ARABAKI ROCK FEST.15 菅 真良インタビュー

今や春におこなわれる、音楽フェスティバルの代表と言える「ARABAKI ROCK FEST.」。”陸奥””鰰”“津軽””荒吐””花笠””磐越”と、東北各地の地名を使用したステージ名が象徴するように、東北地方に根付いたこの音楽フェスティバルは、今年で15周年を迎える。
動員数は年々増加の一途を辿る一方で、その道のりは決して順風満帆な開催をしてきたわけではない。
開催の度に直面する問題に、主催側として幾度となく解決をし、出演するアーティストは元より、開催場所の地域の方々や参加するオーディエンスの協力があって、現在に至ったのだとARABAKI PROJECTの菅 真良は語ってくれた。
本インタビューでは、「ARABAKI ROCK FEST.」の歴史を紐解くとともに、これまで参加したあなたも、これから参加するあなたも、是非この15周年を盛大に祝って、今年の「ARABAKI ROCK FEST.」を一緒に作り上げて欲しい。

失敗から生まれた発見

—まず最初に「ARABAKI ROCK FEST.」開催のきっかけからお教えいただけますか?

そうですね、何処をきっかけにするかにもよるのですが、開催をしようと構想したのは、約20年くらい前なんです。それは同時に、僕がこの仕事をしようとしたきっかけでもあるんですけど、スポーツランドSUGOという場所で、”ロックンロールオリンピック”が開催されていたんです。学生の頃から憧れていて、コンサート・プロモーターとしての仕事に就いたんですけど、94年に終わってしまったので、自分が出来るタイミングでやりたいと思っていたのが、それにあたると思います。

—当時の仙台を代表する、ロック・フェスティバルの終焉がきっかけとなり、またその開催タイミングが2001年だったんですね。その構想を具現化して行くにあたり、第1回目の開催地は夢メッセみやぎを選ばれました。

実は開催の3年前になりますが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが日本初のアリーナ・クラスでオールスタンディングツアー(WORLD PSYCHO BLUES TOUR)をワッセ仙台という、今はフットサル等をする会場で開催していたんです。いざ本番が始まると、予想以上の会場内でのエネルギーで、物凄い揺れが起こって、そのまま続けられる状況ではなくなり、3曲くらいで中止にしたことがあったんです。

—安全面を考慮しての決断ではあったんですよね。

はい。ただ、地方最後の公演で、あとは横浜アリーナのみだったので、そのツアーを締めれずにいたんです。元々12月19日が開催だったんですけど、振替公演の場所を探したら、ちょうど1ヶ月後の1月19日に、夢メッセみやぎを「とうほく蘭展」が貸し切って、開催される予定だったんですが、ご好意でスペースの1/3をお貸しいただけることになったんです。だから、蘭展の隣でTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTがライブをしたんです(笑)。

—無事、振替公演が出来たという(笑)。

ただ、当時の音響設備で考えると、あの場所は天井が高いので反響音がすごいんです。残響測定をしても明らかで、夢メッセみやぎでのコンサートは、それまでも不可能だったんです。それが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのライブをきっかけに、ヨーロッパのPAシステムを買い取った会社があって、それを使用したらちゃんとコンサートが成立したんです。

—なるほど。敬遠・不可能とされてきた施設での開催が、このタイミングで見えてきたんですね。

そうです。当時の音楽業界は、PAシステムを倉庫のような場所で活用するなんてことは皆無だったんですけど、例えば幕張メッセのような、大型の場所でも開催できることが分かって。それで、振替公演が終わってTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの当時マネージャーだった能野哲彦さんから、「ここで大きなイベント立ち上げたいんだったら、やればいいよ。」っていう一言が第1回目に繋がりましたね。

—後の屋内での音楽イベント開催へも、大きな影響をもたらした出来事とも言えますね。

中止になったコンサートにいらっしゃっていた方には、とても辛い思いをさせてしまったので、素直に喜べないですが、失敗から生まれた発見ではありましたね。

—そういった会場のクリアと共に、第1回目の開催は日本の音楽フェスティバルでは、中々見られないコンテンツが用意されていましたね。

僕がこの仕事を始めて10年で、仙台で続けられる音楽フェスティバルの開催を出来たんですけど、それまでに色んな景色を観てきたんです。1番影響を受けたのが、97年に行った「New Orleans Jazz & Heritage Festival」ですね。花田裕之(THE ROOSTERS/ ROCK’N’ROLL GYPSIES)さんのライブ打ち上げで「ニューオリンズに1度行ってみたらいいよ、俺も行ってるから。」と、突然言われて「じゃあ行ってみよう」と軽い気持ちで行ったんです。

—1人で行かれたんですか?

