柳原陽一郎 インタビューvol.25

—冒頭でもお話いただきましたが、今回収録された「さよなら人類」「あの娘は雨女」「満月小唄」を含む「ふたたび」は、初のセルフ・カバーアルバムでしたが、たま時代の曲をカバーすることとなった経緯を教えていただけますか。

「ONE TAKE OK !」の録音を終えて、色んなジャズ系のミュージシャンと知り合うようになったんです。元々、ベースの水谷浩章とは高校の同級生だったり、たま時代から、梅津和時さんとかにお誘いいただいて、西荻窪のアケタの店などで歌わせてもらったりもしていて。その延長で付き合いが多くなって、次のアルバムはジャズの方と演ったらどうだろうと。ジャズ・ミュージシャンの方だと話が早いんですよ。例えば通常だと、楽曲の構成を変えることはNGですけど、毎回違いのある演奏をしても柔軟に受け入れてくれますからね。

—インプロの自由さがそこにあると。

そうですね。そして、想像を超えるアレンジが出てくるだろうなと。実は、ベスト盤の話もあったんですけど、最近の曲を集めても面白くないのと、ちょうどたまも解散をした時期だったので、僕なりのたまへのレクイエムということで「ふたたび」を制作しました。

—ロック全開のアルバム制作後、ジャズに惹かれた理由はどこにあったのでしょうか?

力を込めて歌うことに、何か違和感を感じていましたね。日本語って、もっとふくよかだし、ロックだけじゃなくて多様なリズムにも合うということを、そのときは説明出来なかったですけど、ジャズ・ミュージシャンとセッションすることで確認していたんでしょうね。やっぱり自分が生まれる前のジャズやシャッフルの曲は、自然と体に入ってくるんです。つまり、THE BEATLESの人たちが子供の頃に聴いていたような古い音楽ですね。そう考えると、ある意味必然だったし、それが分かって随分楽になりましたね。

—実際のアレンジ面では、オリジナルとの差異を意識されたのでしょうか?

いえ、「僕は歌うだけにしてくれ」って、水谷浩章に全てお任せしました。自分がやってしまうと、どうしてもたまを意識して真逆のアレンジにし過ぎたり、もしくは逆にしようとするんだけど、意識し過ぎて元のアレンジに似てしまうだろうから、殆ど口出しをしませんでした。

—なるほど。柳原さんがそのアレンジを初めて聴かれたときは、その“想像を超えるアレンジ”でした?

「豪勢にしやがるなぁ」と思いましたね(笑)。特に「さよなら人類」は相当、水谷も意識してたみたいです。後日談で「これをアレンジすることで、色んな意見が出てくるだろう」と、プレッシャーだったみたいですから。最近も歌っていて思うんですけど、この曲はやっぱりウケるし、たまたま僕が歌っていますけど、たまやお客さんのものでもあり、あまりにもみんなの歌になっちゃったから。

—まさしくポピュラー・ソングになったということですよね。

これは自分の中では、極端と極端の真ん中くらいの曲なんです。「フリーダム・ライダー」みたいに極端な歌の方が簡単で、真ん中の曲って実は難しいんです。そういう曲が自分の中から出てきて、売れてしまったことは予想外でしたし、そう思うと不思議なことだなぁとも思いますね。

—次のWarehouseとの共作である「LADIES AND GENTLEMEN!」は、それまでと全く違うアプローチでしたね。

「ふたたび」に参加してもらった高良久美子さんから「Warehouseというバンドをやっているので、歌い手として参加して欲しい」というお誘いを受けて、ライブにゲスト出演したんです。そこで、僕も欲深い人間なので(笑)、「せっかく演奏が巧くて、曲も書ける大人が集まっているんだから、オリジナル曲を作りましょう」と言いまして。じゃあどうしようかということになったときに、みなさん言いにくそうに「歌詞を書いていただけないでしょうか?」って話になり(笑)。実は歌詞が先というのが、初めての経験だったんですよ。それで確か6〜7曲書いてライブを演ったときに、リーダーの鬼怒さんが「これはCDにしましょう」と。

—“歌詞が先”というのが初とのことですが、これまでは曲が先だったんですか?

同時ですね。最初に家の近所のイトーヨーカドーのイートインで雑文を書いて、その中からフレーズを抜き出していくと、共通したテーマが見つかって、タイトルや曲が出来上がっていくんです。でもWarehouseの場合は、曲を想定せずに、歌詞として最初から作りましたね。イトーヨーカドーで雑文を書いて始めるところは変わらないですけど(笑)。

—(笑)。しかも、柳原さん自身が楽器を持たないで歌うことも初めてですよね?

歌い手に徹しました。レコーディングしていて思ったんですけど、やっぱり演奏が巧い人がいいなと久しぶりに思いましたね(笑)。

—「ドライブ・スルー・アメリカ」以来の(笑)。

そうだね。僕もそれに対抗するように、歌を1テイクで決めて。僕が参加した曲は3日間くらいで出来上がりましたね。

—それは早い!

