—そのナーヴァスな状態を忘れるように、「三文オペラ」を通して、音楽に没頭出来ていたんですね。
すごく救われましたね。
—元々、戯曲は聴いていたんですか?
全然、逆に避ける方でしたね。けれどもいわゆるスタンダードジャズやポピュラーソングではなくて、クラシックやラテンの要素さえあるクルト・ワイルの曲がすごく良くて。その曲を歌わせていただける喜びが、ものすごくありました。また、原曲を訳して歌うことが当時の僕には大きな救いになったんですけど、それは自分を掘り下げる作業ではなく、「どうしたら震災後の日本で、ブレヒト=ワイルの曲に説得力を持たせられるか」という作業だったからだと思うんです。それが本当に楽しかったんですよね。
—三文オペラ自体の言葉はネガティヴでも、柳原さん自身の心持ちは、逆にポジティヴだったんですね。
「金持ちは嘘つきだ」とか歌う気持ち良さね(笑)。そういった階級批判を飛び越えるくらい、素晴らしい楽曲でしたから。
—そして2013年8月「『ほんとうの話』」がリリースされ、そのアルバムから「もっけの幸い」には「再生ジンタ」「ほんとうにスキな人」が収録されました。震災・原発問題以降、現実を作品としてどう音・言葉で表現するかというのは、様々なミュージシャンが苦心されていたと思うのですが、柳原陽一郎というミュージシャンにとっては、どういう影響を与えたんでしょうか?
うーん・・・怒る人がいるかもしれませんが、“原発反対”や“放射能怖い”って、すぐ歌にはできますよね?僕がやりたいことはそうじゃないんです。「もっけの幸い」には収録しませんでしたが、「ホントのバラッド」という曲で歌っている通り、何が本当で真実かわからなくなってしまった。よく考えてみれば、「僕たちが探していた本当って人を幸福にするものなんだろうか?」っていう地点までとうとう来てしまったんです。例えば、「心の優しい人は傷つき死んでいく、そうじゃない人はノウノウと生き続けてる」というようなことを歌わなきゃいけないのかなって。原発や放射能の問題以上に、自分が歌うということに関して言えばそっちの方が問題でしたね。
—時代は違いますけど、ボブ・ディランがプロテストソングを歌えば済むような問題ではないところに来てしまったと。
「フリーダム・ライダー」じゃないけど、怒りの根本にある魂を汚す連中についてはわかった。ただ、この原発問題に関しての怒りはそういうことじゃないし、そこで怒っていても違うなと思ったんです。怒りを通り越して、今の日本人が持っているダメさ、愚かさへの絶望感や亡くなった方たちへの憐れみの気持ちがありました。その結果、人を喜ばせるアルバムじゃなくて、自分が今こう感じてるということを伝えるアルバムになりました。
ーサウンドメイク1つをとっても、自由なクリエイティビティですよね。楽曲が求めるままにシタールやタブラ、バラフォンでのアレンジがあったり。
そうですね。シタールの方はサラリーマンだし、タブラの方は今インドにいるんですけど、「三文オペラ」の時に知り合った人たちなんです。まさに曲が人を呼んでくれましたね。
—これまで作品を通してお話いただいたのですが、「もっけの幸い」と題したベストセレクションを出されてみて、改めて25周年をどのように振り返られましたか?
冒頭で「音楽性の幅が広い」とおっしゃっていただきましたけど、最終的にはどんな音楽にするかは、その時々に出あった人に任せてるだけですし、「こういう音楽をやりたいんだ」って今も全く思っていないんです。その都度、歌いたいことや言葉があって、それをずっと歌にして、いろんな人とセッションした結果、音楽性の幅が広がったんだと思います。
—その内容こそが「もっけの幸い」でもあるのでしょうか?
そうだね。夢は叶うとか、想えば叶うって確かにあるとは思うんですけど、変な話、桃太郎じゃないですけど、旅の途中でキジや猿と出会って、鬼が島に行って、鬼にボコボコにされて、また一人になって、というのが25年の真相だと思いますね。良い意味で適当だし、行き当たりばったりを必然に見せかけてるだけで(笑)、本当の意味で自由ですし。特に「もっけの幸い」を出してから、「実は昔から聴いていて、すごく好きなんです」ってことを言ってくれる若い人が現れてきてくれて。「そんならもっと早く言ってよ」って思いますけど(笑)。やっぱり時間も見方をしてくれているんだなと思いますね。
—きっと、もっけの幸いに終わりはないなと改めて思いました。
「良い音楽をやろう」とか、本当は思っているんです。でも、それを言っちゃダサいなと (笑)。出来るだけ間口を広げて、何も決めつけずに、上手な演奏家や楽しい演奏家と知り合いたいですし。どんな人とやっても、自分さえ軸がぶれなければ、大丈夫だなと。
—そうやって、これまで音楽を辞めずに続けてきた理由はなんだと思いますか?
正直言うと、ヒット曲とか音楽業界とかに、ある意味、背中を向けたから続けてこられたんだと思います。何より1回1回のライブを立派なものでなくても、100%の自分でなくても、かけがえのないものにしたいという思いがありますから。ダメな時はダメなものをやる自由も、やっぱり欲しいんです。金運や恋愛運には恵まれなかったけど(笑)、逆にミュージシャン運には恵まれました。バンドや家族のような共同体ではないけど、周りの人たちと音楽を通してやわらかくつながる関係でいられれば、この先も続けていけるでしょうね。それこそ、もっけの幸いです。
取材:2015.02.13
インタビュー・テキスト:Atsushi Tsuji(辻 敦志) @classic0330
photo:TAKAYUKI OKADA
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