はい、僕が23歳の頃ですね。しかも英語が話せないので結局、花田さんとは会えず(笑)。でも、ちゃんと堪能して、刺激を持ち帰って来ました。

—具体的には、どのようなことが影響・刺激となったのでしょうか?

2つあって、1つは街全域で音楽産業を誇らしくしていることです。極端なことを言えば、音楽がなければ何も出来ないというくらい、音楽愛を街中で感じました。もう1つは、地元の音楽スターで、そのフェスティバルが成立するところです。一番大きいステージで、ネヴィル・ブラザーズの後に、フレンチクオーターで普段働いているようなおっちゃんが組んでる、ビッグ・バンドが大トリだったんですけど、凄く盛り上がってましたね。

—それがみちのくプロレスや在仙ミュージシャンの起用等に繋がったんですね。例えばSXSWのように、ある一定期間だけではなく、常にその地域の文化として根付くものを目指したと?

東北流にアレンジしたのが、第1回目の内容ですね。SXSWも2回行きましたが、New OrleansとSXSWで醸し出される雰囲気や温度は、全く違いましたね。

東北であることに重きを置きたい

—気軽さや、言葉を言い換えると音楽があることは普通であるようなイベントを目指したと。その目指した1年目をどう評価されましたか?

1年目を振り返った答えとしては、開催した自己評価や興行収益を含め、概ね良かったことはありますが、一方で夢メッセみやぎでの開催に不自然さを感じていました。たまたま、雨風を凌げる場所と併設された建物があったのを1日レンタルをするということ自体に、全てその不自然さが表れてしまいましたね。

—不自然さを解消するため期間が、2002年のイベントサーキットであった?

そうです。当初、僕や会社が想像していた手応えを得られないまま、有耶無耶に2年目を迎えるよりも、たくさんのエネルギーとアイディアを充電して、納得のいく場所でやりたかったのがその答えですね。

—その前段として、多賀城ブルース・津軽ギター・多賀城SUNSET・鰰の叫ぶ声と、東北に因んだ名称もこのタイミングでありましたが、この構想は第1回目以降に菅さんのアイディアであったものですか?

東北であることに重きを置きたいと、ずっと思っていました。僕自身も福島出身なんですけど、東北の人たちが愛着を持てるようなことをやりたいと思って、サーキット名称にしましたね。

—サーキットとはいえ、宮城のみならず、青森、秋田を含めた理由もそこにあるんですね。

それもありますが、応援してくれる人が青森と秋田に多かったんです(笑)。実は「ARABAKI ROCK FEST.」の”ARABAKI”は僕がつけたんじゃないんですよ。

—えっ?そうなんですか?

昔、秋田で音楽情報誌をやっていらっしゃった方がいまして、その方と立ち上げの際に色んなキャッチボールをしていたんです。そのときに、「こういったことを目指すのであれば、”荒吐”って言葉が合うんじゃないか?」と、その方の習字の先生が書いた”荒吐”という紙と共に持ってきてくれて、今に至っています。現在のロゴは、そのときの1枚しかない紙のものなんです。

春に開催すればいい

—2003年には多賀城での開催となりました。ここは第1回目にあった”不自然さ”への答えとして、納得のいく場所となったのでしょうか?

実は、その年に偶然出会った方のコミュニティーから話が生まれたんですが、第2回目は多賀城市との共催だったんです。多賀城市の人口では珍しいことだったと思いますが、当時はまだ実績のないイベントにもかかわらず、共催を買って出ていただいて。また、ARABAKIの原型となった荒吐族を祀った神社が多賀城にあるので、場所として選んだ理由の1つではありますね。

—特に、屋内から屋外へという部分については、第1回目との大きな違いでもありますね。

そうですね。レイアウト上、線路を跨いでの移動等、安全管理上の問題もあったと思いますが、生活に根付いた音楽フェスティバルを開催したかったのと、小学校の裏庭で有料コンサートを開きたかったので、不自然さは前回に比べ解消されたと思います。

—菅さんが1番影響を受けられた、「New Orleans Jazz & Heritage Festival」の景色に近づくことができたんですね。

しかし、興行収益面等で課題が残ったのも事実ですので、結局は1度きりの開催地となってしまいましたね。

—翌年、「荒吐宵祭」というイベント形式になった理由も、そこにあるのでしょうか?

