ポール・マッカートニーはザ・ビートルズを解散させたのは自分だという「誤解」について「やっと乗り越えられたばかりだ」と語っている。
ポール・マッカートニーはサウスバンク・センターのロイヤル・フェスティバル・ホールで開催された『ザ・リリックス:1956トゥ・ザ・プレゼント(原題)』の出版イベントに出席して、「ポール・マッカートニーであること」の最大の誤解は何か?という観客からの質問を司会のサミラ・アーメッドからぶつけられている。
「最大の誤解はザ・ビートルズの最後でザ・ビートルズを解散させたのが僕だと言われたことだと思う。それを抱えて、かなりの間、暮らしてきたからね」とポール・マッカートニーは答えている。「ニュースの見出しは一度出たら消えないからね。あれは大きなものだった。やっと乗り越えられたばかりなんだ」
ザ・ビートルズはメンバー間の緊張が高まったことで解散は不可避になってしまったと見られている。ジョン・レノンは1969年9月にザ・ビートルズを脱退することを個人的に伝えていたが、その後ポール・マッカートニーはソロ・デビュー・アルバムの発表の際にもうザ・ビートルズとは仕事をしないとして、解散を世間に明かしている。
そうした経緯や一面的な事実があるにもかかわらず、ポール・マッカートニーは神話として語られることについては「放っておくしかない」とも語っている。
また、ポール・マッカートニーは「ポール・マッカートニーであることの代償は何か?」とも訊かれて次のように答えている。「プライバシーだね。それは諦めなきゃならないんだ。でも、ザ・ビートルズがどうなるか、分かった時に早めに決断したよね」
「ギリシャに休暇で行った時、誰も僕たちのことを知らなかったんだ。ちょうどイギリスで有名になり始めた頃だったんだ」と彼は語っている。「ホテルのバンドをよく観ていたんだけど、彼らが素晴らしくて、グルーピーのようにいろんなところに一緒に行ったんだ。ある夜、『僕もイギリスでグループにいるんだけど、ビッグになるよ』と言ったら『ああ、そうなの』という感じでね」
ポール・マッカートニーは次のように続けている。「説得できなかったんだ。それで思ったんだよ。『ここでは匿名でいられる。いつだってギリシャには来られるのはいいな』ってね。でも、ダメだったよ。1年後には知られていたからね」
「それで決断しなくちゃならなかったんだ。音楽を止めるか、名声と共に暮らしていくか?ってね。それで名声と共に暮らしていくことに決めた。対処の仕方を学ばなければならなかったよ。いまだに学んでいるところだよ」
11月2日に刊行された『ザ・リリックス:1956トゥ・ザ・プレゼント』は154曲の歌詞で、子どもの頃の曲やザ・ビートルズやウイングスの曲、長きにわたるソロ・キャリアの曲を通してポール・マッカートニーの人生を振り返るものとなっている。
また、『ザ・ビートルズ:ゲット・バック』は11月25日、11月26日、11月27日にそれぞれ2時間の長さの3部作のドキュメンタリーとして配信される。