TOSHI-LOW(BRAHMAN)インタビュー

ーTOSHI-LOWさんが子供の頃のお話から聞かせて下さい。

このインタビューって全部聞いていくの?かいつまんでいかない?

ーわかりました、小学生の頃のエピソードとして記憶に残っていることはありますか?

印象に深く残ってるのは、学校の帰り道とか1人が多かったかな。勿論、適度に友達の家に遊びに行ったり、球技もしてたけど。

ー1人が多かったのは、TOSHI-LOWさん自身が望まれてでしょうか?

何かね、孤独感があるというか…学校生活に馴染めていなかった。別にいじめられていたわけじゃないから、周りから見たら普通だけどね。ただ心の中では、自分だけふんわり浮いてる感覚だった。

ー例えば、休み時間に遊ぶことが楽しめないとか?

そういう子供っぽく”楽しい”って思うことが少なかった。どっかに虚無感があって「人はいずれ死ぬんだ」とか「地球は太陽が膨張して、全てがなくなるんだ」とか(笑)そういうのを気がついたら考えてた。

ー普段、なかなか考えないことですね。それは中学生になっても変わらないのでしょうか?

中学生になってくるとさ、もう他の悪いことで忙しくなってくるから。

ー(笑)

それ以外にもオレ、4~5歳からずっと水泳やってたから。県大会(茨城県)でいえば上位で関東大会に出れるレベルだったから、自分を表現することとして重要だったよ。

ーすごい!種目は何ですか?

長距離のフリー(自由形)。

ー実は僕もずっと水泳やっていたので…

どこでやってたの?早かった?

ー背泳ぎだったんですけど、富山県で北信越大会を目指すっていう、TOSHI-LOWさんが関東大会出られたのと同じ感じですが早くなかったです…先程、”1人”というキーワードがありましたが中学生になって交友が広がりましたか?

いや、自分の街だから変わらないよ。高校になってから街をまたいで通学することになるのもあって、新しい友達が出来るんだけど、それは学校で出来るんじゃなくて音楽を媒介にした不良が集まる場所。水戸に「LIGHT HOUSE」っていうライブハウスがあるんだけど、そこがライブハウスになる前のスタジオの時で、集まっていた他の高校の同級生とか、昼間ドロップアウトして学校を抜けて来ちゃうようなヤツらだね。

ーバンドマンだったり、暴走族だったり?

そう。その中で敵対もするし、仲良くもなるし。初めはみんな知らないけど、誰かの友達だったりしていく。オレらみたいに金髪のバンドマンだと目立つし「誰だ?」ってなってモメたりもしてたけど、高2とか高3になるとそいつらがライブに来たりね。

ースタジオが交流の場になっていたんですね。

バンドで借りたスタジオに50~60人呼んでライブを演ったんだけど、オーナーに怒られて。でも、それを観たオーナーが”これは行けんじゃない?”って思ってライブハウスになった…

オレさ、今このインタビューあんま面白くないんだけど。何か知ってる内容を質問されてる気がするんだよね。そういうのさ、他所のインタビュー記事見れば良いしさ。当てはめて答えていくの苦痛なんだよね。

ーすみませんでした。僕が率直にお伺いしたいことに変えて、仕切り直させて下さい。

仕切り直し!

ーでは改めて宜しくお願い致します!TOSHI-LOWさんに今回のインタビューでお伺いしたかったことの大前提として、ライブパフォーマンス以外でのTOSHI-LOWさんの言葉や活動を見られる機会が、とても増えたと思っています。これらは元々持っていたものを発せられているのか、それとも何かのきかっけから発せられているのか?

元々持ってるものだと思うよ。ただ、たまたま見せてる角度が違うだけであって、自分もその見せ方が増えたり減ったりするけど。ないものは出ないし、あるものは隠せないから、今こういうバランスになっているんだと思う。で、震災後の活動を見て、勿論「偽善者」とか「売名」っていう人もいるだろうけど…偽善なんて言葉が勿体ないくらい、オレ「悪人」だから。

ーいやいや、そこまで…

別に謙遜しているわけじゃなくて、自分が「悪」で良いと思ってる。自分の中にそういう部分がメチャメチャあって。音楽誌では言えない様な話…人を傷つけたこともいくらでもあるし、今でも傷つけてると思う。たまたま、こんなクソみたいなヤツでも「これ位は出来るよ」っていうだけの話であって。例えば、困ってる人がいたら助けようっていう想いとかね。でも、360度どの方位にもそうかっつったら、そうは思わない。多分、オレは極端だから、若い時はバランスがあんま取れなくってさ。人の事でも涙が枯れるくらい悲しくなることもあれば、人から見れば同じ様なことでも全く心に響かないで無視することもある。それが「薄情だな」って思われることもあるだろうね。自分の中にすごい燃えたぎるような熱意もあるけども、すんごい冷淡なところもある。人を尊敬の眼差しで見ることや、人一倍人懐っこくなるとこもあれば、すごく人をクールに見てることもあるし、見下してるようなこともある。それは、どちらかに偏ってれば楽だったからライブで言葉を発さないでいた。そうすると、悪く見られるというか…勘違いされるじゃない?その答えは人それぞれじゃん?暴れるだけ暴れて帰ったとして、それを「表現」と見てくれる人もいれば、「なんだあいつらは」って人もいると思う。ライブを見てる人が、良いも悪いも何の情報もなしに評価すればって。そうやって、バランスが取れてたんだと。

ーどう捉えられても”TOSHI-LOW”であることに変わりはないと?

