和嶋慎治(人間椅子)インタビュー

デビュー25周年・バンド生活25年を迎え、その記念すべき年にニューアルバム「無頼豊饒」をリリースする「人間椅子」。
そのギター/ボーカルの和嶋慎治より、「過去」「現在」「未来」についてのロングインタビューを全4回に渡ってお届け!!PART.4では”最近の人間椅子”と”ニューアルバム「無頼豊饒」”についてお伺いしていきます。

ー25年を経て、和嶋さん自身が変わったこと・変わらないこと、両方あると思うんですけど、教えて下さい。

和嶋:変わったこと…ものすごいざっくりした言い方ですけど、怒らなくなりましたよ(笑)それはさっき話した「美しいこと」に気がついたからなんだけど、「怒れなくなった」とも言えますね。他人が怒ってたとして、自分もそこに怒りを持って接したって、何も生まれないですよね。

ー一時の感情に流されないようになったと?

和嶋:そうですね。自分の感情を”やや”コントロール出来るようになりました(笑)とりあえず怒りについては出来てます。一方で「反骨精神」は変わってないね。現実を肯定するようにしていますが、今ある在り方が完全だとは思ってないからね。その現実への違和感を持ってやっていきたいですし、それは昔から変わっていないところですね。

ーだからこそのロックでの表現でもありますしね。

和嶋:そうですよ!それで言うと、ロックが好きなところも昔から変わってないですよ(笑)それがなくなったら、それこそやってないですね。そして1番大きく変わっていないところで言うと、「表現をする」ということに生きがいを感じているわけですが、制作する上でのゴールに向かうまで、妥協できないというところです。

ー納得出来ないものは作品にしたくないんでしょうね。

和嶋:とにかくその時点でのベストを尽くしたいんです。その為の努力は惜しまないですし、妙な頑固さもあるし(笑)「時間ないんだよ」って言われても、ギリギリまで粘ってしまいますね。自分の描くイメージに対して、曖昧にしたくないんですよ。作品へのこだわりはこれからも変わらずに貫いていくと思います。

ー例えば最近では”ももいろクローバーZ”への楽曲提供もありましたが、”人間椅子”としての作品でなくても、それは変わらないのですか?

和嶋:そうです。拘りは持ちつつも活動は狭めたくないですから。自分達の作風が変わらないのであれば、何をやっても問題はないはずなんです。オファーの内容がハードロック風の曲で「ギター弾いてくれ」って言われたら、喜んでやりますよ。これまでよりも広がると思いましたし、実際にももクロさんと関わって頂点でやってる人達の頑張りを学べて、本当にためになりました。

ー”広がる”繋がりで、昨年のOZZFESTにおいて”人間椅子”は”Black Sabbath”と同じステージに立ちましたが、改めてあのイベントで何が得られたのでしょうか?

和嶋:”イカ天”に出たときに、「あ、”人間椅子”は世の中に出る」って思ったんですよね。で、OZZFESTに出るって決まったときに、同じような広がりを感じましたね。「24年経って、また廻って来た」って思いましたし、本番まですごく幸せを感じていましたね。僕らの曲を例え知らなくても、少なくともバンド名は多くのロックファンに広がると思いました。実際のステージではワクワクしながら演奏して、そのワクワク感は今でも続いていますね。

ーステージ上の景色は和嶋さんにどう映っていました?

和嶋:歓声がすごくてさ、「なんだ、知ってる人がこんなにいたんだ」って思いましたね。感動したし、演奏が終わったあともバンドのコールが止まなくて「良いって思ってくれたんだ」っていう嬉しさもあったし…言葉で表現するのは難しいですね。

ー夢のような?

和嶋:それこそ、僕達が1番影響受けてるのが”ブリティッシュ・ロック”であり、中でも”Black Sabbath”だから、その人達と同じステージに立つっていうのは夢なわけで、その夢をやったんだって思いましたね。かと言って「夢が終わった」とも思わなかったの。今までと違うステージの次の夢が始まるんだと思いましたね。バンドにとって、何かの節目でしたよ。

ーその節目として、デビュー25周年の今年にリリースされるニューアルバムのお話を最後に伺いたいのですが「無頼豊饒」は前作「萬燈籠」の流れを受け継いでいる作品と、個人的に思ったのですが。

和嶋:確かにその通りです。僕は前作の流れをくんだ、続きがやれれば良いと思ったんですよね。

ー続きであると言う「無頼豊饒」の意味を教えて下さい。

和嶋:これまで話したことに繋がるんですけど、アルバム毎に自分の思ってることをいろんな角度から言いたいわけです。それで、今回1番言いたかったのは「人間は自由であるべき存在だ」っていうことを言いたくて。「自由」ってその人なりの捉え方がありますけど、人間は何かに縛られるものではなくて、もっと創造的な生き物であってそれを選べる存在ではないかということです。

ー選択の自由?

