シュリスペイロフ インタビューvol.28

札幌で結成されたシュリスペイロフ。山中さわお(the pillows)が主宰するDELICIOUS LABELへの移籍を機に、活動拠点を東京に移し約2年が経過した。前作「turtle」を経て、リリースされるフル・アルバム「その周辺」は、見事に今の彼らが余すことなく表現されている。本インタビューでは、そんな彼らの経歴を紐解くとともに、「その周辺」に至るまでをお届けする。PART.1は結成〜「ダイバー」リリースまで。

―前作の「turtle」から約1年での新作「その周辺」、作品のリリース・ペースとして早い印象がありますが、自然と創作意欲のようなものがバンド内で生まれたのでしょうか?

宮本英一(Vo/Gt:以下、宮本):「turtle」を作ってるときに、リリースはミニ・アルバムとしてでしたけど、元々はフル・アルバムとして作ってたので、そのときの曲があったのと、僕の制作のスピードが上がったところですね。前よりも曲を捏ねくり回す作業がシンプルになったというか、楽曲本来の役割みたいなものを自分なりに掴んで早くなりました。シンプルな感じのものって、苦労をしていない気がして、良くないと思ってたんです。そうじゃなくて、今回は自分たちから出ているものを大事にしたかったんで、割と早く作れた感じですね。

—これまで制作してきた楽曲も、寄り添ってはいらっしゃったわけですよね?

宮本:そうですけど、今回はもうちょっと個人個人で煮詰めなくても出来ました。

ブチョー(Dr:以下、ブチョー):以前だと、パッと出たものを当てて、その後さらに何段階かアレンジを変えていっていたんですけど、そういう作業をし過ぎないようにして、最初に浮かんだフレーズを逆に活かしたりとかが多いですね。

宮本:僕ら、そんなに演奏が上手じゃないんですけど、それも別に気に入ってるところで、「めっちゃ巧い」みたいなところを出さなくても良いというか。譜面通りに整える作業をするより、間違ったところも良かったら採用するし、一つ一つの楽器の表情が見えるようなものにしたかったですね。

―バンドとしても自然に臨めた制作だったんですね。結成されて16年目となりますが、当初の5年間は曲作りのみの活動だったことを考えると、バンド内でのペース配分然り、制作過程が変化していますよね?

宮本:今はちゃんと発表する場があるけど、その頃はただモジモジしてただけの5年間だったんで。ただ遊んでただけです(笑)。

野口寛喜(Ba:以下、野口):一緒に温泉行ったり(笑)。

「ダイバー」が出来て「これだな!」って

―(笑)。少しその頃から時系列を辿っていきたいのですが、札幌で結成されたのが1999年、結成時の目的というか、こう表現したい・こういう活動をしていきたいという経緯があったと思うのですが?

宮本:あぁ…僕はバンドで表現したいというよりも、中学生のときにギターを買ってから、ずっとバンドをやりたいというのが憧れだったので、それをやろうという感じですね。ブチョーと一緒にメンバー募集して集まって、何となく始まって、そん中で方向性が自然と出てきたって感じですね。最初は特に…というか、今もないかもしれないですね。自然と出来た楽曲に寄り添って、アレンジを施すのが僕らの感じになっています。

—結成時から楽曲の制作については、良い意味で現在に於いても変わってはいない?

宮本:変わってないよね?

野口・ブチョー:変わってないね。

宮本:一時期、サイバー化というか、パソコンを導入してやってたんですけど、さっき言った通り、一人一人が煮詰めてしまい、だんだん表情が消えていったんです。「turtle」くらいから、楽曲が出来たらスタジオで合わせて、ざっくりと作り演奏しながら、それぞれ作っていきます。

―5年間という曲作りの期間で、相当な数の楽曲が出来上がったんじゃないですか?

宮本:いや、作ってやめて作ってやめてを繰り返していましたね。

—曲を完成させなかったということですか?

