ザ・ウィスパーズの結成メンバーであるウォルター・スコット・ジュニアが亡くなった。享年81歳だった。
ウォルター・スコット・ジュニアは『ロサンゼルス・センチネル』紙によれば、現地時間6月26日にガンと診断されてから6ヶ月を経て亡くなったという。ウォルター・スコット・ジュニアはカリフォルニア州ノースリッジで家族に囲まれながら亡くなったと報じられている。
ザ・ウィスパーズのパブリシストを務めてきたデズレイ・リー・ベンソン=ブロッキングトンは追悼の意を表して、次のように述べている。「ウォルター・スコット・ジュニアのアーティスト性、謙虚さ、優しさの力を間近で目撃できたことは私にとって光栄なことでした。彼の音楽、カルチャー、そして多くの人々の心に与えた貢献は決して忘れられることはないでしょう」
「ウォルター・スコット・ジュニアはパフォーマー以上の存在でした。彼はソウル、ハーモニー、そして時代を超えるラヴソングを届けるムーヴメントの一部でした。彼の功績は彼が触れたすべての音、歌詞、ファンを通じて永遠に生き続けるでしょう」
1944年にテキサス州で生まれたウォルター・スコット・ジュニアは家族で移住したロサンゼルスで、双子の兄弟であるウォレス・スコット、マーカス・ハトソン、ニコラス・コールドウェル、ゴーディ・ハーモンと共にザ・ウィスパーズを結成している。
60年代前半に結成した直後にウォルター・スコット・ジュニアはベトナム戦争への徴兵を命じられており、1969年に復帰している。ザ・ウィスパーズは1978年にディック・グリフィーのソーラー・レコード契約して、“(Let’s Go) All the Way”で初の全米トップ10・ヒットを記録している。
ザ・ウィスパーズは“And the Beat Goes on”、“Lady”、“It’s a Love Thing”、“Rock Steady”といったヒット曲で知られている。
ザ・ウィスパーズは全米トップ10・ヒットとなった8枚のアルバムをリリースしており、1979年発表の『ザ・ウィスパーズ』、1982年発表の『ラヴ・イズ・ホエア・ユー・ファインド・イット』は全米1位を記録している。
2014年にザ・ウィスパーズはR&Bの殿堂入りを果たしており、ロサンゼルス市からもR&Bとソウルへの貢献で表彰されている。昨年、ブラック・ミュージック月間に際してヘザー・ハット市議会議員は表彰状を授与しており、ウォルター・スコット・ジュニアは「この栄誉を授与されたことを深く感謝しています」と述べていた。
「すべては50年以上前、カリフォルニア州ワッツのジョーダン高校とジョーダン・ダウンス・プロジェクトに通っていた頃から始まりました。そのことを非常に誇りに思っています」