佐藤タイジ インタビュー

ー 勉強もスポーツも出来る優等生からその全てに挫折した時に出会ったギター。そして上京と同時に「シアターブルック」の結成。
PART.1では少年時代〜「シアターブルック」の結成までをお送りします。

ー少年時代の「佐藤タイジ」からひも解かせて下さい。

そうですね、活発・悪戯っ子で頭が良いとされてましたよ。

ー勉強が好きだったということですか?

好きだったか…というと微妙なんスけど、好きな科目はあったッスよ。歴史や国語とかで、算数と理科は苦手でしたね。

ー文学少年ですね。

感想文とか書くのが好きでしたね。何枚書いても良いってことで教壇の上に原稿用紙が置いてあって、争うようにたくさん書いたりとかね。あと、覚えてるのが縄跳びの2重跳びってあるでしょ、あれが妙に上手かったんですよ。冬になったら全校生徒で2重跳び大会をやって、引っかかった子はしゃがむってやつ。俺、最後の1人までになった事あるッスよ。

ー2重跳びのプロ(笑)

(笑)あとね、小学校の時は児童会の副会長とかやってましたね。学級委員とかやる子なんスよ。

ー頭の良い子がやる風習だったと思うんですけど、タイジさん頭良かったんですね。

そうですよね。頭良かったし、自らそういう所に顔面から行くタイプだったので。

ー目立ちたかったみたいな?

目立ちたがりなトコはあったと思うんスけど、自分の中では目立ちたいからやるっていうのは違うんスよね(笑)”俺以外に誰がやる”っていう責任感からですよね。「目立ちたい?そんなん最初っから目立っとるわアホ!目立ちたいからやってんちゃうわボケ!」みたいな。

ー(笑)文学少年で活発というお話でしたがスポーツとかは?

バスケットを小学校4年くらいから始めて、それから中学校3年までずっとやってましたね。中学校の時はキャプテンやってたし。

ー頭が良くてスポーツも出来てって、めっちゃモテるじゃないですか!

“モテる方”だったと思います。今でも”モテる方”だと思います。それは、ものすごいモテてるヤツを知ってるから。「斉藤和義」とかいるし(笑)”モテてる”というのとは違うと思うんですけど、一般的に言うとそうですよね。

ー今も十分、モテてらっしゃると思います(笑)

それから、中学校が徳島大学の付属中学っていう、受験するトコだったんですよ。教育学部があったから。倍率が結構高かったッスよ、6倍くらい。

ー進学校に入学されたんですね。

入れちゃったんですよ。ただ、頭良いヤツと一緒に授業受けると「あ、勉強では敵わないんだな」っていうのが早めにわかるんですよね。

ーそれは中学1年でですか?

そう。「俺はすごい頭が良い」と思って中学も合格し、「俺、頭ええやん、全然大丈夫や」と。最初の中間テストで頭が良い体で臨んで180人中、120番とかだったの。「ゲッ、俺より頭が良いヤツが100人以上いる、アカン」って次頑張るじゃん…で、50番。「まだ上に50人もいるのか、クソ!」ってやったんだけど、1番頑張って10番くらいだったんですよ。

ーすごい!

いや、圧倒的にその上の10人はムリなんスよ。絶対、勉強では1番にはなれないってわかるわけですよ。それから中学2年くらいで、友達に誘われてバンドを始めて、周りを見渡してみるとギターで俺より上手いヤツは1人もいなくって「これか!」と。で、勉強は中学1年までで撤退してるの。

ー10番でも相当すごいですけど、タイジさんの場合は1番が目的ですもんね(笑)勉強は早めの見切りでギターになったとのことですが、バスケットでは目指さなかったんですか?

勉強は脱退です(笑)バスケットにはならなかったですね。進学校のチームだったから、たいして大きいヤツもいなかったし、強くなかったんですよ。どれだけ頑張っても3回戦止まり。「勉強もダメか…バスケもダメか…」ってなって、バンドやってみたら「これや!」って。

ー最初からギターだったんですか?

そう。最初ね、ベース弾きたかったんですけど、俺バスケットボール部のキャプテンじゃないですか。うちは野球部なくって、ソフトボール部のキャプテンが、バンドやるって誘ってくれるわけ。で、どうせやるんだったら…うちの姉ちゃん「THE BEATLES」好きで、ポールのポスターが部屋に”バーン!”って貼ってあるの。「あ、ベースは弦4本だし簡単そうだな。ベースが良いな。」と思って言ったら、もうソフトボール部のキャプテンがベース買ってしまって。

ー(笑)

「あ、そうなんや…じゃあギターかな、ドラムとかないし。ボーカル…ボーカルってのもなぁ」みたいな。で、ソフト部のキャプテンがベース、俺がギター、バスケット部の友達がドラム、テニス部のキャプテンがボーカル。

ーおぉ、キャプテンバンド!

そうそうそう。でバスケ部の友達がもう一人ギターで入って。

ーそれでは1番最初から、ツインギターだったんですか?

そう、2本。

ー因みにタイジさんのパートはリード・リズムのどっちですか?

当然リードギター!(笑)

ー(笑)その当時って多分コピーだったと思うんですが…

♪(タイジさん、「Deep Purple」の「Smoke On The Water」のリフを弾き始める)

ーおお〜!