正直、2002年・2003年と蓄積された失敗が、大きく影響をしていたんです。さらに、きちんと他にはないコンセプト決めもする必要がありましたし。それをずっと考えていたときに、札幌のマウントアライブの山本さん(初代RISING SUN ROCK FESTIVAL:プロデューサー)が、ACIDMANの仙台公演をたまたま観に来られていたときがあったんです。その夜に、コンセプトも含めた僕の悩みを話していたら、「春に開催すればいいんじゃない?」って言われたんです(笑)。

—唐突ですね(笑)。

そうです(笑)。僕はそれを聞いて良いと思ったし、その理由があって「New Orleans Jazz & Heritage Festival」は4月の最終末と5月の初週末開催だったのと、何より春に誰も開催していなかったんです。

—なるほど。根本的な思想や問題点を含め、開催時期を変えることが解決の糸口に?

何故、うまく行かなかったかというと、既にいくつもの音楽フェスティバルがあった中で、同じように東北で夏の開催をしても、アーティストが集まらなかったのが理由ですね。それから、春に向けた開催をするにあたり、調整すべきことや懸念点の洗い出し等で、翌年の開催が間に合わないという判断をして、2004年の荒吐宵祭は秋の開催にもかかわらず、アイコンも桜にして、その発表の場にしたんです。

—それは感謝祭的な意味合いを持っていたでしょうし、アイコンも含め、荒吐SUPER SESSIONを大トリで行ったことも、春の開催に繋がるようにされていたんですね。

そうですね。荒吐SUPER SESSIONはシアターブルックにお願いしたんですけど、僕は根っからの東北人なので、ステージ上に登壇して何かを話すのはあまり好きではないので、佐藤タイジさんに「アンコールの1番最後にこれを話してください」と、紙をお渡しして代弁してもらったんです。おっしゃるように、感謝祭的な意味合いといしては、シアターブルックを始め、人気がある音楽フェスティバルではなくても、理解を示してくれたアーティストに対して「この先も一緒に盛り上げて行きたい」という、恩義も込めた意味合いもありましたし、2004年はどうしてもやりたかったんです。

—今もそうですがが、the pillows、斉藤和義、GRAPEVINE…挙げれば数多くのアーティストが賛同されていて、この関係性が続いていますよね。

これまでご出演いただいたアーティストの方々には、本当に助けられましたし、 こうやって続けてこれたのは、その理解があってこそでしたね。

理想の入り口がやっと見えた

—そして、満を持して2005年には前夜・後夜を含め、3日間の開催となりました。

実は3日間なんて予定になかったんです(笑)。最初は1日で準備をしていたんですけど、その時点で応援してくれる人(アーティスト)が、びっくりするぐらい増えたんです。1日の野外4ステージでは、とても収まりきれなくなっていて、歩いて5分の場所にaccel HALLがあったので、そこも使用することで解消をしました。

—それで一気にステージ数が増えたんですね。

結局それでも収まらなくて(笑)、前夜と後夜を開催することに決めたんです。春に開催することが、アーティストの皆さんにとって、新しいものが生まれる予感をさせたんだと思えたことでしたね。

—と同時に、これまでの懸念や問題点が大幅に解消された事柄とも言えますよね。また、とうとうステージ名に”多賀城””鰰”“津軽””荒吐”が名付けられました。

それは最初の年に目指した、理想の入り口がやっと見えたからですね。そのタイミングになるまでは、東北の地名にちなんだ名称は、使用しないでおこうと思っていましたから。

—逆に理想に必要な要素でもあったからですね。そして、忌野清志郎さんも初登場となりました。

今の話に通じますが、元々は「New Orleans Jazz & Heritage Festival」で影響を受けたように、アイコン的アーティストが必ず出演して、継続していく音楽フェスティバルを目指していましたから、2003年の時点で清志郎さんに「その(アイコン的)位置になって欲しい」と相談していたんです。もし、2004年の夏に悶々としたままの開催をしていたら、大トリは清志郎さんの予定だったんですけど、開催をやめたので2005年にそのまま引き継いでいただきましたね。

—先程、”理想の入り口”という表現をされましたが、開催地や数多くの出演アーティスト、来場者数を鑑みると、1つの”理想の成功”とも言い換えられると思うのです。その成功があった上で、現在の開催地となるみちのく公園とエコキャンプみちのくに移動となったのは、どういった理由があったのでしょうか?

