J(LUNA SEA)インタビュー

伝説のロックバンド”LUNA SEA”のベーシストとして活躍し、1997年にソロ活動を始め、初のアリーナオールスタンディングによる日本武道館公演や、過去4回に渡って開催されたSHIBUYA-AX 5DAYS等、誰にも真似出来ない独自のスタイルでライブ活動を続ける”J”。今回は、Jの最大の魅力であるライブについて、これまでの歴史と共に深く切り込んでいく。

ーライブの魅力を体感することについて大きく分けると、1つはステージ上で体感するプレイヤーとして、もう1つは会場で体感するオーディエンスとしてだとすると、Jさんが最初にご自身で体感したのはどちらだったのでしょうか?

そういう意味では「ライブを観る」って方が先だったかな。音楽を始めたい・バンドを始めたいって思ったとき、当然のように”音源”と”ライブ”というものが存在してたから、人の前で演奏するのも自分の中では既にインプットされていて。ガキの頃って「バンドやりたい」って思うのは、「楽器が弾けるようになりたい」「女の子にモテたい」「優越感に浸りたい」って、みんなそんなところだったと思うけど。そんな中で、当然観る方が先だったよね。先輩がライブやるからって観に行ったのが最初で、それから色んなことを経験していく中で、実際に自分でチケット買ってライブハウスに行くようになったりとかね。まだそのときは、バンドをやる前で楽器を弾き始めた頃でもあるし。

ー実際にそういったライブをご覧になられて、Jさん自身が何かを感じられたからライブハウスに足を運ぶようになったと思いますし、”プレイヤーとして”に繋がっていったと思うのですが、そうなるまでにあまり時間は掛からなかったのですか?

あまり時間は掛からなかったのかもしれない。自分がライブを観に行くようになったのは中学生ぐらいで、本格的にバンドを始めたのが高校生だから。でも誰もが一緒だと思うけど、(ライブは)初めて観るものじゃない?初めて触れるものでもあるし、「何だこの世界は?」っていうもの凄いインパクトを受けたんだろうね。

ー身をもって体感してみて、Jさんの中で音源とは確実に感じ方が違うと?

違うよね。あの時代を通ってきた人たちなら分かると思うけど、昔のライブってさ、時代もあってヤバいムードの方が多くなかった?

ーはい。アンダーグラウンドで片付けられない何かですよね(笑)

「生きて帰って来れないんじゃないか」みたいな…来てる人たちとかもね。

ー怖かったですね。

でしょ、ピリピリしてるしさ。そういった雰囲気も全部含めて、もの凄く刺激的だったんだよね。それでいて自分が思ってることや、自分が感じてることをそのアーティスト達が代弁してくれていて。「本当にこの場所が絶対なんだよ」って思わせてくれるエネルギーがあったよね。それは東京にある何百人しか入らないライブハウスだったかもしれないし、もしかしたらそれはもの凄くマイノリティーだったのかもしれないけど、そこに渦巻くエネルギーは、この日本をひっくり返しちゃう程のエネルギーに感じられたし。そういうことが全て自分の中に染み込んできて、「俺だったらこうしたいな」「俺でもこうなれるんだ」っていうことを感じはじめたのかな。

ーその後、実際にプレイヤーとして、そのエネルギーを表現していきますが、オーディエンスだったときのJさんと、プレイヤーとしてのJさんでは差はありましたか?

これって今日のインタビューの最後の答えみたいになっちゃうかもしれないけどさ、今現在ステージの上で演奏してても、会場に”その当時の俺”がいて、未だずっとダメ出ししてるんだよ。多分だけど、その当時に「俺だったらこうしたいな」「俺だったらこう弾くのに」「俺だったらこういうこと言うのにな」っていう全てのことが、今までの俺であったし、今の俺になってきてるのね。未だにそいつは会場のどこかに居るんだよね。

ーだからこそ、ライブを続けられてる理由でもありますね。

そうなのかな…でも本当にそう感じることが多いかな。ライブをやる側に回ってから特に思うけど、1本として同じライブはないんだよね。これは良い意味で受け取って欲しいんだけど、ライブハウスシーンでずっとやってたときは、何も考えず自由だったステージが、大きなホールやアリーナ、東京ドームみたいな会場になってくると、やっぱり”魅せる”ってことの方にもバランスを振られるわけなんだよね。

ーそれはライブという”エンターテインメント”として。

そうそう。そこに対して俺がいつも思うのは、当時の俺が感じてた「ライブハウスでのエネルギーとどう結びつけるか」ってことを未だにずっとやってるんだ。例えば、寸分狂わない照明がバンバン当たって「何だこれは!」って思うパーフェクトなショーを観たときは、もちろん凄いなと思うわけ。でも、もう1つは”その先にあるもの”を追っかけたくなるんだよね。ライブっていうのは、その場で起きる”ハプニング”までも含めて存在していて欲しいということが、心のどこかであってさ。システマティックになればなる程、”ハプニング””突発性”みたいなものをバンバン入れたくなっちゃうんだよね。

ーなるほど。”ライブ=生き物”という中で、エネルギーを発するには必要不可欠な要素だと?

もしかしたらスタッフさん泣かせなのかもしれないけど(笑)そうしないと広がっていかない感じがするし、だからこそライブって「エネルギーに溢れた不思議な場所」だなと思う。曲のテンポも会場によって全然変わるしね。会場が盛り上がって熱気が溢れれば、それを更に盛り上げる為にテンポが自然に上がったりとか、逆にそれをぶち壊すためにブレイクダウンしたりだとか。

ーそれこそが音源との差になってきますよね。オーディエンスと共に作り上げられる、ライブのエネルギーってそこにありますよね。

そうだね。ライブがスゲェバンドって、やっぱカッコいいバンドが多いし、俺は未だにそんなライヴを信じてるっていうか。

ー実際にJとして1997年の「ignite」が初ステージとなりますが、”LUNASEA”での5つの個性のせめぎ合いから生まれる魅力と違って、Jさん自身が全てのイニシアティブを取ってライブをするということについて、その当時はどのように表現しようとしていらしゃったのでしょうか?

