J(LUNA SEA)インタビュー

伝説のロックバンド”LUNA SEA”のベーシストとして活躍し、1997年にソロ活動を始め、初のアリーナオールスタンディングによる日本武道館公演や、過去4回に渡って開催されたSHIBUYA-AX 5DAYS等、誰にも真似出来ない独自のスタイルでライブ活動を続ける”J”。今回は、Jの最大の魅力であるライブについて、これまでの歴史と共に深く切り込んでいく。

ー5DAYS・武道館のライブの1つの定義として”挑戦”という言葉を使用したのですが、2度目のAXで5DAYSではその”挑戦”の1つだったのでしょうか?

なんかね、1回目やった後に、「もっとこうしたい」ってアイディアがガンガン産まれて来て、それを実現出来たらもっと楽しくできるなって思ってたんだ。で、2回目からじゃない?自分の中での”ロック観”を俺自身がホストとして「みんなにプレゼンする」っていう想いがより強くなって、ゲストとか含めてすごいことになってきたのは。

ー挑戦をして手にした欲求が、2回目に実現されたということですね。1度経験されたことによって、5日間やることに対しての発見があったのでは?

うん。やっぱり1回目の5DAYSは純粋に「覗いてみたい景色」で、1回目が終わって覗けたその景色を、2回目は「手に取るイメージ」が強かった。もっと言うと、1回やることによって想像のその先に行く事が出来てね。経験になったからこそ、初めて出来る新しい想像が2度目に実現されたと思うし、そこに向かえたのはすごく良かったなって思うんだ。これは持論なんだけど、やっぱ人ってイメージ出来ないことは絶対に出来ないんだよ。どんなことだってそうで、例えばパソコンだって「こうなったらいいなぁ・ああなったらいいなぁ」って夢の様にイメージした事ことが、ただ具現化されていっただけで。だから逆に言うと、恐れずにイメージすることって本当に大切なんだよ。まぁ話を戻すと、1度目の5DAYSやった後に想像できた自分たちの演奏やゲストアーティスト。色々な意味でもの凄く前に進めた。そんな2回目だったと思うよ。

ー”想像”という言葉で表現頂いたんですけど、その想像出来得る世界が広がったのが2回目だったと。

そうだね、1度目やったあとに見えた景色を具現化していったんだ。

ー実際にオーディエンスも、1度目を経験された方も初めての方もいらっしゃったと思うのですが、当然バンドが変化していると、オーディエンス側の変化も起こったはずで、Jさん自身は、どういう風にその変化をご覧になられてましたか?

そうだね、「楽しみ方」っていうのが、みんな1度目よりカッコ良くなったなあって。例えば会場にいて、ずっと前にいるんじゃなくても、後ろの方でビール飲んでたとしても、その「楽しもう」って思うことの純度って変わらないじゃない?

ー前にいるだけが「楽しむ」ことではないですよね。

そんなことも生んでくれたイベントだと思うんだ。自分たち自身で楽しみ方を知るというか。そういうことも含めて、後ろでビールを飲んでいても、楽しめる最高なライヴ、空間を作り出せたし、提供できたのかなとも思うよね。

ー”Dessert Flame Frequency”では、これまでJさんが表現された音楽やライブも含めて、質の違う取り入れ方、もしくは魅せ方をされたと思うのですが?

うん、多分その当時、俺は自分自身にとっての音楽…ロック・ミュージックに、実は限界を見ていたんだとも思うんだよね。

ー限界を?

例えばギターは歪んで、ドラムはラウドでビートも効いてて、そしてメロディアスでエッジがあってみたいな曲…多分、その先に行けなくなっちゃった気がしてたのかな。

ーJさんの想像出来るロック・ミュージックの範疇を超えなくなってきた?

もちろん、そういう瞬間は未だに大好きなんだよ。大好きなんだけど、それを追っかけてるが故に、なんで追っかけているのかがわかんなくなってきて。刺激慣れてっいうか、あんまりドキドキしなくなってる自分に気がついてね。

ー好きには変わりはない中で、新しい想像がしたかった?