♪(タイジさん、「Deep Purple」の「Highway Star」のリフを弾き始める)これですよ!

ー(笑)「Deep Purple」の他に何かコピーされました?

このあとコピーしたのはね、「Iron Maiden」!

ー来ましたね(笑)

「Iron Maiden」ですよ!

ーまだ中学生ですよね?難しくないですか?

「Iron Maiden」…難しい?難しかったかな?

ー普通の中学生スキルで、「Iron Maiden」は難しいはず…

まあそうですよね、何かツインギターで”キュッキュキュッキュ”やってますもんね…シンコペーション入ったりするじゃないですか。やれちゃったんですね。やってましたけど「Iron Maiden」で、もうこれでメタルは完璧やなと。

ー(笑)

まぁ、そのあともメタルといえば言うても、結局「Iron Maiden」じゃないですか?「これで良し!」ってなって…その次のバンドから、俺は「WHITE ALBUM」とかが好きだったんで、「WHITE ALBUMをやろう」という方向性で「Dear Prudence」とかやってましたよ。

ー渋い高校生ですね…(笑)

あれカッコ良いッスよ…

ー当時の中学・高校と、メインで披露する場っていうか…

文化祭とかね、ありますよね。

ーコンテストに出たりされてました?

あったッスよ、あったッスよ。当時はYAMAHAがやってるポプコンみたいなのとか。お世話になってるスタジオがYAMAHA系で、そういうイベントとか出たりしてましたね。

ー徳島県内が中心ですか?

あんまよく覚えてないですけど…何かの四国大会とか行ったことありましたね。ああいうトコでウケるバンドってさ、あるじゃん。

ー(笑)分かります。

何か、あるんスよ。そのまま専門学校系に流れていく様なさ、人当たり・人受けが良くって…みたいな、そういうヤツをどっかで小馬鹿にしてましたね(笑)

ー(笑)

「アホか!」って。その辺りから小馬鹿にする姿勢っていうのがありましたね。東京出て来てからも「ホコ天」「イカ天」とかいうのあったでしょ?完全に馬鹿にしてましたね(笑)「アホか、バカじゃねぇの!」って。

ー「ベストテン」とかに出てる人じゃなくて”アマチュア”がですよね?

「ベストテン」になってくると、ちょっとクラスが違うじゃない?「イカ天」は割とイヤでしたね。ライブハウスでやってる連中にしてみたら、「イカ天」に出て、それだけで何か人気になって天狗になるヤツいたんですよ。すごい初期段階の「イカ天」に誘われたんスけど、「やんねーよそんなもん!何でだよ!」って。ふてぶてしい態度は早熟でしたね。10代で相当ふてぶてしい少年でした。

ー(笑)最初に結成された5人組のバンドは、人気ありました?

坊主頭の中学生がやってたんで。先輩のミュージシャン達からはウケは良かったですね。

ーあれ?でもタイジさんバスケ部でしたよね、決まりですか?

そうなんですよ、うちの中学って全員坊主頭なんですよ。

ー坊主頭で弾きまくる…

でも中学生ですからね、多分かわいかったと思いますよ。

ーその中学生で組まれたバンドは高校でも続けられるんですか?

ううん、高校行って解散。高校でみんな別のバンド始めて、俺は自分でもうオリジナルを作ってましたね。

ー早いですね…じゃあ高校で知り合った同い年の人で組まれた?

うん、そういうこと。

ー高校生だから坊主頭も卒業じゃないですか?で楽曲も「THE BEATLES」よりになり、オリジナルも作られるわけですが、人前でやる景色が変わったと思うんですよね。

そうでしょうね、あまり意識はしてなかったですけど。高校入った時に、音楽界隈の仲間で「すっごいギターがうまいヤツが入ってきたらしい」みたいな。「いや俺、全然1番上手いんで、すいません!」みたいなふてぶてしいヤツでしたね。

ー(笑)そういう集まりの中って、先輩で上手い人いるじゃないですか?普通にタイジさんから見て、誰よりも上手かったんですか?

いや、先輩で上手い人いました。そりゃいますよ、「この人は上手い!」みたいな人が。そういう人は今でも上手いですし、続けられてますし。

ー振り返ると、中学時代に勉強とバスケで挫折じゃないですけど、「1番を目指すのはやめよう」ってなって、ギターに出会いますが、高校でギターが上手い人がいて、「抜いてやろう」みたいな気持ちはありました?

うん。ギター、もっと上手くなりたいっていうのは、あったッスよね。やっぱ「負けたくない!」みたいなの、あったッスよね。

ー一番練習したタイミングはいつ頃ですか?

高校生の時かな。ラジオでちょっと耳に入るフレーズ、カッコ良いのとかあったらコピーしてましたね。

ー耳コピですか?