ブチョー:仕上がっても次第に忘れていってました。

宮本:そうだね。

ブチョー:新しい曲が出来ると、そっちの方に興味を持って。

宮本:「ライブをやろう」ってなって、「ダイバー」が出来たんですけど、その曲が初めて「これだな!」って感じがしましたね。

—では、曲をストックしてという考えで制作していなくて、バンド内で吟味した楽曲を練り込んでいく作業をその5年間で繰り返していたんですね。

野口:良く言えばそうですね(笑)。

―そうやって作った楽曲を披露できて、更に直接届けられる手っ取り早い方法ってライブだと思うんですけど、そういった行動に結びつかなかった理由は何だったんですか?

宮本:あのときは行動力が誰一人なかったというか…リーダーもいなかったし。僕は発表した気持ちはあったんですけど、メンバーに曲を発表してるようなつもりでしたね。
誰かに曲を聴かせるって行為自体が、すごい恥ずかしい行為だと思ってたんです。「オリジナルやりたいけど、みんなに聴かせるのは恥ずかしい」っていう繰り返しだったんで。そこから、何で「もっとみんなに聴かせよう」って思えたのか…

野口:単純に「年齢的にやばいんじゃない?」っていうのがあったよ。やるならやろうって。

宮本:そうだね。

—そのタイミングで幾つだったんですか?

野口:24ですね。

宮本:それで、ライブハウスで観たことなかったので、知り合いの人のライブを観に行って。5バンドくらい出たやつだったんですけど、なんか全然たいしたことなくって(笑)。自分たちの方が全然良いって思えたから出たんです。

自分たちのバンドが良いバンドなんだって気づいた日

—(笑)。ちょっと意外だったのが、演奏側としてはともかく、観客としてもライブハウスへは行かれてなかったんですね。

宮本:そうですね。多分、怖かったんだと思います。自分たちがやってるものを他のもので観ることによって、「自分たちには才能がない」って思うことがね。

―あぁ、比較対象が出来てしまうことでの恐怖ですね。

宮本:その日も結構覚悟して行ってました。かっこいい人がやってるんだろうなって。でも、全然かっこよくなかったから、出来るねって。

―その初ライブって覚えていらっしゃいますか?

宮本:覚えてますね。リハーサルでど緊張してて、本番始まったあとは何も聴こえなかったですね。音がバカでかくて、自分の声も聴こえない。だけど、すごい反応が良かったんですよ。お客さんは少なかったけど、ライブハウスのスタッフさんからすごい良いと言われて。閉じこもっていたところから、急にポッと出てチヤホヤされたみたいな。びっくりしましたね。

ブチョー:僕はあんま覚えてないですね。多分、緊張してたんだと思うんですけど、ライブ中のことは覚えてないです。

野口:照明さんやPAさんや店長が「今までどこでやってたの?」って言ってたのを覚えてる。

宮本:その日に次のライブも決まって。

ブチョー:自分たちのバンドが良いバンドなんだって気づいた日でしたね。

―それから2005年には「ダイバー」のリリース、タワーレコード限定とはいえ、作品が店頭に並ぶということは、バンドとしても活動の幅を広げるというきっかけにはなったのでしょうか?

宮本:札幌でタワレコのイベントとかに出させてもらったり。あとはその当時のプロの人とやるようになって、お客さんがたくさんいるところでもやれましたし。誘われるままにでしたけど、本当に少しずつ進んでいってる感じはしましたね。

―NORTHERN EDGE への参加や、2008年にリリースされた「シュリスペイロフ」で全国流通となり、道内以外での活動が増えたのはこの時期でしょうか?

宮本:そのくらいから、頻繁に東京へもライブに行くようになって。誘われるがままにと言いましたけど、悪い話でもなかったし。

野口・ブチョー: (笑)。

宮本:あと、自分たちでやった企画とかも、ライブハウスの店長から「そろそろやりなさい」と言われて「はーい」みたいな。そういうこともあって、お客さんを増やさないといけないとか、どう盛り上げていくかを考えたりし始めましたね。

—それこそ照明さんやPAさんの協力と、観に来られるお客さんとで作り上げる世界で、どう魅せるかの意識や工夫をし始めたんですね。

宮本:いや、工夫し出したのは最近かな(笑)。自分たちがライブで何をすべきかということが見えない時期が長く続いてましたから。必ずミュージシャンがやりがちなことってあるじゃないですか?そういうことをやってみて違ったなあとか、自分たちに合ってることを自然にやるのが一番良いなって最近気づきましたね。

—コールアンドレスポンスを煽るとか?

