冨田ラボ インタビュー

ー”冨田ラボ”という名前でソロプロジェクトを始められた部分についてお伺いさせて下さい。

それがね、あんまり感動的な話もなくて(笑)まず制作した楽曲で、いろんなゲストを迎えてやりたいというフォーマットを最初に思っていて。いわゆる、ソロ活動をやるにあたって、形式としてこのフォーマットが良いと。当然、レコード会社やスタッフと話してる中で「名前があった方が良いよね」ってなってたんですけど、内容を作る方に集中してるので放っておいてたんです(笑)で、告知とかもあるので半分くらいできたときに「名前どうします?」って聞いてくるわけです。「何も考えてないなぁ」って話してて、そのときのスタッフが「”冨田製作所”とかおもしろくないですか?」って言うんだけど「ン~、割りと斜めからいった感じだなぁ」とか思って(笑)製作する程、量産しないしそれだったら研究所の方が合ってるなって。”ラボ”の方があんまり斜め目線っぽくないし、漢字とカタカナの感じが気に入って冨田ラボにしたんです。

ー確かに”ファクトリー”よりは”ラボラトリー”ですね!

それはないなっていうところから始まったんですけど(笑)結果、今の活動も表している名前に落ち着いて良かったですね。

ーそして命名された冨田ラボとして制作された「Shipbuilding」についてですが、フォーマットを決められていたとはいえ、ゲストボーカルを迎え入れるにあたっての部分を教えて下さい。

先程から話していたことと、今の質問を聞いて思ったのは、僕が掲げた”理想”というのは全部「Shipbuilding」のときにやってしまったことなんだなって。何故かと言うと、ソロを作ろうと思ってゲストボーカリストを全く決めずに、曲だけ先に書いたんですよね。

ーアレンジの詳細まで作りこまないを実践されたんですね。

そうそう。リズムとハーモニーとメロディーだけの状態で、僕の仮歌・ピアノ・ドラム・ベースっていう。全収録曲の1曲を除き、毎日1曲作ろうっていう意識で1週間で作りました。そのときはここ(Tomita Lab Studio)が出来る前なので、自宅から500メートルくらいのマンションに作業場があったんですけど、朝行って出来上がるまで帰らないっていう。

ーそれから楽曲に対して、誰のボーカルが合うのかっていう作業に入るわけですね。

まぁ、どういった人が入れば良いかっていうのは漠然とはありましたけどね。当時はキリンジもやってましたし、彼らには入ってもらおうとかね。畠山美由紀さんは素敵だし当時、一緒に制作をやっていたディレクターが担当だったとかね。ただ、例えば”この楽曲はキリンジ用”っていう風には考えずにやりましたね。

ー今のお話にあった”全収録曲の1曲を除いた”の、その1曲が気になるのですが…

それは僕が唯一歌った「海を渡る橋」ですね。当時あったアイディアが「自分が1曲歌う」っていうのと、平行して「デビューしていない新人に歌ってもらう」っていうことだったんです。どちらにしても、もう1曲は必要っていう状態を引き延ばしていたんですね。新人については、男女問わずいろんな情報を集めてて、実は「海を渡る橋」を新人が歌うかもしれないっていう時期があって。男性ボーカリストで良いと思った人がいて、その人が歌うと良いかもっていう時期がしばらくあったのを覚えていますね。結局アルバムのバランス的に、それはなくなって僕が歌うことになったんですけど。

ー実際にご自身の歌が収録されて、そのバランスという部分も含めどう評価されていますか?

やっぱりね、自分のことは客観的に判断するのが難しいということがあって、だからこそやってみたのがまず大きいですね。よく、自分の声が全然好きではなくて、でも作った人が歌うって上手くなくても特別なことっていう言われ方をしますよね。Randy Newmanとかにもそう感じるし、Donald Fagenは普通に上手く歌ってるけど(笑)僕はあれを下手と思ってないので。そういうのって、僕がやっても感じられるのかなっていうね。ただ、未だにそこはわからなくて、そんなに好きではないですね(笑)

ーリスナー目線で言うと、「Prayer On The Air」(Shiplaunching:収録)もそうですが、冨田さんの声でアルバムの終わりを聴くのは、もう少し聴いていたいって思えるんですけどね。

ありがとうございます(笑)好きではないっていう感情は、歌っているときも歌を録り終わって実際に聴いても印象は変わらないんですけど、畠山美由紀さんが「やっぱり冨田さんのボーカルで歌われた冨田さんのメロディーが、1番正解だと思う」と言っていたんだけど、それもわからない(笑)

ー私達は先程のRandy Newmanのように冨田さんのボーカルを聴いているんだと思いますよ(笑)

僕の作品って自分のデモテープがあって、それを聴いてゲストボーカルの人達が歌ってくれて、その人達なりのものが足されて良くなっていると思っているんだけど、作った本人の方が、歌い回しやブレスまでが音符として正しく機能する感じがするということらしいです。

ー冨田ワールドの創造者と表現者が一緒ですからね(笑)

あとは、自分が歌う曲は他の人が歌うには難しすぎるという部分も含まれますね。自分では、歌モノとして作っている筈なのにあとで他の曲と並べてみると「お願いするには難しいな…でも楽曲としては好きで外したくないな」っていうものを歌ってる気がしますね。

ーなるほど。先程少し触れたのですが、約3年経過して発表された「Shiplaunching」も同じだったのでしょうか?

そうですね…まずは本当はもう少し早いスパンでリリースしたいんですけど、1枚1枚離籍しているのもあって。で、前作と同様にだいたい1年くらい掛けて制作しましたね。

ー「Shipahead」も含め”3部作”という、当初のフォーマットをある意味終了宣言をされたわけですが、元々3部作という構想だったのでしょうか?

