T$UYO$HI(The BONEZ) インタビューvol.36

drug store cowboyとしてデビュー後、Pay money To my Pain、そしてThe BONEZと活動を続けるベーシストT$UYO$HI。数々の作品と唯一無二のライブを示し続けるT$UYO$HIの魅力をこれまでの歴史と共に迫ります。PART.3はPay money To my Pain 〜 The BONEZ まで。

ーシェルターでのJESSEソロ・ライブをきっかけに、JESSE AND THE BONEZとなっていくんですよね?

その日の打ち上げで「これからどうする?」ってなったときに、ZAXはJESSEに「P.T.Pが失くなっちゃったからって、一緒にやろうぜっていう気を俺達に遣わなくていいから」って言ったんだけど、JESSEから「もっと一緒にやりたい」みたいな話が出て「じゃあ、やろうか」って。

ーそれにT$UYO$HIさんも賛同されて?

もちろん、P.T.Pは自分にとって最後のバンドと思ってずっとやってきたし、まさかもう1回バンドをやるとは思ってはなかったけれども、やっぱり活動できる場所があるっていうのは、後ろ向きに考える時間も減るし、何か予定があるっていうのは俺にとってはすごい助かった。でも、その時点で「やろうよ」って言ったときは、JESSE AND THE BONEZを結成したという感じではないです。

ーサポートという定義の方が近い?

そうですね。JESSEのソロ活動の延長っていうノリでしかなかったですね。

ーそれはまだ”メインのバンド”と捉えてなかったからですか?

ですね。Kの葬式が終わって、少し経ってから曲を作ったんですよ。別にBONEZでやるとかそういう意図でもなく、ただただKへの気持ちを音楽にしたくて。そうしたらまず「Sun forever」の1番最後に出てくる、アコギのフレーズが出てきたんです。
それからギターとベースも弾いて、ドラムも全部打ち込んで、気持ちをまるまる形にしたんです。それこそ歌以外はアルバムに入ってるバージョンとほぼ同じです。
ある日、それをJESSEに聴かせたら「いいじゃん!」ってことになって、じゃあ俺も曲を作ろうかなって。それが「JESSEのソロ・プロジェクトでベースを弾く」って意識から、少し変わっていったことかな。

ー発表する云々とは関係なく、作った曲を何故JESSEに聴かせてみることになったんですか?

まぁ、アルバムを作るってなったときに「イッシーは曲とか作んないの?」みたいな話になったのかな。さらにJESSEが「こういう感じの曲やりたい」ってYouTubeで聴かせてもらったあとに、俺が家で「Color of Grey」をツルっと作って聴かせたら、これまた気に入ったみたいで。そこから”曲を作ろう”モードにスイッチが入った気がします。

ー音楽への欲求が、作曲という行為で解放されていくイメージですね。

P.T.Pのときは、あくまでメインコンポーザーはPABLOだったから、俺は2、3曲ぐらいしか曲を書いてないけども、P.T.Pの後半でBUCK-TICKのトリビュートの話があったときに「ラブレター」をカバーしたんですけど、1番ファンだった俺が選曲とアレンジをやったんです。
メンバーも「ツヨポン、ちょっとやってみてよ」って感じで。で、実際やってみたら「あれ?宅録楽しいなぁ」みたいな。割とそれが、今のBONEZで曲を作ることのきっかけにもなってますね。

ーそして「Sun forever」があったからこそ、「Astronaut」に繋がっていくんですね。

「JESSE AND THE BONEZ」はJESSEとZUZUで作ったものなんですけど、「Astronaut」の曲は半分ぐらい俺が作ったのかな?例えばRIZEはグルーヴのバンドだと思うんですけど、それに対して”もうちょっと歌を歌うJESSE”を表現したいっていうのが漠然とありましたね。
原点に立ち返るって言いますけど、俺が好きだった90年代〜00年代のオルタナ感を表現したくなったんですよね。

ーあくまでサポートとして入ってから、今のT$UYO$HIさんの話を伺っていると、もう前向きになっているというか。サポートに徹するのではなく”The BONEZというバンドをどうするか?”という思考に切り替わってると思えたのは、P.T.PではKだったように、JESSEというボーカリストに見出せたことがあったからですか?

