日高 央(THE STARBEMS)インタビュー

BEAT CRUSADERSのボーカル&ギターとして多くのロックファンの支持を集め、BEAT CRUSADERSの散開後も、数々のプロジェクトに参加し、2012年12月に”THE STARBEMS”を結成。自身のバンドだけでなく、楽曲提供・プロデュースまで行い、多彩な才能を持ったロック界でも唯一無二の存在、日高 央さんのロングインタビューを全4回に渡ってお届け!!第1弾となる今回は、日高 央さんの大好きな”The Monkees”や、パンク・ミュージックとの出会い、バンドを結成するまでを深くお伺いしていきます。

ーまず最初に日高さんと言えば…

“MAN WITH A MISSION”?

ー違います(笑)”The Monkees”が好きだということをどこかでお伺いしたんですが。

いきなりその質問から入ってくる人は初めてですよ。ありがたいです。

ーありがとうございます(笑)元々”The Monkees”にハマったきっかけからお伺いしたいです。

小学校2年生のときにテレビで再放送してたんですよ。

ーでは”音楽”というより”テレビ番組”から?

そう。当時のオレは”アリス”が好きで。ベストテン番組で「ジョニーの子守唄」を見て、幼心にEMOくてカッコイイと思ったんです。それで”アリス”のレコードを何枚か買って、友達と一緒にホウキでギターのモノマネとかしてたんですよ。そしたら翌年にTVの再放送で”The Monkees Show”が始まって、明らかに”アリス”より楽しそうなんですよ(笑)”アリス”はカッコイイけど、谷村さんに申し訳ないんですがしかめっ面だし小汚い(笑)お兄さんというよりおじさんに近くて。それに比べたらシュッとしていて何より楽しそうに音楽をやっていた”The Monkees”を見て「バンドってこれだろ!」みたいな(笑)

ー(笑)それが小学2年生って早いですね。

そう、オレは部活をやってなかったんで放課後の楽しみでしたね。学校が終わって野球やりに行く前のブレイクタイムみたいな。TVから流れている曲を、ラジカセで録音してましたね。

ーちなみに”The Monkees”のメンバーでは誰が好きなんですか?

曲も作れるギターリストのマイク・ネスミスです。”The Monkees”は、イギリスの”THE BEATLES”に対抗して、アメリカのオーディション番組で作られたバンドだったから、当時の音楽雑誌を見るとケチョンケチョンに書かれてるんですよ。”THE BEATLES”の亜流だとか、真似だとか。確かにモロパクってるっぽいのもあるし(笑)しょうがないなと思いながらもオレは”The Monkees”から先に聴いていたので、”THE BEATLES”より好きだったんです。もちろん”THE BEATLES”も後からちゃんと聴くんですけど、例えばサージェント・ペパーズ(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)とかは子供には難しかったけど、”The Monkees”はわかり易かったし。で、アルバムのクレジットを見てるとマイク・ネスミスが1番作曲してるから、勝手にリーダーだと思っちゃったんですよね。実はそうじゃなかったんですけど(笑)マイク・ネスミスは、バンドの中で音楽を1番知っているような雰囲気だったし、何よりギタリストだったから好きになっちゃったんですよね。マイク・ネスミスの手元しか見てなかったし。

ーホウキでマネを始めて、実際のギターを弾くまではそのあと?

1年掛かってないんですよ。新宿に住んでいる親戚のおばちゃんに「エレキ買ってくれ」って頼んで新宿の楽器屋に連れてってもらったんだけど、フォークギター買いやがって(笑)おばちゃんの「央、お前にはエレキはまだ早い」という一言と共に、2万円ぐらいの安いフォークギターを買ってもらいました(笑)

ー(笑)最初は”The Monkees”をコピーしたんですか?

コードが分かんなかったから、集中して1番聴き易いベースの音を拾って6弦で弾いてましたね。それじゃしょうがないからコードを勉強しようと思ってギターの教則本を買ったんですけど、1曲目が「荒城の月」だったんで叩き付けました(笑)何度か練習して弾けるようになりましたけど(笑)

ー(笑)ちなみに当時”The Monkees”と平行して聴いていた音楽はありましたか?

“The Monkees”を聴いていると、必ずライナーノーツに”THE BEATLES”が出てくるから、”THE BEATLES”を聴いて、そうするとライナーノーツには必ず”The Rolling Stones”が出てくるから”The Rolling Stones”という流れで聴きましたね。要は、ライナーで関連しているバンドを聴き漁りました。レコード買ってもらえないときは、3つ上の兄貴に無理矢理お願いして買わせて(笑)勝手に借りて聴いてましたね。他にも、ちょうど”The Monkees””THE BEATLES””The Rolling Stones”が好きなヤツがクラスに1人ずつぐらいいたから、そいつらとテープを交換したり、誰かが親戚から”THE BEATLES”の赤盤・青盤を借りて、みんなで回してたりしていました。「Day Tripper」のイントロをみんなで練習していたような小学生でしたね。

ー早熟な小学生ですね。

オレは凄くラッキーなことに、アイドルっぽい”BON JOVI”(笑)のようなバンドからロックに入ったとか音楽恥部みたいなものはないんですよ。

ーみんなでギターの練習をしたりしながら、実際にバンドとしての形式になったのはいつですか?

本格的にバンドを始めたのは高校生ぐらいですね。中学生の頃に演った最初のバンドは、近所の公民館に集まってエレキを2、3台持ち寄って練習したりしてたんだけど、ドラムがないっていう。で、卒業生を送り出す謝恩会で、大太鼓をバスドラに見立てて、スネアを叩いてもらって、”Sex Pistols”の「Anarchy In The UK」をやりましたね。卒業生を謝恩する気持ちは一切ないです(笑)

ーその話は、今に通じる所がありますね(笑)

「Anarchy In The UK」だけじゃカッコ付かないので、卒業式には全く関係ありませんが、”John Foxx”の「Europe After The Rain」も合わせてやりましたね(笑)

ー(笑)実際の反応はどうだったんですか?

オレらは先生に怒られようと思って、尖った選曲で”Sex Pistols”や”John Foxx”を選んでたので、卒業生も先生もカンカンだろうと思ったら、「お前達良かったぞ」って先生に褒められました(笑)

ー狙った所じゃなかったんですね(笑)

怒られるつもりと思ってやったのに、逆に褒められちゃいました(笑)

ー中学生のときは既にパンクに惹かれてたんですね。

そうです。”LAUGHIN’NOSE”とか出てきて、インディーバンドブームがあったんですよね。オレは60年代の音楽を聴いて、急にニューウエーブ、パンクに移ってしまったので、ハードロック、メタルが抜けてちゃったんですよね。

ーパンクロックは何がきっかけだったんですか?

中学の頃、NHKで”LAUGHIN’NOSE””ウィラード””有頂天”の3バンドをメインとした「インディーズの襲来」っていう特番がO.A.されて、中学校で凄く流行ったんですよ。他にもNHKの教育では、糸井重里さんの「YOU」とか尖った番組をやっていて、その流れでインディーズを特集した番組だったと思うけど。当時のオレ達は、日曜のNHK深夜番組をチェックしていて、「インディーズの襲来」を見て1発で「これしかない!これは絶対カッコ良いだろ!」って思いましたね。野球部とかどうでも良いし、他のヤツらはピンクレディーでも聴いてろみたいな(笑)ベストテンを見て、マチャアキさんとか榊原郁恵さんとかで盛り上がってろよっていう、少し卑屈な中学生だったかもしれません。そもそもメインストリームが嫌いだし、学校も嫌いだしね。

ーパンクは、何かに対する怒りや反逆精神を投影する音楽だと思いますが、学校や社会に対してそういう考えを持っていたんですね。

そうですね。学校でのストレスを発散するのにバッチリの音楽でしたね。ジュリー(沢田研二)とかも好きでしたけど、歌謡曲の8割くらいは発散できない音楽じゃないですか?ただ観て聴いて、キレイだなとか楽しいっていう感覚で終わっちゃう。でもパンクロックは「オマエもやれるぞ、こっち来いよ」って言ってくれてる感じがしたんですよね。「インディーズの襲来」で、チャーミーさんが「何もやらない奴がガタガタ言うな」的なことを言っていて、確かに学校でもそういうヤツが多いなと思って、中学生特有の思春期でのストレスがパンクに合致しちゃったんですよね。今でもそれは凄いラッキーな経験だったと思います。多分、「AIR JAM」でも思考の仕組みは全く同じことだと思います。

ー謝恩会のときに”Sex Pistols”の「Anarchy In The UK」や、”John Foxx”の「Europe After The Rain」を演奏したバンドもやっていた後、パンクバンドとして、楽曲を作ったり、ライブハウスへ行かれるのはそのあとですか?

高校からですね。”有頂天”のコピーバンドやったり、友達がやっていた”BOØWY”のコピーやらされたり。実際はギター弾ければ何でも良かったので”アリス”もやりました(笑)そういう所がオレは逆にラッキーだったんですよ。”有頂天”のコピーバンドを組んでるヤツは普通”アリス”のコピーを断るじゃないですか?でもオレは”The Monkees”にしろ”アリス”にしろ好きだったので、何でも良かったんですよね。その代わりライブハウスのノルマは払わないっていう(笑)

ー(笑)ギターを弾くことが大事だったということですね。

そうです。人前で歌ったりギター弾いたりすることがとにかく楽しかったですね。

ー日高さんが高校~大学の時代は、イカ天(「三宅裕司のいかすバンド天国」)がO.A.されたり、原宿のホコ天などの空前のバンドブームが訪れていましたが、どう映っていたのでしょうか?