全くなかったです。KEDGEで僅かでしたけどアーティスト活動をして、それから単に辞めたというよりも、いろんなお仕事があったあとに冨田ラボとして始めましたが、キャリアに対してアーティスト活動を継続的に行うという部分については、全くの素人なわけです。人のものを依頼されてということや、キリンジのように、あるアーティストを継続的にやるっていうことについての経験しかないわけですから。最初の理想のために「Shipbuilding」を作るということしか頭になかったですね。当然、続けたいという欲求もあって、何の疑問もなく同じフォーマットで「Shiplaunching」の制作に入りましたし。

ー裏を返すと同じフォーマットで続けるならば、”3部作”とわざわざ言う必要もないですよね。

そうなんです。それが「Shiplaunching」の途中で違和感を感じたんです。何故かって言うと好きなボーカリストに歌ってもらうわけですけど、その好きなボーカリストって極論、何人もいるわけではないんですよね。例えば畠山美由紀さんが良いと思ったら、また歌って欲しいって思うんですよね。そうなると、冨田ラボというより、畠山美由紀さんに提供するという形に近づいていくんです。あと、前作と重複しない人を選ぶっていう前提があって、例えばある曲が出来て「この曲はキリンジに歌ってもらおう、でも前回やってるから別の人…」ってなると、2番目の人となるわけです。そういうのを繰り返してると、やってることが自由に見えて実際は不健康だなって思ったんですね。

ーキツイ言い方をすると”ラボラトリー”というよりは”ファクトリー”になりかけた?

合っていると思います。楽曲が望むままに、何の取り決めもなく進めていきたいって始めたんだけどね。とは言っても、「Shiplaunching」までは重複しないシンガーを迎えて出来ていたんですが、いよいよ「Shipahead」を制作するときに「不健康極まりないな」と思って先行シングルの「Etoile」では「Shipbuilding」にも参加してもらってたんだけど、再度キリンジにお願いして。今回は何も気にせずやろうと思ったのと同時に、「このフォーマットでやるということは好きなアーティストと1回で、好きなアーティストがいなくなったら続けられないんだな」っていう。そして、このフォーマットを閉じる作業が必要だというところから”3部作”として打ち出したんです。

ーそれはすごく納得感があります。最新アルバム「joyous」では1曲に1人のボーカリストを迎えた“Shipシリーズ”とは形を変える、4人のボーカルというアプローチ自体が既に自由だとも捉えられます。

そうです。これまで話したこととストレートに繋がります。1曲に1人のボーカリストというフォーマットを辞めたからには、代わりに何があるだろう?というところから始まって、「Shipahead」の頃から模索していたんです。それで、ボーカリストを3人でも4人でも限定して、1人2曲歌うとか他のボーカリストと一緒に歌うとかにすると、アルバム毎にフォーマットを変えることも出来るなと思ったんです。

ー「joyous」ではそれぞれのバックグラウンドをもった4人を招き、一つの冨田恵一ポップスに落とし込むという試みが、魅力的なのではと思いました。

そうですね。横山剣さんがあるインタビューで「1日だけ他のバンドに入るとしたら?」っていう質問にいろんなお名前がある中で「冨田恵一さんのサウンドで歌ってみたい」っておっしゃってくれてるのを発見して「ありがとうございます!」って思いながら(笑)連絡をしたんです。元々剣さんは「Shiplaunching」の頃から「どういう人に歌ってもらうと良いか?」という打ち合わせで何度も名前を挙げさせてもらっていたんですね。

ーボーカリスト候補として?

そうなんですけど、今回までは合う楽曲がなくてご縁がなかったんです。今回歌って頂いた「on you surround」は2007年くらいに作っていた曲で、剣さんの発言があってすぐに、このメロディーは剣さんが歌うとカッコイイだろうなって思ったんです。こういう流れがあって最初に決めたのが剣さんでした。それからは剣さんを軸にバランスを考えるんですが、女性ではまず椎名林檎さん。バランスというのは、今回4人で歌うフォーマットでもあるから、キャリア的にも突出することなくということですね。もちろん、声が大前提ですけど「やさしい哲学」が出来たタイミングで林檎さんが良いと思いましたね。原(由子)さんも打ち合わせでお名前は挙がっていて、僕の作る曲は普段原さんが歌われている曲調とは違うから、どの方向が合うかなと探りながら「私の夢の夢」を書きました。で、この世界を原さんが歌ってくれたらカッコイイ~なと思い、お願いしました。さかい(ゆう)さんは原さんとのコントラストを意識しましたね。原さんの低めのレンジでハスキーな部分とさかいさんのハイトーンの部分がそれにあたります。あとは16(ビート)っぽい人を入れようって(笑)僕自身が持っている16ビートの感覚により近い人がもう一人入っていて欲しいなっていうのはありました。

ー横山剣さんをきっかけに、こういった広がりをみせていた部分が、結果的にこのアルバムを表すのに必然ではあるものの、今のお話を伺って偶然の重なりも垣間見れました。

「Shipbuilding」のときからそうなんですけど、系統建てて一から組み立てることはなくて、何かがきっかけになることが多いですね。

ーそのきっかけが今回、たまたま横山さんだったと。この偶然がなかったら、椎名林檎さんや原さん、さかいゆうさんじゃなかったかも知れないですね。

本当にそうです。軸になるものが偶然であるという、プロセスとしては楽しくも大変でもあるんですけど(笑)でも、その偶然を活かすことが、こういった作品に繋がるんだと思います。

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