新しいJESSEを見てみたくなったのはありますね。俺は幸いなことに、drug store cowboyでも「コイツ、面白いな」ってボーカルとやれたし、P.T.PでもKっていう最高のヤツとやれた。そこでタイプは違えど、カリスマ性・素晴らしい魅力を感じるボーカリストのJESSEと一緒に音が出せることになったのは、とても恵まれたことだし。Kからのギフトのような気もしました。

ー「JESSE AND THE BONEZ」から「The BONEZ」になることが、T$UYO$HIさんも含め必要なことだったんでしょうね。

ファンの子の中には、P.T.Pの活動がなくなって、すぐに新しい活動することを快く思わない人がいることもわかってたけど、そこでヘコむのは簡単っていうか。もちろんP.T.Pとは全く違うものなんだけど、また違う遊び場を提供したいって気持ちもあったし。まぁ単純に、最初は自分たちの為にやってたに過ぎないです。

ーそれをただの”遊ぶ場所”から、「The BONEZ」になることで”本気で遊ぶ場所”にしたという。

そうですね。そして「Astronaut」のレコーディングやライブをする過程で、ZUZUと活動のスピード感がズレてきちゃったというか。「このままじゃまずいぞ」って話をミーティングでしたときに、ZUZUの方から話があって。で、ギターをどうするかってときに、JESSEは言えなかった部分もあったと思うんだけど「NAKAはどうなのかな」って話を俺とZAXから出して。

ー元メンバーですからね。

そうそう。だけど、JESSEはもう何年も会ってないって言うんですよ。

ーT$UYO$HIさんも同じくですか?

何年だろう…。でもNAKAとは、俺がdrug store cowboyの活動を停止したあとに「dog day afternoon」っていうコピーバンドをやってて。そのギターがNAKAで、音を出したことがあったし、気心は知れてたんですよ。
ドラムは、当時ELLEGARDENの高橋宏貴、ギターがSCREAMING SOUL HILLの加藤昭彦とNAKA、ベースが俺で、ボーカルがなぜかPABLOっていう(笑)。2回目の活動がELLEGARDEN活動停止あとで、3回目が結局去年やったんですけど、P.T.P活動停止後というタイミングです(笑)。

ー(笑)。では、その3回目のときにも連絡は取られてたんですよね?

その時はNAKAも忙しくてコピバンはすぐに実現しなかったんだけど、コンタクトはしたんですよ。だからJESSEに「この前、たまたま別件で連絡取ったから、俺が連絡するよ」って言ったら「いや、そこは俺から」ってJESSEが電話したんだけど、全然出なくて(笑)。
それから「どうしてもNAKAじゃないと言えない話があるから、電話が欲しい」って留守電にも残したんだけど、一向に着信はなく…。でも、実はJESSEが掛けてた番号が違ってたというオチです(笑)。

ー危ない(笑)。

結局、正しい番号に掛けたら出て、戸越でご飯を食べることになったんです。最初ヴェローチェの前で待ち合わせしたんですけど、会うなりJESSEの娘のリリカがいきなりNAKAに「魔法の杖だ、えーい!」って木の棒をぶっ刺して(笑)。
それでNAKAは緊張がほぐれたらしいです。で、近くの百番っていう中華屋さんに行って、普通に他愛もない話をしてたんですけど、我慢のできないZAXは「実は一緒にやりたいねん」って突然言いだしちゃって(笑)。

ー(笑)。

「おい、待てよお前!」みたいな(笑)。そしたらNAKAは音楽性がどうじゃなくて「みんなと久々にご飯食べて楽しいなぁ。もう何年もエレキ・ギター弾いてなくて、家でアコギしか弾いてないから、ちゃんと弾けるかわかんないけど、こうやってみんなと居たいな。だから、俺やる」って、この4人でやりたいという感じでしたね。

ー人としての繋がりを感じる一方で、NAKAからエレキ・ギターを弾いていないという話を聞いたとき、不安はなかったんですか?

冗談で、「NAKA、エレキ弾いてないとか言ってたけど、シールドってどこに挿すんだっけ?とか言ったら笑っちゃうよね」って話はしましたね(笑)。それからNAKAが反応しそうな曲から送って(笑)。
後日、スタジオに入って違うタイプの3曲をNAKAと合わせたら、バッチリ弾けて「え?できるじゃん!」ってなって。それから、ZUZUが抜けてNAKAが入るタイミングで、JESSEのソロ・プロジェクトじゃなく、4人でThe BONEZとしてバンドになろうっていうことになったんです。

ーこれまでのT$UYO$HIさんでいえば、drug store cowboy、Pay money To my Painと自らが見つけてバンドが始まっていきましたけど、The BONEZは”メンバー全員が求めたバンド”という部分が大きいと思うんですよね。

確かに。それはデカイですね。結局、みんな心に穴ぼこが空いてたんですよ。色んな経験をして、失敗も苦い味も知った状態で集まったから。NAKAも何年振りかに会って、ものすごく大人になってたしね。
NAKAと初めて立ったリキッドルームでのライブで、ステージに出てびっくりしたのが、P.T.Pのときのような感覚をもう1回味わったんですよ。

ーそれはバンドとしてですか?