実は2005年の開催時には、仙台港が翌年の使用が出来ないことをわかっていたんです。なので、開催と同時に次の開催場所を探していたのですが、山形や福島での候補があったくらいで、当時の選択肢にはなかった場所でした。それで、やはりたまたまなんですけど、みちのく公園は昔からやってる南側のエリアと、今は全面オープンしている北側のエリアとあるんですが、その北側のエリアオープンが2006年ということを聞いたんです。

—開催時から続いていますが、偶然の出会いが多いですね。

下見の段階ではただの荒地でしたけど(笑)。それで飛び込みで伺ったら、そのとき応対してくださった方が、広島とひたちなかでフェスティバルの経験をされていて、施設管理の良し悪しのアドバイスを細かくされていたんです。しかもその方は、多賀城で開催したときに、お客さんとして観に来てくださっていたので、僕がやりたいことが大体理解されていて、2006年の開催という流れになりましたね。

—ただ、既にこの時点で何度も開催場所の変更がなされていましたから、腰を据えると言いますか、みちのく公園で続けて行かれることを前提とされていたのですか?

もちろんです。2006年から2009年まで、みちのく公園だけでなく、エコキャンプみちのくエリアの経営されることと、2010年にはその面積が倍になることを聞いていたのは大きいですね。そうすると、ちょうど「ARABAKI ROCK FEST.」10周年のタイミングで、ステージを増やせるプランと、それに伴って東北6県にちなんだステージ名称がつけられることが見えたので。

—そこまで見据えられた上での選択だったんですね。2日間の開催についてはいかがですか?

仙台港の際は、同じ規模でやることに違和感があって、複数日開催のイメージがなかったですね。多分、来場される方は観て仙台市内に行って、街中で飲み食いしてまた来るという想像をすると、明らかに距離感が生まれるだろうと。だったら、数は限られるけど、1000人くらいの規模でも泊まれるような環境じゃないと、2デイズは無理だろうなと思っていました。

—そうして、前年の”理想の入り口”から、開催地域に根付く場所を見つけ、いざ2日間の開催を終えられたとき、菅さんはどのような心境だったのですか?最終日でのシアターブルックのステージへは、菅さんも立たれていましたが、先程「ステージ上に登壇して何かを話すのはあまり好きではない」というお話をいただきました。それでも感謝の気持ちを述べられていたのがすごく印象に残っていたので、敢えてこのご質問させていただいたのですが?

自分自身も楽しかったんですけど、色んなことの確認をしていましたね。この時期はどの時間帯が寒いんだとか、開催してる街との良い距離感を保つために、夜中に音が鳴ったときにどのくらいの音圧なら、生活に支障がないかとか。あのときは、袖で観ていたら呼ばれたんで出て行ったというのが正直なところなんです。本当は客席で観たいと思っていたんですけど、やけにみんなから「袖にいろよ」って言われていて(笑)。それは、みちのくのでのトリの企画に対して、ちゃんと言葉を述べた方が良いと思っていただいたらしくて。振り返ると、2006年って入場運営が不十分で、観たかったライブが観れなかった人もいたでしょうし、来ていただいた方々に謝罪をすべきだったのが、感謝の言葉しか言えなかったんですね。なので、反省という言葉が正しいかわかりませんが、逆に翌年からは責任が僕にあるのを明確にして、きちんと出て述べようと思いましたね。

—2006年での“責任の明確化”に緋も付くように、「STAFF VOICE」を設置されました。その中で、2007年には「手応えを感じた」とスタッフボイスで綴っておらえましたが、具体的にどのような内容だったのですか?