その当時に戻ると、1997年にソロ活動を始めたんだ。それも”LUNA SEA”ってバンドがあって、「ROSIER」や「TRUE BLUE」 のヒット曲が生まれていった後に、それぞれソロ活動に入るんだけど、自分にあったエネルギーや音楽に対して、もの凄く純粋な部分の表現だったと思う。本当にそこには何のしたたかな計算もなく、純粋にそれをぶつけたかったという想いから始まったんだよね。自分自身の中にある音楽に対しての想いや、世間一般の”LUNA SEA”に対する想いの反動。お茶の間に出ると違ったイメージに捕われちゃったり、ロックバンドだったはずなのに、そうは思われなくなったりね。その当時も今もだけど、やっぱり「伝わらないこと」はもどかしいじゃない?”LUNA SEA”でスポイルされたイメージを俺個人は拭い去りたいって気持ちが本当に強かったと思う。だからソロを始めたときは、未だに愛してる自分のルーツである、聴いてきた音楽・聴いて育ってきた音楽を自分自身でプレイしようかなって思ったんだ。

ーそこには”J”として表現することと、”LUNA SEAのメンバー”として表現することには、何ら本質的な変わりはなかったんですね。

そうだね。”LUNA SEA”の中にいる俺の役目は、音にロックミュージックが持つエネルギーを注ぎ込む役目だったのかなと今だから思うんだけど、個人のパーソナリティーとしては、それぞれ5人が聴いてきた音楽も違う中で、自分自身にも世の中にも、もう一度それを深く焼きつける為に、俺が本当に好きな音・好きなメンバーを集めて、自分が思うような活動をこのタイミングでやろうと思ったんだよね。

ーバンドの初期衝動に近しい感じですね。

まさに初期衝動を焼きつけたかったのかな。

ー今でも一緒に演奏されている藤田さん・Scott GarrettやFranz Stahl等のメンバーセレクトは、”Jさんが求める音”を表現する為の集め方だったんですか?

そうだね。自分なりの”ロック観”みたいなものを表現したかったんだよね。ドラムのScott Garrettは、俺が”THE CULT”ってバンドを当時から凄く好きで。それで是非、一緒に出来るならやってみたかったし、藤田さんもベーシストから観た”ヘビーなリフを弾くギタリスト”として凄いやってみたかった人だった。アルバムにはScott Garrettはもちろん、”THE CULT”からギターのBilly Duffy、そしてGuns N’ RosesのSlashも参加してくれたんだ。Slashに「ギター弾いてくれないか?」ってコンタクト取ったところから始まって。エンジニアも当時”Weezer”をやってて、今や巨匠となってしまったJoe Barresi。あとは写真はAnton Corbijn。

ー本当に名だたるクリエイターの方々ですね。

そう。その世界に触れてみたかったし、俺を通して日本にもその熱を持って来たかったんだよね。これは水面下の話なんだけど、あのレコーディングに当時の日本人のスタッフを連れて行ってるんだよね。何故かというと、当時は今より洋楽と邦楽の垣根があって、俺もやる人間として、日本ではある程度やれてるけど、世界のどこにいるんだろうと思ったわけ。で、業界の音楽通な人たちとアルバムの話とかするとさ、必ずみんな決まって「これはLAで録ってるからこれは音が違う」「これは海外レコーディングだから音が良い」とか、よく分からないことを言うわけ(笑)結局、日本のロックももう何十年もやってるのに、未だに相変わらず「電圧が違うから」とか(笑)で、その何が違うかを知りたいから、日本のスタッフも連れて行って、一緒に作業したんだ。向こうのスタッフが中心となってやってることを見て、感じる為にさ…でも本当に何にも変わらないんだよ。

ー結局、特に突出してる”何か”はなかったと?

テクノロジーでいったら、置いてある機材とか含めて日本の方が上だからね。

ー逆に変わらないことによって、Jさんは”電圧云々ではない”違いを知れた?

これは国、聴いてきたもの、感じてるもの全てが音楽になっていくんだろうとその時は思った。

ーカルチャーも含めてですね。

そうそう。それはもの凄い経験だったよね。レコーディングにも色々なミュージシャンが遊びに来てくれてたりだとか、亡くなったHIDE兄が同じスタジオの別の部屋で”Zilch”のレコーディングしてたりとか。そのスタジオには雑誌で文字面しか読んだことないようなヤバいヤツらがバンバンバンバン入って行くわけよ。「何だこれは…何が起きているんだ?」って感じ(笑)でもみんなHIDE兄の完成した音を聴いて、「スゲェカッコイイ、クールだ」とか言って。話を聞けば、その場で自然発生的に音楽を通じて、セッションが始まったりしていたんだよね。それは凄かったし、俺のスタジオでもそんな事が起きてたんだ。そんな熱をソロ活動に全部流し込んでいけばスゲェものになるなって思ってたんだ。

ー実際にその後、アルバム「PYROMANIA」を引っさげたツアーで、アルバム楽曲は元より、「call me」「new rose」「my way」などの先程仰っていた「聴いてきた音楽・聴いて育ってきた音楽」もありつつ、Jさんが音楽業界に対するアティチュードを明確に打ち出したツアーだったのではと捉えられたのですが?