ただ、リハーサルは1日10時間を3日間と、入念にしたからだと思いますし、鬼怒さんも基本的には1テイクで進めたいという思いがありましたしね。巧さと早さに、改めて「これからはジャズ・ミュージシャンだな」って思いました(笑)。

—それは「ウシはなんでも知っている」に繋がっていくお話ですね。

初めて自分のオリジナルアルバムでジャズ・ミュージシャンの方と演ってみようと思い、大きな希望を胸にレコーディングしました。

—アコースティックやカントリー等、ジャンルレスな広がりも見れます。

自分のアルバムで、たくさん好きなアルバムがありますが、自分の中では一番誇らしいアルバムですね。完成させるまで集中力を持続させるのが大変だったんですけど、ベーシックトラックも歌も殆ど1テイクで、それを自分で出来たことが誇らしくて、大好きなアルバムです。

—歌われている歌詞も、すごくストレートに胸を打つものが多いですよね。

特に「ブルースを捧ぐ」が出来たときは、自分が救われましたね。たまを辞めて、“路頭に迷う”と言っていいと思うんですけど、何から手をつけていいのかわからなくて。とは言うもののバンドは懲り懲りだという気持ちもあって。そういうところから始めて、やっと納得のいくものが出来たと思いましたし、自分の力で自分以上の力が出せた実感がありましたね。

—バンドであれば所謂“バンドマジック”が起こるように、柳原さん自身でそれを起こせたとも言えますよね。

2005年あたりから付き合ったミュージシャンと、バンドではないんだけどマジックは生まれたんだなぁと思いました。ソロのミュージシャンでも、丁寧にライブをし、やりたいことをお伝えし、苦労を厭わず話し合いをすれば、こういうところからマジックが生まれる。それが再確認できたし、自分のやっていることが間違っていなかったと証明できました。

—その「ブルースを捧ぐ」と「おろかな日々」が今回収録されましたが、外せない楽曲ですね。

「ブルースを捧ぐ」だけでも良いくらい、自分の想いは詰まっていますね。

—「DREAMER’S HIGH」からは、「BAD LOVE」「真珠採りの詩」「徘徊ロック#5」の収録ですが、前作からの心境の変化が見えるアルバムとも思えたのですが?

それは多分、「ウシはなんでも知っている」によって、ソロでドタバタしながらも素晴らしいミュージシャンと知り合えて、自分の得意技も再確認したことによって、1回やり終わった感じがしたんです。そういうところから、もう一度地味に続けるしかないとまた始めていったんですけど、今思うとかなり余裕がありましたね。

—それは柳原さんの心の余裕ということでしょうか?

そうですね。ちゃんとエネルギーを注入して、良いミュージシャンと演奏すれば良い物が作れることがわかったので、もうちょっと楽な気持ちでしたね。ただ前回の一発録りがすごく楽しかったので、大きめのスタジオで全員で録音しました。殆どスタジオライブですね。

—ダビング作業も殆どされなかったということですか?

はい。ベーシックは3テイクくらいやりましたけど、だいたい1テイク目が良くて、それを採用しています。「BAD LOVE」は自分の中で新機軸というか、アメリカのシンガー・ソングライターっぽい曲を敢えて書いてみたんです。それを一発録りですから、実は震えながら歌ってるんですよ(笑)。だから、これができたときは嬉しかった。さっき“誇らしい”という表現をしましたけど、この曲をピアノを弾きながら歌い切れたときは、録音した今までの経験の中で、一番嬉しかったですね。

—また、実体験の様であり、ストーリーの様でもある歌詞だという印象を受けたのですが、意識的にされていたのでしょうか?

うーん…全部が実際のことを歌っていませんけど、「DREAMER’S HIGH」の仮タイトルが「小さなお話」だったんです。3分半の曲をたくさん書こうと思っていまして。1970年代前半のシンガー・ソングライターの曲って、大体そのくらいの長さでしょ?「愛や恋や、寂しいってこういうことだよね」ってことを歌おうと思っていました。

—それは、柳原さんの心の中でのリアルでもありますよね?

それもあるけど、あまりにも個人的なことじゃなくて、「それもあるでしょ?」っていうね。「Goin’ Home」は当時、日比谷公園でホームレスの人が炊き出しに並んでいたり、家のない人がネットカフェで暮らす問題があったりして。「なんでこんなに寂しい人たちがたくさんいるんだろう」っていう気持ちから作った曲なんです。世の中を見渡したときに、そういう現実に対して、“何が歌えるか?”ということを思って作った記憶があります。昔のアメリカのフォークシンガーが歌うようなテーマですけど。

—確かにノスタルジーな印象を受けました。

そればっかりになるとマズイと思って、バカバカしい歌として今回も収録した「真珠採りの詩」を作ったのも良い思い出ですね(笑)。

—「うたのかたち」ではオルケスタ・リブレと柳原陽一郎とおおはた雄一として、妖しさ満点なアルバムですが、この制作の経緯は?

「DREAMER’S HIGH」リリース後にツアーをまわって、ツアーメンバー達と本当に良いバンドの形になってきたなぁと思ったとき、地震が起こったんです。七転八倒、恐怖に怯え、明日はどうなるかわからない中で、歌を書いていた日々でした。自分の人生で一番あたふたした出来事でしたね。そんななか、被災地への支援企画コンピレーションで「ほんとうにスキな人」を弾き語りで録音もしました。そういう時に「バカラックとブレヒトの曲をカバーするので、歌ってくれ」っていう話がきたんです。僕は地震があってナーヴァスな時期だったから、昔の素晴らしい作詞家、作曲家たちの作品を僕の歌でやりたいという依頼が、本当に気晴らしにもなって助かったんですよ。最初は「女性ヴォーカルの方がいいんじゃないの?」って話したんですけど、僕の歌で、できることなら訳詞もして欲しいと。それで「うたのかたち」ができたんです。そして2012年に「三文オペラ」を上演することになったから参加してくれってお話が来まして。「うたのかたち」に収録した「第二の三文フィナーレ」以外にも10数曲、「三文オペラ」には楽曲があるんですけど、「もしかして、全部訳すんですか?」って(笑)。しかも、女性を含めた3〜4人のヴォーカリストが必要なはずなのに、「やなちゃん、女性が歌う歌も全部歌って」となり、深川で上演して2012年が暮れました。

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