ありましたね(笑)。“ブレイク”という言葉が適切かは分かりませんが、全国的に認知度が上がる前段階で、「この音楽はカッコイイから是非、聴いて欲しい」という答えとして、the pillowsを初日の大トリでやって、満員に出来たことが挙げられます。もう1つは、2006年から参加していただいている、開催地である川崎町の方々で構成された和太鼓や、イワナの塩焼き・玉こん等のメニューに、お客さんが喜んでいる光景を見れたのもそうです。それに対して街の人々も、すごく喜んでくれましたし。

—開催地の方々と参加された方々との1つの交流が、音楽フェスティバルを通して生まれた光景ですよね。

バラバラとまで言わないですけど、気持ちが1つになったと思いましたね。あと、2日目の大トリがウルフルズだったんですけど、実は清志郎さんのトリュビュートに、当時休業中だった清志郎さん本人が、シークレットで出演するという企画をしていたんです。結局、容態が芳しくなく流れてしまいましたが、出演者陣の中でそういった状況に対しても、すごく受け止めてくれた年だったんです。

—気持ちが1つになったと仰られたのは、関わった全ての方であり、それこそが綴られていた”手応え”になったんですね。そして、2008年のステージから花笠が加わり、また新たな試みとしてラジオ公開録音もおこなわれました。

まぁ、単純にステージをただ観てるだけの楽しみ方ではない部分が必要でした。トーク・ショウや映像もそれにあたりますし、映像のアイディアについてはBLANKEY JET CITYのマネージャーだった藤井さんからだったんです。「ハイクオリティな光量で、映像を映し出すステージがあったら、文化として探している人がそれを目的に来てくれるかもしれない」というお話をいただいて。「じゃあやってみようかな」っていう感じでした(笑)。

—それが「HANAGASA SESSION 映像と音の祭」だったんですね。実際にキャンプファイヤーライブのプレミアム感も、すごく増した内容ともなりましたし。

藤井さんが仰られたように、これを楽しみにしていただける方も増えまし、すごく成功した1つとなりました。

—そして残念ながら「ARABAKI ROCK FEST.」での最後のステージとなった、忌野清志郎さんのステージをどう振り返られますか?

そうですね…アイコン的アーティストを「ARABAKI ROCK FEST.」で清志郎さんにお願いしてから、「New Orleans Jazz & Heritage Festival」で観た景色のように、それを続けてこれたことを今は感謝していますね。ご容態もありましたが、清志郎さんと「ARABAKI ROCK FEST.」作ってこれたことは、僕にとってもお客さんにとっても、最高の宝物だと思います。

—2009年からは風の草原もキャンプ地として加わり、キャンプ地を活用される方々が増える中で、1つの解消にもなりました。

あの年は2日間通して雨だったので、広くなったもののキャンプをしていた人たちは大変だったと思いますね。それでも2日間開催において、あの場所はすごく重要でしたから、やっと提供することが出来たというのが本音です。

—また、ARABAKIを代表するステージとなったMICHINOKU PEACE SESSIONがこのタイミングで確立されましたね。

はい。原型は、2004年にシアターブルックがやった「荒吐SUPER SESSION」ですね。あの年のセッションは、ステージでおこなうにあたっての進行等含め、勉強になったんです。それで、2006年にもう1度やれたり、2008年には斉藤和義さんでやれたことで得た手応えが、「MICHINOKU PEACE SESSION」となって、大トリでおこなうことになりました。こう言ってしまうと、お金を払って観に来ていただける方に失礼になってしまいますが、独自のステージ構成を考えることは、すごく勉強になったんです。出演者もお客さんも楽しんでもらえるステージをこうやって大トリでやれるようになったことは、嬉しかったですね。

—翌年の曽我部恵一さんでは、本当にここでしか観られない、アーティストの方々とのセッションがあり、それを物語っていたと思います。

そうですね。曽我部さんとは付き合いも長いですし、こういったことを依頼するにも、さすがに初めての方に頼めるわけではないですから(笑)。そうなると、ある程度付き合いを経過した人が多いですし、その中で理想を伺ったり、密にキャッチボールをしながら進めていくことは、大変ではありますけど、楽しんでいただけるステージを作る上で、重要なプロセスだと思っています。

自分の中でも希望になった

—また、2010年のトピックスとして、構想されていた6ステージ目のBAN-ETSUが加わりました。これで現在のレイアウトとなったと同時に、ステージについては、1つの完成形と見て良いのでしょうか?