面白く見てもらえたんじゃないかなと凄く思う。その場所にいて、本当のことを言うのってリスクもあるじゃない?でも俺には関係なかったし、そんなことは何も生まないって思ってたしね。実際、日本で一番になって世界を目指そうとしたって向こうで簡単にデビュー出来ないわけでしょ?「おかしいじゃん!」って。夢を持って活動してたんだけど、途中でもの凄く閉塞感を感じたんだよね。そういうものにぶつかってぶつかって、壁が壊れなかったとしても、疑問を投げつけたり一石を投じたりすることは、次に繋がっていくと思ったから、敢えて思ったことをそのままやってたかな。

ーさらに、それまでいた”LUNASEA”の世界観から、始めて抜け出して別の世界観を作られたと思うんですけど、それはScott Garrett・Billy Duffy・Slash・Franz Stahl等の海外のメンバーと一緒にやったからという話ではなく、Jさん自身の音楽の世界という部分でも、広がりが出たタイミングだったんじゃないかなと思います。

そうだね。まず自分自身で歌って、自分自身もバンドをやるってこと自体が、色々な意味で重要なスタートになったときだったと思うね。そういうことを含めて、ロックから凄くかけ離れた言葉なんだけど、”自分という音”に責任を持つというか。自分の出す音に対してプライドを持つということがより強くなったかな。

ーそれは音楽だけではなく、自分自身にも誠実あるからこそでは?

そういう世界に立って、そういう世界にいるからこそ、中途半端じゃカッコ悪ぃなって感じたかな。

ー「PYROMANIA」ツアーのラスト「赤坂BLITZ」では、アンコールでHIDEさんがリュックサック背負って出て来られましたが、そういう雰囲気でロスでのレコーディングがあって、このライブに繋がって行ったんだと思いました。

あのライブは、たまたまHIDE兄が遊びに来てくれてて、俺が「弾いてよ」って言ったら、HIDE兄が「やだよ」って言ってたんだけど(笑)、最後に出てきてくれたっていうね。

ー当日ですか?

そうそう。Billy Duffyもいたしね。そういったムードの中で、”シーン自体が追いついていかない速度”というか、とんでもないことがそこで起きていて、とんでもないことが始まってるということが見せられたんじゃないかなって思うんだ。

伝説のロックバンド”LUNA SEA”のベーシストとして活躍し、1997年にソロ活動を始め、初のアリーナオールスタンディングによる日本武道館公演や、過去4回に渡って開催されたSHIBUYA-AX 5DAYS等、誰にも真似出来ない独自のスタイルでライブ活動を続ける”J”。今回は、Jの最大の魅力であるライブについて、これまでの歴史と共に深く切り込んでいく。

ー”LUNA SEA”の終幕を経て、Jさんの再始動は「FIRE WIRE 2001」をオーガナイズされることから始められました。それが意外で、それこそ新曲を作られてライブをすることから始めるのかと思いましたが、ライブイベントから再始動された経緯を伺いたいと思います。

“LUNA SEA”が終幕していくときに、1つのバンドが終わってしまう…要は解散だよね。それに対して、自分自身は本当に潔癖でいたかったというか。どんな状態や状況にあろうが、「最後まで、自分自身はここで全力を尽くす」ってね。終幕するまで自分自身のソロ活動の準備をすることは、俺にとってはもの凄い嫌なことだったんだ。

ー裏を返せば”LUNA SEAのJ”としても潔癖じゃないと?

バンドに対してもそうだけど、自分自身の気持ちの中でね。当然、終幕後から音源を作り始めてから動き出すとなると、凄く遅くなるだろうねって。いざ、”LUNA SEA”が終幕を発表した後に起こりうるであろうこと…ファンの皆はショックを受けるだろうし、もちろんメンバーの俺自身にもショックなことだし。自分の気持ちも当然混乱していて、まさにカオスだよね。本当に「全てが終わるんだ」って考えてたんだ。だけど、今までのいろんなことを手繰り寄せて、自分に問いかけてみたり、そんなことを繰り返してくうちに「ちょっと待てよ、”LUNA SEA”の全ては終わるけど、俺の音楽は終わらねぇだろ」って思ったの。俺の音楽は止めちゃいけないし、止める権利は誰にもない。もっと言えば、「”LUNA SEA”が終幕することで、傷ついたり全てを失ってしまった様な気持ちになっているみんなを、もし俺がその何人かでも救えるならそれはやるべきだ」って。当然、風当たりは強くなると思ってたよ。1番最初に活動を始めて、それもライヴイベントだったから、当然ボロカスに言われたけどね(笑)でも、誰にも俺の音楽を止める権利はなかったし、逆に言うとその逆風を俺が全部引き受けて、ネガティブをポジティブに変えてエネルギーにしてやろうかなって。そう思った結果、あのイベントのエネルギーにも繋がっていったんだ。

ー答えとしては凄くシンプルなんですね。

シンプルだね。当時はカオスだったから、今になって言えることだけどね。ただ、今思い返してみると1mmも不安はなかったかな。

ー”LUNA SEA”が終わったとしても、やるべきことがJさんの中では明確になっていたいうことですか?

“やるべきこと”ではなくて”やれること”だよね。俺が”やれること”は”やってきたこと”なんだよね。俺がやってきてないことはやれないから。いきなり寄せ集めなメンバーとバンド始めてみたり、辻褄の合わないないソロ活動始めてみたりすることは”やってきてないこと”で。だから本当にシンプルだったんだよね。

ー個人的に面白いと思ったのですが、MCが「リングアナウンサー」だったり、そういったアイディアもJさんがイニシアティブをとって始めた企画なんですか?

スタッフも含めて、チームになっていろんなプランを立てたよ。とにかく、ライブという概念も含めて全部を良い意味でぶっ壊したかったんだよね。

ー所謂な固定観念を?

