SILVA インタビュー

ー思い詰めた状態から、残り1年半の過ごし方はどうなっていったのでしょうか?

吹っ切れて、日本人のコミュニティにも行くようになりました。そうしたら「イベント演りましょう」「ライブ演りましょう」と声を掛けてもらって、向こうでバンドを組んだりDJしたりと活発になりましたね。そこで「日本のファンに届くものを自分は作って来たんだな」ということに、日本から離れて気づいたんです。異国の地に行って、日本人のファンがいるということは、とても嬉しいですよね?そこでやったからこそ、歌を評価されたりもしましたし。今までの自分をダメだと思い込んでいたのが、日本人として1の土台があって、その1である日本のファンを大事にしようと思うようになってから、楽しめるようになって10キロ太りました(笑)。

ー(笑)栄養失調から考えれば良かったと思います。

もう2年目のときにはただのデブですよ(笑)友達といても、食べていても楽しくて。それから向こうで、1番最初に出来た仲間はゲイで(笑)私が好きだったDJは、ゲイの方が多かったからなんですけど、そっち寄りのレコード会社の方から声が掛かるようになって、2社でHARD HOUSEの打ち込みやリミックスの仕事をするようになりました。

ー最初の1年半とはガラリと状況が変わっていますよね。

アメリカで稼いだお金だけでは、全然生活は出来ていなかったですけどね。向こうのアーティストの仕事をして、税金も納めていましたけど、日本での貯金を使い切りましたから。

ー3年のタイミングで、「そのまま更新する」という選択はなかったのでしょうか?

3年の間で、半分を楽しく過ごせて、やりたいことを少しずつ前に進められたのは、日本人の応援だったんです。それを感じたときに「まだまだ日本でやり残したことがある」と気づいたんです。最初、向こうのDJや友達に「アーティストビザ更新しないの?グリーンカード取っちゃえば?」と言われたんですけど、「歌手としてもクリエイターとしても、日本でやることがある」と話したら、「そう思うなら帰った方が良い、何故ならニューヨークで成功したかったら、最低10年はいないと芽が出ないよ」と、ヒットしたアーティストの方に言われてしまい…

ー厳しい現実ですよね。

「ですよね(笑)」3年の区切りで帰ることにしました。結局ヒット作を出せなかったし大きなクラブでDJも出来なかったけど、ノウハウも知れて、いつでも戻ったりビザを取り直すことも出来ると思いましたし、日本で出来ることはあると。

ーそこで2011年に帰国され、引き続き”DJ SILVA”としての活動をメインに?

そうなんですけど、如実に仕事が減りました。それはニューヨークに移住して、2年目くらいから分かっていました。せっかくアジアで作ったコネクションの人たちからのオファーもなくなっていったんです。理由はアメリカから帰ってくる渡航費が、ギャラよりもさらに倍以上乗るわけだから、オファーをしてもらえないんですよ。目標だった「名トラックメイカー」になれば世界から呼ばれると思っていたのが、叶わなくて。日本に戻ってきたけど、すぐに活動的出来ているかと言うと、3年のブランクがあるのでレギュラーパーティーもなかったですしね。

ー「DJ SILVA」名義での活動がそういった状況でありながらも、後に「Re:SILVA」「999」を「SILVA」名義でリリースされます。歌手SILVAとしてのきっかけがあったからなのでしょうか?

2010年の末に日本に帰って来ても、DJやテレビの仕事もないですし、事務所に入っていなかったのでマネージャーもいない現実があって。爆発的ヒットもないですし、偉業を成し遂げているわけではないですけど、1人でも自分の作品が好きだと言ってくれる人がいたことで、「SILVA」という名前に敬意を持っていましたし、財産であり宝だということをアメリカに行って気づいたのが大きくて。それまでライブなどでも自分の楽曲を歌わずにいましたが、アメリカから帰ってきてからは、歌う方に戻ろうと思いましたね。

ー「SILVA」を再生させるような?

そうですね。お休みしてから時間も経っていたので、「また歌の活動を始めました」という自己紹介的作品が「Re:SILVA」ですね。

ーもう1度、「自分の作品を再構築して世に出す」というのは、SILVAさんに取っても新しいアプローチでしたよね。

ただ、原曲を聴いていると完成度がすご過ぎて、敵わないと思いました。しかも、当時のマスターテープが行方不明で、ボーカルトラックを抜けなかったんです。唯一、私の持っていたADATにボーカルが残っていたんですけど、家のADATが壊れて(笑)フォーライフに電話したら2台あったので、貸して頂いてデータを抜き取れたんですけど、「ここまで大変な作業だったら、ボーカルも歌い直した方が良い」という判断で歌い直したんです。

ー全トラックを自分で再構築となれば、当時の音源作成にあたっての制作費も違うと思いますし、中々難しいですよね。

元の曲のクオリティの高さと、オリジナルは生楽器の演奏も多かったので、今回は差別化する為にも打ち込みでの制作が、その時点で最高に出来ることでしたし、バジェット感が違いますよね。あと、歌ってみてびっくりしたのが、ブランクも会ったので、当時のようにスキャットできないし、やっぱり若い頃より声は低くなっていましたね。

ー過去の作品を理解して、今のSILVAを表現するという部分ではすごく良かったのではと思うのですが?