バンドのエネルギーが、客席に向かってドーンと出てる感じって言うのかな。ステージからそれが出てるのをライブ中に感じて。そういう感覚を持てるメンバーと、またバンドがやれるって本当に思わなかったから。

ーNAKAからすれば、久し振りのライブじゃないですか。それでもそのパワーが出せるということは、本当にThe BONEZに必要なピースだったということですよね。

ですね。「NAKAってこんなにカッコイイんだ!」って思った。RIZEのときはわりとクールな印象のギタリストというイメージがあったんだけど、すごい攻めるし、立ち姿もカッコ良くて。きっと色んなことを経験してきたんだろうなっていうのが滲み出てて、すごく驚いたことを覚えてるなぁ。

ーメンバー自身の感触も良かったんですね。

すごく良かった。ただ「The BONEZとしてバンドとなります」ってその日に発表したとき、まだP.T.Pの「gene」も発売されてなかったし、Zepp Tokyoも終わっていなかったから、ものすごく複雑でしたね。

ーファンからしてみれば、P.T.Pはただ止まったままの状態ですしね。

実は「Astronaut」って、最初は発売予定日が違って、「gene」と同じ日に発売する予定だったんですよ。それはThe BONEZメンバーの意向というよりは、レーベルの宣伝的に考えればなんだけど。
それに俺はすごくモヤモヤしていて。確かに店頭に一緒にCDが並んでれば、そこでThe BONEZの存在を知って、CDを買う人もいるかもしれないけど「なんだかなぁ…」っていう。

ーまた、ファンにも拒絶反応を起こされちゃうというか。

そうそう。自分がファン目線に立ったときに、俺はイヤだなって思ったんですよ。それで「やっぱり一緒に発売するのをやめたいです」って土壇場でドーン!ってそれまでのプランを白紙にしてもらって、年明けすぐに「Thread & Needle」のMVを出して、アルバムはその後にリリースってスケジュールにしてもらいました。

ー混乱させない順序を示しすことで、救われたファンも多かったと思いますね。

順番をちゃんとしたかったし、hideさんはX JAPANが解散した次の日に、「hide with Spread Beaver」の発表を新聞で告知したでしょ。そういう落ち込む隙を与えずに、進めたかったのもある。
バンドの発表が先になって困惑させちゃったけれども、「gene」のリリース、Zepp Tokyoで真っ白になって。それからThe BONEZとして「Thread & Needle」の流れは良かったと思う。驚いたんだけど、あのビデオって、お台場近辺にあるビルの屋上で撮影したんです。よく見ると、P.T.Pとして最後にライブした辺りが後ろに映ってるんです。
「もう1度、スタートして上に登っていこう」っていう表現が、偶然ですけど出来たなって思いましたね。

ー今のお話からも、T$UYO$HIさんは常にファンのことを考えていらっしゃいましたが、「gene」の発表、Zepp Tokyoでの「From here to somewhere」は、自分たちの踏ん切りではなく、あくまでファンの為に行ったと言えますね。

メンバーとスタッフで集まったときに、アルバムについて、残りの曲への議論はあったけど、Kが既に歌ってある曲もあったから、世に出すことはすぐに決まって。
ただライブについては、メンバーで意見が分かれて、とても揉めました。例えば東京1本だと来れない人もいるから、キャンセルしたツアーの場所に行くべきなんじゃないかとか、演奏をしなくても映像を流して、せめて挨拶だけでも行くべきなのかとかね。

ー結果、Zepp Tokyoでの1本をライブ配信することで、可能な限り観せることが出来た。

Zepp Tokyoはいつかやってみたい場所だったし、たまたまイベンターの人がKが命日の空きを持ってたんですよ。「それ、その日にやれってことじゃない?」って。結果としてライブはやって良かったし、必要だったなって思う。
例えば、俺はアイツのお通夜やお葬式に行ったり、そういう現実を実感をする場所をちゃんと経てる。だけど、ファンの人はtwitterとかHPでKが亡くなったことを知らされただけで。まぁ、献花式はあったにしても、時が止まったままで夢か現実かわからない状態じゃないかなぁって思ったんですね。「Kはいないから、もう新曲は聴けない、P.T.Pのライブはもう観れない」ってことをみんなで実感する場所だったし、心に穴が空いている人が集まれる場所が必要だった。