パンクロックのときみたいに「オマエもやれるぞ!」という思いは良かったんですが、誰でも出来ちゃう時代がオレにはダメで。みんなが同じになってしまうのがイヤになって1度バンドをやめました。申し訳ないですけどベタなビートパンクとか辛かったですね(笑)80年代後半から一時期流行ったビートパンクというものに、パンクを何も感じませんでしたね。そこにはメッセージが無くて、楽しくみんなで集まってっていうのは傷を舐め合ってるようにしか見えなかったんで。もし10人が集まったとしても、同じ傷じゃないから舐め合える訳が無いと思ってましたしね。例えば、”LAUGHIN’NOSE”のライブで1メートルくらいのモヒカンで青い髪をした美容師のお兄ちゃんは、誰かの髪をブリーチして自分の思い通りの髪型にしたいという悩みがあったり、現場の赤い髪をしたスタッフは客をどうやって盛り上げようという悩みで、全然違うものだったから。それはイカ天やホコ天を見たり聴いたりしてても、全く解消されなかったんです。別にハッピーな人生を送ろうなんて思ってもないし(笑)そこに矛盾を感じてしまい、イヤになったんですよね。

ー反逆精神が感じられなかったと。

優しい窓口としてのパンクロックじゃ全く意味がなくて、むしろちょっと怖いぐらいの敷居があった方が潜り抜けるスリルや興奮があったし、その敷居を潜り抜けて「いつステージに上がれるんだろう?」という感覚が楽しかったんですよね。だから高校時代やっていたバンドも、イカ天やホコ天で白けてしまい、大学ではほぼ演らなかったです。大学の後半になって、”The Flipper’s Guitar”が出てきたことでパンクの精神を感じて、ギターポップを始めました。ギターポップの方が逆に尖ってたし、”The Flipper’s Guitar”のインタビューを見ると実際に、当時流行っていたバンドや大物バンドの実名をあげてメチャクチャなこと言ってるし。オレが言ったんじゃないですよ、オレは”ARB”好きなんですけど”ARB”のことを「魂、真っ黒焦げ」っていう言い方したりして語呂などセンスが凄く良くて、同じ世代ということもあり自分らっぽくてカッコイイと思いました。

ートゲという感覚では、まさしくそういう感じですよね。

口当たりよい音楽はやってるけど、歌詞が刺々しかったりしてましたよね。1stアルバム「海へ行くつもりじゃなかった」は、ネオアコへのオマージュだったと聞いて、ネオアコについてよくよく調べたらスコットランドではそういうムーブメントが起こってて。周りのパンクの先輩達も聴いていて、もう一度バンドをやってみようという気になりましたね。いわゆる「渋谷系」のやつですね。

ー日高さんは留学をされていて、その際にアメリカのロックを肌で感じたと思います。アメリカのロックについてはそういった感覚はありましたか?

アメリカ人全員が、”Sonic Youth”知ってるんだろうって期待してましたが(笑)誰も知りませんでした…ロックのロの字も無かったですね。当時は、”WEEZER”や”BECK”が盛り上がっているときで、日本では大学生より上のスノップな層が好きそうなイメージだったけど、アメリカでは割と本当のKIDSが多くて、中学生が親の車でライブに行くような感じで。ライブの値段設定が$5ぐらいで安かったのもそうだけど、日本ではお子様向けの音楽を輸入して聴いているんだという衝撃がありましたよね。申し訳ないけど”BON JOVI”とかもそう(笑)だからメタル、ヘアメタルも8〜9割は子供騙しじゃないですか。向こうでは、小中学生がアイドルのような扱いをして騒いでいるものを、日本ではヘタすりゃ御年配の方まで追っかけしちゃったりしていて、本国と日本での取り上げられ方が全く違ったんですよね。「日本人はロックを聴けてないんだ、聴く耳が違うし、聴くというより観てるんだ」って思いました。MTV世代ということもあり、アメリカの4〜50代の女性もMTV世代なんで”Duran Duran”や”Boy George”などのイギリスのニューウエーブ・ムーブメントの美男子を未だにうっとりして追っかけていたりするんだよね。

ーそういったアメリカと日本の差を目の当たりにし、帰国された後は就職されるんですか?

アメリカに行って、就職したくなりました。アメリカに行く前は、就職するのがイヤで半分逃げの気持ちで留学したんですけど、3日目でホームシックにかかってしまい大号泣しましたね。ラジオから”John Lennon”の「Imagine」が流れてきちゃって…(笑)

ー(笑)

オセンチになっちゃって、翌日から頑張ろうと思って1人でライブ行ったり他所の大学に行って日本語を教えてみたりしながら友達を作ったんだけど、アメリカ人ってインディビジュアルされていないと全く信用されないんですよね。例えば、IDが無いと銃を出されるかもしれないし、己が何者かを上手く説明出来ないと、治安の悪さもあって、いつ撃ち殺されてしまうかも判らないような状況があるわけです。

ーちなみにアメリカのどこに行っていたんですか?

カンザス州ですね。アメリカのど真ん中で割と保守的な地域です。だから人は優しいし温かいけど、基本的には「自分で何も出来ない人は知りません」というスタンスなんですね。コンビニに行っても、IDを見せないとお酒もタバコも買えないし、日本みたいに老けた高校生がタバコを買えちゃうって訳じゃないし。良くも悪くも合理的で、己で生計を立てて生きていかなきゃいけないということをアメリカで学びましたね。日本だとそういうことを授業で教えられた記憶なんて無かったですからね。板垣退助がどうしたっていうこととか(笑)もちろんそれも大事なんですけど。だからシンプルに学校の先生が「将来は自分で働いて生きていくんだよ」ってことを教えた方が良いと思いました。アメリカが最高だなんて思ってないですけど、教える順番が全然違うんだなぁと思いましたね。
それで結果、逃げ場所は無いってことを学び帰国し、就職しなきゃいけないと思いCDの卸問屋に就職しました。輸入盤の仕入れだったから、音楽関係で英語も使うし、こんな適職は無いだろうと思い千葉で就職したんだけど、そこに”NICOTINE”のYASUが働いていて、都内の会社に移るタイミングで誘われて、いわゆるヘッドハンティングですよ(笑)それで都内の卸問屋で働き始めて。そこでちょうど”Hi-STANDARD”、AIR JAMムーブメントに出会うんですよね。

ーここでパンクに再会するんですね!

そう、久しぶりにパンクを聴こうという気持ちになったんですよ。当時はメロコアという言葉も無くて、メロディック・パンクと呼ばれていて正直、悪口じゃなくてニューロティカみたいな可愛らしい曲なんじゃないかと少し斜に構えてたんだけど、聴いてメチャメチャカッコイイなと思いました。それが”SNUFF”で「8ビートの曲を2ビートにしただけじゃないんだ!」って目から鱗が落ちましたね。

ー”LAUGHIN’NOSE”との出会いに近い衝撃ですよね?バンドをしたくなりませんでした?

バンドは、アメリカ行って就職しなきゃって思ってたし、やってなかったです。生活費稼がなきゃって思ってたんで(笑)

BEAT CRUSADERSのボーカル&ギターとして多くのロックファンの支持を集め、BEAT CRUSADERSの散開後も、数々のプロジェクトに参加し、2012年12月に”THE STARBEMS”を結成。自身のバンドだけでなく、楽曲提供・プロデュースまで行い、多彩な才能を持ったロック界でも唯一無二の存在、日高 央さんのロングインタビューを全4回に渡ってお届け!!第2弾となる今回は、BEAT CRUSADERS結成から散開までを深くお伺いしていきます。

ーメロディック・パンクとの出会いから、BEAT CRUSADERSに繋がっていくんですよね?

BEAT CRUSADERSの原型になるものを高校の同級生のイワハラ(イワハラユキオ:BEAT CRUSADERSの初代メンバー)さんと始めるんですけど、最初はドラムとアコギのローファイな感じで”BECK”っぽかったんです。ただちょうどそういう音楽に出会っちゃったんで、メロディック・パンクの方が演ってて楽しいんですよね。時代がそうだったのもありますけど、それでだんだんパンク化しちゃいましたよね。今だったら、きっとビジュアル化してますかね(笑)

ーしてないです(笑)

今だったら打ち込みとかクラブっぽくなるでしょうけど(笑)

ーBEAT CRUSADERSの結成の経緯としてはそういう流れがあったと?

アメリカでやっているやり方を日本でも出来ないかと思ってて、オレら最初はノルマ制度が嫌でライブハウスに出なかったんです。だから千葉でスーパーの開店セールで演奏するとか、夏祭りやデパートの屋上の催事場で演奏させてもらうとかしてて。でも冷静に考えても、そういうところで”BECK”みたいなオリジナルやっても響くわけじゃないですか?ウケるわけないんですよ(笑)
そこで当時、”Love Tambourines”のパーカッションやっている平野さんが、下北沢でオールナイトのイベントやっていて、出ないかって言ってくれたんですよ。そしたらそれまで千葉のスーパーとか幕張本郷の駅前でやってた、全然鳴かず飛ばずだったオレたちが、急にウケたんですよ。すごい盛り上がって終演後、「デモテープないの?」とか「連絡先教えてくれ」みたいな人がいっぱい来て、「あ、東京ってやっぱすごいな」って思って。そこからは都内でしかやってないです。千葉捨てちゃいました(笑)ごめん千葉!(笑)

ー(笑)でも良いバロメーターになりますし、演ってる音楽の自信に繋がりますよね?

うん、千葉で反応良くて東京では反応悪いみたいな、その逆も良くあるんで。まぁ、目新しいことをするとやっぱり東京は反応が早いですよね。千葉や地方はどうしても、引いて観ちゃうというかね。

ー確かに、地域毎のシーンってやっぱりありますよね?

そうそう、例えば木更津でハードコアがすごい盛り上がってるとか、京都でカフェライブが盛り上がってるとかね。盛り上がり過ぎちゃって逆にこっちが引いちゃうぐらいの時がありますね(笑)

ー(笑)東京に進出をされたものの、そのときはまだ…

そうです、サラリーマンです。

ーではライブは土日に?