宮本:違いましたね(笑)。僕らのライブで「ギャー」ってなることはないので…なると思ってたんですけど(笑)。

野口・ブチョー: (笑)。

宮本:テンポが速かったりとかもそうですけど、他のバンドのノリが羨ましく思えることもありますね。以前、下北沢CLUB Queのイベントで僕らがバンドでさわおさんが弾き語りで出る対バンがあったんですけど。

野口:そのとき、自分たちが終わった後のアンコールで、さわおさんがピロウズの曲を歌ってくれて、俺らがバックで演奏するのがあって。

宮本:僕らの演奏も良かったとは思うんですけど、さわおさんが立って一緒にやったとたんにお客さんが「ギャー」って…なんだろうな、「さわおさん、カリスマかな」とか思ったり(笑)。そうなりたいなって、未だに思ってます。

「大変なことが始まるな」って思った

―(笑)。シュリスペイロフでしかない世界のノリと良さがありますから。そして、結成10年目でメジャーとなった「もぐる。」、初のツアーを東名阪京の4カ所で開催されて。それまでにイベントなどは除いて、バンドとしてツアーをされてなかったんですね。

宮本:ツアーってイメージをしてなかったですね。楽しそうだなとは思ってましたけど。

ブチョー:「シュリスペイロフ」はビクターのインディーズから出してたんで、推したいバンドと一緒に周るというのはあったんですけど、僕らの冠がついたのは初でしたね。

宮本:のあのわとかね。「もぐる。」のツアーのときも、一緒にセカイイチとthe courtとかと周って。冠で思い出したけど、「大変なことが始まるな」って思った気がしますね。「シュリスペイロフのツアーか」って(笑)。

—他人事じゃないですよ(笑)。冠ということは、「シュリスペイロフ」を目的に様々な地域の人たちが集まって来るわけですから。

宮本:それが不思議でしたね。CDをメジャーで出すということをそういうところで感じていましたね。

―なるほど。見えない場所への波及ですよね。その延長と捉えて良いか、2010年にはライブ修行の年とされていますが、“修行”とは何を指していたのですか?

野口:覚えてない(笑)。

宮本:すごい練習してた気がするな。スタジオ入って作業して寝てっていう繰り返し。

ブチョー:そのときも月1で東京にも行ってて。それもやりつつ札幌でもライブやって、スタジオも週5くらいで入って。

宮本:そんなことばっかりするからさ、夜24時くらいに帰るじゃん?やきそば弁当(北海道限定のカップ焼きそば)とビールを毎日繰り返してたら、ストレスもあってぶんぶくりになったよ。

—(笑)。その練習は、ライブでの表現をより高めていく為だったんですよね?

宮本:良いライブってなんなんだろうっていう答えもわかんないまま、闇雲にやってた気がしますね。今だとこうなったら良いってイメージが湧くんですけど、当時は失敗しないとか、リズムがちゃんとしてるかにいちいちイライラしてた気がしますね。あれは辛かったな。

反応がダイレクトに返ってくるライブに重みがあった

—今のお話を伺うと、シュリスペイロフの活動として、作品を出すことはもちろんですが、より良いライブを魅せることへの需要度が増したタイミングですね。

宮本:確かに。CDを出すっていうことが夢として昔からあったので、それを2枚出して。その後は、反応がダイレクトに返ってくるライブに重みがあった気がしますね。CDは…CDってなんだろうね?ダイレクトには返ってこない…何が返ってくる?

