和嶋慎治(人間椅子)インタビュー

デビュー25周年・バンド生活25年を迎え、その記念すべき年にニューアルバム「無頼豊饒」をリリースする「人間椅子」。
そのギター/ボーカルの和嶋慎治より、「過去」「現在」「未来」についてのロングインタビューを全4回に渡ってお届け!!PART.3では”苦悩からの脱却”と”バンドを続けること”についてお伺いしていきます。

ーメジャーからインディーズへ活動フィールドが変わるということは、和嶋さん自身の心境に影響はあったのでしょうか?

和嶋:まず、何故インディーズかというと、セールスが落ちたから契約が切れるわけです。「どうしようか?」ってまずなりましたね。それまで4枚のアルバムを出した中で、重圧のようなものもあったし、「どういうことを書いていけば良いんだろう」みたいな悩みもあった。だけど、やっぱりロックが好きだし、辞めようって気にはならなかったのね。とにかく続けて行きたいと。

ー周りの評価云々があれど、まだ自分たちのやりたいことの気持ちが勝っていると?

和嶋:そうそうそう、続けていきたいって。という中で、うまい具合にインディーズのレーベルの方から「出さないか?」と声が掛かって。そのときは出せるだけで良いと思ったし、ありがたいと思って作ったのが「踊る一寸法師」です。このとき、ドラムが土屋くんになるんですが、意思の疎通をはかる上でも、ヘルプじゃなくてちゃんとメンバーでやりたいよねって。

ーヘルプよりもメンバーである方が制作・ライブも含めたバンドとしてのまとまりがあると?

和嶋:そうですね、色んなことを言い合いたいから。サポートとかヘルプじゃなく、バンドの中で対等な付き合いをしたいわけですよ。

ーメンバーでないと”お願いごと”になっちゃうみたいな。

和嶋:それをせずにやってこその”メンバー”であり”バンド”ですからね。バンドの良さはそこだと思うので。それで、勢いある感じで作れまして、自分たちが「バンドやりたい」って気持ちが出せたアルバムだと思います。ありがたいことに、そのあともインディーズでいくかと思いきや、ワンショットでの話が来てですね、ポニーキャニオンさんから出すことになるんです。そういう感じでうまいこと繋がって、そのあともテイチクさんっていう風にね。ただ、セールス的には厳しい状況で、バンドだけじゃ食えなくって、アルバイトをみんなし始めました。

ー生活面でのご苦労をされたと、別の記事で拝見したのですが、例えばメジャーでは音楽に100%向き合える環境があるとしたら、それを削る環境というのは和嶋さん自身、耐えられたのでしょうか?

和嶋:食えなかったから、アルバイトせざるを得ないわけです。あと、音源制作とライブ以外に特に活動ってないから、そんなに忙しくはなかったんですよ。時間もあったし「やっぱ、働かねばいかん」という気持ちになりましたね。周りのバンドマンを見ても働きながらやってるし、「そうか、働かざる者食うべからずなんだ」って気持ちになった。

ー「2足のワラジを履く」ということに抵抗はあったのでしょうか?

和嶋:抵抗というよりも、状況がそうでしたから。やっぱ苦労しないといかんと。あと、言い方があれですけど…「女性に食わせてもらう」っていう方法もあるわけですよ。これ、バンドマンでよくあるパターンなんですけど(笑)俺はね、そうはなりたくなかったですね。正直、ちょっとなり掛かったこともありましたけど(笑)

ー(笑)

和嶋:もう、この歳だから言いますけどね。やっぱ「それやっちゃいかんな」って思いましたね。それやってると、その人自身のうだつが上がらないです。食わせてもらうのが1番良くない。だったらまだ、バイトが忙しくてバンド活動が疎かになる方がまだ人として良いですね。

ーそういった選択をされた中でも、「音楽活動での苦労」と「生活での苦労」は質が違う分、かなり悩まれたのでは?

和嶋:悩んだね…これは10年以上悩みました。現実的に食えなかったからアルバイトを始めたわけだけど、最初の頃は続かなかったなあ…。でも、アルバイトやってるうちに、そこでの人間関係や友達も出来るから、やっぱり面白いわけね。ただ、俺個人としてはさ…あんまり長いこといるとその環境に馴染んじゃうなって思ったの。

ー居心地が良くなるんですよね。

和嶋:そう。だからアルバムを作る度に、職場を変えるようにして。俺、かなり転々としましたよ。あの、よく物書きの人なんかがやったりするパターンですけど、いろんな知見を広めるっていう意味合いもあって、すごい職業転々とするじゃないですか?それもありだなって思いましたし。もちろん、その人それぞれで、同じ仕事を続ける上での良さもきっとあるんですけど、俺はいろんな人を見ようかなって。

ー実際にそれは、作品やライブを通して表現されていたのでしょうか?