ライブは基本、オールナイトか土日です。その頃は「LD&K」に勤めていたので10時出社したら、そのまま19時にライブハウスの現場に会社のバンドのケアをしに行って、それから23・24時に自分のライブをしに下北に行くとか、そんなノリでした。ほとんど家帰ってなかったですよ。

ーハードワークですよね。しかもバンドでの日高さんの機材等も持って行かれるんですよね?

いや、音楽系の会社なのでギターとか会社に置いといて良かったんで。バンドも仕事さえちゃんとやってくれれば大丈夫だったし。当時まだ、”Cymbals”がデビューするとかしないとかのころですね。”ガガガSP”とか”ストレイテナー”とかもいないし、会社も5~6人でまわしてたんでほとんど会社に住んじゃってた感じですね。

ー今の感じをお聞きすると、帰れないですよね..

そうそう、そうなんですよ。でも楽しかったですよ。BEAT CRUSADERSが売れてくると、会社の給料とバンドのギャラが両方入ってくるから、その当時、多分オレ1番お金持ちでしたよ(笑)

ー(笑)

手取りで40~50万のときとかありましたもん。社長よりも貰ってたんじゃないかって言う(笑)

ー最初は就職しなければという中で両立されていたと思うんですけど、BEAT CRUSADERSがウケだしてくると…

当時、インディースのレーベルで働いてたんで、BEAT CRUSADERSに関しては他のレーベルでやってもらおうと。その代わりオレはライブとレコーディングは一生懸命やるけど、プロモーションは一切しないって言って。「LASTRUM」っていうレーベルでBEAT CRUSADERSはやって、自分は「LD&K」で”ガガガSP”を一生懸命宣伝したり、”ストレイテナー”の現場いって手伝ったりしてて。そうしてる内に、BEAT CRUSADERSも売れちゃったんですよね。それだけこっちもウケるんだったら、人生で1回くらいバンドをメインでやってみても良いんじゃないかって。ダメだったら、またサラリーマンに戻ればいいやって。バンドから逃げちゃダメだなって、今度は思うようになったんですよ。

ーこれまでと真逆ですね。

そうです。青春時代はバンドに逃げ込むことに気持ち良さを求めて、社会から逃げていましたけど、社会にどっぷり入ってみると、今度は芸術的な欲望から逃げちゃっていたんですよね。だからBEAT CRUSADERSをちゃんとやろうって。で、”ガガガSP”もドカンとBEAT CRUSADERSよりも売れてくれたので、辞めやすくなったんですよ。

ー円満に(笑)

そうそう、円満に辞めれました。

ー実際のライブ動員もそうですし、リリース後の売上げ推移を見ていたと思いますが、特に日高さんはインディーズレーベルで働いてらっしゃったので、それがどのくらいすごいかってことを肌で感じていらっしゃたんだと思うんですよね。

そうです。お金は1番ありましたからね。毎日焼き肉喰うくらい(笑)

ー(笑)

いや、そんなことはないな。牛丼は毎日喰ってました(笑)

ー仮に”安定”という言葉をひとつの軸にするならば、会社にいるというのは安定じゃないですか?

そうですね。

ーそれを蹴るほどの魅力が既にBEAT CRUSADERSにはあったと?

いや、特に音楽関係の会社員ならいつでも戻れると思ったんです。みなさんうっすらわかってらっしゃると思うんですけど、バカでも入れるじゃないですか?

ー(笑)

音楽業界で大事なのはコネクションと要領なんで(笑)ホントそうですよ、出版もそうじゃないですか?薄々わかってらっしゃると思いますが(笑) 
ま、そういう意味では会社員にはいつでも戻れるし、いつでもやれることに固執する必要はないと思ったんです。

ーあぁ、なるほど。

だから逆にバンドは30代のまだ動けるときしかやれないかもと思って。そう言いながら45の今でもまだやってますけど。でも体力の限界は絶対来ると思ったんで、だったら体力勝負のとこを先にやりたいなって思って。

ー実際にBEAT CRUSADERSにはそう思わせる程のパワーがありましたよね。僕、インタビューする際に絶対言おうと思ったんですけど、2001年か2002年くらいに、代々木公園で…

蓮沼?

ーそれです!

はじめておまんコールしたときですね。

ーあのとき1番おまんコールしたのは僕じゃないかなって思うんです。

(一同爆笑)現場にいた?

ーはい(笑)僕、いつか言おうと思ってたんですよ。

うれしいです。そのへんのこと知っている人、最近あんまり会わないんで。
そう、”氣志團”はいるわ”PENPALS”も”175R”とかもいたし。その中でただお面しかないBEAT CRUSADERSがどうするかって言うことで、出番の直前に舞台袖で「みんな、おま○こって言うぞ」って。

ー(笑)

ちょうど隣がNHKだから、おま○こって言って生放送に乗せようってオレがでっち上げて言うからって(笑)umuやarakiに言って。案の定、前方の女の子たちはイヤな顔してました。そこでオレはしてやったりだなって思って。そしたら最終的に盛り上がっちゃったんですよね。おまんコールの大合唱になっちゃって。それから段々おまんコールが定着するようになったんですよ。

ー(笑)さっきお話にあった中学の謝恩会に似てますよね?

謝恩会に似てます。こっちが何に怒っているかをわかってもらう為に、まずは怒られたいなという。いろんな不満があるんだぞって気づいてもらうために。

ーお面だけでもインパクトはありましたけどね。

最初はやっぱりサラリーマンで、同じ音楽業界にいるから顔バレしちゃ悪いかなって思ったんです。”お得意様に対して”ということですよね。例えばライターさんって複数の媒体で書くことあるじゃないですか。そしたらあっちの原稿は良くて、こっちのは手を抜いてみたいなことがあるかも知れないじゃないですか?音楽業界も一緒で、「LASTRUM」の中のBEAT CRUSADERSはすごい頑張って、「LD&K」でプロモーション頑張ってないじゃないかって言われたくないし。取引会社の人に「日高さん、今度はBEAT CRUSADERSで出て」って言われちゃうなって思って、お面をしたんです。案の定、すぐバレてましたけどね。日高ってヤツがあんまいなかったっていう…SMASHの社長さんぐらいしかいなかったんですよ(笑)
SMASHの日高さんとはあきらかに違うよっていうことで。

ーたしかにSMASHの日高さんはおま○こって表立って言わないですもんね(笑)

そうですね、志しは同じだと思いたいですけどね(笑)

ー実際に幾つものイベントにも出られてましたし、売り上げも好調だった中、「LD&K」を辞められたタイミングはその後になるんですか?

そう、メジャーに行こうかっていうタイミングで辞めました。

ーそこで1度メンバーが総入れ替えになりましたが、きっぱりもう辞めようとはならなかったんですか?

あのときは単純にメンバーが就職するとか、あと実家を継がなきゃいけないっていう理由があって「どうしようか?」って。何人かはBEAT CRUSADERS辞めたいみたいな話だったんで、じゃあ辞めろと。で、umuは正直ここだけの話ですけど、「日高さんに任せます」って言ってくれたんですよね。thaiくんとarakiは辞めますって言って、umuは任せますって言うから「じゃ辞めろっ」て言ったんです(笑)
だったら総入れ替えして、気分一新したいからっていう。で、メジャーのメンバーになったんですよ。その頃はまだメジャーじゃなかったんですけど、ベースの久保田さんがインディーレーベルやってたんで、そこからシングル出してその間にメジャーのディールを決めればいいやぐらいのノリでしたね。今考えると超見切り発車ですよ、別に勝算はないというか…ま、当時のオレにはあったんでしょうけどね。でも今考えるとバカじゃないのかって思いますよ。

ーその一新したメンバーを集めるまでの期間は短かったんですか?

そうですね。辞めるって決めてからの半年間は次のメンバー探しをしながらです。最後、インディーズのメンバーは日比谷野音で終わりだったかな。

ーでは”事前に”って言ったら失礼ですけど…

そうです、仕込みしてました。今、野音のライブ映像見るとすごいエモいんですけど、良いエモさなんですよね。このメンバーでやるの最後っていうね。そのときは公にはしてないんですけど、そういうエモさもあって良いライブだったと思います。演奏はショボイんですけど、テンションは良い感じだったと思います。それから集めたメンバーは基本はみんな対バンしてた人たちで、もう本当に友達ですよね。あと、なるべく音楽的趣味がバラバラな方が広がりがあるかなと思ったんです。インディーズ時代も、arakiがすごいネオGS好きでumuは60’s好きとか、まあバラけてはいたんですけど、さらにもう1人増やしたら、さらにバラけるんじゃないかって5人にしたんですよ。

ーメンバーの一新もそうですが、インディーズとメジャーでの活動は日高さんにとってどういった差がありましたか?

まずは給料もらって生活できてることが画期的でしたよね。だってバンドマンなんて、リハかライブかレコーディングがない限り、基本的に休みですからね。
だから売れないバンドマンが一番幸せなんじゃないかと思いますけどね。もちろんいつかは給料打ち切られますけど(笑)だから最初は割りとのらりくらりとやっていたんですよ。正直な話、オレはインディーズよりちょっと多い4,5万枚くらい売れて、音楽業界にずっといるみたいな、凪のように続くのを想像していたんでですよね。例えば、”真心ブラザーズ””電気グルーヴ”とか、ああいう感じを想像していたんですよ。ただ、そうなるには1発バーンと当ててからの凪の状態は許されるのであって。まず「1発当てないと許されないよ」って言われて、そっから焦ってちゃんとやろうと思いましたけど。

ー実際に『P.O.A.~POP ON ARRIVAL~』はメチャクチャ売れた訳じゃないですか?