ーそして、その直後にAstro Tour 2014へ突入したのが、まだ去年という…。

もう、時間のスピードがめちゃくちゃ速くてよくわからない…(笑)。NAKAが入ってからのThe BONEZもそうだし、「Place of Fire」がそのツアーのあとですからね。「Place of Fire」が完成したときは「あらゆる要素が入っていて、絶対フェスとかで盛り上がるべ!」って思ってたけど、配信でしか出してなかったからか、お客さんの反応は「あれっ?」て感じだったんですよ。ワンマンをやったり、アルバムに収録されてから、ようやく盛り上がるようになったって感じがする。

ーうまく浸透してなかった?

タイムラグがすごくありましたね。それが去年の夏フェスシーズン。P.T.Pの活動もないし、もうフェスに出れないと思ってたけど、The BONEZとして出れることが嬉しかったと同時に、すごく悔しかった。

ー先ほどの”浸透”ですか?

それもあるし、P.T.P時代から一緒にやってきた他のバンドたちが、良い時間帯や大きいステージでやってるのが悔しくて。そこで俺がThe BONEZで出来ることを考えたら”カッコイイ曲を作る”ってことに行き着いて。「曲を作って、すごいライブをやって、ギャフンと言わせるしかないぞ!」ってなった。個人的にすごく思い入れがあるサマソニも、初めて誰も観ずにすぐに帰って、曲を作ってましたね。

ーもうT$UYO$HIさんの中でやれることが明確になっているから、悔しいという表現をされましたけど、The BONEZをもっと動かしていきたいという気持ちの表れですよね。その作曲にあたり、他のメンバーの得意とする部分や、映える部分は考えられるんですか?

もちろん。それは経験談でもあるし、例えばdrug store cowboyの後半は、俺がもっとヘヴィな曲をやりたいと思ってたんだけど、有原がボーカルとしてやるバンドだったら、やっぱりポップな曲の方が映えるわけですよ。結局は、やりたいことを無理矢理やるより、そのメンバーでやれることをしないと意味がないと学んだから。
で、その頃に最初に出来たのが「Ray」。ZAXが叩いて、NAKAが弾いて、JESSEが歌ってる姿をイメージして作ったっていうのがすごくある。「こういうフレーズのドラムの曲を作りたい」っていうんじゃなくて「こういうドラムを叩かせたら、ZAXの良さが出るはずだ!!」っていう曲を作るみたいなね。

ーステージで演奏しているシーンを想像しながら、作っていくことで生まれていったんですね。

特に「Ray」は、みんながイキイキしてる姿を想像しました。あとは、The BONEZでJESSEが歌ってるのを俺自身も見てみたくて「どうだ!JESSEはこういうことも出来るんだぜ!」っていうのを世に見せたいって想いがあった。

ーきっと他のメンバーも、その新しい一面を見たいと思っているでしょうし、この4人なら具現化出来きて、何よりも楽しんでいるんだろうなと伝わってきます。それこそ、The BONEZが日常化しているからというか。

そうですね。そういう意味ではバンドのTシャツとかも力を入れてて。P.T.Pのときも、グッズとかは自分たちでやってたんですけど、バンドを表現するものとしてすごく重要視しています。The BONEZという1つのブランド・カルチャーとしてありたいから、デザインとかも日頃から色々チェックしたり考えてるかな。

ーアイデンティティーとして、捉えてもらえるものでもありますよね。例えばライブ以外でもバンドTシャツを着てるとか。

そう。ライブの記念に買ったけど、家に帰って冷静に見てみたら「なんか微妙だなこれ?」っていうのが俺はイヤで(笑)。普段から着れるTシャツを作りたい。
「カッコイイね、それどこのなの?」「あ、The BONEZっていうバンドのTシャツなんだ。」みたいにしたい。

ーそれこそ、T$UYO$HIさん自身が、ストリートで体現したことですし。

そうですね。The BONEZのことを信じてついて来てくれてるBONER(The BONEZのファンのこと)が、バンドとか興味ない友達に「何そのTシャツ…ダサいね」なんて言われるようなことをしたくないですからね。
「音もカッコイイけど、そのバンドのTシャツもカッコイイ」ってのがやっぱ良いし、そうありたいですね。

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