そうですね。東北6県にちなんだ名称を作ることが、当初の目標でもありましたし、みちのく公園を選んだタイミングで見えていた計画が実現できましたので、完成と言って良いと思います。

—その中で迎えた2011年、「ARABAKI ROCK FEST.11」アーティスト出演発表を3月10日におこない、その翌日である3月11日に地震が起こりました。そのときの菅さんの状況を教えていただけますか?

まず、4月以降どうなるかと言うよりも、既に明日がどうなるかわからない状況でしたから。社員やお付き合いのある方々、またその家族の方々の安否が何より第1優先でした。結果的に、中止とせずに8月の延期開催をしましたが、話し合いでの選択でしたから。

—それは、プロジェクトの方・地域の方・出演アーティストの方とですか?

もちろんです。加えて、うち (株式会社ジー・アイ・ピー) の代表から、僕からではなく「延期開催をしよう」という決断をもらえたことですね。僕もそれを軸に、どこでどう動くのかに頭を切り替えられましたね。色んなことが飽和状態な中、ジー・アイ・ピーとしておこなっている普段のコンサートもそうですし、その中の1つとして「ARABAKI ROCK FEST.」も延期として動けることは、自分の中でも希望になりましたね。もしかしたらそれは、来てくれるお客さんも、同じように考えてくれるだろうと。

—それは数字で語ることではないですが、前年度より来場者数が増えたことも、その想いが紡いだ結果なのかもしれませんね。

そうですね。多分、最後の夏開催が出来たことで、来年は「ARABAKI ROCK FEST.」として、きちんと春に開催しようと、改めて思えた開催だったと思います。

繋がりを大事にしたい

—2012年には、元通り春の開催となり、鰰ステージでの”音楽ジャンル統一”という、新しい試みがありました。

まず、ザ・キングトーンズに出てもらいたいというがありました。所謂”和製ソウル”を打ち出したいというきっかけも、やはり「New Orleans Jazz & Heritage Festival」からです。わかりやすいステージ配分になっていて、ブルース・レゲエ・パンク・オールドロック・ソウル・ゴスペル、あとはヘビーメタルもありましたし(笑)。要はそういう音楽を目的にしている人が、そのステージに行ったら堪能できるようになっていたんです。

—それを1つのステージで演出してみたかったと?

はい。ただ、ステージ間の集客バランスを見る必要があるので、中々難しい試みではありましたね。

—また、「ARABAKI RADIO SHOW」は、その中でも面白い試みの1つでしたね。

あれは、取りまとめるのがすごく難しい企画でした。お客さんのリクエストと、実際に歌うアーティストとの気持ちに開きが出てしまう場面もありましたし。

—例えば「リンダリンダ」を歌って欲しいリクエストがあっても、アーティストは「I was Born to love you」が歌いたいみたいな?

曽我部さんの「リンダリンダ」は、たまたまハマりましたけど(笑)。お客さんとアーティストの仲介として、主催側でのキャッチボールを何度もしましたね。あとは、楽曲自体の雰囲気と言いますか、”静かな曲が続かないように”とかのバランスですね。

—確かにそのバランスは重要ですね。しかしある意味、オーディエンスがここまでステージングに参加すること自体、前例がない稀なことだったと思いますし、やはり「ARABAKI ROCK FEST.」ならではだと言えます。

そうだと思います。いつまで勉強してるんだと言われそうですけど(笑)、あれもすごく勉強になって、次の機会では更に良いものが作り上げられると思います。

—オールラジオリクエストによるショーケースが、更にパワー・アップして開催されることを期待します!そして2013年には、「東北ライブハウス大作戦」のステージや、MONGOL800主催のフェスティバル「What a Wonderful World!!」とのコラボステージが生まれました。

“繋がりを大事にしたい”というが大前提にあります。その前のことに対しての恩恵や、その後に対しての連動性は、「ARABAKI ROCK FEST.」として、こういった形で表せるものだと思っていたので。失礼な言い方になってしまうかもしれないですけど、「東北ライブハウス大作戦」と一緒にやったのは、単純に東北じゃない方が企画をして、東北に新しい出来事を起こそうとしていることに対して、具体的な感謝や応援がしたかったことです。「What a Wonderful World!!」との企画は、震災の年に沖縄でMONGOL800が主催したチャリティーコンサートがあったんです。そのコンサートは、初めて音楽業界でチャリティ義援金活動をしたんですけど、あんまりそのことをみんなが知らなくて。そういうことを言葉で「ARABAKI ROCK FEST.」として表現するよりも、ライブとして感謝を示す方が「ARABAKI ROCK FEST.」らしいと思ったんです。