そうそう。で、自分自身でもう1度、俺から生まれてくる音に対して「根本から見つめ直してみたいな」って思ったんだ。アコースティックな楽器に置き換えたときに、”何もなくなってしまう音楽”を俺は作っているつもりもなかったし、俺が信じていることが本当だとしたら「たとえギターが歪んでいなくたって、ドラムがラウドでなくたって、スリルのある音楽は作れるはずだし、震えるような瞬間も生まれてくるはずなんだ」と。それを見に行ってみようって思ったんだ。それは深呼吸に近いもので、その深呼吸は俺自身にすごく酸素をくれたんだ。例えば、1つ1つ自分の曲をアレンジし直してアコースティックに置き換えていく訳なんだけど、歪ませたり、潰したりすることがなくなってくる以上、各楽器が担う場所は誤魔化しが効かなくなっていく。有耶無耶に「勢いで良いじゃん」って言ってたところが、それだけじゃ成立しなくなっていく。そういった場面をいくつも経験していったりとかね。

ーこれまでの楽曲をアレンジし直し対峙することによって、音に対しての考え方、表現に関しての考え方が広がっていくのを感じた?

本当にね、凄く感じた。”1つ1つの響き””1つ1つの音色””1つ1つの重さ”っていうのは凄く重要な部分だと自分の中で再確認できたし、またそれを作ってアレンジしていくうちに本当に熱くなっている自分に気付いてね。「あれ、これ普通に曲作ってた方が楽じゃん」って思うくらい(笑)神経を使っていく場所が違ってくるし。でも、未だにあのプロジェクトを始めて良かったなって思う。ていうか、近いうちにまたあのプロジェクトはやりたいなって思ってるんだ。

ー再確認し、新しい想像が出来たのと同時に「またやりたい」とJさんが思う理由として、エレクトリックな音楽とアコースティックな音楽は、音の表情は違っても”熱量”は変わらなかったのでは?

角度や速度も違うんだけど、そこにある”熱”っていうものは変わらなかったんだよね。自分にとって、そのタイミングでそれに気付くってことがいかに重要だったかがやっぱり大きかったよね。

ー深呼吸を置かれた後、「ラウドな音楽」の世界観や捉え方・表現の仕方は、また刺激をJさんに与えてくれるようになったんですね。

うん、気持ち的にもオーガニックになっていった感じがする。サウンドメイク1つとってもそうだし。なんかね、良い意味でとって欲しいんですけど「バンドじゃん?」って。「バンドなんだからバンドしようぜ」って。バンドが1番カッコ良く見えて、聴こえることをやろうって思った。そこに立ち返れたのは凄い俺にとって重要だったかなぁ。

ーJさん含め、その人自身から出てくる音っていうものをぶつけて、バンドでケミストリーさせるという。

例えばなんだけど、ベースもチューニングもズル下げでLOW出して、、次はドラムのキックも、もっと打込み的なLOW出してとかちょっと待ってくれっていう(笑)「もうバンドじゃねぇじゃん」みたいな(笑)そういう風にならないように、そういう風にならないようにではないけど…

ーJさん自身、そういう方向こそ有耶無耶であって、ロックやラウドは”内に秘めた熱量”で表現できるということに気づいたんですよね。

そうそう。より基本に戻して、もっと表現出来るカッコいいことがあるんじゃないかなっていう風に思ったんだ。そう考えてみると、ストレートなロックをやって、日本でずーっとやれてる人って今まであんまいないんだよね。それをアンダーグラウンドのシーンではなく、オーバーグラウンドのシーンで出来ねぇのかなって思ったの。で、俺はやりたいなって思ったんだよね。

ーその場所の選び方はJさんらしいですよね。

何かね、それが1番難しいことなのかもしれないし、難しかったからみんなやれなかったんだよね。でも俺、今はやれるなって思うんだ。よくよく考えたら「自分のルーツ」って散々言ったけど、PISTOLSにしたってCULTにしたって本当に普遍なロックだしさ。自分が好きだった音楽ってそうだったじゃないかって。そう考えると、全然不可能な感じがしないんだよね。

ーきっと”音”という観点では、エフェクト音含め楽器自体の性能は良くなっているので、表現自体はしやすくなっている時代だと思うんですけど、その道をJさんが進む必要はないというか…

自分自身が経験として進んできた道の先が、それじゃあマズいかなって思うんだ。それに、ここまでやってきて、俺なりの「ロックってこうなんだよね」って言うものを持ってないと恥ずかしいじゃん。自分の中の熱量を音に変えていくっていうことが、俺がやりたいロックだとも思うし。自分自身がやればやるほど、裸になっていくのが凄くわかるんだ。どれだけノーガードでいられるかみたいなさ(笑)っていうか、そうじゃないと自分が刺激を受けなくなってるのもあるんだろうし、そこに賭けてみたくなるんだよね。

