J(LUNA SEA)インタビュー

伝説のロックバンド”LUNA SEA”のベーシストとして活躍し、1997年にソロ活動を始め、初のアリーナオールスタンディングによる日本武道館公演や、過去4回に渡って開催されたSHIBUYA-AX 5DAYS等、誰にも真似出来ない独自のスタイルでライブ活動を続ける”J”。今回は、Jの最大の魅力であるライブについて、これまでの歴史と共に深く切り込んでいく。

ー”LUNA SEA”の終幕を経て、Jさんの再始動は「FIRE WIRE 2001」をオーガナイズされることから始められました。それが意外で、それこそ新曲を作られてライブをすることから始めるのかと思いましたが、ライブイベントから再始動された経緯を伺いたいと思います。

“LUNA SEA”が終幕していくときに、1つのバンドが終わってしまう…要は解散だよね。それに対して、自分自身は本当に潔癖でいたかったというか。どんな状態や状況にあろうが、「最後まで、自分自身はここで全力を尽くす」ってね。終幕するまで自分自身のソロ活動の準備をすることは、俺にとってはもの凄い嫌なことだったんだ。

ー裏を返せば”LUNA SEAのJ”としても潔癖じゃないと?

バンドに対してもそうだけど、自分自身の気持ちの中でね。当然、終幕後から音源を作り始めてから動き出すとなると、凄く遅くなるだろうねって。いざ、”LUNA SEA”が終幕を発表した後に起こりうるであろうこと…ファンの皆はショックを受けるだろうし、もちろんメンバーの俺自身にもショックなことだし。自分の気持ちも当然混乱していて、まさにカオスだよね。本当に「全てが終わるんだ」って考えてたんだ。だけど、今までのいろんなことを手繰り寄せて、自分に問いかけてみたり、そんなことを繰り返してくうちに「ちょっと待てよ、”LUNA SEA”の全ては終わるけど、俺の音楽は終わらねぇだろ」って思ったの。俺の音楽は止めちゃいけないし、止める権利は誰にもない。もっと言えば、「”LUNA SEA”が終幕することで、傷ついたり全てを失ってしまった様な気持ちになっているみんなを、もし俺がその何人かでも救えるならそれはやるべきだ」って。当然、風当たりは強くなると思ってたよ。1番最初に活動を始めて、それもライヴイベントだったから、当然ボロカスに言われたけどね(笑)でも、誰にも俺の音楽を止める権利はなかったし、逆に言うとその逆風を俺が全部引き受けて、ネガティブをポジティブに変えてエネルギーにしてやろうかなって。そう思った結果、あのイベントのエネルギーにも繋がっていったんだ。

ー答えとしては凄くシンプルなんですね。

シンプルだね。当時はカオスだったから、今になって言えることだけどね。ただ、今思い返してみると1mmも不安はなかったかな。

ー”LUNA SEA”が終わったとしても、やるべきことがJさんの中では明確になっていたいうことですか?

“やるべきこと”ではなくて”やれること”だよね。俺が”やれること”は”やってきたこと”なんだよね。俺がやってきてないことはやれないから。いきなり寄せ集めなメンバーとバンド始めてみたり、辻褄の合わないないソロ活動始めてみたりすることは”やってきてないこと”で。だから本当にシンプルだったんだよね。

ー個人的に面白いと思ったのですが、MCが「リングアナウンサー」だったり、そういったアイディアもJさんがイニシアティブをとって始めた企画なんですか?

スタッフも含めて、チームになっていろんなプランを立てたよ。とにかく、ライブという概念も含めて全部を良い意味でぶっ壊したかったんだよね。

ー所謂な固定観念を?

そうそう。そういうことって、ライブの中にあるみんなの楽しめる”余白部分”だとも思ったし、スタッフと話して「楽しいこと、全部やっちゃおうよ」みたいなね。

ー一方である意味、挑戦的な部分もあったのではないかと思います。

普通のイベントにはならないだろうと思ったしね。逆に言うと、キャストが普通のイベントではありえないしね(笑)

ー豪華です(笑)

hide兄の”Zilch”をみんなに爆音で見せたかった。他にも沢山の思いが交差していてね。そういった意味では、挑戦的だったしとんでもないエネルギーの渦だったよ。

ー実際にこのイベントでは、Jさんの主旨に賛同されて様々なキャストが出演されていたと思うのですが、”LUNA SEA”では個のぶつかり合いで最高の表現をしてきたとするならば、イベントではバンド同士のぶつかり合いで最高の表現にしたかったのではと捉えられるのですが?

そうね、本当にそうだったな。”エネルギー”って意味での共通項があるだけで、”Zilch”やDuff McKagan(ex.GUNS’N’ROSES)の”LOADED”もいるし、Steve Jones( SEX PISTOLS )も”The Cult”もいるし、もっと言うと今までそんな大きなステージ上がったことない若いヤツらや、ストリートでタギングやってるようなヤツらまで出てくれたりして。実はその”エネルギー”ってものがロックミュージックには1番重要なもので、それは全てを超えていくという”俺の信念”と”俺の中の想い”がそこにはあったかな。

ー確かに変なジャンルの拘りとか全く無かったですよね。

無いね。その時代っていうもののエッジで、息をしてるヤツらを掻き集めてそのエネルギーを放ちたかったし、それは観に来てくれている子たちもそうだしね。

ーイベントの成功、Jとしての活動の過程でSHIBUYA-AX 5DAYS連続ライブ「5 CRAZY 5」に繋がって行きますが、正にタイトル通り「なんてクレイジーなことを考えているんだろう」って思ったのですが、同じ会場でしかも連続5日間の開催って前代未聞ですよね?

これは性格なんだよ…多分、ガキの頃から「人と同じことしたくない」って想いが強くて。

ーでも天邪鬼という意味ではなくて、ですよね?