それを人間っぽいっつったらいいのかな…震災後、みなさんが思ってるような「結構喋れるんだな」とか「あ、こういう面もあるんだな」とか、その全く逆側の部分もあるわけだよね。だからって、オレが変わったのかっつったら、実は全く変わったわけではなくて。月の映り方と一緒で、光の当たり方によっては満月に見える時もあれば、三日月みたいに見える時もあるし、真っ暗にもなる。昼間も月はあるけど見えないわけじゃん?そういうモノだと思ってる。で、基本的にオレは太陽みたいな人間じゃないと思ってて、どっちかっつったら種類的には月の方だと思ってる。だから、取材してもらうことも、偉そうに社会的に言うところが取り上げられるのも嬉しいけど、同時にそれがすごく違和感もある。何故かといったら、そんな人間じゃない。偉くもないし、オレの心はもっと荒んでるし、真っ黒な部分もいっぱいある。人一倍ピュアなところだって、何パーセントかはある。その部分ばっかり照らされれば、そう見られたり考えられたりする。でも、オレの中ではそうじゃないから。

ーTOSHI-LOWさんが思うことや考え方が変わってない中、これまでと違う照らし方によって、私達が知らなかった面が仮に光の部分だったとすれば、TOSHI-LOWさんは「悪」と表現されましたけど、これまで私達は影の部分を知っていたことになりますね。その上でライブという表現の中では、その光と影という部分自体を超越されていると感じるのですが?

それは「明日はない」と思ってるから。明日があるなんて思ってなくて…明日生きてるかどうかなんて、全然分かんないじゃん?って言っても「でもオマエ生きてるよ、オマエみたいなヤツは」って笑われてたのが、2011年3月11日からみんな笑わなくなった。自分が思ってもみなかったこと、まさかこんなことが起きるなんてっていうことをみんな「うわっ」て感じたわけじゃん。津波・地震・原発事故…でもオレは「ほら、言った通りだ」とかは思ってないんだよ。そうじゃなくて、何れそういうことが起こる可能性があると思っていたから。スゲェなとは思ったし、ヒデェなとも思った。でも、心の底からびっくりしたかっつったら、正直に言えばそうではない。

ーそれは、現地に行かれて?

勿論。オレが見たことない光景だったけど、それを見てて「非現実的な世界だ」みたいな感じには全く思わなかったっつうか…逆にそこにはリアルがあったし、これも人生の一片であるなっていうことをすごく感じたから。やっぱ自分が、心のどこかで思っていたことの方が正しかったんだなっていう認識の方がデカかったっつぅ…子供の時の話に戻るけど、「北斗の拳」の初期とか、さいとうたかおの「サバイバル」とかで、核戦争とか地震が起きて1人だけ島に残されたらどうしようって、本気で読んでたから。そん時どうやって、熊を倒すんだろう?って勝手に武器作ったりして(笑)それがすごいあるんだよね、心の中にずーっとある。

ー例えば、僕らが生きていて必ず向かう方向で「死」というものがあるとするならば、そのタイミングは明日かもしれないということを、子供の時からTOSHI-LOWさんは向き合っていたんですね。

そう、なんで子供のときに自分が浮いてたかっていうのがまさしくそれで。子供の時って、未来について「将来何になりたい?」とか聞かれるじゃん。それがすごい嘘臭く感じてて。何故なら子供でも死ぬじゃん?事故にあったり、犯罪に巻き込まれてかもしれない。なのに何故、将来何になりたいかとかどうやって幸せになるかとか話さなきゃいけないんだろうっていう苦痛。
将来何になるかよりは今、水泳で勝ちたいって思うタイプだったから。一応便宜上、書かなきゃなんねーからオリンピック行けたらいいとか言った気はするんだよね。でもそういうの書きながら、心のどっかで「ケッ!」て思ってた。すげぇ可愛くない子供だなと(笑)

ー扱いづらかったかもしれないですね(笑)

だから、親や友達と喧嘩して「死ね!」「死んでやるー!」とか、子供だからそういうことを平気言うじゃん。そうすると、言ってしまったことにすごい慌てる自分がいて。何故なら、死ぬって分かってるから「オレが死ねって言って、死んだらどうしよう」と思って。「この人を殺さないで下さい!神様!」って言ってもう1回、頼み直すみたいなことがすごい多かったな。

ーTOSHI-LOWさん程、「死」へのリアリティを感じられている人が少なくて、周りと浮いていたと感じられていたんですね。またそこへの恐怖感の中で、自分が生きていることを実感されていたのではないでしょうか?

うん、まあ子供の時は「いなくなってしまう」っつうことが恐怖であったりするんだろうけどね。
人から見たらバカらしいんだろうけど、オレみたいなタイプだとずっとね、大人になっても何があるわけじゃないのに「死」っつうものはいつも横にあるから。そうすると麻痺してくるというか…さっき言ったように、人生の欠片って言ったら最後なんだけど、「死」は特別なことじゃないから。例えば震災で言えば、見たことないあんなにでっかい被害っつうのがあって、悲惨であるとか尋常じゃないなとか思うけども、やっぱどっかではそれも自然の1個っつうかね…残酷だけど、地震や津波が来たときと同じように、浜辺に住んでるっつうことは、そういうことなんじゃねぇかなと思う。だからオレは海の町が逆に言えば好きだし、ちょっとトッポイ兄ちゃん達がいてオッサン達が喧嘩っ早くて、だけど人懐っこいあんな海の町の人達が、やっぱり好きなんだと思う。

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