bird インタビュー

ー 幾度の挫折から英語に出会い、大学で入った「軽音楽部」で初めて触れる音楽の世界。PART.1では小学校~大学時代をお送りします。

ー子供の頃の記憶から紐解いていきたいのですが、小学校とか覚えてます?

小学校の時は普通(笑)外で遊んだりとか。どちらかといえば、活発だった方だと思いますね、ドッヂボール、縄跳び、鉄棒して。

ー勉強の方はどうですか?好きな科目とかありました?

勉強はねぇ…キライでしたね(笑)体を動かす方が好きだったので、小学校5年生~6年生とかはずっとバドミントンやってて、バドミントンクラブに入ってましたね。

ー試合にも出られたり?

そう、シングルとダブルスと。

ーじゃあ、勉強よりも断然スポーツですね。

勉強はイヤというか分かんなかったんで…プリントの宿題が出来ないと、補修とかやってた記憶がいっぱいありますね。居残りで算数やったりっていう…

ー勉強嫌いは中学校に入っても変わらず?

中学校は英語に特化した学校だったので、出だしは割と英語は好きだったんですけど、難しくなってきたらまた分かんなくなって(笑)バドミントンはそのまま中学1年生~2年生まで続けてましたね。

ー小学校高学年からその時点までそんなに変わっていないと?

そうですね、勉強は苦手意識の方が強かったですし、義務教育だから受けてるみたいな。

ーバドミントンに打ち込んでいた?

そうなんですけど、中学校3年生の時に躓くんですよね。

ーきっかけがあったんですか?例えば試合に勝てなくなってしまうとか。

精神的に強くないと、どれだけ技術があっても勝てないんですよね。弱ってる時に試合に出て「あーダメかな…」って思うと、どんどんダメになっちゃうし、どうやって精神的に強くなれば良いかわからずに好きでやってたんですけど、勝てなくなってくるとやる気も失って「向いてないかも」ってなって…

ーフェードアウトしていった?

はい。また、ちょうど同じ時期に家へ籠るようになっちゃって。家で本とかは読んでたんですけど、友達が少ない時期だったんです。殆ど孤立してるというか。例えば休み時間の10分をずっと本読んでるっていう…

ー完全に”壁”作ってますね。

学校にあんまり興味がなかったんで、「行きたくないけど行かなきゃいけない場所」って感じでした。休み時間もどうにかやり過ごさなきゃいけないから、本を読んでたんです。何人かそういう孤立した人は、クラスにいましたけどね(笑)

ー友達の輪みたいなのあるじゃないですか?そういうのに入ることなく?

集団に入れなかったんで「みんなで何かをする」っていうのが苦手でしたね。そうなると必然的に孤立しちゃって、お弁当の時間とかはその孤立した人ばっかりで集まって(笑)さすがに1人で食べるのはね…その人達と「どうにか頑張ろうぜ!」みたいな(笑)過ごし方をしてましたね。

ー集団行動が嫌いだったんでしょうね(笑)

やりたいときにやりたいし、人に合わせて「あなたがやってるから私も…」みたいな便乗がイヤで。女子ならではで、集団でトイレに行くとか。そんなに行きたくないし(笑)遠足とかも苦手で休んじゃったり。

ーあぁ、学園祭とかも?

休んじゃう。ギリギリの出席日数で進学するみたいな感じで、先生から「ちゃんと学校来て下さい」って言われてました。

ーバドミントンの挫折もあって、好きなことを失ってしまいましたが、読書の方にというわけでもない?

好きで読んでたわけじゃなかったから。時間をどう過ごすかのものでしかなかったし、休み時間に何かしてれば周りにアピール出来るじゃないですか。ボーッとしてるわけにもいかないし(笑)

ーすごく話しかけにくい人だったと思いますよ(笑)

うん。集団に入れないし、呼ばれたところでそこに飛び込んでいく勇気もなかったですから”ブロック”してたと思うんですよね。そうなると、どんどん友達も少なくなって。バドミントンやってる時は友達もいたんですけど、辞めちゃったから。気づいたら「あれ、やばい!少ないぞ!」って(笑)

ーそれって小さいコミュニティーの方が居心地が良かったとか?

いや、耐えてましたね。その時間が過ぎるのを…そういう生活の仕方だったんですよね。

ー高校生に入ってもそれは続いていくんですか?