そう、「ガツガツやろうぜ」って言った良いタイミングで、アニメ「BECK」のオープニングテーマのお話が来たんですごいラッキーでしたよね。最初に「HIT IN THE USA」をシングルで出したときは多分2万枚くらいだったんですけど、インディーズでもそんくらいだったし、「プラスアルファのお客さんがついたね、良かった」って言って、『P.O.A.~POP ON ARRIVAL~』を出したら、オリコン3位ぐらいになってて、いきなり20万枚売れてたんですよね。そっから急に生活が本当の金持ちに…お金持つってこういうことなんだって。普段使ってる銀行から、融資の電話が掛かってきましたよ。オマエら絶対通帳見てるだろっていう(笑)

ー(爆笑)

見たことも聴いたこともない先物買いのメーカーから電話掛かってきて「日高さん、どうですか?小豆が今いいですよ」とか(笑)残高が増えたら急にそういう電話が増えてきて、本当に世の中ってクソだなって思いました。

ーリアル(笑)

特に金融関係はクソです。先物買いなんて絶対やんない方がいいですよ。やってないけど(笑)8割がた嘘ですからね、あれ。

ー(笑)そういった数字面での結果もそうですが、ライブの動員やイベントに出演したときのオーディエンスの数が増えてくると思うんですけど、それでもお面やおまんコールをやり続けるんだなって思ってました。

そうですね、メジャーもインディーズもやっている”心”は一緒なんで。そもそもパンクロックが好きなのは、自分の開放・ストレスの発散・政治的、社会的な怒りの発露としてですから。BEAT CRUSADERSやっているときもそうだし、基本的に今も一緒なんですよ。方法論変えないでそのままメジャーで生き残るには、当時はタイアップしかなかったんですよね。もちろん偶然ですし、タイアップは欲しかったですけど、「ください」って言って単純にもらえるものじゃなかったんで。たまたまアニメ「BECK」がそこにハマったんだなって、今でも思いますよね。「BECK」自体もちょっといじめられっこな少年が、ギターを手にすることでだんだん大きくなっていくっていうストーリーじゃないですか。そこにすごくリアリティーも感じたし、実際「HIT IN THE USA」って曲はオレが中学校のときに書いた曲ですから。

ーそうだったんですね!

ちょうど「BECK」のコユキくらいの年齢の頃に書いた曲なんですよね。最初はB面に入っている「SUPER COLLIDER」を持っていって、「アニメの主題歌で2ビートっての初めてなんでカッコイイじゃないですか?」って言ったら監督に「ちょっと早すぎます」って却下されて。で、コユキの気持ちになって、中学生の頃に作った曲なかったかなって思ったら、「HIT IN THE USA」があったんで。だから、英語の文法もデタラメだしコード進行とかもホント単純だし、中学生が作ったなっていう感じの曲ですよね。自分で聴いてて、よくあんなの人前で演ってたなって今でも思います(笑)

ー「MUSICRUSADERS」は日高さん節炸裂で、企画でありながらああいったカバーの仕方をBEAT CRUSADERSでやるのは、楽しかったんじゃないですか?

そうですね。XTCをカバーするヤツはいなかったんで。高野寛さんとかくらいですよね。この間も誰かに褒められて「フィルコリンズのカバー良かったよ」って(笑)
オレより年上の人なんだけど「そこなんだ!」って思って。反応するのはそういう人で若者にウケるのはゼロみたいな選曲ですよね。

ー70~80年代を伝えるには最適だと思いましたけど。

そうですね、それを若い世代に伝える1番手っ取り早い方法論かなってすごい思いました。BEAT CRUSADERS自体もそうなんですけど、カバーすることでより肉薄させちゃうし、直接的にしちゃうっていう。そういう意味では”ASIAN KUNG-FU GENERATION”とか”BRAHMAN”でもみんな頑張っているところだと思うんだけど。あのカバーはそういう気持ちでしたね。

ー「EPopMAKING 〜Popとの遭遇〜」「popdod」とファンから見たら、順風満帆にやられていたように見えたんですが。

そうですね。タイアップも引き続きありましたしね。「BLEACH」もやったし、特に海外のアニメファンの喰い付きがすごい多いんですよ。未だにインドネシアとかブラジルから「BECKで知りましたよ」って来ますもん。いつの話だよっていう(笑)

ー(笑)その中で散開を選ばれた訳ですけど、その理由を改めてお聞きしたいのですが。

最初の最初は、BEAT CRUSADERSをラウド化させたかったんですよね。ちょうどツアーに”FACT”を誘って、まだヤツらが能面を被る前くらい。地元が一緒の千葉だし音がカッコイイじゃんって言って呼んだんですよ。そしたらNEW METALのテイストだったり、SCREAM以降のハードコア感が入ってて、パンクがまた1つ進化してるんだなって。オレがちょうど「CR JAPAN」っていう卸問屋入った時に出てきた、AIR JAM系とかメロディックが盛り上がったのと同じような衝撃。自分の好きなことには拘りたいんだけど、そこに固執だけするんじゃなくて”今流行っているもの””今1番カッコイイもの”をオレもリスナーとして聴きたいんですよ。で、同じようにバンドマンとして自分でもやりたいんで、BEAT CRUSADERSをラウド化したかったんです。マシータにツインペダル投入してもらったり、もうちょっとヘビー目なこともやってみたんですけど、如何せんおじさんだったんで、巧く鳴んなかったんですよね。それで、メンバー内では「もっとエレクトロ二カに寄ろう」「ハードロック、或いはもっとオールドスクールに立ち返ろう」「怒髪天みたいなサウンドも面白い」とか、意見が分かれちゃって。で、どうせ意見がわかれるんなら、スパっと辞めましょうっていう。やっぱ「これでは”マキシマム ザ ホルモン”には敵わんぞ」みたいな(笑)あの一丸になっている感じには敵わんぞっていうね。

BEAT CRUSADERSのボーカル&ギターとして多くのロックファンの支持を集め、BEAT CRUSADERSの散開後も、数々のプロジェクトに参加し、2012年12月に”THE STARBEMS”を結成。自身のバンドだけでなく、楽曲提供・プロデュースまで行い、多彩な才能を持ったロック界でも唯一無二の存在、日高 央さんのロングインタビューを全4回に渡ってお届け!!第3弾となる今回は、プロデュース・「MONOBRIGHT」・「Fed MUSIC」~THE STARBEMS結成までを深くお伺いしていきます。

ーそういえば、BEAT CRUSADERS散開直後にマンガやられてましたよね?

「ロッカフェラー・スカンク」ね。あれはBEAT CRUSADERS時代にあった企画なんですよ。だからツインペダル投入したり、早いビートの曲を中心に実験的に作っているんですよ。

ー散開直後に1番早く聴けた音源で、BEAT CRUSADERSとは異なる印象だったんですけど、THE STARBEMSを聴いて納得できる部分がありますね。

THE STARBEMSで採用した楽曲が3曲くらいあります。「MAXIMUM ROCK’N’ROLL」とかはあそこで作ったアイデアです。

ーまたプロデュース作品も増えた頃ですが自分のバンドでやることと、プロデュースをすることの違いはありますか?

ざっくり言うと、ジャンルで好きとか嫌いじゃなくて、オレは歌う人の声に合ってないものはあまり好きじゃないんです。歌っている人の声が好きかどうかなんですよね。やっぱり世の中の人たちの9割は声・歌しか聴いてないと思うから、その人の声が活きるやり方の曲にしようって思ってやってます。例えば木村カエラのときも「あまりカワイ子ブリっ子な感じはイヤだ」って言ってましたけど、「Snowdome」の「ああいうカワイイのも歌えよ、オマエはカワイイんだから」ってタイアップのJR SKI SKIのCMの監督も言ってて。カエラは嫌がってましたけど(笑)
あと「BiS」とかはストーリー的にも彼女たちには背負い込んでいるものが多いんで、ちょっとエモーショナルでキー高めな感じで歌ってくれって言って。基本的にはその人の歌声に合っている感じであればなんでもいいです。

ー女性ボーカルをプロデュースすることが多いですよね。「SCANDAL」にも楽曲提供されてたり。

モテないわりには女子ウケは良いんですよ(笑)電話番号、誰も教えてくれないですけどね。「メロン記念日」も「SCANDAL」もあれだけメンバーいれば誰か1人くらい教えてくれんじゃねーかって思ったし、「BiS」も結局教えてくれなかったので、そこは残念ですけどね(笑)もちろん椎名林檎ちゃんも教えてくれなかったんですがこれから聞く予定です(笑)林檎さんはさすがに大人なので、こっちから聞かないと失礼かなって思って。

ー(笑)女子以外でプロデュースをした経緯から「MONOBRIGHT」に加入されてますが、日高さんがイニシアチブを取らないバンドへの加入はおそらく初めてでしたよね?

そうですね。人のリーダーバンドは初めてですね。言うてもあれは企画モノなんで。1年1枚か2年2枚かみたいな…野球で言うところの外人選手ですね。

ー元々は期間限定?