野口:(手でお金のジェスチャー)

一同:(笑)。

宮本:確かにね(笑)。

—それ、ライブでも返ってきますよ(笑)。CDは届けるものであって、受け取った人がどう行動するかは委ねられているものですよね。聴いてライブに来たならば、それこそ返ってくるものでしょうし、繰り返し聴いてもらえるだけでも、目に見えない繋がりが、受け取った人とバンドには出来ているでしょうし。

宮本:そうですね。他のバンドさんが聴いてくれて繋がりが持てたりとかね。ライブでいっぱいいっぱいだった部分はありますけど、良いライブをして、手売りのCDを届けられてというのを重要視していましたね。

―その成果物として、ライブアルバム「シュリスペイロフ LIVE十一」のリリースがあった?

宮本:そのときにどこかのインディーズレーベルの方から「ライブアルバムを出さないか?」って言われてて。僕らからすればとんでもない話だと。でも、少しづつライブの演奏力がついてた実感もあったし、ライブの評価をしてくれたので、その企画のまま別のレーベルから出すことになりました。あと、「もぐる。」から2年経ってたので、そのときのベスト盤としても出せるなって。

ーまた、既にライブでは定番化された楽曲たちではあったと思うのですが、新曲をライブ・パッケージとして出すことも、次への布石とも取れる形になりましたよね。

宮本:そうですね。「こんな曲があるから、次のアルバムを楽しみにしててください」というね。

―スモゥルフィッシュの澁谷悠希さんがサポートに入られたのはこの頃ですか?

宮本:そうですね。最初は村田くんでその頃には澁谷ですね。気づいたら、もう5年くらい一緒にやってますね。

―「0.7」では、ライブ修行明けでもありましたし、久しぶりの制作となりましたが、ライブから生まれた楽曲も含まれていたのでは?

ブチョー:半々くらい?

宮本:アルバム用に作った方がちょっと多いかも。時間もけっこうなかったんですけど、とにかくこれは辛いレコーディングでしたね。それまで2年ずつ出してたので、それに間に合わせるんですけど、楽曲を作るスピードとかもそれまでと全く変わってなくて。

—更にフル・アルバムでしたし。

宮本:出したことないから、作り方がわからなくて。さっきのライブの話じゃないですけど、着地する場所がわかんない感じですね。もちろん、バランスみたいなものは考えながらやるんですけど、とっちらかってる感じで。歌詞もレコーディング直前、というか当日に書いてたし。全てが間に合ってなかったですね。

—暗中模索というか、完全に追われてますね。アレンジも同様にですか?

ブチョー:そこは決まってましたね。

野口:俺は普通だったよ。辛いとかなかったし、ゲームしてた気がする。

宮本:そうだろうなと思ったよ(笑)。当然ブチョーもそうだったんでしょ?

ブチョー:そんなことないよ(笑)。

—難産だったことには間違いないですね。

宮本:だから最近まで聴けなかったですね。iPhoneでシャッフルにかかってきたら飛ばすくらい(笑)。自分の作品をちゃんと好きになることをしたいなって思いましたね。

—でも、今までの作品でそれがなかったということではないですよね?

宮本:「シュリスペイロフ」や「もぐる。」とかは多分聴いていたと思うんですけど、「0.7」に関しては、客観視が出来なかったですね。良いって言ってくださる方もいますけど、僕にはわからなかったですね。

—産むのに精一杯な故に、アルバム全体を掌握しきれていなかった、もしくは自分の中で消化不良を起こしていたのかもしれないですね。

宮本:把握しきれなかったし、それはあったと思います。

野口:宮本がそういう感じだっていうのはわかっていたんですけど。自分としては今でも聴けますね。

ブチョー:最初は僕も普通に聴けたんですけど、聞き込んでいくうちに、どうもモヤモヤした感じがあって、聴けない時期もありましたね。

—メンバー間でも、バラバラの印象であることが象徴するように、1つ1つの楽曲はライブでも演奏されていると思いますし、アルバムとして聴くことに違和感があったのでしょうね。

宮本:そうだと思います。「0.7」からの楽曲をライブでよくやるんですけど、アルバムとして聴くと不思議な感じですね。

「今日レーベルに入れてくださいって言いに行くよ」って

―それから2013年、the pillowsの山中さわおさんのレーベル移籍でしたが、「0.7」でのこの経験があったからですか?