そうそう。そういうことって、ライブの中にあるみんなの楽しめる”余白部分”だとも思ったし、スタッフと話して「楽しいこと、全部やっちゃおうよ」みたいなね。

ー一方である意味、挑戦的な部分もあったのではないかと思います。

普通のイベントにはならないだろうと思ったしね。逆に言うと、キャストが普通のイベントではありえないしね(笑)

ー豪華です(笑)

hide兄の”Zilch”をみんなに爆音で見せたかった。他にも沢山の思いが交差していてね。そういった意味では、挑戦的だったしとんでもないエネルギーの渦だったよ。

ー実際にこのイベントでは、Jさんの主旨に賛同されて様々なキャストが出演されていたと思うのですが、”LUNA SEA”では個のぶつかり合いで最高の表現をしてきたとするならば、イベントではバンド同士のぶつかり合いで最高の表現にしたかったのではと捉えられるのですが?

そうね、本当にそうだったな。”エネルギー”って意味での共通項があるだけで、”Zilch”やDuff McKagan(ex.GUNS’N’ROSES)の”LOADED”もいるし、Steve Jones( SEX PISTOLS )も”The Cult”もいるし、もっと言うと今までそんな大きなステージ上がったことない若いヤツらや、ストリートでタギングやってるようなヤツらまで出てくれたりして。実はその”エネルギー”ってものがロックミュージックには1番重要なもので、それは全てを超えていくという”俺の信念”と”俺の中の想い”がそこにはあったかな。

ー確かに変なジャンルの拘りとか全く無かったですよね。

無いね。その時代っていうもののエッジで、息をしてるヤツらを掻き集めてそのエネルギーを放ちたかったし、それは観に来てくれている子たちもそうだしね。

ーイベントの成功、Jとしての活動の過程でSHIBUYA-AX 5DAYS連続ライブ「5 CRAZY 5」に繋がって行きますが、正にタイトル通り「なんてクレイジーなことを考えているんだろう」って思ったのですが、同じ会場でしかも連続5日間の開催って前代未聞ですよね?

これは性格なんだよ…多分、ガキの頃から「人と同じことしたくない」って想いが強くて。

ーでも天邪鬼という意味ではなくて、ですよね?

多分半分…いや半分以上、天邪鬼だと思うよ(笑)

ー(笑)人が既にやってることは、Jさんにとっては普通なことで、Jさんだからこそ、挑戦できてやれることが魅力的であるんでしょうね。

そうだね、最初は冗談みたいな発想で言っていた「ライブを1週間ぐらい同じ場所でやって、最後はオールナイトで盛り上がれたら良いよね」っていう話から始まったんだ。ずっと続いていくような熱を表現してみたかったときに、2日間・3日間は経験もあるし想像がつくけど、「5日間はどうなんだろ?」って。単純な足し算の発想だったかもしれないけど、自分自身でもワクワク出来て、初日からずっと観てくれてる人はそこにドラマが生まれるだろうし、どの日に来るかによってライブの表情は全部違うだろうしって、良いことしか想像出来なかったんだよね。

ーその上で臨まれたステージでは、ベースをプレイしながら歌ってMCもありますし、ライブで発する音として声はとても重要性なものですが、実際に5日間連続だと負担が自ずと出てくると思うのですが、不安は無かったんですか?

最初の5DAYSのときは、ステージ裏でドクターやボイストレーナーがずっとウェイティングしてくれてて、ちゃんとケアしてくれてる状態だったんだ。俺自身はソロを始めて、歌を歌い始めた人間だから、ベースを弾くより経験値が低いわけだよね。そういった意味で、何が起きて何をすべきだってものは全く無くて、とにかくど真ん中投げていくしかないというか。だけど、それが俺の表現のスタイルならそれをやり抜くべきだって思ったし、逆に言うとそれしか答えがないよね。

ーそうやって実際に5日間終えられて、Jさんの達成感はとてつもないものだったのではないでしょうか?

凄い達成感だったね。そのときは、やっぱオーディエンスからのエネルギーで後押しされていた感覚を覚えているし、ライブっていうものは観る側もそうだけど、ステージ側にもマジックが起きるっていうのを再確認した5DAYSだったかな。それを機にファンのみんなと俺達の絆も深まったと思うし、同時に俺自身もタフになれたと思う。そしてこれをクリアしたら、「こうすればもっとカッコ良くなる」「こうすればもっと良くなる」という扉が開いたのも事実だしね。全てにおいてプラスしか無かったライブだったな。

ー今のお話を聞くと、後に日本武道館でやることがしっくりハマる気がしました。先程、「ライブハウスでのエネルギーと、どう結びつけるか」という、大きな会場でのバランスのお話を頂きましたが、5DAYSを通してファンとの絆が深まったからこそ、アリーナオールスタンディングという挑戦と共に、日本武道館での成功があり、Jさんが確実にその挑戦を形にしている。

ライブという形に関して、自分自身でも可能性を探っているところがあるんだよね。時間を戻して思い出して欲しいんだけど、その頃日本でもやっと2000人、3000人規模のオールスタンディングのライブハウスが出来始めて、会場も多くなってきたよね。その上で、さっきのソロのレコーディングの話もそうなんだけど「海外で出来るものが、なぜ日本で出来ないんだろう?」って思ってたんだ。もちろん武道館はライブをしたことがある場所だから、もの凄く厳しい規則があるのは知ってるんだけど、「それでも武道館をオールスタンディングでやりたいよね」って、単純な想い。そんな所から始まったプランだったんだよね。もっと言うと、自分自身がやっていた音には、一聴すると”アンダーグラウンドであるべき所で”って固定観念が当然の様にあったから、それもぶっ壊したかったんだ。

ーオーバーグラウンドな場所で、如何にアンダーグラウンドを伝えていくかってことですよね。

そうだね。全部を含んでくれて、全部を表現出来る場所が武道館だと思ったんだ。それで「やれるのか?」って交渉から始まって、長い長い交渉の末、メンバー、スタッフの熱い想いが通じてオールスタンディングに出来ることが決まったんだ。

ー実際、ステージの上では”オールスタンディング”という、Jさんがこれまで武道館で見ていた景色と明らかな違いがあったのでは?