全部耳コピですよ、高校でピアノとか受けてないから。大学進学の時に「やっぱ音楽って良いな」ってなったんだけど、音楽の大学ってピアノ必修じゃないッスか。ピアノ全然やってなかったから、「うわー何だよもう。そんなんもっと最初に調べとけば、ピアノやってたのに」って。あんまり計画性みたいなのってないんですよ。大体、行き当たりばったり(笑)

ー(笑)大学に進学ついて、地元や四国の大学でも良かったと思うんですけど、東京に行きたくて大学選びをされたのか…

そう。やっぱりバンドやりたかったし、徳島ではバンドやって食えるわけがないし。大阪行くんだったら、東京行った方が音楽好きな人はたくさんいるんじゃないかなっていうのがあって。高校の終わりくらいに、先輩バンドに誘われてやりだすんですよ。それが結局、「シアターブルック」の母体になるんです。その先輩が東京にも部屋借りてて、そこに転がり込むっていう感じだったんですよね。

ー大学では音楽サークル等に入られたりは?

入ったッスよ、入ったッスよ!でも「シアターブルック」をやるっていうのがあったから、あんまり大学行ってなかったですね。

ー(笑)上京の口実って言うと失礼ですけど、そんな感じだった?

もう、完全にそうだった。で、親父にすごい怒られたッスよ。「あぁ、俺は今殺される」って思いましたね。20歳くらいの時ッスかね(笑)

ー(笑)大学2年くらいですね?

そう、2年くらい行って単位が足りなくって。4つくらいしか取れてないッスよ(笑)

ー(笑)

酷い、惨憺たる状況で。でもこっちはそれで良いって思ってるんですよ。でも親父はそんなわけないッスよね、「お前何をやっとん、俺の金で!」ってブチキレて。あれはヤバかったッスね。

ー(笑)親父さんに怒られて、真面目に行き始めるんですか?

いや、行かないッス(笑)結局辞めちゃう。別に全然面白くなかったし。

ーそもそも行かれてないですもんね(笑)その母体のバンドをやりながら、後の「シアターブルック」へ?

うん。先輩に誘われた「Mother Nose」っていうバンドだったんだけど、名前を変えて「シアターブルック」になってくんだよ。俺と「Mother Nose」っていうバンド、地元で人気があって、割とパンク・ニューウェーブに影響受けてるサウンドがカッコ良かったんスよね。で、そこのギターボーカルの人が辞めて、俺がギターで入って。そのあと、元々中学の時に一緒にやってたドラムのヤツが、別の高校行って歌いながらドラムしてたんですけど、そいつがその先輩のバンドにまた合流して。そしたら地元で結構ウケ出すんですよ。俺の音楽の聴いてきた変遷って、お姉ちゃんの好きな「THE BEATLES」「Earth, Wind & Fire」とかの、所謂な洋楽好きのやつだったんスけど、その先輩のバンドはパンク・ニューウェーブの影響まっしぐらだったから。

ー日本で言うと「P-MODEL」とか…

ああ、そういう時代ですよね。「TOKYO ROCKERS」とかも大好きな人たちで、パンク・ニューウェーブ以降の音楽をいっぱい聴かせてもらうんですよね。この前、家を整理してたらその先輩が作ってくれたカセットが出てきて。

ーまだ残ってたんですね!

そう、すごい良いですよね。「Bow Wow Wow」「Virgin Prunes」「Bauhaus」「Echo & the Bunnymen」…

ー「The Cure」「Siouxsie & the Banshees」とかも…

そうそう。ニューウェーブ系を聴いたことなかったんで、先輩ん家行っていっぱい貸してもらったり、テープ作ってもらったり。それまで「THE BEATLES」とかでギター弾いてて、メタルとかも弾いてみたりしてだったけど、演奏法とかちょっと違ったじゃないですか。

ーテクニックというよりは、表現方法というか…

うんうん。「ゲッ!何これ…ギターの弾き方がこの人違う…」「何でこの人はこんな弾き方をしてるんだろう?」とか。ロックの変遷があったとしても、パンク・ニューウェーブってさ、1回ぶっ壊してるじゃん?それが多分、我々世代にすごい心地良かった。「やっちまえ!」みたいな感じ?すごい新鮮やったし、「なんでこうなるんやろ!?」っていうのが刺激的だったという。

ー食わず嫌いだったわけじゃないんですよね。たまたま聴いてこなかっただけで、その時に聴いたという。

そう。「BEST HIT USA」でたまに流れるニューウェーブ系のバンドってあるじゃないですか。そういうのからも入っていって、「Bauhaus」好きだったッスよね。今でもやっぱカッコ良いのあるなぁって思うし。あと「The Cure」より「Siouxsie & the Banshees」の方が好きだったな。

ー「Robert Smith」、太っちゃいましたしね(笑)

(笑)良い曲いっぱいありますけどね。「The Cure」ってやっぱ俺ら世代には絶大な人気。

ー皆さん好きですね。

だよね?良いバンドなんスよね。

ーそれが母体となったバンドで、そういう音楽の系統をやっていたと思うんですけど、先輩のバンドという形だったじゃないですか。タイジさんがイニシアチブを取っていくのは、どの辺りからになるんでしょうか?

その先輩のバンド誘われて、東京に出てきてやりだすんだが…結局言い出しっぺの先輩がバンマスだったのに、東京で2回くらいライブやった時点で辞めるとか言い出して(笑)

ーおぉ(笑)

で、「なんで?」ってなるじゃないスか。スゲェ覚えてるんスよ。自分でバンドやろうって言って、「シアターブルック」ってバンド名も彼が作って。

ーバンド名はタイジさんじゃないんですか?