和嶋:そうそう。例えば「何も変わらない」って生き方を選べば、何も変わらず死んでいきますし、どう生きるかは100%その人に委ねられているんです。

ー「隷従の叫び」の”僕は奴隷なんかじゃない 僕は自由を叫びたい”という一節に、このアルバムコンセプトが集約されている気がします。

和嶋:「隷従の叫び」では、それを生々しく言いたかったんです。例えば「人間て信じられない」って人がいたとしたら、自然に人間を信じない生き方を選んでるんだよね。おそらく周りには信用出来ない人間ばっかり集まってくるだろうし、増々、世の中を信じられなくなりますよね。そういう風に、人生は選んだ通りに成り立っているから、「豊かな選択をすれば、人生は豊かになる」というシンプルな答えになるんじゃないかな。

ー特に和嶋さんは体験されているから、説得力がありますよね。

和嶋:体験したと思います。自分を限定したりせずに、好きなことをやった結果が今ですから。うまいことバンドも軌道に乗ってますし、徐々にかもしれないけど、やはり選べば現実は変わっていくんですよ。

ーアルバム全体を通して歌詞の部分では自由を選ぶ場所が、「地球」「日の国」「宇宙」「地上」と、キーワードとして多岐に渡っていますし、限定もないですよね。

和嶋:大きく言っちゃえば、人間は宇宙的存在だと思うんだけど、自由ということをいろんな場面で言ってみたかったし、表現してみたかったね。最初の頃に「迷信」を作ったんですけど、これが出来たときにアルバムの全体像が見えましたね。タイトルを「無頼豊饒」にしたのは、「自由であれば豊かさが生まれる」っていうこと。それは自分自身の経験からも分かったし、バンドも25周年というのは「好きなことを続けてきた結果」ですから。

ー合致していますよね。

和嶋:自分たちのコンセプト通りに純粋な気持ちで続けたら、25年経ってより多くの人に聴いてもらえてという豊かな状況が生まれてるんです。何より、これを「無頼豊饒」にシンクロさせたかったですね。そして今回、歌詞はコンセプトが伝わりやすいように、できるだけわかりやすい言葉を選んで説教臭くならないようにしたつもりです。

ー楽曲面では先程、「萬燈籠」を受け継いでとありましたが「リジイア」は唯一アコースティック・ギターで奏でられた、とても美しい楽曲ですよね。

和嶋:エドガー・アラン・ポーの小説の中では、1度死んでまた蘇生してってストーリーですけど、小節の前半の「いろんな美しいものにリジイアの美しさを見る」っていう部分が特に好きなんですよね。星の瞬きや花とかなんですけど、”ニルヴァーナ”的美しさというかね、あらゆる美しいものに共通する永遠性みたいなものを、僕もそう思って。それを女性という側面で表現したくてリジイアをモチーフにしましたね。ラブソングを人間椅子もたまにやりますけど、僕らは「君のことが大好きで~」「僕と付き合って欲しい」って歌詞じゃないなって(笑)そういうのは他の方がいっぱいやってますし、僕らが表現しなくてもね(笑)

ー逆に言うと人間椅子以外はやれないラブソングという面もある気がします。

和嶋:それはあるね。「僕のものになってくれ」っていうのは違うと思ってるしね。人は人のものにならないというか愛は所有されるものではないっていうことですね。本当に相思相愛ならば相手を尊重するわけで、相手が自分のものっていう風に思わないだろうしね。今回自分が書いた歌詞に関して言うならば、結局言いたいことをいろんな側面で表現していて、それは「人間は心の存在であって、それが1番大事で自由であるべき」っていうこと。もっと言うと、心の存在を知った時点で自由ですし、心は誰も所有できないので。そういうアルバムコンセプトになっています。

ーありがとうございます。8月から「二十五周年記念ツアー 〜無頼豊饒〜」を控えています。

和嶋:ライブは演る度に楽しいです。お客さんと一緒に時間を共有して、共に感動を分かち合えるのは本当に素晴らしいことです。25年経って、ステージの見せ方もおそらく成長していますし、人間椅子ならではのパフォーマンスを楽しんでもらえたらと思います。

ーそれこそ、ライブ=自由ですしね。

和嶋:そうなんです。良いライブって流れるように進むんです。調子悪いときって淀みがちになるというか、寸断される感じがするんです。良いライブはそれがなくて、しかもお客さんと一緒に作る表現でもあるのでその快感を一緒に楽しみたいですね。


取材:2014.06.09
インタビュー・テキスト:Atsushi Tsuji(辻 敦志) @classic0330
撮影:KASSAI / 3PO DESIGN WORKSHOP

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