宮本:元々は、大阪のラジオ番組のパーティーをそのラジオ局でやってて、「もぐる。」を出したときに潜り込んで(笑)。そのパーソナリティーの土井さんが「さわおさんを紹介してやる」って言ってくれて。ごった返した中、一瞬だったんですけど、CD渡して3秒ぐらい挨拶したのが初めてですね。それを聴いて下さったみたいで、さわおさんのラジオ番組でかけてくれたことを人伝に聞いてて、「好きになってくれたんだな」っていうのがあって。

—ガッツリした絡みというより、むしろ挨拶程度だったんですね。

宮本:そうです。それから2年くらい経ったときに、さわおさんがプロデュースしてるカミナリグモと、東京で対バンすることになって。プロデュースしてることは知らない状態で、さわおさんが楽屋とかに来てたんで、びっくりしまたけど(笑)。そのときにライブを観てくれて、一緒に飲んだり連絡先を交換して。ピロウズが札幌に来るときは観に行かせてもらって。そういうときに、僕らも当時のレーベルからCDが出せなくなって、次は「好いてくれている人のところから、出せたらいいな」というのがあって。それでお願いしたらサクッと決まったんです。

—結構あっさりしてますね。また「0.7」云々ではなく、単純に作品を発表する場を模索された中での移籍だったんですね。

宮本:僕は「今日レーベルに入れてくださいって言いに行くよ」ってメンバーに言ってから行ったんですよ。タイミングを計って僕が言ったんですけど、こいつらが何も喋んないんですよね(笑)。即答だったよね?

野口:記憶にない。しゃぶしゃぶ食べてた(笑)。

宮本:結局、君らは横でへいへい言ってるだけで(笑)。僕は全然喋る方じゃないんですけど、喋ってて大変だったな。さわおさんのところに行ったら、さわおさんの同級生とか来始めて「邪魔くさいなぁ」と思いながら(笑)。

—緊張を他所に(笑)。

宮本:割とウエルカムみたいな感じだったので、まだ良かったですけど。そのときに「入るんだったら東京に来ないと、自分が行ったり出来ないから」とさわおさんが言ってくれて、東京に行くことになったんですね。

—そういう経緯だったんですね。不思議だなぁと思うことがありまして、初めてCDを出したタイミングやメジャーデビューの際など、それまでにも東京に行くタイミングってあったと思うのですが?

ブチョー:確か、「シュリスペイロフ」出す辺りで1回あったんですよ。

宮本:俺はなかったよ。

ブチョー:あれ、なかったっけ?

野口:ブチョーは行きたくないっていうのはあったけど。バンドとして行こうっていう感じじゃなかったよ。

ブチョー:いや、周りのスタッフさんからも「敢えて東京に行かなくても、札幌でも出来るから」って言われてて。「もぐる。」のときも同じ流れですね。

楽しいことがありそうな感じ

―活動拠点にこだわらずとも作品リリースやライブが出来る環境があったということですよね。

宮本:それでなんとなく、流れていった感じだよね。

野口:そんなに詰めて考えてなかったんじゃない?

宮本:あとは「北海道」っていう個性みたいなものが失くなるのが怖かったですね。

—よく言われるのが、作品への影響ですよね。

宮本:それも聞きました。「東京に出たら変わるよー」って。当時、Galileo Galileiが東京行って、すぐ帰ってきてたりしたんですよ。
そういうの聞くと怯えてました。

—それでもさわおさんからの呼びかけに応えられたのは、そのネガティブな情報を超えるものがあったからですよね?

野口:俺は行きたいと思ってたから。

宮本:野口くんは前から言ってましたね。僕は揺れてて。ブチョーは行けるとは思わなかった?