和嶋:今は反映されてるなって思いますね。ただ、アルバイトしてる頃は、あんまりそういうの出さないようにしようとしてたかな。「生活キツイ」とか詞に書きたくないじゃないですか(笑)多分、それ誰も聴きたくないと思うんですよ。そういうことはあんまり書かないようにして、出来るだけ非日常的なことを書こうとしてたね。

ーまた、当時の和嶋さんのブログも拝見させて頂いたんですけど、「大変なことがあった」と記されていました。生きていくことの葛藤もあったのかと?

和嶋:それで、「生活のため」ってアルバイトやってるでしょ?1日の大半はそれだけで過ぎ去るわけですね。しかも就職しているわけでもないので、そこにずっといたところでどうにかなるものでもないんですよ。「ただお金もらうためだけに、働いてる状態」とでも言いますか…そこから収入が年とともに増えるわけでもなければ、何か社会的な地位を得られるわけでもないという。

ー安定もないですしね。

和嶋:全然ないです。正直、バンドを続けてて「これで良いのかな」って思ったこともあったよ。何となくそれで苦しくなったときがあって。「バンドを辞める」って気になったのではないけど、生きることに辛くなったのかな。かといって、バンドを辞めてアルバイトだけやるのは、全く意味がないとも思ってたし。そもそも、もう当時で30過ぎてるし、何かしらのキャリアもないから就職もできないと思ったわけ。そういう現実的なこともあって「バンドは続けるべき」ってなったし、心の片隅で才能があると思ってたし。一時、「ちょっとキツイなぁ」って鈴木くんに言ったことはあるけど、「バンド続けた方がいいよ」って彼は言ってくれたね…そういうことを話したりしましたね。

ー10年と続くその苦悩から、何かきっかけがあって抜け出せたのでしょうか?

和嶋:そうですね、悩んでた状態がずっと続いて、本格的に苦悩したのが40前後の厄年の頃ですね。割りとそれまでは、「バンドとアルバイトはずっと続けていくものかな」って思ってたんですけど、何かね…色々と個人的な部分でありまして。ざっくばらんに言うと俺個人の”出会いと別れ”があったのと、親父が亡くなってるもんで、実家の方で調停とかを抱えていて。「生きる」とはなんだろうって、改めて考えるようになったんですよ。自分は家庭を持ってないもんで、「1人で生きることや、家庭を持つことってなんだろう」って思うようにもなって。そういった、自分の中で「苦しい」という時期が続いた中、バンド活動もすごくお客さんが応援してくれてるのは分かるんだけど、何かしらステップアップするでもなく、何となく同じ状態で続いてる感じがして。それを「評価されてない」って感じちゃったりもしました。

ーそれはバンドも和嶋さん自身も含めて?

和嶋:そう。ホントは十分評価をしてもらってるのにね。それに気がつかなくなっちゃったんだよね。生活といえば、朝早くから仕事に行って、夜遅くまで残業をしてお金をもらう毎日。割りと末端の仕事ですから、生産的じゃないことをやるわけね。まぁ、その当時の仲間にこう言うのは大変に申し訳ないけど、すごく奴隷めいた感じがしたよ。そうした中でいろんなことが忙殺されて。「この一生はなんだろう」って考えたよね。で、哲学の本とか読み出したんですよ。

ーニーチェとか?

和嶋:ショーペンハウエル、セネカ、古典とされる本を改めて読んだね。ニーチェの「超人思想」カッコイイとか思ったり。人間は次へのステップだって言う…解釈を間違うと危険ですけどね。でも俺はそれ自体、そうだろうなって思ったし、やっぱ人間は奴隷状態から乗り越えるべきもんだろうとか思って。そういう意識が出てから、自分が徐々に変わり出したね。より、人間の無常さとかに気がつくようになったし、芸術について改めて考えるようになって、作品の上でも変わってきたと思うね。悩んでる人・苦しい人と同じ立場に立ちながら、それを客観的に見て、「光ってるものを表現する」というのが芸術だろうなってこととか。で、その本格的に悩んだ期間は、自分の中で3年くらいだろうと思ってるんだけど、相当自分の中で追い詰められてたのか、酒飲むと荒れる時期が続いたよ。

ー自暴自棄のような?

和嶋:そうそう。気が付くとそのへんで寝てたりとかね(笑)目が覚めるとお花畑の中とかさ。あ、ここはあの世なのか、って(笑)ただ、あるとき気がついたんだよね。相変わらず「苦しい」「惨めだ」「報われない」とか思ってたときに、「仮に報われなくて惨めだとしても、とにかく俺は”美しいもの”を持って生きていたい」という啓示のようなものが、自分の中から湧いてきたんだよ。美しくありたい、美しく生きていきたい。”はっ”として、何か急に変わったと思った。そこで自分に感動したんだよ。そしたら惨めさみたいのが消えていって、またそう感じた自分自身を客観的に見て、自分は持ってるんだと思ったわけ。

ーその”美しいもの”を?