—確かに、先ほど仰られた”繋がり”をステージで表現するというのは、「ARABAKI ROCK FEST.」だからこそですね。そういった思想やステージ作りの結果として、2014年は完売となる嬉しい結果もありました。

売り切れるということ自体は、注目いただいた・参加したいと思っていただいた結果なので、ありがたいことだと思います。ただ一方で、行きたいと思ったときに行けるフェスティバルであるべきだとも思うんです。収支等を考慮しなければ、当日までお客さんが来れるようなものがベストだ思うんですけど(笑)。

—加えて安全面や交通インフラ等も考慮しなければいけないので、現実的に来場制限を掛けないということは難しいですよね。

はい、現在の歩道がキャパシティーに対して太くないので、現実的に難しいところですね。やり方は見つかる気もするので、来てるお客さんで「こういう道があるよ」って教えてくれたら嬉しいですね(笑)。これまでも物事が動いたりするのに、多くは発言することで生まれたりしてきましたから。

—「ARABAKI ROCK FEST.」はお客さんの声がちゃんと届いて、更に反映されるフェスティバルでもありますしね。

そうですね。要は、ちょっと頼りなかった部分があるんだと思いますが(笑)。都度親身になって、色んな方々からアドバイスをいただけることはありがたいですね。

まだ町のイベントになっていない

—そして今年は15周年という節目を迎えましたが、改めてこの経過をどのように捉えていらっしゃいますか?

色々やってきて、人との出会いや別れもあった中で15年を迎えられました。自分たちへの戒めでもありますけど、人生で例えたらまだ中学生ですし、まだ若いんだということを常に思っています。5年目・10年目と、今の景色が違ったように、20年目・30年目の景色は、今と違うんだろうなと思っていますね。

—その中でも、こういった周年には、参加される全ての方が記念的な捉え方をされるでしょうし、実際のラインナップもそう連想されられますね。

「New Orleans Jazz & Heritage Festival」の出会いをくれた花田裕之さんの「流れ -花笠 ARABAKI SPECIAL-」、うつみようこさんの「うつみようこ GO! GO! 50バンド」、加藤さんの「THE COLLECTORS SUPER TRIBUTE -愛ある世界- produced by 山中さわお」等は、その周年と繋がっています。去年は、「若手へのフューチャーを大事にしたい」と思っていたんですけど、それは来年でいいかと(笑)。15年経って、今年は支えてくれた先輩たちの周年を押し出すことをやろうと思いました。

—アニバーサリー企画は、本当に見逃せない内容ですね。「ARABAKI ROCK FEST.」のこれからについても触れたいのですが、これまでもそうだったように、今後東北の中で、そして日本、または音楽シーンに、どういった寄与ができれば考えていらっしゃいますか?

まず、ずっと続いていって欲しいです。おそらく今出来ていないことは、まだ町のイベントになっていないことなんです。川崎町の町民の方全員は、「ARABAKI ROCK FEST.」の全てを知らないだろうし、それは大きな土地を借り切っているからでもあると思ってます。それが町のイベントとして、町民の方が主体となってやれる日が「New Orleans Jazz & Heritage Festival」で観た景色になるでしょうし、続けていくことこそが、川崎町・東北・音楽への寄与に繋がっていくと考えていますね。

—続けていくということ自体、とても簡単なことではないですし、地域の方・参加される方の協力があってこそ成り立ち、続けていけるのだと思います。今日は、15年間の歴史と共に、多くの想いを伺わせていただきましたが、最後に「ARABAKI ROCK FEST.」へ参加される方へのメッセージをいただけますでしょうか?

良くある「マナーを守って」というメッセージは、ありがたいことに言わずとも守っていただける方が多いので、毎年のように守っていただきたいのと、まだまだ今年のアーティストラインナップ以外にも出会いがあるだろうし、あって欲しいと思っていますので、そういうことを大事に・貪欲に楽しんで欲しいです。そして、良いアイディアがあったら教えてください(笑)。


取材:2015.03.09
インタビュー・テキスト:Atsushi Tsuji(辻 敦志) @classic0330
photo:Hiromi Morimoto

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ARABAKI ROCK FEST.15

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