2年ぐらいの冷却期間が自分的に欲しかったんですよね。いきなり違うことをパッとやるっていうのは簡単だけど、それはオレ的にも心苦しいし聴いてる人たちも絶対心苦しいと思うんで。だけど、みんなには引き続き”おまんコール的”に怒られたいっていうのがあったタイミングで、ちょうど「MONOBRIGHT」から何ならメンバーでプロデュースもって話だったんでOKしたんですよ。みんな絶対に怒るだろうなって思って。そしたら案の定、メチャクチャ怒られました(笑)BEAT CRUSADERSのファンと言うより、「MONOBRIGHT」のファンからね。こちらとしては「そうだろうなぁ」としか思ってないですけど(笑)元々はレーベルの先輩後輩で、メンバー内での敵対関係っていうのもない中に、オレが無理矢理ゴリ押しで入った訳じゃなかったし、楽しくやれてました。

ーまた、「Fed MUSIC」(「ヒダカトオルとフェッドミュージック」)については「MONOBRIGHT」と対照的でしたよね。

「MONOBRIGHT」も基本的には歪んだ音楽なんで、歪んでないヤツもやりたかったんですよね。「GALLOW」っていうBEAT CRUSADERSのころに始めたネオアコ・ユニットで、歪んでない曲も書けないとミュージシャンとしてはダサイんじゃないかって思ってたのと一緒で。例えばボブディランは「フォークしか書けない」みたいなことにはなりたくなかったんです。ボブディランはやっぱりジャズの人と演ってもカッコイイし、ロックの人と演ってもカッコイイじゃないですか?それってミュージシャンとして大事なんじゃないかって思ってですね。ただBEAT CRUSADERSもないし、「GALLOW」もオレ1人だったんで、やる必然性があんまりないなっていうときに、ちょうど後輩のFedが困ってたんで、「じゃ手伝え」って言って始めたら、あいつらすぐ活動休止しちゃったんですよ。まるでオレが悪いみたいな(笑)

ー(笑)

あれは単純にギターの福井君が実家に帰るっていう理由で。で実家に帰る前にもう一花、日高さんと咲かせようっていう話でやってくれたんですよ。あのときは歪んでない音楽をちゃんとやる期間でしたね。常にそういう時期があるかな。

ーそれらを経て、THE STARBEMSに入っていくんですけど、元々は日高さんの「ヒダカトオルバンドセット」がスタート?

あそこが最初のスタートで、2010年の年末にあったカウントダウンジャパンかな。最初はハイスタ気取ってトリオでやろうと思ってやってみたんだけど、そしたら全然弾けなくて。やっぱ横山健くんとかシノッピー(渡邊 忍)スゲェなって(笑)そのときベース弾いてたのが派手な金髪で、ちょっとオカマっぽいあいつ(寺尾順平を指して)なんですよ(笑)

(高地広明:以下、高地)この格好(サスペンダーを指して)が(笑)

(寺尾順平:以下、寺尾)うるせーな気に入ってんだよ(笑)

ードラムは誰が?

高地:dijさんです。

あー「THE BEACHES」のdijだ。それが最初です。あそこで新曲を2,3曲演ってみて「ギターがいるな、鍵盤がいるな」っていう感じでちょっとずつメンバーが増えていったのがヒダカトオルバンドセットでしたね。

ーそのツアー時に震災があって、日高さんも実際に被災地へ行かれましたが、目の当たりにすることや震災への対応で、また”怒り”みたいなものが再燃したと思うんですが?

最初は郡山でライブが入ってたんですよね。それをやるやらないで揺れてて、ちょうど北関東と東北ツアーが入ってて。で、こっちは無理だろって思ってたんですけど、ハコ側が来て欲しいと言ってくれて。お客さんもやって欲しいっていう声が多かったんで、無理くり行ったら予想以上に反応は良くて。関東で見てる程のその…もちろん惨状は酷かったんですけど、逆に流通やインフラの動き、芸術的なことまで止まって本当にみんな鬱屈としてたんですよね。「弾き語りくらいで良ければ全然やるよ」みたいな感じで行って、そのあとバンドセットのツアーもしましたし。やっぱりバラッバラなんですよね、行政のやり方も県や市での違いもあるし。保証のされ方も「その塀が○メートル以上壊れたら全壊。で、そこから下は半壊」みたいな。でもそんな単純なものじゃないじゃないですか?被害に対するバラツキと行政対応のバラツキにみんなすごいジレンマを抱えてて。そこは実際に行けて良かったし、それは未だに全然解決してない部分なんで、THE STARBEMSもがっちり協力できたらなってすごい思ってます。

ーそれこそ、ラウドへの傾倒にも通じることですよね?

そこが妙に合致しちゃって、自分でも悲しかったですよね。本来は平和に生きてる中での怒り…でもホントにシャレになんないっていうところは、歌わなくて済むんだったら歌わない方が絶対に良いことだと。震災に関しては特にね…だけど、やっぱりラウド系が反応してたのもそこかなとも思うんです。みんな、怒りをぶちまけながらライブをやっているバンドばっかりが行ってたんで。当時、あの界隈のみんながすごい一丸となってましたね。これ悪口ではないんですけど「BRAHMAN」のTOSHI-LOWって口うるさいので有名なんですよ(笑)アイツ、おせっかいおばちゃんなんで。だから震災のときに「逃げたバンドマン、オレが全員引きずり回す」って言って(笑)「まあまあ」ってみんなで取り押さえてたんだけど、ちゃんと震災復興を巡って本気のケンカしたりして。そんくらいみんな熱い気持ちで一丸となってやれてたんで、それは言い方悪いですけどバンドマン界隈的に気持ち良かったですよね。そこまで付き合いのなかったバンド同士が仲良くなったりするのもすごい良かったですし。「THE BACK HORN」と「BRAHMAN」は繋がってたけど、「THE BACK HORN」と「idolpunch」がTOSHI-LOW経由で仲良くなったりとか。あと、亡くなっちゃいましたけど「Bloodthirsty butchers」の吉村さんと「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のゴッチが被災地で一緒に弾き語りして仲良くなったりとか。で、「今度一緒にやろうぜ」みたいな。結局実現できなかったんですけど、そういう当時の美しい裏話がいっぱいあって。オレもそれまで「雷矢」とかも挨拶程度だったんだけど、そこで一気にぐっと話し込むように仲良くなって。すごい良かったって思いますよね、「SLANG」のKOちゃんもそうですし。

ーきっと、感じているところや見ているところが同じだったんですよね。

ま、ジャンルとか違ったりすると敬遠してたりとか遠慮しちゃってたりとかあったんですけど、それが遠慮なく交じるのが「AIR JAM」では如実に出ててすごい良かったと思いますね。
それまで一緒に演ることはないだろうなって思ってた人たちが一緒に演るようになって、それはすごく嬉しかったですよね。

ー日高さんも「BOYZ OF SUMMER」でそれをやってもらえるとファンとしては嬉しいです。

ちょうどこの間も「RAZORS EDGE」が大阪でやってたり、「Locofrank」「ロットングラフティー」もやってるし…今はちょっとフェス的なのが多いんで(笑)、それはもちろん喜ばしいことだし、出して貰えたら本当に嬉しいことなんですが、今オレが考えてるのは、年末にコピーバンド大会しようかなって(笑)昔、渋谷GIG-ANTICで毎年大晦日にコピーバンド大会があったんですよ。オレは5,6年連続出場してて。「ASPARAGUS」「SHORT CIRCUIT」「HUSKING-BEE」とか、まぁ横浜系のバンドがメインなんですけど。でもGIG-ANTICがなくなっちゃったんで、オレ主宰で今年やろうかなって思っているんで。

ーおお!

その代わりコピーバンドですよ(笑)「一切、オリジナルは禁止です」っていうのはちょっと考えています。

ー楽しみにしています(笑)話をTHE STARBEMSに戻させて頂いて、歌詞の内容でBEAT CRUSADERSがフィクションなストーリーだとすると、THE STARBEMSは完全にリアリティがありますよね。

今は完全にノンフィクションですね。元々BEAT CRUSADERSのときも、嘘は歌いたくなかったんですよね。フィクションのストーリーがあっても、その気持ちは嘘じゃないっていうか…例えば失恋話があっても「悲しくなければ悲しくない」、面白い話があるとしても「面白くなければ面白くない」っていう風に歌うようにしようって思って。そこに1つ、物語を挟んでたのが楽しかったし、BEAT CRUSADERSのようにお面のバンドっていうのは逆にその辺の距離感がちょうど良かったですね。お面被ったヤツにね、「人生諦めないで頑張れ」なんて言われても「まず、お面とれよ」「まずお前がいろんなこと隠してるくせに、そんな偉そうなこと言うな」とか思うんで(笑)でも今はTHE STARBEMSとして、別に隠すものは何もない。金玉も隠す必要ないですし(笑)

ー(笑)そこですよね。お面を外された後もきっとそうでしょうし、”日高央”としてやれるバンドがTHE STARBEMSになっているというか。

そう、完全にそうです。だからね、”MAN WITH A MISSION”に完璧なアドバイス出来るもん(笑)「頑張れ、二次元行くよな、行くよな(笑)次はフィギュアだぞ(笑)」とか思いながら見てるもん(笑)かわいい後輩ですし、すごく応援してるんです。彼も被災地にすごく行ってくれてるし、ありがたいですよね。人気のあるバンドが被災地に行った方が絶対に惹きもいいんで。

ー先程、「バンドセット時にギターとボーカルを演るのが大変」っていうことからボーカルに専念されたことは大きな変化だと思っていて。作曲は日高さんでも、今までギターを持ってステージに立っていたところから、ボーカルのみになった差は日高さんの中でどういったものがあったんですか?