和嶋:人間のハートは美しい。みんなも持ってるんだと思ったし、そこに気がつけば人間は変わるなって思って、俺自身変わったんですよ。自分自身も人の見方も変わったし、人への接し方も変わったし。すべて変わったってことではないけど、そう思うことによってね、1歩ずつ踏み出せるようになった。

ー大きな1歩ですよね。

和嶋:闇夜が明けたみたいだった。それからは、その”美しいもの”を言いたいと思ったんだよ。気づいたことを自分の言葉で、作品の上でね。そしたら、作品作ることが苦痛じゃなくなったの。で、そうなりだした頃に「やっぱり俺はアルバイトやってる場合じゃないな」と思って。自分は別な言葉で言えば”誠実”に生きようと思ったんだ。仮に、現実の世界では収入がなくなるかもしれないけど、やっぱり自分が1番向いてる表現活動に100%注ごうと。それでアルバイトも辞めたんです。

ー長い苦悩を経て、和嶋さん自身でもう1度自分の環境を作ったんですね。

和嶋:そう。自分でそうやって作れば現実は動くんだよね。アルバイトしなくても良くなったもんね(笑)考えられないよ。

ー抜け出せたからこその今があると言っても過言ではないと思いますが、25年間、人間椅子を継続してこれたこと、こういった状況の中でも1度も止めることなく続けられた理由をどうお考えですか?

和嶋:まず、辞めたら終わると思ったね。そのグループなりのやり方なり事情があるけど、自分たちはやっぱり1度休止をしてしまうと終わるような気がしたね。僭越ながら、海外のバンドとかを見て時々思うんだけど、休止したグループってそのあと再結成や再始動しても、違うグループに見えちゃうわけ。作ってるものが違う風に聴こえちゃうし、”同窓会”に見えちゃって。自分たちはそれをやりたくないなって。自分たちはこれからも表現していきたいし、やり続けることに幸せを感じるんで。

ー幸せを感じられる”人間椅子”は、和嶋さんにとってなんでしょう?

和嶋:表現することができる素晴らしい場所だと思ってます。歌詞と曲を作って、それを人に伝えることの出来る場所。そして、幼なじみの鈴木くんと幼なじみでやってる場所だね。彼がいないとこうなってないと思うわけ。鈴木くんはすごいロックが好きだし、本当にロックを続けたいんですよ。それをやるには僕といるのが1番やりやすいと思ってるはずなの。お互いにさ、中学時代の友達だから、2人でいるとあの頃のピュアなハートになるんだよね。そのピュアな気持ちでやれてるってことは、鈴木くんがいるからこそだし、続けていられる理由でもあります。

ー人間椅子には解散はない!と思っていても良い?

和嶋:ないでしょう。ここまで来たらないです。解散っていうことは、今までも考えたことがなかった。もしかしたら休止の危機はあったかもしれないけど(笑)だって、鈴木くんと議論しての言い争いとかはあるけど(笑)長い付き合いの中で、ホントの意味で喧嘩したことないからね。議論はあるけどケンカはない。

ー余計な駆け引きもいらないでしょうし。

和嶋:それをするとね、すぐバレる(笑)小賢しいこととかすぐバレるよ。

ーここでぜひ、ナカジマさんについても伺ってみたいです。

和嶋:彼はね、本当に前向きで明るいし、ポジティブシンキングをバンドに運んでくれた人です。やや引きこもり的な要素がある俺と鈴木くんとは違う側面を持っていて…つまり「自分たちの好きなことがやれれば良い」みたいなのが、2人にはあるんですよね。でもノブくんは「もっとそれを広げようよ」って意識を強く持ってくれている。それから友人がとっても多くって、そのことからも分かるように、面倒見がよくて、うまく人と接することが出来る人。だから俺はこの10年間ずいぶんノブくんを見習ったし、それを学ばさせてもらいました。

ー和嶋さんにないものを持っている人でもあると?

和嶋:そうです。とはいえ、ノブくんも変な駆け引きとかしないし、何よりも純粋に演奏することが大好きで、そこは全員共通してます。そういう関係性で3人がいられるから、こうやって続けてこれたんだろうね。僕らの動員が増えてきたのには、いろんな要素があってさ、ずっとハードロックをやり続けてきたことはもちろんだし、さっき話した俺の意識の変化も1つかもしれない。でも中でも、ノブくんの「もっと広げよう」っていう要素はやっぱり相当に大きいよ。

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