ブチョー:そうだね。

野口:一番サポート歴長いのに。

ブチョー:メンバーじゃないの?じゃ呼ぶなよ(笑)。

宮本:あと親に反対されてたでしょ?

ブチョー:違う違う。「0.7」出すくらいで、みんなと真剣にそういう話があって。僕はそこで行ける道があれば行こうって固まってたんで、良い話がもらえたからですね。

宮本:何より、楽しいことがありそうな感じがありましたね。さわおさんのレーベルに入るとか、今のスタッフの人もウエルカムで嬉しかったし。さわおさんからも、「そんなに怖いとこじゃないよー」的な(笑)。

野口:さわおさんが一番怖い(笑)。

―「turtle」では、さわおさんのプロデューサーとしての参加があり、これまでと制作面での変化は必然的にあったと思うのですが?

宮本:それまで、プロデュースとういうものは経験がなくて、どんな感じで関わってくるかがわからなかったんです。実際やってみると、僕たちの良さが活きるようにしてくれたので、やりやすかったですね。さわおさんの中で既にあったと思うんですけど、言葉を選んで指示をしてくれたり、口を出さない方がいい場面での線引きが良かったり。大きくは、ギターの音とか、理論的なところ、あとは細かいアレンジくらいで、自分たちが思ってたところからは変わらない感じでしたね。

—バンドのやりたいイメージへ導いてくれる役割を担ってくれていたと?

宮本:そうですね。あとは放っとくからね。夕方くらいになると、さわおさんがお酒飲み始める(笑)。

楽しいことと、バンドっぽいことをやりたい

―(笑)。アルバムの全体像・方向性のようなものは作詞・作曲される宮本さんから野口さん・ブチョーさんに指示されるのですか?

宮本:殆んどなくて。「こうしよう」って言うのではなくて、普段の会話で何気なく話していたことが、アルバムのスタンスというよりバンドのスタンスとして、共通認識になったと思います。「0.7」を録り終わった頃に、3人で夜の公園で喋ってたんですけど、野口が「楽しいことと、バンドっぽいことをやりたい」というのを言ってて。「turtle」を作り始めた頃に「こういうことかな」っていう感触は見えていたから、今回は一人一人の演奏の表情や、出てくるフレーズをそのまま出すことで、バンド感を打ち出せたし、楽しんでやることに繋がったと思います。

―前作との対比ではないですが、楽曲のバラエティ・世界観の広がりが見られる作品となっている印象を受けましたが、制作中にそういった芽生えはあったんですか?

宮本:「0.7」の経験であった「歌詞がかけない・時間が足りない・焦ってる感じ」を踏まえて、上手く肩の力を抜くことが出来て。さわおさんからも「アルバム全体を見据えて、楽曲の役割を考えた方がいい」って話をされてて、だんだん実感してそれを活かせてる感じですね。

—確かに歌詞については、日常の情景がすぐに飛び込んでくるリリックが「turtle」の時点で既に見られていましたが、空中・宇宙・地球という規模感が大きい言葉でさえ、隣合わせの日常(その周辺)に出来てしまう世界が広がっているのは、自然体で臨んだからなのですね。

宮本:歌詞に関してはもうちょっと昔だったら、着飾った言葉を書こうとしたと思うんです。昔は離れたところにあった”ミュージシャンをしてる自分”と”制作してる自分”が今は一致してきてる。恥ずかしくて言わなかった言葉や、未熟だったりして省いてた言葉も、全て自分の言葉として思えるようになったことが大きいですね。

―それがより身近に感じさせ、共感を生む言葉になったんですね。

宮本:昔はボキャブラリーを増やさないといけないと思ってたし、難しい言葉を使って賢く見られようとかしてました(笑)。今は増やさなくても、普段使ってる言葉でリアリティがあるし、その方が聴いてくれる人も共感がしやすいかなというのはありますね。

―演奏面でも、冒頭でお話いただいた “バンド感や楽しんでやること”を実現できたのは大きいですよね。

野口:今、リッケンバッカーを使ってるんですけど、買った当初は全然使いこなせなくて。ようやく最近、音の出し方がわかってきて単純にベースを弾いてて楽しい。その部分がこのアルバムで出せました。