凄かったね、ステージからその景色を見たら、本当に爽快だったよ。すごく健全な感じがした。

ー健全というと?

椅子に縛り付けられていて良いコンサートもあるけど、それはジャンルにもよるじゃない。”IL DIVO”とか観に行ってオールスタンディングだとね…それはそれでカッコイイかもしれないけど(笑)

ー(笑)

TPOってあるでしょ?軽いドレスコードみたいなもんじゃないかな。「そういう選択肢があったら良いのに」って単純に思ってたから。

ー日本での”ロックの自由”の1つが提供が出来ましたよね。

やるって決めたからにはやるんだけど、武道館での”オールスタンディング”1発目だったから、事故でも起こそうもんなら歴史が閉じちゃうよね。だからこそ、もの凄い綿密なミーティングもやったしね。自由を自分たちの手で失ったり、奪われたりしたらそれこそ面白くないじゃない?自分たちで自由を手にする為に、水面下では色々なミーティングを通してシミュレーションしてたんだ。

ーだからこそ、その成功があったんですね。

そうだね。本当に闘ったね。でも、あの瞬間にあの場所にいた人たちは、本当に歴史的な瞬間をエンジョイしてくれたと思うよ。

ーそれはJさんも含め、バンドメンバー自身もエンジョイしてたってことですよね?

そうだね。良い意味での緊張感の中でプレイ出来たし、凄い楽しかったよ。特にScott Garrett・Franz Stahlみたいに海外でロックやってきた人間たちとっては、いろんなレジェンドバンドがあの会場でのライブアルバムをリリースしてるし、それを聴いたりしてきてるから、より凄いものに写ってるんじゃないかな。そういう意味では俺より興奮してたかもしれない。

伝説のロックバンド”LUNA SEA”のベーシストとして活躍し、1997年にソロ活動を始め、初のアリーナオールスタンディングによる日本武道館公演や、過去4回に渡って開催されたSHIBUYA-AX 5DAYS等、誰にも真似出来ない独自のスタイルでライブ活動を続ける”J”。今回は、Jの最大の魅力であるライブについて、これまでの歴史と共に深く切り込んでいく。

ー5DAYS・武道館のライブの1つの定義として”挑戦”という言葉を使用したのですが、2度目のAXで5DAYSではその”挑戦”の1つだったのでしょうか?

なんかね、1回目やった後に、「もっとこうしたい」ってアイディアがガンガン産まれて来て、それを実現出来たらもっと楽しくできるなって思ってたんだ。で、2回目からじゃない?自分の中での”ロック観”を俺自身がホストとして「みんなにプレゼンする」っていう想いがより強くなって、ゲストとか含めてすごいことになってきたのは。

ー挑戦をして手にした欲求が、2回目に実現されたということですね。1度経験されたことによって、5日間やることに対しての発見があったのでは?

うん。やっぱり1回目の5DAYSは純粋に「覗いてみたい景色」で、1回目が終わって覗けたその景色を、2回目は「手に取るイメージ」が強かった。もっと言うと、1回やることによって想像のその先に行く事が出来てね。経験になったからこそ、初めて出来る新しい想像が2度目に実現されたと思うし、そこに向かえたのはすごく良かったなって思うんだ。これは持論なんだけど、やっぱ人ってイメージ出来ないことは絶対に出来ないんだよ。どんなことだってそうで、例えばパソコンだって「こうなったらいいなぁ・ああなったらいいなぁ」って夢の様にイメージした事ことが、ただ具現化されていっただけで。だから逆に言うと、恐れずにイメージすることって本当に大切なんだよ。まぁ話を戻すと、1度目の5DAYSやった後に想像できた自分たちの演奏やゲストアーティスト。色々な意味でもの凄く前に進めた。そんな2回目だったと思うよ。

ー”想像”という言葉で表現頂いたんですけど、その想像出来得る世界が広がったのが2回目だったと。

そうだね、1度目やったあとに見えた景色を具現化していったんだ。

ー実際にオーディエンスも、1度目を経験された方も初めての方もいらっしゃったと思うのですが、当然バンドが変化していると、オーディエンス側の変化も起こったはずで、Jさん自身は、どういう風にその変化をご覧になられてましたか?

そうだね、「楽しみ方」っていうのが、みんな1度目よりカッコ良くなったなあって。例えば会場にいて、ずっと前にいるんじゃなくても、後ろの方でビール飲んでたとしても、その「楽しもう」って思うことの純度って変わらないじゃない?

ー前にいるだけが「楽しむ」ことではないですよね。

そんなことも生んでくれたイベントだと思うんだ。自分たち自身で楽しみ方を知るというか。そういうことも含めて、後ろでビールを飲んでいても、楽しめる最高なライヴ、空間を作り出せたし、提供できたのかなとも思うよね。

ー”Dessert Flame Frequency”では、これまでJさんが表現された音楽やライブも含めて、質の違う取り入れ方、もしくは魅せ方をされたと思うのですが?

うん、多分その当時、俺は自分自身にとっての音楽…ロック・ミュージックに、実は限界を見ていたんだとも思うんだよね。

ー限界を?

例えばギターは歪んで、ドラムはラウドでビートも効いてて、そしてメロディアスでエッジがあってみたいな曲…多分、その先に行けなくなっちゃった気がしてたのかな。

ーJさんの想像出来るロック・ミュージックの範疇を超えなくなってきた?

もちろん、そういう瞬間は未だに大好きなんだよ。大好きなんだけど、それを追っかけてるが故に、なんで追っかけているのかがわかんなくなってきて。刺激慣れてっいうか、あんまりドキドキしなくなってる自分に気がついてね。

ー好きには変わりはない中で、新しい想像がしたかった?