多分半分…いや半分以上、天邪鬼だと思うよ(笑)

ー(笑)人が既にやってることは、Jさんにとっては普通なことで、Jさんだからこそ、挑戦できてやれることが魅力的であるんでしょうね。

そうだね、最初は冗談みたいな発想で言っていた「ライブを1週間ぐらい同じ場所でやって、最後はオールナイトで盛り上がれたら良いよね」っていう話から始まったんだ。ずっと続いていくような熱を表現してみたかったときに、2日間・3日間は経験もあるし想像がつくけど、「5日間はどうなんだろ?」って。単純な足し算の発想だったかもしれないけど、自分自身でもワクワク出来て、初日からずっと観てくれてる人はそこにドラマが生まれるだろうし、どの日に来るかによってライブの表情は全部違うだろうしって、良いことしか想像出来なかったんだよね。

ーその上で臨まれたステージでは、ベースをプレイしながら歌ってMCもありますし、ライブで発する音として声はとても重要性なものですが、実際に5日間連続だと負担が自ずと出てくると思うのですが、不安は無かったんですか?

最初の5DAYSのときは、ステージ裏でドクターやボイストレーナーがずっとウェイティングしてくれてて、ちゃんとケアしてくれてる状態だったんだ。俺自身はソロを始めて、歌を歌い始めた人間だから、ベースを弾くより経験値が低いわけだよね。そういった意味で、何が起きて何をすべきだってものは全く無くて、とにかくど真ん中投げていくしかないというか。だけど、それが俺の表現のスタイルならそれをやり抜くべきだって思ったし、逆に言うとそれしか答えがないよね。

ーそうやって実際に5日間終えられて、Jさんの達成感はとてつもないものだったのではないでしょうか?

凄い達成感だったね。そのときは、やっぱオーディエンスからのエネルギーで後押しされていた感覚を覚えているし、ライブっていうものは観る側もそうだけど、ステージ側にもマジックが起きるっていうのを再確認した5DAYSだったかな。それを機にファンのみんなと俺達の絆も深まったと思うし、同時に俺自身もタフになれたと思う。そしてこれをクリアしたら、「こうすればもっとカッコ良くなる」「こうすればもっと良くなる」という扉が開いたのも事実だしね。全てにおいてプラスしか無かったライブだったな。

ー今のお話を聞くと、後に日本武道館でやることがしっくりハマる気がしました。先程、「ライブハウスでのエネルギーと、どう結びつけるか」という、大きな会場でのバランスのお話を頂きましたが、5DAYSを通してファンとの絆が深まったからこそ、アリーナオールスタンディングという挑戦と共に、日本武道館での成功があり、Jさんが確実にその挑戦を形にしている。

ライブという形に関して、自分自身でも可能性を探っているところがあるんだよね。時間を戻して思い出して欲しいんだけど、その頃日本でもやっと2000人、3000人規模のオールスタンディングのライブハウスが出来始めて、会場も多くなってきたよね。その上で、さっきのソロのレコーディングの話もそうなんだけど「海外で出来るものが、なぜ日本で出来ないんだろう?」って思ってたんだ。もちろん武道館はライブをしたことがある場所だから、もの凄く厳しい規則があるのは知ってるんだけど、「それでも武道館をオールスタンディングでやりたいよね」って、単純な想い。そんな所から始まったプランだったんだよね。もっと言うと、自分自身がやっていた音には、一聴すると”アンダーグラウンドであるべき所で”って固定観念が当然の様にあったから、それもぶっ壊したかったんだ。

ーオーバーグラウンドな場所で、如何にアンダーグラウンドを伝えていくかってことですよね。

そうだね。全部を含んでくれて、全部を表現出来る場所が武道館だと思ったんだ。それで「やれるのか?」って交渉から始まって、長い長い交渉の末、メンバー、スタッフの熱い想いが通じてオールスタンディングに出来ることが決まったんだ。

ー実際、ステージの上では”オールスタンディング”という、Jさんがこれまで武道館で見ていた景色と明らかな違いがあったのでは?

凄かったね、ステージからその景色を見たら、本当に爽快だったよ。すごく健全な感じがした。

ー健全というと?

椅子に縛り付けられていて良いコンサートもあるけど、それはジャンルにもよるじゃない。”IL DIVO”とか観に行ってオールスタンディングだとね…それはそれでカッコイイかもしれないけど(笑)

ー(笑)

TPOってあるでしょ?軽いドレスコードみたいなもんじゃないかな。「そういう選択肢があったら良いのに」って単純に思ってたから。

ー日本での”ロックの自由”の1つが提供が出来ましたよね。

やるって決めたからにはやるんだけど、武道館での”オールスタンディング”1発目だったから、事故でも起こそうもんなら歴史が閉じちゃうよね。だからこそ、もの凄い綿密なミーティングもやったしね。自由を自分たちの手で失ったり、奪われたりしたらそれこそ面白くないじゃない?自分たちで自由を手にする為に、水面下では色々なミーティングを通してシミュレーションしてたんだ。

ーだからこそ、その成功があったんですね。

そうだね。本当に闘ったね。でも、あの瞬間にあの場所にいた人たちは、本当に歴史的な瞬間をエンジョイしてくれたと思うよ。

ーそれはJさんも含め、バンドメンバー自身もエンジョイしてたってことですよね?

そうだね。良い意味での緊張感の中でプレイ出来たし、凄い楽しかったよ。特にScott Garrett・Franz Stahlみたいに海外でロックやってきた人間たちとっては、いろんなレジェンドバンドがあの会場でのライブアルバムをリリースしてるし、それを聴いたりしてきてるから、より凄いものに写ってるんじゃないかな。そういう意味では俺より興奮してたかもしれない。

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