ブチョー:このアルバムに関しては、それぞれの曲に寄り添って演奏が出来て。いつも目立ちたいフレーズを出したいっていう欲求があったんですけど、最近は失くなってきて、ドラムとして目立ち過ぎないようにとか、邪魔しないようにとか。

野口:目立てよ(笑)。

ブチョー:「ドラムって目立つ楽器じゃない」って最近気付いてさ。

宮本:他の楽器を活かすようなアレンジをしたってことだね。

—「その周辺」に収められた全10曲ですが、これまでにないアプローチの楽曲もあり、”表情が見える”という言葉がまさに当てはまる、バラエティに富んだ楽曲群となっていますね。

ブチョー:「空中庭園」は今までになかった曲ですね。

宮本:「その周辺」もかな。そんなに深く考えずに作ったんですけど、「アルバムのブリッジになるような曲が欲しいな」と思ってたんですよね。

—アルバム・タイトル曲ということもありますが、この曲の効力は大きいですね。

宮本:曲のタイトル自体は、アルバムのタイトルが決まってから付けたんです。最初のコンセプトは、札幌から東京に出てくるときの曲で。自宅から車に乗って、バスに乗って空港に行って、飛行機に乗って電車に乗って、ライブハウスに行くまでを録音してみようと思って作ったんです。実際に、東京の電車の音とか、自宅近くのスーパーや本屋を混ぜてるんですけど、既に東京に住んで2年も経つので…

—しっくり来てなかった?

宮本:そのとき、「その周辺」という言葉が出てきて。あの曲自体「東京、その周辺」って歌ってるじゃないですか?その周辺をつけたとたんに、アルバムのイメージが広がったというか。

—結果、アルバムを象徴する楽曲となったと。

宮本:そうですね。

 

すげぇ良いアルバム作った気がしてきた(笑)

野口:いつも「オススメの曲は?」って聞かれるんですけど、毎回「全部です」って答えるんですよね。

—実際そうであるべきだとも思います。特に今回のアルバムは最初から最後まで聴いて、楽曲1つ1つも勿論ですが、アルバムとしての表情が強い分、切り出し辛い部分がありますよね。

宮本:僕も録り終わったときに「最初から最後まで聴きやすいアルバムだな」って思いました。

野口:それぞれの曲の方向性が違いすぎるわけでもなく、同じでもない。統一感がないようである。アルバムとして良いと思ってますね。

—パズルのピースのように、どれか欠けていれば完成しなかったでしょうし、表情が違う曲同士がどれも揃っていてこそのアルバムですし、切り出せないんですよね。

宮本:ジム・オルークの「ユリイカ」が好きなんですけど、あれって切り出せない感じだったなあと今思い出した。なんか、すげぇ良いアルバム作った気がしてきた(笑)。

―(笑)。今回のジャケットもオススメしたい部分の一つなのですが、解説いただけますか?

宮本:そんなに意味なく書いたんですけど、僕ら4人がいて、新たな街に来てっていう意味で。東京をイメージして書いたんですけど、山を書いてしまったら、東京にはならなくて。建物も田舎臭い感じで、タワーも書いてみたけど、やっぱ東京じゃなかった。それも逆に気に入ってるんですけどね。

—東京での生活が2年経過しているものの、北海道での時間が長いわけですから、リアルの描写ではなく、その両方のイメージがこのイラストに現れているんでしょうね。で、その描写こそがバンドにとってのリアルでしょうし。

宮本:なるほど、混ざったのかも。知らないところだけど、良さそうな街みたいなね。
聴いてる人にも当てはまるようにしたかったから、そういうイメージで描いてましたね。

―これからインストアイベント・イベント出演・ツアーとまさにファンの周辺へと出向くこととなりますが、これまでの楽曲と「その周辺」での楽曲が、どういったコントラストを見せるのかが楽しみですね。