そうそう。で、自分自身でもう1度、俺から生まれてくる音に対して「根本から見つめ直してみたいな」って思ったんだ。アコースティックな楽器に置き換えたときに、”何もなくなってしまう音楽”を俺は作っているつもりもなかったし、俺が信じていることが本当だとしたら「たとえギターが歪んでいなくたって、ドラムがラウドでなくたって、スリルのある音楽は作れるはずだし、震えるような瞬間も生まれてくるはずなんだ」と。それを見に行ってみようって思ったんだ。それは深呼吸に近いもので、その深呼吸は俺自身にすごく酸素をくれたんだ。例えば、1つ1つ自分の曲をアレンジし直してアコースティックに置き換えていく訳なんだけど、歪ませたり、潰したりすることがなくなってくる以上、各楽器が担う場所は誤魔化しが効かなくなっていく。有耶無耶に「勢いで良いじゃん」って言ってたところが、それだけじゃ成立しなくなっていく。そういった場面をいくつも経験していったりとかね。

ーこれまでの楽曲をアレンジし直し対峙することによって、音に対しての考え方、表現に関しての考え方が広がっていくのを感じた?

本当にね、凄く感じた。”1つ1つの響き””1つ1つの音色””1つ1つの重さ”っていうのは凄く重要な部分だと自分の中で再確認できたし、またそれを作ってアレンジしていくうちに本当に熱くなっている自分に気付いてね。「あれ、これ普通に曲作ってた方が楽じゃん」って思うくらい(笑)神経を使っていく場所が違ってくるし。でも、未だにあのプロジェクトを始めて良かったなって思う。ていうか、近いうちにまたあのプロジェクトはやりたいなって思ってるんだ。

ー再確認し、新しい想像が出来たのと同時に「またやりたい」とJさんが思う理由として、エレクトリックな音楽とアコースティックな音楽は、音の表情は違っても”熱量”は変わらなかったのでは?

角度や速度も違うんだけど、そこにある”熱”っていうものは変わらなかったんだよね。自分にとって、そのタイミングでそれに気付くってことがいかに重要だったかがやっぱり大きかったよね。

ー深呼吸を置かれた後、「ラウドな音楽」の世界観や捉え方・表現の仕方は、また刺激をJさんに与えてくれるようになったんですね。

うん、気持ち的にもオーガニックになっていった感じがする。サウンドメイク1つとってもそうだし。なんかね、良い意味でとって欲しいんですけど「バンドじゃん?」って。「バンドなんだからバンドしようぜ」って。バンドが1番カッコ良く見えて、聴こえることをやろうって思った。そこに立ち返れたのは凄い俺にとって重要だったかなぁ。

ーJさん含め、その人自身から出てくる音っていうものをぶつけて、バンドでケミストリーさせるという。

例えばなんだけど、ベースもチューニングもズル下げでLOW出して、、次はドラムのキックも、もっと打込み的なLOW出してとかちょっと待ってくれっていう(笑)「もうバンドじゃねぇじゃん」みたいな(笑)そういう風にならないように、そういう風にならないようにではないけど…

ーJさん自身、そういう方向こそ有耶無耶であって、ロックやラウドは”内に秘めた熱量”で表現できるということに気づいたんですよね。

そうそう。より基本に戻して、もっと表現出来るカッコいいことがあるんじゃないかなっていう風に思ったんだ。そう考えてみると、ストレートなロックをやって、日本でずーっとやれてる人って今まであんまいないんだよね。それをアンダーグラウンドのシーンではなく、オーバーグラウンドのシーンで出来ねぇのかなって思ったの。で、俺はやりたいなって思ったんだよね。

ーその場所の選び方はJさんらしいですよね。

何かね、それが1番難しいことなのかもしれないし、難しかったからみんなやれなかったんだよね。でも俺、今はやれるなって思うんだ。よくよく考えたら「自分のルーツ」って散々言ったけど、PISTOLSにしたってCULTにしたって本当に普遍なロックだしさ。自分が好きだった音楽ってそうだったじゃないかって。そう考えると、全然不可能な感じがしないんだよね。

ーきっと”音”という観点では、エフェクト音含め楽器自体の性能は良くなっているので、表現自体はしやすくなっている時代だと思うんですけど、その道をJさんが進む必要はないというか…

自分自身が経験として進んできた道の先が、それじゃあマズいかなって思うんだ。それに、ここまでやってきて、俺なりの「ロックってこうなんだよね」って言うものを持ってないと恥ずかしいじゃん。自分の中の熱量を音に変えていくっていうことが、俺がやりたいロックだとも思うし。自分自身がやればやるほど、裸になっていくのが凄くわかるんだ。どれだけノーガードでいられるかみたいなさ(笑)っていうか、そうじゃないと自分が刺激を受けなくなってるのもあるんだろうし、そこに賭けてみたくなるんだよね。

ーそういった経験を経て、初の海外公演がありました。もちろん”LUNA SEA”では海外の景色というのは見られていましたが、”J”として見た景色はどう写ったのかをお伺いさせて下さい。

やっぱりね、日本でも全国各地にツアーで行かせてもらって、各地に表情があるように、国が違うと表情も違うものだよね。ただ、日本で俺がずっとソロでやってるのは、ネット上で見れたりするから、向こうの人たちも知ってくれていて、いつも「いつ来てくれるんだ?」っていう感じだったし。”満を持して”みたいな感じで凄い熱狂的だったし、自分自身の音をプレイすることはそんなに不安はなかったんだ。ノリ的に俺の音って日本的ではない部分もあるから、逆に海外の方が会場中がスウィングしてたり、とくにそういう瞬間を感じられたりとかね。それはバンドにとっても良い経験になったし、「音楽っていうのは国とか関係ないんだなぁ」って。ノリの違いはあれど、音楽って伝わる共通言語なんだって実体験をして、凄い感じたかな。

ーそれこそJさんの追い求めている”ロックの自由”を感じられた海外公演ですね。

うん。それは凄い嬉しかったな。

ーそして3回目のAX 5DAYS。ここで、各日”PYRO Day””BLOOD Day””Unstoppable Day””RED Day””GLARING Day”と銘打ち、これまで発売された各アルバムの曲を中心に行うというコンセプトの元、ライブでは久しぶりに演奏する楽曲もあったと思いますが?