ちょっと変わったんです。中学3年生の終わりくらいに、小学校からの友達が英会話を習ってたんですけど、「一緒に1回行ってみない?」って誘われて体験に行ったら、これが面白かったんですよ。あんな状態だったのに、英語って身振り手振りを使って表現するじゃないですか、「なんて開放的なんだ!」と思って。それから英語の世界に入るんです。それまで英語も難しくて苦手だなと思ってたのが、会話で繋がれるっていう面白さで好きになって、勉強も出来るようになるんですね。で、高校で英語研究会っていうクラブに入るんです。そこで、弁論大会ってあるんですけど応募してスピーチしたりとか。

ーちょっとどころか、180度変わりましたよね(笑)

それまではやりたいことがわからないし、バドミントンも辞めちゃって、もんもんとした時期があったんですけど、英語がやりたいっていう漠然としたものからスピーチで賞を頂いたり、上位になって海外に行ったりすることでアクティブになって行きましたね。

ー好きなものが見つかった時の行動ってポジティブですよね。

見つかったっていうのはすごく大きくて。特にそれまでと対極の世界が、私にとっては英語でした。日本語と違って、外に向かって発信する言語の解放感を感じてて。話せるようになるとコミュニケーションが増えるし、学校の勉強も出来るようになるし。

ー根本的な部分っていうのは、そこまで変わっていないと思うのですが”やりたいこと”っていう道標で突き動かされていると思うんですよね。

うん、小学生の時にスポーツが好きでバドミントンをしていたけど、中学生でそれを見失って。何かやりたいけどわからない時に英語に出会って。

ーここまでお伺いする中でまだ”音楽”のキーワードが出てこないですね(笑)結構、中学・高校からバンド始めて…みたいな方が多いと思うんですけど。

音楽は何にも興味がなかったので(笑)そのまま英語が好きだから、外国語の大学に行きたくて受けるんですけど、第1志望は落ちちゃうんですね。で、第2希望で受けた関西大学・社会学部のマスコミュニケーション学科に行くんです。当時、英語も受験勉強もしてっていう時に、関西人なのでお笑いが好きで漫才とか観に行ってたんですけど、「探偵ナイトスクープ」の越前屋俵太さんが大好きで。その方が社会学部のマスコミュニケーション学科の卒業だったので、それだけで受けたんです(笑)

ー出た!関西人の血(笑)

外国語大学か、未知の世界の大学かの軸で受けてたから(笑)

ーそして未知の大学へ入学と(笑)サークルには入りました?

いっぱい入ったんですよ。中学・高校と女子高だったんで、その反動でもっといろんな人達がたくさんいるところっていう軸もあって、関西大学にしたのもあったんです。新入生っていっぱい勧誘されるじゃないですか。で、入ったのが「軽音楽部」と「ジャグリング同好会」と友達に誘われた「ソフトボール部」のマネージャー。「お茶です」って渡したり(笑)玉拾いしたり。

ー多様なのとマネージャーは意外です(笑)やっと音楽が出てきたところで、「軽音楽部」では最初から歌だったんですか?

楽器が出来ないんで歌です。何もいらないし(笑)って軽く考えてたんですけど。

ー先程から話に出て来ませんでしたが、元々歌うのは好きでした?

全然興味が無かったので…入部しようと思ったのも、音楽を知らなくても友達がたくさん出来るからって言われてだったので。すごい大きいサークルで、観光バス3台くらいで合宿に行っちゃうくらい。

ーそもそもの目的が音楽ではなかったんですね。

はい、歌謡曲とかは知ってましたけど。それこそ中学生くらいの時に、他の子と話を合わせる為に「光GENJI」のアルバムを買ったのが始めてでしたし。○○くんと○○くんが…って分からないと話せなかったんで(笑)

ーとなると、実際に入部されて音楽を演奏する側面と、音楽を聴く側面とあったと思いますが、好きになれたんですか?

最初は新入生歓迎会みたいなところでお話をして、新入生同士でバンドを作ることから始めたのと、先輩がやってるバンドのコーラスで入って、勉強したりとかだったのでまだ”歌が好き・嫌い”というよりは、コミュニケーションの1つっていう位置づけですよね。しかも、本命は「ジャグリング同好会」だったし。

ーあれ、「軽音楽部」じゃないんですか?

「ジャグリング同好会」は入った時点で私を入れて3人しかいなくって、上の方が卒業したら終わったんですよね(笑)

ー切ない(笑)

切ないですよね。大きいサークルだったら「ジャグリング同好会」を軸にしていたかもしれないですね。「中国雑技団」の技とか好きで、観たりするのも好きだったんですよ。

ーせっかく好きだったのに、必然的に終わってしまったんですね…

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