まずは「BEAT CRUSADERSの繰り返しになってはいけない」と思ってたんで、パートを変えようとしたんですね。オレがギターかボーカルに専念するかっていう。ただ、歌声が良いって褒められてるから、ギターに専念しちゃったらもったいないっていう(笑)

ーもったいないですね(笑)

じゃあ、ギター置いて歌おうとなったけど、ピンボーカルも大変でしたね。やっぱり運動量がギタリストの比じゃないというか(笑)”BRAHMAN”のTOSHI-LOWとか”怒髪天”の増子さんてすごいなーっていうのが最近分かった(笑)本人達には絶対言わないですけど(笑)

ーライブの気迫がすごいですよね。さらに日高さんがギターを置いたにもかかわらずTHE STARBEMSはギター3本あるっていう(笑)

そうですね。鍵盤的な役割がやっぱり欲しかったんで。当初はキーボードを入れて何度かバンドセットを演ってみたんですけど、どうしてもアレンジがBEAT CRUSADERSっぽくなっちゃうんですよね。そうすると、楽曲に制限が出てきちゃうんで、なるべくBEAT CRUSADERSっぽくないっていう意味でギターを3本にしました。カッコイイこともできれば、ラウドな方にも振り切れるし。あとは単純にキーボードのバンドが増えすぎてて、ダサイなって思うようになっちゃって。

ー天邪鬼的なワケではなく、みんなが同じになってしまうのがイヤなんですもんね。

そう、音楽って波があって、多分パワーポップっぽいのが1番ダサいでしょ。今、カワイイ女の子とデートしてて「オレ、”WEEZER”好き」なんて、絶対に言わないじゃないですか(笑)クルマ乗って、ラジオとかCDかけるときに”WEEZER”流すとちょっとダサいみたいな(笑)だったら、まだ”SKRILLEX”とか”STEVE AOKI”かけてた方がカッコイイ。そういう意味でBEAT CRUSADERSっぽいのは、正直言ってオレの中ではダサいんですよね。そういうのは多分2,3年経てばまたカッコ良くなるだろうし、ニッチじゃないとカッコ良くないっていうか。ミュージシャンとしては矛盾してるんですけど、大体みんなが好きなのはオレ好きじゃないんですよ。1人でも多くの人に聴いてもらいたいとは言いながらも、みんなが好きな物を全然好きじゃないっていう。やっぱり、スターってダサいじゃないですか。スター的なことってなんかカッコ悪いんですよ。”知る人ぞ知る”っていうのが1番カッコイイと思います。

ーアンダーグラウンドでもオーバーグラウンドでもないという…

タモリさん的なね。昔読んだ本の話ですけど、ピアニストの山下洋輔さんが九州でツアーしてるときに、ホテルかどっかで打ち上げしてたらしいんですど、その乱痴気騒ぎの現場にタモリさんが勝手に入ってきて。誰かがハナモゲラ語をやったらタモリさんもハナモゲラ語を返して、デタラメ中国語をやったら、タモリさんもデタラメ中国語で返してきて。「おまえ、メチャクチャ面白いな、誰だ?」って聞いたら全然知らない人だったっていう(笑)それで「あ、森田です」っていう、その感じです。で、山下洋輔さんたちがそれを面白がって、タモリさんを東京に連れてきて、赤塚不二夫さんが最終的に面倒みたっていう。でも当時はあの界隈しかタモリさんのことを知らなくて、テレビにも深夜にしか出てなかったし。だから、大橋巨泉よりタモリだなっていう。巨泉さんみたいな、誰もが知ってる名司会者よりは、タモリさんみたいにワケの分からないことをずっと言ってるけど、堂々と全国的なテレビに出てるっていうのは、すごいパンクスだなって思いましたね。「笑っていいとも!」でも最後の最後で、「ネットで期待してますよ、みんな」ってなっても「明日も見てくれるかな」って最終回で普通に言いましたからね(笑)それがタモリさんだなと。

ーTHE STARBEMSの始まりもそうでしたけど、中学生のときに聴かれていた”LAUGHIN’NOSE”から得た初期衝動とずっとリンクしてるような気がしますね。

そうですね。基本的には、思春期に学んだ事を丁寧にやってるだけなんですよね。

ー昨年リリースされたアルバムの中で「HUMAN RIGHTS」に代表されるような、事実ベースの歌詞が先程のお話にあった震災や、常に抱えている反逆精神みたいなところをそのまま反映されているような気がしますね。

もちろん、人権侵害という単語はどこかデフォルメ的な言い方だとは思うんですけど、海外に行けば、そういうのは往々にしてあるものだし。人種差別問題にしてもそうで、日本ではみんなが気づいてないだけで実際には人種差別もあるし、人権侵害もあるわけじゃないですか?そういうものを実際の衝突では何も解決出来ないって気づいているのに、まだ衝突するんですよね。デモに参加したりだとか、一生懸命Twitterでケンカすることも大事かもしれないですけど、今は何の解決にもならないですよ。もちろん、歌を歌うことだって何かの解決にはならないんですけど、知ってるか知らないかということは、大きな違いになってきていると思いますね。今、Twitterでケンカしている人に声を大にして言いたいのは「ケンカする前に、とにかく知らせればいいじゃん。知ったらそこでもう、おしまいで反論よしなさい」ってことで、反論しているつぶやきがもったいない。そういう意味では、それをCDとして作品に残せるっていうのはすごくありがたいことだな、と思いますね。どこのシチュエーションで聴いても、なんとなく自分が関与してる人権問題みたいな感じに捉えられるように、多角的な感じで書いてるしそれこそ、世界全体の人権問題のことですよね。ヨーロッパに行けば、それは人種の問題であるだろうし、日本国内だったらもうちょっと…まあ、言いにくいな(笑)人種の問題だよね(笑)オレ的には、個人的な人種の問題や宗教的な差別も一切ないから、歌詞に関して誰が聴いても同じように捉えられるように、フラットに書こうと思ってますけどね。ただ、怒りながらフラットに書くっていうのが難しいんですよ。直接書いちゃう方が簡単で、例えば「第二次世界大戦がダメだ」っていうのをそのまま歌にするのって別に難しくないんです。だけど、そんなのはわかってることだから、改めて歌詞に書くよりはそこに1個、入り込みやすい入り口となるキーワードがあった方がバンドとしては良いし、自分が実際に好きで聴いてたバンドも、そういうことがすごく多いんで。

ー実際、それは日高さんが1番描写しやすいものであり、やる意義があるものなんでしょうね。

そう。あとで調べると”THE BEATLES”の「Taxman」とか、当時は確かイギリスの税金が6~7割取られていたらしいんですよね。当時はビートルズの曲で莫大に儲けたジョージ・ハリソンが、例えば1億円稼いだら7千万とられたっていう、それは庶民の年収の割合で考えたら怒るよね(笑)でも、その怒りが名曲になるっていうのは、すごく良いことで。
「Taxman」って語呂も良いしカッコイイじゃないですか。やっぱり音は違えど、ああいう風にやっていきたいなと思いますよ。

ー今回6/4にリリースされる「ULTRA RENEGADES E.P」は”SXSW 2014″に出演された後、アメリカでそのまま録音されたとのことですが、その場所を選ばれた理由をお聞かせいただけますか。

まずは、SXSWに出たかったんですよね。やっぱりBEAT CRUSADERSはアニメの勢いで海外にウケてたっていうだけで、海外の人からすれば、普通のロックに聞こえちゃってたと思うんですよ。だけどラウド系に関して言えば、海外と同時進行っていうことが多いんで、海外の人が今のTHE STARBEMS聴いたらどう思うかっていうのを確かめたくて。で、去年はエントリーしたんですけどダメで、今年は受かったし張り切って行ったんですけど、せっかく行くんだったらレコーディングしちゃおうと思って、オースティンでレコーディングスタジオ探してもらいました。

ー実際にライブを演って、皆さんの反応をそれぞれお伺いできますか。

高地:SXSWの場合、街全体が音楽と共にあるというか。普通に生活に根付いていて、飲むついでにフラッと会場に入ってくる環境がすごいなと思いました。

寺尾:踊り狂ってたもんね。みんな、その期間はそのためにメチャクチャ集まってるもんね。

高地:柵もないし、レストランみたいなところでデッカい外人が暴れながら踊るからすごい楽しかったです。

寺尾:ライブやった場所がパブみたいなところで、ちゃんとしたステージじゃなかったんですよね。段もないし、目の前にお客さんがいる状態でやってたので、ダイレクトっていう言葉がそのままって感じで。僕なんか、目の前に日高さんとニシくんがいたんで良いですけど、日高さんはお客さんと顔を突き合わせて歌っているような状態だったんですよね。もう、そのダイレクトな感じが気持ち良かったですね。

後藤:本当の意味での距離が近いっていうね。バンドとお客さんの距離っていうか。

寺尾:日本でもフロアライブってあり得るだろうけど、その距離で外人の前で演れたっていうのがすごい嬉しかったですね。

後藤:言葉が通じないから、自分たちの熱意をそのまま叩き付けないといけないっていう。こっちが100投げたら向こうも100…下手すると120返してくるみたいな。それでいて、お酒飲んで「イエーッ」ってやったりモッシュしたリ、1人1人ぞれぞれがピュアに楽しんでるんだなっていう印象を受けました。

日高:まあ、今の三人の感想はみなさんの想像力の範疇ですけどね(笑)ここから先は、日高央の考えるSXSWの情報をお伝えします。

ーありがとうございます(笑)

SXSWはスタートしてからもう20年ぐらい経っちゃったんで、フェス内で貧富の差があるんですよね。iTunes Festivalみたいに世界的に中継されるものは、ものすごくお金をかけて宣伝するしチケット代も高いし、セレブしか入れないんです。実際、SXSWも通し券を買うと5、6万するんですけど、1日券とかiTunes Festivalなどのホール以外の通常ライブを見るのは非常に安いんです。街中のパブやバーでのライブは治外法権で、まず舞台監督がいないし機材もない。アメリカでは当たり前のことで、運営スタッフもiTunes Festivalとか大会場の方で忙しいから勝手にやってくれってスタイルなんです。

ーPA卓やモニターもですか?