自分のオリジナルアルバムが何枚もリリースされてきたこともあるし、毎回ツアーをやって行く上で、そのときの「100%の自分自身」を出すべくやってきたこともあるから、”プレイしなくなっていく曲”というものも、当然生まれ始めてて。「プレイしない」っていうのは「プレイしたくない」ってことじゃなくて、やっぱりそのときの自分自身を表現する為に必要な曲をピックアップしているわけで。じゃあ、「そういった曲たちをプレイする日に充てたらどうだろう」っていう単純な発想だったんだけど、これがまた大変で(笑)ちょうどギタリストが変わったタイミングで、全部のアルバム(100曲以上)を覚えてと(笑)

ーリハも大変そうですけど(笑)

僕ら(J・Scott Garrett・藤田高志)はね、アルバムレコーディングを1枚目からずっとやってきてるから、プレイをしてなかったとしても体は覚えているもんなんですよね。新しく入ったmasasucks(現the HIATUS、FULLSCRATCH)は、1回もやったことないのに覚えてって(笑)1枚覚えて来てなら良いですけど、アルバム入ってない曲もあるから「5枚+単品があるよ」って言って(笑)彼が一番大変だったと思うよ。

ー(笑)久し振りにプレイする楽曲があったり、それぞれのアルバムを演奏することでJさんを多面的に魅せられたのでは?

まずね、自分自身のアルバムをもう1度聴いて、ライブでプレイし直してったことによって、凄い発見があった。あんまりね、自分自身で「昔はこうだったかな」っていう感覚で進んでいくことはなくて、”今”っていう感覚や直感で動いている人間で。音楽やっている人間とかクリエイターたちってそうだと思うんだよね。ただ、このタイミングでやってきたことを客観視したり、自分自身がやってきたことを改めて感じることは初めてだったし、それは凄く深い作業だったかな。で、それもライブっていう場所で、昔の曲たちをプレイするから、より”今の自分”がそれをやるわけじゃない?より見えてくるものがやっぱりあったよね。

ー当時では気付けなかったことが今だからこそ見出だせる。

うんうん。表現という意味で、当時やろうと思っても出来なかったことが今出来たりとかね。アルバム毎に日にちを分けてプレイしたからこそ、そのムードが出るライブになったし、それぞれが俺自身の中の面を表してくれてるっていう、自分自身でも良い経験だったかな。

ーその当時のライブを観れなかったファンにとっても楽しんでもらえたライブですよね。

アルバム出たときのツアーに来てない子たちも、そのときのムードを少しでも感じてもらうことが出来たりとかって楽しいよね。2度とやりたくないくらい神経をすり減らす作業だったけど(爆笑)またいつかね。

ーファンは期待してると思います(笑)

伝説のロックバンド”LUNA SEA”のベーシストとして活躍し、1997年にソロ活動を始め、初のアリーナオールスタンディングによる日本武道館公演や、過去4回に渡って開催されたSHIBUYA-AX 5DAYS等、誰にも真似出来ない独自のスタイルでライヴ活動を続ける”J”。今回は、Jの最大の魅力であるライヴについて、これまでの歴史と共に深く切り込んでいく。

ー昨年はJさんの新しい試みで、- 5 Months a BLAZE -と、引き続き挑戦が止まらないですね。

何かね、自分でもセオリー通りに進まないものを面白がっている部分があるんだ。もっとシンプルに言うと、自分自身にとって「楽しいことを探し続けているだけ」っていう気もするときもあって。

ー音源制作の場面でもそうだし、当然ライヴもそうであると。

そうそう。日常に戻ってもそうだし、バンドを始めた頃もその前からも、ずーっとそいつを探しているような気がするんだよね。”もっともっと楽しいこと””もっともっとスゲェこと”って未だに思ってる自分を感じるし、そんな自分自身を楽しんでいたり、純粋にね。それに”連続してるライヴ”は、5DAYSっていうライヴをやった後に経験したことなんだけど、ライヴってさ、記憶が体感としても残るでしょ?

ーはい。

で、その翌日に同じ環境・同じ状況でライヴやると、「より先に行きたい」って絶対思うし、「より楽しみたい」って絶対思うんだよね。

ー単純に過去を超えたい?

そうそうそう。多分、観に来てくれるみんなもそうだと思うんだ。お互いに要求がどんどんどんどん高まってくる。で、最終的に凄く良いライヴになったことがとても多かったんだよね。それが考え方の根本としてあって、結局は色んな挑戦をしてきたけど、「もっと楽しむ為の手段」なんだと思うよ。

ーそういったライヴでの挑戦をし続ける中、”LUNA SEA”では「休止」「終幕」を経て、今の第2章であるとするならば、Jさん自身が今後、休止をするということはあり得るのでしょうか??