俺じゃないんスよ。で、年上ですけど「いやいやいや…何言ってんねん、お前何言ってんの?辞めんなよ、アホか」って電話越しにスゲェ怒っちゃって。「2度と顔なんか見たくない、田舎帰れよボケ!」って(笑)まあその人辞めてって新しいドラム入れてから、俺がイニシアチブ取ることになるんスよね。その時にバンド名変えるって選択肢もあったんだけど、バンド名を変えるのが悔しかったんスよね。

ーそれは「シアターブルック」というバンドへの拘りですか?

このまま、「シアターブルック」を有名にしてやろう!という気になったんスよね。

ーなるほど、タイジさんは当時からバンドへの「責任感」があったと思うし、「シアターブルック」が全てだったんですよね。だからこそ変えるというより、これで進んで突き抜けていこうと…

うん、なったッスね。

ー インディーズでの精力的な活動の中、心が堕ちる寸前での復活。そして、エピックよりメジャーデビュー。バンド・音へのこだわりからくるアンチテーゼ。
PART.2ではインディーズ〜メジャーデビューまでをお送りします。

ータイジさんを中心に制作された最初のレコードはニューウェーブ系で、僕持ってるんですけど…

え?「シアターブルック」のアナログの?

ーはい、セルフィッシュレコードからリリースされた…

えー…!あれとかそういう感じですよね。あの時の…あのアルバム持ってんだ(笑)恥ずかしいな…
あのレコーディングっつーのが、リズムトラックの拵え方ていう…。あのね、プロデュースにジミー中山さんていう「サンディー&サンセッツ」で鍵盤弾いてた人が、アルバムをプロデュースしてくれて。88年とかに出してんスよね。そん時代にはもうスタジオに「ATARI」のコンピューターが入ってたんですよ。「ATARI」なんですよ、80年代は!「Performer」の前です。あのアルバム「ATARI」で作ってます。

ーそうだったんですね!当時の最新じゃないですか!

スタジオにあるコンピューターは「ATARI」しかなかったし、「でけえ!すげえ!」みたいな。俺がギターを弾くのでいっぱいいっぱいでやってるもんだから、レコーディングする時にドラムとベースのトラックアレンジというか”リズム”という意識にならなかったんだけど、そのレコーディングで「キックとベースというのが”ビタッ!”と揃ってないとダメなんだ」と。”ビタッ!”と揃っているというのは、どういうことかをようやくレコーディングして客観的にわかって。その辺からですよね、「Red Hot Chili Peppers」「Fishbone」とか聴くの。「やめんかったらロックスター」に少し書いてるけど、当時付き合い出した彼女がいるんですけど、その彼女の存在がでかくって。黒人音楽にすごく詳しい子で、レゲエ・スカ・ソウル・ファンク・R&Bとか聴かせてもらって。やっぱ入口「Red Hot Chili Peppers」だったッスよね。「Red Hot Chili Peppers」「Fishbone」は、当時ズバ抜けてカッコ良かったから。

ーまだ、「MIXTURE」という言葉もなかったですよね。

「MIXTURE」という言葉が出てくる以前ですよね。「Red Hot Chili Peppers」も、まだ「MIXTURE」とは言ってなかったし。「Living Colour」とか出て来たんスよ。そうだ、当時レコード屋でバイトを始めるんですけど、それも大きかったですね。

ー店内で聴けますもんね、店で流せますし。

そう、安く買えるじゃん。若干ちょっと○○てみたりとかしながら(笑)

ー(笑)

大学には全然行ってなかったけど、レコード屋のバイトが大学だったッスね。池袋のね「オンステージ山野」っていう、山野楽器が出してる輸入版のセクションで、良いレコード屋だったんスよ。スゲェマニアな店長で、全ジャンル網羅してアナログもCDも両方やっていて。勉強になったよね、名盤っていわれる再発とかくるじゃん、店長から「おめぇ、これ客に土下座させてから売れ!」って。

ー分かります。僕も昔レコード屋でバイトしてましたけど、勉強になりますよね。

勉強になるんスよね!レコード屋のバイト楽しいんですよね。バイト代安いけどね(笑)

ー(笑)「シアターブルック」が「Red Hot Chili Peppers」の前座した時って…

あれ91年ですよ。

ー「NIRVANA」が流行る前後の時ですもんね。

そう、「NIRVANA」に関しては、みんながワーワー騒いでるから、ちょっと避けて通ってたトコがあるんですよね。んで、さっさと死んじゃって…当時はあんまり感情移入出来なかったんスけどね。まぁ俺が「カート・コヴァーン」世代だとして、確かに90年代前半ってメンタル的にやられるところがあって、ちょっとした伝染病みたいなやつだったと思うんですよ。「カート・コヴァーン」が死ぬ辺りに「ジョン・フルシアンテ」もドラッグで大変なことになってて。ハードドラッグとは言わないけど、メンタル的にカートもジョンも同じようなやつで落ちてくわけじゃん?俺もやっぱね、そういう時あったんですよ。メジャーのレコード会社がガーッと何社か来て、元々やってたセルフィッシュと、別のUKプロジェクトと、いろんな登場人物が出てきて。しかもその人たち”数字”なんですよね。ちょっと人を信じられなくなったり、今で言うと”鬱”って判断されるような。そういう時期に「カート・コヴァーン死んだ」ってニュース聞いて、「あぁ、これは堕ちきるとそういうことになるんだなぁ」と思ったりはしましたね。またジョンが酷い状況って、もう有名な話だったじゃん?そうなってはいけないという意識はありましたね。そこから抜け出せた経験が、その後のメンタル的なところを補強することになったッスね。