そうですね、「ヴァージンキラー」で違う歌い方をしようと思っても、同じようにしか歌えなかったんです。もう、体に染み付いているから、フェイクから言葉尻までアレンジが出来なかったということは、過去の自分に納得していたんだと思いました。それで改めて過去の作品が大好きになりましたし。

ーそれもあって、現在開催中の「DIVA FES」でも聴くことが出来ますしね。

「ヴァージンキラー」も「Water Flower」も歌います。DJの方も、風営法の問題があるのでまわすだけのブッキングは減らすようにしていますけど、まわしながら歌えばライブになるんです。過去の楽曲を復活させながら、まわしながら歌うパフォーマンスは今後も続けて行きたいですね。

ー今のお話から繋がるのですが、今回の「GO!GO! SILVA」は、楽曲のラインナップが60年代後半~70年代前半の作品で、”昭和歌謡”という過去の楽曲をSILVAとしてアレンジ・復活させるというコンセプトだと思いますが、それに至った経緯を教えて下さい。

私が好きな世代の人達に取って、「青春時代に聴いた名曲」「愛してやまない思い出の曲」をカバーするということは、とてもステキなことですよね。テレビの露出が徐々に増えて、相変わらずあけすけな恋愛遍歴の話をするんですけど、私の男性ストライクゾーンが、広くて70歳くらいまであって(笑)どちらかというとおじさま好きで、年下ブームもありましたけど若い人はあんまり(笑)

ー(笑)しかも洋楽のカバーは今までありましたけど、日本語のカバーはほぼ初ですよね?

そうです。DJ SILVAでは色々やっていましたけど、作品として残したことがなかったですし、おじさま方が大好きだった曲であれば公私混同ではないですけど是非やりたいと(笑)私が生まれる前の楽曲なのに、メロディーが記憶にあったり、歌詞まで出てくる曲もあるんです。私の父や母の世代が青春ソングとして聴いていたものを、私自身も体感している楽曲なんです。

ー歌詞も、現在のSILVAさんだからこそ、マッチしている部分がありますよね。

今までSILVAとして書いてきた歌詞は、すごく重くてリアリティのあるものだったんですけど、それさえ及ばないくらい詩の世界が深いんです(笑)阿久悠さん、なかにし礼さん等の奥深い歌詞をカバーするというのは、とても意義のあることだったので作品を作ることになりました。

ーまず、バックトラックがカッコイイですよね。原曲の管楽器やヴァイオリンを、ギターで奏でていたりファズを効かせていたり。それこそ、高橋よしこ時代だったら敬遠していたような音なのに、今のSILVAさんにはすごくフィットしていて。

ロックテイストだったり、エレキがあれだけ重なっているものは初ですね。これまでのジャンルと全然違うし(笑)でも拒絶どころか、アレンジャーが私と同世代なんですけど、私と同じジェネレーションの感覚で良い所は残しつつ、新しい解釈を入れられたことがすごく良かったと思いますね。

ー昭和歌謡をただカバーしたというよりも、新しい解釈として今回のSILVA流アレンジが、逆にロックテイストやGSテイストであったということですね。

そうです。もし、40~50代のアレンジャーの方と作るとすごく古くなってしまうか、ただのロックになってしまったと思うんです。ピチカート・ファイヴっぽいテイストがあるのも、私達の世代の解釈ですよね。楽曲のセレクトはプロデューサーの方なんですけど、「この選曲が青春でノスタルジーを感じる」という力説があったんですよ(笑)その情熱が素晴らしくて(笑)他にも候補曲があったんですけど、私達の世代では優劣がつけられない部分を、色んな世代の方の意見が集約されましたし、実際に良いセレクトが出来たのは面白かったですね。

ー先程、「キーが変わった」というお話を頂きましたが、中低域がこんなにもマッチしていて、説得力のある歌というのは、今のSILVAさんだからこそ歌えるんでしょうね。

確かに歌っていて、温度差を感じることはなかったです。ただ、原曲の方々の歌が上手過ぎるんです。当時はマルチで1発~2発録りで、ProToolsでお直しする時代ではないんです。歌手として真っ直ぐ歌われているから、自分のオリジナルのように好き勝手に歌うことは敬意に欠けますし、真っ直ぐに歌うべき楽曲だったので、歌手としては初めてのチャレンジでしたね。

ー歌に説得力があるのは、そういった取り組みがあったからなんですね。

そうですね。20代の私では出来なかったでしょうし、歌詞が飲み込めなかったと思います。30代後半になって、こういった作品に取り組めたことは、歌手としてもすごく良かったです。

ーこれだけクオリティが高い作品に仕上がりましたし、音源を聴くとライブを期待してしまいますね。

是非したいですね。「DIVA FES」も生バンドで演っているので、これだけでツアーという企画があっても楽しいですね。これまでカバーの企画が何度もあったんですけど、安易にやってしまうと、そのカバー色がついてしまうので怖かったんですよね。でも今回のカバーは、名曲たちを蘇らせる企画に歌手として携われたことを、この先も活かして行きたいですね。

ー「SILVA」「DJ SILVA」そして「DIVA FES」と今年の活動も目白押しですね。

「DIVA FES」を企画したのは「自分が立ちたいステージを作る」「一緒にいるDIVAを自分でセレクトする」、要は歌手SILVAとして、好きなDIVAと歌いたかったんです。今回「GO!GO! SILVA」を作れたのはすごく良いタイミングで、歌手SILVAを中心とした活動をして行きたいというのが明確になりました。テレビも歌手SILVAとして出たいですし、「DJ SILVA」は裏方としてリミックス等を、歌手SILVAの為にやっていきたいですね。

ー「GO!GO! SILVA」がきっかけで歌手としての活動が広がる、その為に”歌手として”の主軸が明確になったことは、SILVAさんに取って、大きな財産になりそうですね。

この作品でね、幅広く70代までの方々に聴いて頂いて、歌手SILVAを知って欲しいですし、あわよくばファンの中からステキな出会いもあれば(笑)女性としてもね、2度美味しい気持ちでいます(笑)


取材:2014.08.05
インタビュー・テキスト:Atsushi Tsuji(辻 敦志) @classic0330

 

1 2 3

4