ーそういった経験を経て、初の海外公演がありました。もちろん”LUNA SEA”では海外の景色というのは見られていましたが、”J”として見た景色はどう写ったのかをお伺いさせて下さい。

やっぱりね、日本でも全国各地にツアーで行かせてもらって、各地に表情があるように、国が違うと表情も違うものだよね。ただ、日本で俺がずっとソロでやってるのは、ネット上で見れたりするから、向こうの人たちも知ってくれていて、いつも「いつ来てくれるんだ?」っていう感じだったし。”満を持して”みたいな感じで凄い熱狂的だったし、自分自身の音をプレイすることはそんなに不安はなかったんだ。ノリ的に俺の音って日本的ではない部分もあるから、逆に海外の方が会場中がスウィングしてたり、とくにそういう瞬間を感じられたりとかね。それはバンドにとっても良い経験になったし、「音楽っていうのは国とか関係ないんだなぁ」って。ノリの違いはあれど、音楽って伝わる共通言語なんだって実体験をして、凄い感じたかな。

ーそれこそJさんの追い求めている”ロックの自由”を感じられた海外公演ですね。

うん。それは凄い嬉しかったな。

ーそして3回目のAX 5DAYS。ここで、各日”PYRO Day””BLOOD Day””Unstoppable Day””RED Day””GLARING Day”と銘打ち、これまで発売された各アルバムの曲を中心に行うというコンセプトの元、ライブでは久しぶりに演奏する楽曲もあったと思いますが?

自分のオリジナルアルバムが何枚もリリースされてきたこともあるし、毎回ツアーをやって行く上で、そのときの「100%の自分自身」を出すべくやってきたこともあるから、”プレイしなくなっていく曲”というものも、当然生まれ始めてて。「プレイしない」っていうのは「プレイしたくない」ってことじゃなくて、やっぱりそのときの自分自身を表現する為に必要な曲をピックアップしているわけで。じゃあ、「そういった曲たちをプレイする日に充てたらどうだろう」っていう単純な発想だったんだけど、これがまた大変で(笑)ちょうどギタリストが変わったタイミングで、全部のアルバム(100曲以上)を覚えてと(笑)

ーリハも大変そうですけど(笑)

僕ら(J・Scott Garrett・藤田高志)はね、アルバムレコーディングを1枚目からずっとやってきてるから、プレイをしてなかったとしても体は覚えているもんなんですよね。新しく入ったmasasucks(現the HIATUS、FULLSCRATCH)は、1回もやったことないのに覚えてって(笑)1枚覚えて来てなら良いですけど、アルバム入ってない曲もあるから「5枚+単品があるよ」って言って(笑)彼が一番大変だったと思うよ。

ー(笑)久し振りにプレイする楽曲があったり、それぞれのアルバムを演奏することでJさんを多面的に魅せられたのでは?

まずね、自分自身のアルバムをもう1度聴いて、ライブでプレイし直してったことによって、凄い発見があった。あんまりね、自分自身で「昔はこうだったかな」っていう感覚で進んでいくことはなくて、”今”っていう感覚や直感で動いている人間で。音楽やっている人間とかクリエイターたちってそうだと思うんだよね。ただ、このタイミングでやってきたことを客観視したり、自分自身がやってきたことを改めて感じることは初めてだったし、それは凄く深い作業だったかな。で、それもライブっていう場所で、昔の曲たちをプレイするから、より”今の自分”がそれをやるわけじゃない?より見えてくるものがやっぱりあったよね。

ー当時では気付けなかったことが今だからこそ見出だせる。

うんうん。表現という意味で、当時やろうと思っても出来なかったことが今出来たりとかね。アルバム毎に日にちを分けてプレイしたからこそ、そのムードが出るライブになったし、それぞれが俺自身の中の面を表してくれてるっていう、自分自身でも良い経験だったかな。

ーその当時のライブを観れなかったファンにとっても楽しんでもらえたライブですよね。

アルバム出たときのツアーに来てない子たちも、そのときのムードを少しでも感じてもらうことが出来たりとかって楽しいよね。2度とやりたくないくらい神経をすり減らす作業だったけど(爆笑)またいつかね。

ーファンは期待してると思います(笑)

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