ーそれは自ら立ち直られたのか、誰かの助けがあったのか…

結構状況は酷かったんですよ。スタジオ入っても、全然ギターも弾けない精神状態で。良く覚えてるんですけど、当時のメンバーが見るに見兼ねて、「スタジオとかじゃなくって景色の良いトコにみんなで行こう!」って。奥多摩に連れてってもらったんですよ。綺麗じゃん、奥多摩のほう。当時は完全にやられてるから、川の流れが「ザーッ」てあるでしょ?その川の流れってさ、全然終われへんやん。いつまで経っても「ザワザワザワザワ…」ってずっと言ってるのが怖いわけよ。「怖い…」ってなって「川の音、こいつ、あー、全然終わんねぇ」ってなって。「あー、負けた…俺は負けたのだ、俺は勝てない」って。そしたら、森みたいになってる場所に苔がビッシリ張詰まってる岩があるんですけど、その苔に夕日が照らされて、黄金色に光るのがすんごい綺麗なの。「あーこれ綺麗だな…」と思って、その気持ちが自分のやられてる心を”バンドエイド”するじゃないけど、何かそういう感じ。

ー癒し、包まれるというか…

うん、「そうか!」という気持ちになれたわけ。綺麗だとか気持ち良いとか、そこにフォーカスすることによって、その苦痛から逃れることが出来るのかというのを覚えるんですよ。

ー嫌なことを心で感じたけど、それを感じた上で包み、補える要素を心で感じられるようになったってことですもんね。

感じることが心の”お薬”になるのなっていうことを体験として覚えて。その後も…割とアップダウン激しいタイプなんで、落ちるときストンと落ちるんですけど、そういう時の抜け方というのを覚えていきましたね。今から考えると大事な経験で、あの時ちゃんと抜けられたから今があると思って…マトモ!

ーいやいやいや…その時の経験で心をエイドする仕方を覚えているから、仮に落ちたとしても上がり方も分かっているという…

そうだね。ずっと音楽ばっかやってたらさ、”ビジネス”って意識的に難しいんだよね。自分がやってきた「シアターブルック」が金になるならないの話だったから「そんなんじゃないのに!」みたいな(笑)トコと、もちろん成功したいっていうのもあるから…その辺でこう…

ー心のギャップや揺れがありますよね。

それで落ちるんですよね…大体みんなも、そういうのでやられるんじゃないかな?多分ね、L.A.とかはドラッグもあったろうから、カートとかはああいう風になったんだと思うッスね…

ードラッグではなく、心への薬を手にされたのはタイジさんらしいと思います。因みにその時代、インディーズではセルフィッシュレコードで出されてましたけど、「S.O.B」等のハードコア系だったじゃないですか。何故そこに辿り着いたのかなというのが疑問というか。セルフィッシュじゃなくても良かったと思うんですよ。

このセルフィッシュって元々徳島の方がやっていて。で、「シアターブルック」を辞めていったバンマスというのが、そのセルフィッシュのボスと仲良かったんですよ。その流れがあって「S.O.B」「Lip Cream」「GAUZE」とかやってるレーベルだけど、ハードコアばっかじゃないんだというところで、「シアターブルック」がやる。今から考えるとスゲェおもしろいレーベルですよ。

ー過去の資料読んだんですけど、渋谷のLIVE INで「シアターブルック」と「ボアダムズ」「オフマウス」「どろえびす」っていう感じでやってましたよね。

すごいッスよ。今から考えると、やっぱり刺激的だったッス。レコード屋のバイトとセルフィッシュ時代というのは、完全に自分を形成する大きな時代だったッスね。

ー当然、同じレーベルですからハードコアの方と交流もあるわけですよね?

もちろんもちろん。「Lip Cream」の兄さんとかよく遊んでくれましたよ。仲良かったですよ。ちょーーー悪いッスけどね。

ー(笑)

悪いこととか、全部あの辺の兄さんから教わってますよ。「極悪兄さん」て呼んでたけどね。楽しそうに飲んでるなーと思ったら、次の瞬間ビール瓶割って○○連中やから。「アカンアカンアカン!アカンアカンアカン!死ぬ死ぬ死ぬ!」って(笑)

ーハチャメチャですよね(笑)

ハチャメチャでしたね。もう活字にできないことばかり。

ー(笑)そこは控えます

むちゃくちゃやってましたよ、面白かったッスよ。女の子に酷いこともしてるよ。ひっどいことしてますよ。

ー聞きたいですけど控えます(笑)それから、UKプロジェクトからリリース、エピックからデビューされるわけですけど、さっきのお話で複数のレコード会社からお話もあってという中で、たまたまエピックを選ばれたんですか?

