伊藤ふみお(KEMURI) インタビューvol.29

もっと剥き出しでカッコつけないで、叶えたい新しい夢があってやってる

—そして「F」の話を伺っていきたいのですが、楽曲や歌詞、アレンジ・サウンド面など、制作においてアルバムの指針となるようなものは、日本で作って行かれたのですか?

楽曲は基本的には全曲できていたし、サイズと構成についても殆ど決まっていましたね。ギリギリで全然違うようになった曲も1,2曲はあったのかな。だけど、日本で大枠作って行って、歌詞は半分強は作っていたかな。

—なるほど。それをレコーディング時に固めていかれたと思いますが、先に「SKA BRAVO」を制作したことで、「F」に作用したことはありますか?

ありました。一番個人的に感じてたのは歌詞ですね。やっぱりファーストアルバム、セカンドアルバムの曲の再録が多いでしょう?改めて歌詞を前に歌入れをすると、すごくあの当時の自分を思い出したし、あの当時の自分に語りかけられているような、不思議な気持ちになった。

—確かに、ある意味過去の自分と向き合うことですよね。

セカンドアルバム録音した98年でも、まだ何にもなかったし、大きな会場でライブを演ってたわけでもなかったしね。まだまだ夢を叶えたい人たちがやってるバンドで、夢を叶えたい人が歌ってる歌だったから、すごく心に響いたし、考えさせられるものがあって。

─当時の歌詞から、そういったリアルな自分に気づかされた?

そうですね。あれから20年近く経ったでしょう?改めて、KEMURIを再結成までして「自分はどういうことがやりたいんだろう、みんな何がやりたいんだろう、何をみんなとやりたいんだろう」とか考えちゃって。自分の言葉の使い方とか色んなものに、多少カッコつけ始めて、しばらく経っちゃったみたいな部分を感じたわけ。

—ただそれは20年分の知識や経験が、感性となっていったものではないのですか?

それもありますけど、例えば言葉の一つを取っても、すごい悪い言い方をすると、若干上から目線の自分がいるみたいな(笑)。新しい曲の歌詞に、先輩目線みたいなものを感じたわけよ。歌ってることは基本的には自分でも共感できることなんだけど、もっと剥き出しでカッコつけないで、夢叶えたい人なんだから、叶えたい新しい夢があってやってるはずだから、その気持ちをもっと自分でリアルなものにしたくて、全部書き直したんだよね。

─その剥き出しな気持ちを伝えるために、今作「F」では歌詞の書き直しをされたと伺いました。

例えば「WIND MILL」のタイトルは当初から変わってないんだけど、最後の歌入れの朝まで、歌ってることや内容は何回も書き直したりね。ベスト盤を歌ってから変わったことと言えば、それが一番大きかったですね。

─伝えたいことや表現したいこと、その根っこは変わらないのかもしれないけれども、意図せず使っていた言葉たちがあって、もっと等身大の言い回しは本来できていたはずだったと。

そう。20年前に比べれば、当然のように歳を取っているわけだし。歳を取っていくことで、やっぱりその20年分のカッコよさがあると思うんだよね。それをもっと自分で「これならいいな」って思えるようなものを作ろうと思って。

─それが今回で言うと、表現の部分では歌詞・言葉でしたが、もっと内から出るものをということですよね。

だから不思議なことなんだけど、やっぱり気持ちだなぁみたいな。具体的に言葉も変えたんだけど、「歌い方だなぁ」「感情だよなぁ」とかって意味での気持ちなんだけどね。すごいそれを考えて歌った。

—そうやって歌われた「VEGA」「WIND MILL」「O-zora」と冒頭3曲から、KEMURI節が炸裂している中で、ホーン・アレンジを須賀(裕之)さんが担当されていましたが、バンドとしても1つの変化だったのでは?