4チャンネルぐらいの卓が隅っこの方に(笑)

ー(笑)辛いですね。

だからこそ燃えましたね。SXSWでは過去にFacebook・Instagram・TwitterなどがSXSWインタラクティヴ・アウォードで受賞して、それを切っ掛けに当っちゃった経緯があるので、IT系かiTunes Festivalみたいなホールを貸し切って全国的に中継するようなものは盛り上がる感じですけど、街中は相変わらず飲んだくれのお金持ってないヤツらがウロウロしながら街ごとパーティーという感じなんです。

ーそれを狙ってらっしゃたんですよね?

iTunes Festivalも出れるなら出たいですけど(笑)まずは街中でパーティーする感じを狙ってました。ただパーティーのイメージが日本とは違うんです。日本は、誕生日だとか名目がいるじゃないですか?でもアメリカではホームパーティーが当たり前なんで、お題が要らないんです。お題がなくても、お酒飲んで素敵な音楽に身を委ねることが出来るんです。オレらもライブハウスのときはお金をもらってる分、ちゃんと観せなきゃいけないっていう気持ちがあるんですけど、アメリカ人には申し訳ないけど3ドル分ぐらいのラフな受け入れ方をやってみないとちゃんとしたことも出来ないと思ったんで、そういった意味で良い修行でしたね。で、ちょうどオレらがライブをやったベニューの2Fで完全にマリファナの匂いがして、「上はゲイ・パーティーだから気をつけて」なんてことを言われて(笑)どうもメンバーがしきりに呼ばれてるなと思ったら…(笑)

ー呼ばれちゃうんですね(笑)

行かなかったですけど、もし行ってたらライブは出来なかったでしょうね(笑)でもそういうことも含めて面白かったです。ああいうことは日本ではそうそうないですし。

ー実際のライブはどれぐらいの時間演奏したんですか?

30〜40分ぐらいを3回ですね。オーディエンスも日本が好きで、アイドルやアニメ等をよく知ってる人もいれば、フラっと入ってきた大学生みたいなヤツが、「お前らめっちゃクールだったから、このキャップあげるよ」って”New York”って書かれたキャップをくれたり(笑)全員が演者なんですよね。日本だと、はっきりオーディエンスと演者って分かれちゃうじゃないですか。アメリカ人はライブが良ければ盛り上がってくれるし、実際には言わないにしても、ヘタすりゃ「ちょっとギター貸してくれよ」みたいなことを言ってきてもおかしくない連中なんで。そういう意味では、客席とステージ上がイーブンなんですよね。フロアライブなんで文字通りイーブンな関係でやってるし、つまらなかったらすぐに帰るし、面白けりゃ踊ってくれるし。それは自分にとって凄く良いバロメータになりました。

ー反応がダイレクトなんですよね。

そういう意味で反応が良かった。45歳だけど、まだバンド続けていいかなとは思いました(笑)

BEAT CRUSADERSのボーカル&ギターとして多くのロックファンの支持を集め、BEAT CRUSADERSの散開後も、数々のプロジェクトに参加し、2012年12月に”THE STARBEMS”を結成。自身のバンドだけでなく、楽曲提供・プロデュースまで行い、多彩な才能を持ったロック界でも唯一無二の存在、日高 央さんのロングインタビューを全4回に渡ってお届け!!第4弾となる今回は、最新シングル『ULTRA RENEGADES E.P.』から今後の活動についてを深くお伺いしていきます。

ーSXSWの熱量のままレコーディングされた『ULTRA RENEGADES E.P.』 について、解説頂ければと思います。まず1曲目の”LET LIGHTS SHINE”では、「世界中に明かりを灯そう」という単語に集約されていると思うんですけど「人々が行動することで」という風にも捉えられたんですが、歌詞も含めてそのあたりは如何でしょう?

最初はバンド内で繰り返してたフレーズ…、土曜か日曜にテレビでやっていた宗教系の番組のオープニングで言っていた言葉なんですけど「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」という言葉が流行ったんですよ。昭和の子は1度は耳にしているフレーズじゃないですか。それがバンドのリハの時にやたらと流行って、誰かに「物取ってくれ」じゃなくて自分で取りに行ったらええやんかという風潮の中で生まれたブームだったんです。そういう中でオレも改めて宗教観を見直す機会があって、そういえばあの番組ってものすごくお固い宗教番組だけど、キャッチーなフレーズをあそこに持ってくることで間口を広げてくれているというか。で、気付くと街には教会って必ずあるんですよね。そこには特別な敷居とか柵は本来はないはずで。人間の感情がそれを作ってるだけだし、宗教差別とか世の中には全然あるわけじゃないですか。その宗教差別で分断されるのがすごく勿体ないしバカバカしいから、割とそういうオレなりの宗教観を歌ってる所でもあります。どこの地域とは言わないですけど、「プラスティック爆弾の音が聞こえるか」というのは結局、宗教で戦争が起こっちゃう国もあるわけじゃないですか。そういう問題提起みたいな歌詞ですね。

ー演奏面は如何ですか?

これは頭のベースが重要な曲なんですけど、今まで3回ぐらいしか成功してません(笑)

寺尾:レコーディングの時が奇跡的に上手くいったぐらいで、なかなか難しい曲です。ベースキッズのみなさんはコピーする時には頑張って頂きたい曲です!

ー(笑)あと、バスドラがとんでもないことになっちゃってますけど。

高地:あれも一緒でライブでは3回ぐらいしか成功してません。まあ多いですね…昨日まで名古屋・神戸・大阪とライブで行って来たんですが「やたら(バスドラが)入ってるね、忙しいね。」って対バンのドラムから言われました。

日高:誰から言われたの(笑)?

高地:「OVER ARM THROW」のエイジさんです。

日高:アハハ、オーバーアームは暇そうだから(笑)?

高地:そんなことないっす。コーラス一生懸命やってますよ(笑)

後藤:ベースとドラムが色々と詰め込んである分、ギターはシンプルになってると思うんです。(録音した)ギターの本数も1人1本ぐらいの感じなんですが、そこはライブのままの熱量に近い聴こえ方になっていると思います。

日高:今回あんまりダビングしなかったんだよね。時間がないっていうのもあったけど。普通はあんまりライブで再現出来ないフレーズが多いんです。すぐにニシ(越川和磨)くんとゴスケ(後藤裕亮)はライブで再現出来ないことやりたがるんで。だからやめてくれって(笑)

後藤:その分、ライブの熱量がそのまま入っていると思います。

ーそれでは2曲目の”PITFALLS”なんですが、僕の中では一曲の”LET LIGHTS SHINE”の「Each other’s helping hands?」という歌詞とリンクしているように思えました。

これもSXSWをやってる最中に歌詞を書いたんですけど、あんまり考えずに向こう行って、最初は歌いながら決めればいいやぐらいのノリだったんです。もちろん、震災を示唆している歌詞なんですけど、ちょうどSXSWのステージの時、機材が無かったんで前のバンドから借りてみたいな助け合いがあったんです。だからバンド同士の助け合いのことも、ちょっと個人的には入ってるんですよ。オレたちのステージは、イギリス・ブラジル・オレたち日本・アメリカのバンドと国際色豊かだったんですよね。それでオレたちの前のバンドが、トリオのガレージパンクバンドだったんですけど、ギタリストがガットギターにピックアップつけてエレキにしててメチャメチャカッコ良かったんです。音像とかルックスもカッコ良かったし。それで「これどうしたの?」って聞いたら金がないからゴミ箱で拾ったって。セッティングとか教わって、オレも日本帰ったらやってみるわって感じで交流が生まれたりして、そこから機材借りたり。

高地:そうです。直前にシンバルがなくて、どうしようってなって。

で、慌てて次にスタンバってた”MEAT MARKET”ってバンドにシンバル貸してくれってお願いして。あれは本当に美しい助け合いだったね。でもそれって日頃から転がってる話じゃないですか。年配の方に席譲ったりするような感じで。で、今日も電車に乗ってて思いましたけど、乳児を抱っこしてるお母さんを思いっきり無視して、大学生ぐらいのヤツがずっと座ってゲームしてるみたいな。本当に引っ叩いてやろうかなって思ったけど、実際は引っ叩くわけにはいかないんで歌で引っ叩こうという曲ですね、これは。ちょうど同じタイミングで”Grateful Dead”のジェリー・ガルシアが”Grateful Dead”を自分でマネージメントして、ライブの運営は全部自分らでやってて、仕事上の5つの心得みたいなビジネス書になってるのがありますよね?その本の中の有名な一文で”音楽に関わらず仕事には必ず落とし穴がある”ってフレーズがずっと印象に残ってたんで、”落とし穴”という意味の”PITFALLS”にしたんですよね。助け合いが必要だけど落とし穴もある、世の中の善と悪の両方みたいなのがテーマで意外と壮大な感じですね。そんなこと知らずに彼ら(メンバー)は演奏してるんですけど(笑)

ー(笑)

イントロはLenny Kravitzの”Are You Gonna Go My Way”的な感じだよね。オクターブの上と下でフレーズを弾くみたいな。みなさん意外だと思いますけど(笑)今レニクラ好きもちょっとダサいイメージあって可哀想だから、敢えて復活させてあげようと思ってやってみました。

ー(笑)3曲目”BOYZ OF NATIONZ”はパンクのイデオロギー全開みたいな曲ですね。

これは元々1stの時からあって、最初はもうちょっとサーフっぽいイントロだったんですけど「怒りが感じられない、怒り成分が薄いな」ってことで寝かしてたんですよ。それで怒り成分を増やして、前はコーラスもこんなにガツガツ入ってなかったし、イントロも優しい導入だったので厳しめにして、21世紀のOi!パンクみたいなイメージです。

ー炸裂してました。

“OiOi”言わなきゃって。面白かったのが「Snuff」のダンカンと弾き語りのライブをやらせてもらったんだけど、本場ロンドンのOiスキンズも経験してるロンドンッ子だから必ず語尾に”OiOi”って言うんですよ。「トオル元気?OiOi」みたいな(笑)50歳近いおじさんが目をギョロギョロさせながら”OiOi”言ってて可愛らしかったんで、Oiソングを欲しいなと思って”Oi”を強めにしました。

ー確かに存分に入ってますね。コーラスはメンバー全員入られたんですか?

日高:全員やったよね。高地もやったっけ?

高地:”O〜iO〜i”の所やりました。

日高:ちょっと彼は音程が…(笑)イカツイ所だけ、音程関係ない所だけやってもらいました。BPMもあげたよね?