あのね、当時経済状況も良かっただろうし、93〜94年辺りからいろんなレーベルが結構来るんですよね。「ウチでやりませんか?」とか4〜5社あったんですよ。一番話してたところは、俺としか契約しないって。バンドでやってるんだけど「契約するのはタイジ君、他のメンバーは契約しない!」って。「え、え?なんで?いやいや、バンドでやってんのに。ギャラも等分なんやからみんなで契約したらええんちゃうん?」って。「いや、ウチはそういう形態じゃないんですよ」と。「じゃあ契約出来ないよね」って。

ーそういう話、たくさんありますよね。

うん、「そんなんわかんないッス」って。それで良いですって言ってデビューしてるバンドもいたんだけど「ごめんなさい、そんなんやってないんで」って。意外とそういう契約形態だったの、他のレーベルも。それで「じゃあいいよ、UKで頭割りで出すよ」って。本当は、あのアルバムにメジャーも来てたんだけど、敢えてUKで出したんだよね。

ーそうだったんですね。

あのアルバム聴いたエピックのディレクターが、「やりてぇ」ってなってて。またメジャーかよって思ってたから、「メンバー全員じゃないと契約しない」って言ったら「全然いいッスよ、メンバーで契約しましょうよ」と。「あ、じゃあ良いッスね!」っていう流れなんですよね。

ー今のお話聞くと、バンドを始めるからには分かりやすい言葉で言うと「売れたい」「デビューしたい」「○○でやりたい」とかあるじゃないですか。それがある中で、タイジさんがバンドでのフィロソフィーを持っていて、別に”俺が”じゃなくて”バンド”っていうところが強かったのでは?

うん、そこに関してはどうやら「バンド元素」みたいなのがあって、一番持ってる方かも知れないですね。1人でやってるヤツより、バンドでやっててバンドの名前で出してるヤツの方がカッコ良いんですよね。

ータイジさんがそれを求めていたから個に興味はないと?

そうですね。あんま個人名とか興味がないんですよね。ブレずにバンドで認知されたいっていうのがあったし、必ずこのバンドには価値があるんだっていう自信もあったから。ハードコアの兄さんたちと遊んでる中で、そういう「バンドマン根性」はシェアするやんか。サウンドとかは「よくわかんねぇ」とか思いながらも(笑)そのバンドをキープしていく姿勢とか、社会に対する物言いの在り方とかをハードコアの連中はあからさまに言ってるから。そういうの聞くとスゲェって思ったし、自分の哲学みたいなのを形成していく中で、やっぱデカかったですよね。

ー今の活動にそのまま現われてますよね。

うん、そうだよね。

ー「非国民」以降、エピックから出すまでにメンバーの方の入れ替わりがありましたが、音楽性という観点からだったのでしょうか?

いろんな家庭の事情というのもあったし、個人の体調というのもあってメンバーが変わっていったんですけどね。7、8人でやってる頃は鍵盤が2人いて、女子コーラスが2人いて、DJもいて、みたいな時もありましたよね。

ーそのメンバーとデビューをされる時のレコーディングには、メジャーとインディーズの差はありました?

まぁ、予算がある…「おぉ、金あんなー」っていう感じですよね。「スゲェ、こんなスタジオでやっていいんスか?」みたいな。ただ、メジャーだから”良い音で録れた”みたいな意見は残したくはないかな。当時のメジャーはお金があったから、良いエンジニアも雇えたし、良いスタジオもブッキングできたということだと思うんですよ。でも、自分とウマがあって良い音作れるエンジニアは限られてる。結局、その人と出来るかどうかに掛かってると思うけどね。但し、音に関しては拘りがあるッスね…90年代の日本は、大体デジタルも48でやってたじゃん。もしかしたら、インディーズではまだアナログの時もあったけど、それはそれで、むしろおもしろかったッスよね。今から考えても、日本の48は音が良かったッスよね。アメリカは殆ど相手になってない。それから音の悪さを1番喰らったのがスタジオにProToolsが入りだす2000年あたりッスよ。

ーそうですよね。

あの辺、みんな音悪いでしょ!?映像にしても全部酷くなるじゃん。

ーCCCDは酷かったですよね。

コピーコントロール、ありましたよね。多分、あれのせいで業界って失速してるッスよね。スタジオにコンピューターが入るのは良いにしても、それによって、業界自体に地殻変動が起きて、失速することになったよね。「シアターブルック」もあの時に酷い音のCD出してんスよね。

ー楽曲の良さを伝えるのがソフトだとしたら悔しいですよね。感じるのは当然ライブですけど、当時のそういう風潮が辛かったですよね。

その後、音に関してどうすれば良いか、こっちの耳がそれに慣れたのも、みんなが分かってきたから。今、すごいのが売れてますもんね。

ー(笑)びっくりしますよね。

もう、びっくりしますよね。別にね、みんな好きにやってんだから「お好きにどうぞ」だけど、なんだろう…

ー音楽は”楽しい”っていうのが大前提だから良いと思うんですけど、作り手側もそうだし伝える側もそうだし、できれば”より良いものを”ってなるにも関わらず、「いや、別に無料のDLでいいよ」っていう人もいる、このもどかしさ。

