ザ・ビートルズはハンブルク時代の手紙が来月ロンドンでオークションに出品される。
ザ・ビートルズは1960年8月から1962年12月までハンブルクで250以上の公演を行っている。そのライヴやそこで築いた関係性がその後のイギリスや世界での名声に繋がることとなった。
新たなオークションには未発表の手紙、労働許可証、写真、絵、詩などが含まれている。そのうちのいくつかは元ザ・ビートルズのメンバーだったスチュアート・サトクリフと関わりのあったフォトグラファーのアストリッド・キルヒヘルに送られたものだという。
ザ・ビートルズはアストリッド・キルヒヘルと親交が深く、イギリスに戻ってからも手紙を贈っていた。オークションに出された手紙のうちの一つはジョージ・ハリスンは彼のリンゴ・スターが住む新しいフラットに来るよう誘っており、返信する時は封筒に名前を書かないよう指示している。
別の手紙でジョン・レノンは次のように書いている。「悲しく、不安定な状態にさせてしまって申し訳なく思う。(ジョン・レノンの最初の妻である)シンシアも僕も他のザ・ビートルズのメンバーも君に同じ気持ちであることを分かってもらいたい。僕らにとってはずっとスチュアートのアストリッドなんだ」
手紙でジョン・レノンはシンシアがジュリアン・レノンとなる第一子を妊娠していることも伝えている。
これらの品々は5月5日にロンドンにあるボーナムズのオークション・ハウスに出品される。「ザ・ビートルズのハンブルク時代は極めて重要です」とボーナムズのエンタテインメント部門のキャサリン・スコフィールドは『ガーディアン』紙に述べている。「彼らは少年としてドイツにやってきて、大人として旅立ったのです」
アストリッド・キルヒヘルは昨年5月に82歳の誕生日の数日前に亡くなっている。彼女はザ・ビートルズがまだ5人だった最初の写真を撮影している。彼女はまたザ・ビートルズにマッシュルーム・ヘアーにするよう提案した最初の人物としても知られている。
ポール・マッカートニーはアストリッド・キルヒヘルの訃報を受けて次のように追悼の意を表している。「アストリッドはザ・ビートルズとハンブルク時代から親愛なる友人だった。もう1人の友人であるクラウス・フォアマンが彼女が亡くなったことを教えてくれて、ハンブルクのクラブ時代の思い出が甦ってきたんだ」
「彼女は白黒のフィルムを使っていて、僕ら全員が気に入っていた魅力的なムードが彼女の写真にはあったんだ」
「彼女の友人だった僕ら全員にとって、その人生からあんな愛らしい女性を失ったことは本当に悲しいよ。彼女を惜しむことになるけど、彼女と彼女の生意気な笑みを好意と共に思い出すことになるんだろう。神の御加護を」