライヴは、僕も周りのスタッフも始まる前は正直どうなるんだろう?って。果たして来てくれたお客さんを満足・納得させられるのかが1番のハードルだろうなと思ってたんです。でも、同じくらいの自信も僕にはあったのかな。それは去年のツアーを通して、BAROQUEのファンの人だったり僕のファンの人は、僕が正直になることや本当に思っていることを音楽で表現することを見てみたいと思っている気もしてたっていうか。結果、思った以上に伝わってるんだなと思ったし、すごい手応えがありました。ライヴで言えば、跳び跳ねるわけじゃないし座って観てもらうんですけど、より深い意識のところで一つになれた気がしたし、その体験は大きいですね。

ー だからこそ、それを紐解くかのようなトークイベントも成立するんでしょうね。

ほんと、それは今年で最もデカイです。今も曲作りしてるんですけど、それ以降ポンポン曲が出来るんですよね(笑)。今までは、自分のフィルターをヘンに厳しくし過ぎてたんだと思いました。「これを出したら受け入れられないから出しちゃいけない」「これは大丈夫。でも、もっと大丈夫にしないとヤバい」って。特にBAROQUEは僕だけじゃなくて怜もいるし、ちゃんとバンドとして機能しないといけないっていうのもあって、勝手に「受け入れられるようなものにしないといけない」って思い過ぎてたというか、僕はそこを間違ってたっていうか。それを払拭するのに時間も掛かったのも事実で、それまでファンのことも本当の意味で理解してなかったのかなと思いましたね。

ー それでも、こうやって自信をつけてくれたのは、やはりファンの人たちなんですよね。

ファンの人たちですし、この何年間かでやってきたことが、無駄じゃなかったなって思わせてくれましたね。そのくらい『4 deus.』のことはデカくて、自分のそういうフィルターを壊せたというか、蛇口を壊したんで。もう、何やってもいいんだと。例え話ですけど、画家で言うとBAROQUEにはパトロンがいてくれて、その責任感もあって絵を描いてるつもりでやっていて。『4 deus.』に関しては、発表する云々ではく本来、世に出るようなものじゃないものを試しに出してみようっていう。そうした結果、本当の意味で変な際限付けないアーティストで良いんだなって思えたんです。今度のトークイベントでも話そうと思ってるんですけど、僕が見たものとか視覚的なものとかは音で捉えているし音に変えられるんだよっていう。そういったものが伝わらないコンプレックスは、今回でもう払拭されたので。

ー 『4 deus.』でもたらしたものから、2人になってからの『PLANETARY SECRET』『PUER ET PUELLA』、その続編はとんでもないものになっていくんでしょうね。

前に話したかもしれないですけど、『PLANETARY SECRET』を出そうと思ったときに、怜には「3枚のアルバムを想像してて、2人でもう1回ちゃんとリセットしてやろう」と。1枚目はこういうアルバム、2枚目はこういうアルバム、3枚目はこういうアルバムっていうところまで話しているんです。2015年に新しく2人でリセットしようってときに描いたものは、次のアルバムまでなので、『PUER ET PUELLA』よりも短いスパンでとは考えています。

ー 期待しています。とはいえ絶賛開催中の『THE BIRTH OF LIBERTY』もあって、息つく暇もなく年末、そしてファイナルのハーモニーホール座間ホールまで、突き抜けていただければと。

そうですね。ほんと、繰り返しになっちゃいますが、今年は本当にデカくて。1月ぐらいから『4 deus.』を作ったり『PUER ET PUELLA』が完成したり、これらで得たものが大き過ぎるので、僕の中の何かが決壊して蛇口なのかダムなのかが壊れたというか。ということで、鬼のようにやります(笑)。

ー (笑)。そんな中で、ファンとしてはクリスマスが空いてるのも気になりますが。

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