だよね、音楽の価値を感じてる人たちにとっては、無用の音楽っていっぱい流通してるよね。

ーただのBGMになってるのがイヤですよね。

但し、BGMとしても不快なものがいっぱいあるし、びっくりするようなものがあるんスよね。

ージャンルがどうのとか全く関係なく…

結構酷い…のがあるッスよね。

ーロックでもありますよね。

すごいですよね。「え、この子たちって…結構チャラいんだね」って思ってる。社会がインターネットのカルチャーで覆いつくされていっているわけじゃないですか。それに対して90年代後半から、レコード会社はコピーガードとかで音質悪くしてみたり、コンピューターを使って、全然歌えてないボーカリストの曲とかをこう○○ってやるわけじゃないですか。結果、コピーすんなって言いながら、嘘ついてタダで聴いてるわけでしょ。そんなことやってっから、ロクなものが流通しなくなっちゃったわけだし。嘘まみれんトコでやってる連中…送り側が嘘ついてんだから、客も嘘つくよ。

ー完全に負のスパイラルですよね。

あんなトコに落ちたくないし、土俵も違うし、全然別だと思うから。

ーよく、デジタルがどうって話になりがちですが、本当は全然違ってて。例えば「佐久間正英」さんはDSDでやればCDより、もっと良い音で普通にデジタルで流せるって言う手法もあると伝えていますし、海外では「Neil Young」も提唱してるじゃないですか。

なんだっけ!なんだっけ、やってるよね。

ー本で読んだんですけど「ピュアトーン」です。

俺も本で読んだ!あったよね、もうあの人一生懸命やってんだよ。でも、当然だと思うの。
そもそも、2000年代に一瞬で音が悪くなって、完全に失速してるじゃん。我々みたいな音楽に関わる人間にしてみたら、インターネットの出現って、「良くなったのかな?本当にそれ良くなってる?進化してる?」って未だに思うし。実はメディアとしてインターネットを信用してないッスね。すごい広がりがあるし、即効性もあると思う。実際、”中東の春”とかではTwitter・Facebookが有効だったと思うし。でも音楽に限って言うと、役に立っている気がしないし使う気になれない。それに頼りたくないっていうのがあるんですよね。

ー音楽でいうとソフトの音質を話しましたけど、それだけじゃなくてブックレットやパッケージも重要ですよね。

パッケージって大事ですよ。

ーiTunes等のダウンロード音源がありますけど、クレジットすら載ってない。作詞/作曲、誰でとか。音悪いし、安いけど…みたいな。

だから、ダウンロード、あんまり俺好きになんないですよね。未だに俺、CD・CDJ・CDウォークマンですし。ああいうポータブル持ってないんですよね。

ー 様々なサイドプロジェクトで広がる音楽性の中、「シアターブルック」の休止。復活直後に起こった3.11への想い。
PART.3ではサイドプロジェクト・「シアターブルック」休止・復活〜3.11までをお送りします。

ー「SENSEMILLA」後の「CALM DOWN」でデビューとなり、「ありったけの愛」が収録されます。
最近も再録されましたが約20年前にタイジさん思っていたことと、今思ってることが歌詞に込められた”意味”は変わったのか、それとも一切変わってないのか…

自分の中では何も変わってないんですよ。ただ、周りの状況が大きく変わりましたよね。それでも、人間が抱える問題ってどの時代も実は一緒なのよね。で、俺とかは詩の書き方がああだから、予言めいた感じにどうしてもなっていく。”3.11″直後とかは、自分の歌で「今これ歌えねぇな、この曲はしばらく歌えねぇな」とか実際あったし、今もあるッスね。だから…

ーそれは歌詞的に?

歌詞的に。でも、「ありったけの愛」に関しては、すごいポジティブなんスよね。やっぱあれをずっと歌ってきてたから、「ソーラー」が来てるんスよね。ずっとギブソンのレスポール弾いてきて思うのは、結局”ギブソン弾きはギブソン弾き”なんやと。そのギブソンを使って自分の詩をずっと歌ってきて、”歌に育てられる自分””楽器と作品に育てられる自分”ってのが絶対あるんよね。今、そこに育てられた自分が出て行くわけやんか。今の俺は、ホンマにすごい勢いで辻褄が合い出してるから、すごい不思議な感じよね。

ーあまり振り返ってという話じゃないんですけど、タイジさんは過去から信念・哲学・やりたいことが変わってないから地続きなんですよね。

うん、ずーっと続いてるッスよね。レコード屋時代もセルフィッシュ時代も、夜な夜なさ、悪いことして遊んでる中で、例えば当時やったら「ネルソン・マンデラって知ってるか!?」とか「アパルトヘイトとかアカンやろ!」とかの話で当時はやっぱ盛り上がるわけよ。何かそういうのでやっぱ培われてきてるよね。「今言わないと”アカンこと”っていうのが、絶対いつもあんねん。」っていうこと。それって言ってしまうのが”ロックの役目”なんちゃうん?結局、いつもロックに対してそういう風に捉えてきたんよね。ここに来てやっぱり、後輩の「TOSHI-LOW」とか「難波章浩」とか、哲学的なところで足並み揃ってるから、出てくるサウンドは全然ちゃうんやけどコミュニケーションしやすいよね。まぁどちらかというと、俺が変わってんだろうな(笑)俺みたいなサウンドの嗜好と哲学がセットになるのって、そんなにはない。

ーむしろ、良い意味で”オンリーワン”だと思うんですよね。

特殊なトコにいるなってスゲェ思う。あ、「Searching for Sugar Man」って見た?