宮本:このアルバム自体が僕らの今って感じがするんで、それに肉付けしていくセットリストだよね。最近になって、ライブも自分たちの空気に色濃く出来るようになってる気がするんです。お客さんにタメ口をきけるようになったし(笑)。しかも、ツアーですし、その距離感が近くなっていくかと。「ルール」はライブを意識して作ったんですけど、セットリスト的にも良いグラデーションになるかなと思います。今までのライブとは違う世界が楽しみだな。

—まずは「その周辺」を聴いていただいて、ですね。

宮本:聴いた人それぞれの住んでるところとか、住んでたところとかイメージしやすいようなアルバムになっていると思うので、生活が楽しくなるようなアルバムです。「働きたくない」とかで言えば馴染むと思うし(笑)。自由さがあると思うので、生活と並走して聴けると思うので、楽しんでもらえたらと思います。

ブチョー:シュリスペイロフの中ではポップなアルバムになってるし、聴き込んでというよりは、生活しながら聴くのが楽しいアルバムになってるので、色んな場面に溶け込ませて欲しいなと思います。

野口:シュリスペイロフなので明るくはないんですけど、割とポジティブになれるアルバムだと思うので、「働きたくない」って字面だけ見て、誤解せずに全部聴いてください。

一同:(笑)。


取材:2015.05.07
インタビュー・テキスト:Atsushi Tsuji(辻 敦志) @classic0330
photo:Hiromi Morimoto

リリース情報

2015年5月20日(水)発売

NEW ALBUM『その周辺』 BUMP-045/¥2,500-(tax in)

【インストアイベント】

■2015年5月20日(水)19:00〜
TSUTAYA 三軒茶屋店 イベントスペース
〜Vo.宮本が働くTSUTAYA三茶店で、発売日をお祝い!〜
■2015年5月27日(水)20:00〜
ヴィレッジヴァンガード 渋谷宇田川店 店内イベントスペース
〜生音!でトーク&弾き語り。本棚にぐるっと囲まれて〜
■2015年5月23日(土)16:00~
タワーレコード 梅田NU茶屋町店 店内イベントスペース
〜大阪の周辺 FM802「MIDNIGHT GARAGE」公開収録あります編〜
■2015年5月24日(日)17:00~
タワーレコード 名古屋パルコ店 パルコ西館1階イベントスペース
〜名古屋の周辺 一人で行きますのでよろしくお願いします編〜
■2015年6月3日(水)19:00~
タワーレコード 札幌ピヴォ店 店内イベントスペース
〜札幌の周辺 地元に帰ってきました編〜
■2015年6月5日(金)19:30〜
タワーレコード 池袋店 6F特設イベントスペース
〜東京の周辺 皆様からの質問にお答えします編〜

【ライブ情報】

シュリスペイロフ“その周辺”発売記念 『そちらの周辺ツアー』
■2015年7月2日(木)大阪・心斎橋 Pangea OPEN 18:30 / START 19:00
w/ 山中さわお、and more… 前売¥2,700-(ドリンク代別 / 税込) info. Pangea 06-4708-0061
■2015年7月3日(金)愛知・名古屋 APOLLO BASE OPEN 18:30 / START 19:00
w/ 山中さわお、Homecomings 前売¥2,700-(ドリンク代別 / 税込) info. ジェイルハウス 052-936-6041
■2015年7月5日(日)新潟・GOLDENPIGS BLACK STAGE OPEN 17:30 / START 18:00
w/ 山中さわお 前売¥2,700-(ドリンク代別 / 税込) info. GOLDENPIGS 025-201-9981
■2015年7月10日(金)東京・下北沢 CLUB Que OPEN 18:30 / START 19:00 ワンマン
前売¥2,800-(ドリンク代別 / 税込) info. CLUB Que 03-3412-9979
■2015年7月24日(金)北海道・札幌 Sound Lab mole OPEN 18:30 / START 19:00 ワンマン
前売¥2,500-(ドリンク代別 / 税込) info. Sound Lab Mole 011-207-5101

【アーティスト情報】

Web http://syurispeiloff.jp/
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