高地&後藤:あげましたね〜

高地:10ぐらいはあげましたね。

日高:演奏出来てるの?

高地:あれは大丈夫っす!

日高:「あれは」って…大丈夫じゃないのどれよ?(笑)

ー(笑)そして4曲目”KING KONG FIVE (Mano Negraカバー曲) “ですが、これもメチャクチャ早いですね。

これも早い。

ービックリしました。

高地:あれは難しいっす。本当難しいっす(笑)出来ないっす(笑)

日高:あのイントロは未だにほとんど成功してないし、出来ないって言っちゃったね(笑)どういうこと?

高地:レコーディングは分けて録ったんです。

寺尾:そこだけね。

高地:「あそこだけやらせて下さい」って。だから無になってやりました。

日高:そういう宗教的なこと言われても判らねえよ(笑)宗教差別なのか(笑)?

高地:宗教は自由だって言ってたじゃないですか(笑)

日高:元々、1stアルバムの”FUCKIN’ IN THE AIR”って曲で「BEASTIE BOYS」っぽいヤンチャなパーティー感を入れてて。それで今回も90’Sっぽい曲をやりたいなって思ってた時に、ちょうど「Mano Negra」のこと思い出して。何がすごいかって、フランスのバンドなんですよね。60年代ぐらいから青春を送ってる日本人って絶対にアメリカかイギリスの支配から逃れられないじゃないですか?1回イギリスにハマっちゃうとアメリカをクソだって言うし、アメリカのヘアメタルっぽいのにハマっちゃうとオシャレなMODSとか全く分からないんですけど、ちょうどオレらの世代の時に分断があって、特にパンクロック出た時は、「THE EAGLES」がクソ、「SEX PISTOLS」最高って人と、「ALLMAN BROTHERS BAND」分からないヤツは音楽聴くなよって先輩は、逆に「SEX PISTOLS」とかあんなのロックじゃないって言ってたり。それをクダラねぇなと高校生のときぐらいから冷静に見ていたから、非英米圏のモノは貴重なんじゃないかと思ってて、「Mano Negra」「Les Negresses Vertes」とか思い出して。フランスから気炎をあげてくれていて、凄く印象に残ってたから「Mano Negra」は取り上げたいなってずっと思ってたんですよ。で、HIP HOPも好きなんだけど、かといって今「THE STARBEMS」でモロHIP HOPみたいなのは出来ないんで、間をとると超高速HIP HOPミクスチャーみたいな、リズム隊泣かせの曲になりました。

ー聴かせて頂きましたが、リズム隊も然りですが歌も大変ですよ。

日高:歌も大変ですね。コーラス大変だった?

後藤:もう本当すごい…

日高:1stアルバムのタイトルばりに血だらけになりながら?

後藤:文字通り血だらけになりながら(笑)

ー(笑)紹介頂いたシングル『ULTRA RENEGADES E.P.』を引っさげ、6月からツアーが始まりますが、ツアーの意気込みについてもお伺いしたいと思います。

高地:僕らのライブはいつも全力でやるし、もちろん観て欲しいんですが、素晴らしいゲストバンドが今回出演してくれます。もしかしたら初めて観るバンドもあると思いますが、それを見て感じて欲しいと思います。

日高:ドラムは聴かないように?

高地:”KING KONG FIVE”は聴かないで良いです(笑)対バンにも注目を!

日高:どこまで再現出来てるかも是非チェックしてもらいたいです!

高地:帰ったら練習だ…

寺尾:アメリカで経験してきたライブの熱量を日本のファンの前でも還元出来るように熱いライブをやりたいと思ってますので、是非ライブハウスに来て下さい!それで”LET LIGHTS SHINE”のイントロを厳しい耳で聴いて下さい。

高地:僕がちょっと早めにカウント出すので(笑)

寺尾:オイ(笑)

日高:リズム隊の騙し合いも見れるという(笑)

後藤:ライブを意識したシングル曲を是非聴いて欲しいです。そしてそれ以上に生々しいライブにしたいと思ってます。

日高:ここまでの意気込みは、みなさんの予想通りでしょうけど(笑)オレの個人的な目論見としては、2ndに向けて新曲をいっぱいやるぞという。

高地:聞いてない…

日高:デモはいっぱいあるんでやりながら作ろうと。今回のシングル曲もライブでは結構やってたんで。でもレコーディングで結構変えたか…REC前提のライブになるか、もしかしたらピクリとも動かないかもしれないです(笑)

ー(笑)

新曲を織り交ぜたり試したり、だから「ライブで演ったのにCDになりませんでした」もあるかもしれない。

ーライブのプレミアム感ってそういうのもありますよね。

逆にライブで一切やらなかったのに、新曲がリリースされるかもしれないし(笑)本当それは我々も演ってみないとなんとも言えませんが。ただ今予定しているのは新曲をいっぱい演れたら良いと思ってますので是非遊びに来て下さい。

ーありがとうございます。最後にTHE STARBEMSとして思い描いてることを是非、教えて下さい。

SXSWみたいな海外フェスにはまた行きたいと思ってて。今、インターネットが普及してフィジカルCDがなくなってきてるじゃないですか?SXSWが開催されたオースティンは2〜3軒しかレコード屋がなかったんですけど…それでもまだ良い方で、他は壊滅状態らしく、ちょうどシアトルから友人が来てくれたんだけど、シアトルは「Nirvana」いるから盛り上がってるかと思ったらそこも壊滅状態らしく…かといってインターネットがあるから日本のバンドが海外でどれだけ知られているかっていったら全然知られてないじゃないですか。「Crossfaith」や「FACT」みたいに積極的に海外に行かないとダメなんですよね。もうちょっとフラットにやれるやり方があるんじゃないかと思ってて、こっちからも海外のバンドをネットで知ってコンタクトを取っていきたいし、ネットでも発信していきたいですね。きっかけは、アニメでも何でも良いんですよ。だからSXSWは試金石としてすごく良かったんで、同じようなことをヨーロッパでもアジアでもやりたいです。理想としては、ビビアン・スーのパンク版みたいな?日本でも台湾でも知られているし、ちょっとアメリカでも知られている。チャン・ドンゴンとか俳優さんでも良いんですけど(笑)なんでああいう温度感のものが音楽で出来ないんだろうって思いますね。日本でも真田広之さん、渡辺謙さんとか…あれはハリウッドなのでちょっと規模がでかいですけど…もっとインディーなレベルで絶対出来ると思うんですよね。誰もそういうガジェットとかサイトとか方法論を見つけてないわけで、それこそCDとかアナログでやり取りをしてた頃って、もっとピュアだったはずと思うんですよね。別にオレはCDが是が非だとは思ってなくて。基本的には音楽が良ければ何でも好きだし、オレもダウンロードして音楽を聴きますし。今日もiPhoneでストーンズ聴きながら来たけど、iPhoneで聴くストーンズの音のスカスカさに比べれば、CDやアナログの方が音が良いに決まってるのは分かってるんですけど、否定することで文化を止めちゃうぐらいなら受け入れることでどんどん進んだ方が良いし、逆にこっちが面白いと思うことを提案していきたいですよね。THE STARBEMSもその入り口やきっかけになれたら良いなと思ってますね。だからみんなビビアン・スーを研究して。ポケット・ビスケッツだっけ(笑)?

後藤:ブラック・ビスケッツです(笑)

一同:(爆笑)

日高:今日一の盛り上がり(笑)

後藤:ビビアン・スーが初めて日本に来て「スーパージョッキー」に出た時から知ってますから。

日高:そうなの?みんなシーンとしちゃったじゃん(笑)

ー最後にすごいネタを頂いてありがとうございます(笑)

日高:ゴスケの発言で閉めんのやだな(笑)

一同:(爆笑)

ー日本に括られることなく、時流に逆らわずですね。

ネット時代ならではのフットワークの軽い活動をフラットにしていきたいですね。洋楽離れの原因はきっとそこなんですよね。CD買うのもダウンロードするのも面倒くさい。割とテレビやラジオで普通にイイ感じの聴けるから良いじゃないっていうのを何とかひっくり返したいんですよ。そういう意味では、気持ち的には未だに「おまんコール」してる感じなんで。今日は「ダサい音楽」って表現を使ってましたが、そもそも「ダサい音楽」ってリスナーが固執しちゃって、それしか見えてない状態がダサいんですよね。だから「WEEZER」に罪はない(笑)「WEEZER」はすごいバンドだしカッコイイんですけど、「WEEZER」しか分からなくて「WEEZER」以外の音楽に興味を示さない人はダサいと思うので、そういうダサさをなくしたいんですよね。そうしないと音楽も何も発展していかないし、結局ディープなアニメに引いちゃうのもそういう理由じゃないですか。アニメとかアイドルとか、結局ファンが固執し過ぎてて気持ち悪い。せっかくアイドルがいるのにコンサート行ってみたら引いちゃうようなオタ芸を見せられちゃうとかね。それがもったいないから、「BiS」みたいにクロスオーバーするアイドルを応援したいし「BRAHMAN」や「ASIAN KUNG-FU GENERATION」みたいに色々な人と対バンするバンドと一緒に演っていきたいですし、ジャンルもまたいでいきたいですね。椎名林檎ちゃんもそういう気持ちでセルフカバー集「逆輸入 ~港湾局~」にオレを呼んでくれたと思うし、こっちも異文化、異業種をどんどんね。せっかくプロレスモノマネ覚えて来たんで、レスラーなんかとも。

ー新日のオープニングでラウドがあってもハマりそうですしね。

オカダとか使ってくれたら嬉しいよねぇ…早速「レインメーカー」って曲が次のアルバムには入ってるかも(笑)


取材:2014.04.30
インタビュー・テキスト:Atsushi Tsuji(辻 敦志) @classic0330
撮影:Akisome