今回、「ライブメンバーでやってみよう」という話に決まったときに、ひとつ踏ん切りがついたんですよね。今までホーンアレンジしてくれた霜田裕司(オリジナルメンバー)のもすごく良い。だけど、その後にアメリカツアーもあるし「今のライブメンバーで全部やってみようよ、任せようよ」っていう。それでコバケン(コバヤシケン)と須賀ちゃんにやってもらおうと。それ自体、たいしたことない決断のように思えるんだけど、バンドにとってみるとすごく大きいです。ずっと残るものに対して、人を変えたわけですから。その時点でKEMURI変わったなぁと思ったし。

—「SKA BRAVO」がその変化をもたらしたんですね。その中で「O-zora」を日本詞で歌われていますが、その理由を教えてください。

タイトルでもある「大空」っていう言葉。まずそれが一番使いたい言葉で、次に「つながっている」っていう言葉。アメリカで録音して、殆ど英語の歌詞でしょう?その後のアメリカツアーがあったし、「O-zora」は普段日本語を喋ってない外国人に「大空つながってる」って歌ってもらえたら最高だなと思って作ったんです。

─この楽曲で言えば、平谷(庄至)さんが作曲されていますが、都度、ふみおさんの想いやイメージを作曲者と共に膨らませていくのでしょうか?

そうですね、まず作曲者がどういう風にしたいかって、すごく大切なことだと思うんですよね。やっぱり不特定多数の人に曲をブン投げるわけじゃないですか?遊びや趣味でやってるわけじゃないから、そこにどれだけ他者性を入れられるかというのが、すごく大切なポイントですよね。それを考えていろんなことをリクエストしました。「O-zora」は平谷庄至が作曲者だったから、色んなことを伝えたし。それと同じように、他の曲でも同じように津田紀昭、コバケン、田中”T”幸彦にも伝えましたね。

一番の変化は、それをお互いの良いものだとして受け入れたっていうところ

—それでは、続く「creed」「RAG」と津田さんからの曲でも、同じようにやりとりをされながら?

特に曲に対する丁寧な説明ってあんまりない(笑)。口頭ではね。ただまぁ(付き合いが)長いから「こんなことやりたいんだろうな」とか感じながら、わからないところは「ここらへんどうなの?」とか聞きながら作業していったって感じです。そもそも、「どういうアルバムにしよう?」とか、あんまり話しないんですよね。

─そうなんですか?

大枠で「こんなアルバム」「前回はこうだったから」「前にこれ作ったから」とか、当然それを踏まえてみんな曲作るし、歌詞も書くでしょう?考えてる上でのことだから、そこまで決め込んでやらないっていうか、できない感じなんだよね。「じゃあ、次は90年代スカパンクバリバリのアルバムを作りましょう」とかね(笑)。

─(笑)。それはメンバー同士が今のバンド・個々の状態を理解し合っているから、敢えて言葉にしなくても、生み出される曲・歌詞を受け入れられし、結果としてバリエーションも増えていった?

やっぱり作曲者が「RAMPANT」ですごく増えたし、僕以外は曲作ってるしね。更に今回は各作曲者が複数曲作ってるから、バラエティに富んだアルバムになってると思うんですよね。ただ個人個人が作ってるのものは、実は昔からそんなに変わっていなくて…やっぱり解散前のある何年間かは、各人が自分の作る曲にバリエーションを求めて、模索していた時代っていうのが当然あったんです。自分にとってスッと出てくるほど、ナチュラルなものじゃない楽曲っていうか。

─同様にふみおさんでは、歌詞の部分についても模索されていたかもしれないですね。

多分あったと思う。そうやっていたこともあったんだけど、長い活動の中に解散して再結成して、改めてまたBlasting Room Studiosでレコーディング行ったりして。そこでやってるビルがDESCENDENTSとかALL(ポップパンク/メロコアの元祖的バンド)をやってるわけですよ。DESCENDENTSなんて、毎回同じような曲を30年以上やり続けているバンドで、「もう、それでいいんじゃないのかな」っていう話に近年すごくなっていて。

—KEMURIなんだから、KEMURI節が出るのは当たり前だよっていう?

そう。例えば津田紀昭はアプローチを変えて云々って、そこまでしなくなってる。「creed」「VEGA」みたいな曲って、多少の違いはあるけどファーストアルバムからやってることだからね。みんな良い意味で、自分に開き直って曲作ってるし、僕も言葉にしてる。ただ一番の変化は、それをお互いの良いものだとして受け入れたっていうところじゃないかなって。

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