あるかもね…でもわかんないよ、それは。「ない」とは言えないんじゃないかな。逆に言うと、常に自分自身の危機感としてそんな感情を持っていたいんだよね。だって、裏打ちされたものなんて全くないわけじゃん。ロックを好きになって、楽器を弾くようになって、バンドをするようになって、ライヴをするようになって…で、登り詰めていってさ、いつもそこにあるものが純粋に好きだからこそ、常に欲求も生まれる。でも、いつの日か「それが生まれて来なくなることもあんだろうな」って思うようにはしてるんだよね。でも、それが逆にモチベーションになるときもあって、実際にアルバム制作はいつも「あぁ、もうこれで最後だ」って思いながら作ってる。「これ、最後になっても良い?」って本当に思いながら、曲に向かってるよね。でもそれは、悲観することではなくて、俺みたいな人間は当然のように持っていたいものだったりするんだよ。

ー裏を返すと、だからこそ続けている理由でもある。

そうだよね。不思議と…当然そうならなくなる時の心の準備も多分出来てるんだと思うよ(笑)だからこそ、こうやって話しているときもそうだし、普段から「自分を刺激してくれるようなものがないか」って目に見えないアンテナをバリバリ張り巡らせているんだと思うんだ。それで、自分に必要なものと必要じゃないものを、頭の中や感覚の中で、ものすごい速度で改算してって、純度をどんどん高めていって刺激に変えて、最終的に「行くぜ」っていうシンプルな答えを導き出してる。そんなイメージだよね。

ー「ignite」から始まったライヴは”BURN””FLAME””FIRE””LIGHT”と様々な表記の元、各地を着火して行って、Jさん自身が挑戦し続けることで、新たな着火が生まれるんだということを、このインタビューを通して思いました。

ね。最初のアルバムで「PYROMANIA」 って名付けて。そこからの最初のシングルが「BURN OUT」だからね(笑)そこで燃え尽きてる訳だから(笑)もう、それを続けていくのみで。実際俺にとってのロックミュージックっていうのは、俺自身にものすごい勇気を与えてくれたものなんだ。何も無かったヤツが、そんな音楽を聴いて、夢を抱いて。で、「天下取ってやる」って思った、そんな全てのきっかけを与えてくれたのは音楽だし、未だにロックミュージックっていうのは、そのエネルギーを持ち続けていると思うんだよね。だからこそ、出来得る限り俺自身もエネルギッシュでいたいし、それを放ち続けられる音楽を続けていきたいなって思ってるんだ。

ーJさん自身、それを体現してきたからこその説得力があります。

わかった風になるわけじゃなく、”やってきたからこその確信の答え”をいつも用意してる存在になれたら、俺自身の理想…俺自身の求めていく先の形により近くなっていくのかなぁなんて思うよ。だって、昔俺たちが聴いて、体中に電気が走った音楽っていうのは、その確信ってヤツを持ってたわけだからね。

ー我々にとっては、それこそJさんの魅力ですし、存在的には普遍的で全然変わりはないんですけど、伝えるときに同じ火を使わないというか…

ありがとう。でも、本当にそうかもね。

ー変化をしていってくれるアーティストだからこその魅力があって。例えばさっきの「BURN OUT」でもそうなんですけど、仮に最初がマッチだったとしたら、やり続けることによって、今は”灼熱の太陽”というような成長もしていっている魅力があるのだと思います。

ね、そう言われると嬉しいね。やっぱりその根源になる様なエネルギーに、未だに俺自身もやられてるし、そういうものをどんどんどんどん生み出していきたいなと思うよ。

ーそして、今年も5DAYSが場所を移して赤坂BLITZで開催が決定しています。

そうです。

ー今回もゲストアクトの予定もあるということで、これまでの5DAYSでもそうでしたがスペシャルなライヴになりそうですね。

実際、過去最大に派手な5DAYSになるんじゃないかなって思う。時代っていうものも関係しているとは思うんだけど。今までもそうだったけど、これほどまでにして、ゲスト陣が、個性豊かな…本当に何処にも居ない個性的な、本当に自分たちの音を持ったアーティストが、1つのイベントに、いや、1人のヤツがオーガナイズするイベントに出てくれるなんていうのは、本当にありがたいことだし、とんでもないことだなって思う。その熱をみんなに伝えたいね。今回は、渋谷ではなく赤坂にはなるんだけども、その熱量は膨れ上がりながらだんだん中心地へね(笑)

ー(笑)

向かっていくっていうね(笑)

ーBLITZ自体もJさん自身、馴染みが深いですしね。

そう。

ー違う場所での新しいチャレンジは、Jさん自身に刺激がありますしね。

そうね。あのTBSの辺り、うるさくなると思うよー(笑)

ーACTシアターに響くみたいな(笑)

うん(笑)本当に過去最大の、すごい派手な5DAYSになりそう。これ本当に凄い5日間になるなって思います。是非是非、騒ぎに来て欲しいですね。「こんなライヴねぇわ」みたいな(笑)もう全開ですから。

ーこれはホントに見逃さないで欲しいですね。では最後に、Jさんがライヴという自由な場所で”何を思い””何を表現したくて””何を伝えたいか”というのを5DAYSも含め、お教え頂ければと思います。

実際、ライヴってモノを言葉にするなら”自由”っていう言葉がぴったりな場所だと思うんだ。ステージの上から見てたりすると、会場に居るみんながそれぞれに色んな日常を抱えていて、そんな中、ライヴに来てくれてたりする訳でしょ?騒ぎたい人もいれば、何かを忘れたい人もいる。そういった想いと時間がそこに交わって、1つの音楽をもとに解放されるっていう。非日常かもしれないけれど、実際は「俺たちの本当の姿なんじゃないかな」って思うときが凄いあるんだ。本当に思うように叫んだり、笑ったりすること、そういうことが本当の意味で許される場所だから。

ーそして、ときには泣いたりと自我を開放出来る。

そうだね。そういうとんでもない場所をさらにとんでもなくしたいなぁという想いでずっとライヴをやり続けているので、俺自身にとっても解放の場所だし、みんなにとってもかけがえの無い場所になる。それこそがライヴなんじゃないかなって。だから本当に理屈じゃない、理屈なんかが通用しない場所っていう会場・空間をみんなと作り続けていきたいなって思う。それが俺にとってのロックだったのかもしれないしね。


取材:2014.06.17
インタビュー・テキスト:Atsushi Tsuji(辻 敦志) @classic0330
Photo by MASA