ーはい、反アパルトヘイト闘争の…

すごいよね!結局、彼の作品がネルソン・マンデラを開放を導いたってことやん。しかもあのロドリゲスって人の音楽・個性って、すごいシンパシーがあるわけやん。聴きあたりソフトなのにすごいこと言ってる。いつもああいうのがすごいドンピシャなんだよね。

ー音楽の共鳴力で何が出来るか…例えばちゃんとした弁護士や政治家の方は、多分「正義」がしたいんだと思うんですよね。それと同じ、若しくはそれ以上の力が音楽・特にロックにあって「正義」が出来ると思うんですよね。

正義!Justiceね!正義の味方みたいなイメージってあるよね!

ーロックは、いつの時代も悪者ではなかったじゃないですか。

そうだね!”悪いイメージ”のヒーローや。やっぱそういうのは、憧れとしてあったよね。

ーしかも今、タイジさんが実際に体現されている。その活動の1つとしてライブが当てはまると思います。エピック時は時代背景的にCDが売れてたタイミングだから、あんまりライブをしなくても良かったと思うんですが、タイジさんは「シアターブルック」の方向性として”ライブバンド”というベクトルを示されていたのでしょうか?

うん、もちろんライブ好きですからね。ただあの当時、俺はもっとやってりゃ良かったって思う。「ツアーの本数が少ねぇ」って思ってたから、いろんな事情があったんだろうけど、もっとやるべきだったなって。

ー今相当多くやられてますよね。

今ぐらいの勢いで当時からやってりゃ…「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 」ぐらいは行ってたかなーって。

ー(笑)90年代後半〜2000年代に入って、複数プロジェクトをやられるタイミングになります。「The SunPaulo」「ミラクルヤング」「町田 康&佐藤タイジ」等は単順に「シアターブルック」でやれなかったものをやりたかったのか、若しくはビジネス的な面でやられていたのか…

「ミラクルヤング」は…町田さんにやろうって言われて。「あ、良いですよ」って。まぁ、勉強になりましたもんね。「The SunPaulo」は…そうそう、Raveとかに遊びに行くようになって…あ、誘われたんだ、「Candle JUNE」に誘われたんだ。それから「Raveで演奏しねぇか」って言われて、DJのコとセッションするのが「The SunPaulo」になってくんですよね。「シアターブルック」に全部注ぎ込んでたんやけど、Rave以降は「シアターブルック」にいたDJが2000年くらいに辞めるタイミングで、俺が打ち込みとかやりだすんですよね。で、Raveに誘われてなかったら「シアターブルック」に注入されていったんだろうけど、Raveのパーティーで「シアターブルック」は違うなと。それで「シアターブルック」にDJカルチャーから全部押し込んでたのを2000年代に分けるんだよね。自分の”ダンスミュージック主義”と”ロック主義”を分ける。それで「The SunPaulo」はダンスミュージックにする感じになったんだよね。

ー結構、器用ですよね。「The SunPaulo」もそうなんですけど、「Taiji All Stars」とか。

あれ企画だけどね。

ーにしても、切り替えは絶対難しいだろうなって思ってました。

慣れますよ。慣れて…「The SunPaulo」とかは激しい衣装とかを着ていたので。意外とね…できるッスよ。

ー例えば楽曲等、当然色があるんですけど”佐藤タイジ”っていう色はどこも変えてないですし、変えていないのに各プロジェクトの色でいれる。

うんうん、そうですね。

ーそこがあるから今伺ったように、「できるッスよ」っていうことになるのかなって聞いてて思うんですけど。

あのね、あまりキャラを変えるっていうのはないですよね。基本は一緒だし、サウンドのスタイルで明らかに聞こえ方が違う場合でも、楽しんでやれるようになりましたね。まあ「シアターブルック」だけやってれば食えるってわけでもなかったから。もちろん、そういうモチベーションで始めたわけではないけど…いろいろやっていかないとなぁという部分もある時代だった。年齢的にもそうだし。

ーなるほど。レコード屋さんのバイト時代に広がった音楽のジャンルから、時を経てあのタイミングで様々なプロジェクトを通してさらに広がった。変わるのが苦手な人って多い中、タイジさんは常に新しいもの取り入れて発信される魅力がありますよね。

でもまぁ…そうかも。そこに関してはやっぱりレコード屋のバイトは大きかったと思う。世界にはいろんなジャンル・スタイルの音楽があるじゃん?で、俺の好きなタイプの音楽は何かというと、ジャンルじゃないのよね。ロックでもR&Bでも、その中で好き・嫌いあるし。クラシックの同じ曲でも「この人の指揮してるのは好きだけど、この人の指揮のは嫌い」とかね。演奏してるヤツの気持ち、そいつが好きかどうかっていうことになってくわけやんか。長いもんに巻かれて、適当なことをやってるヤツは嫌いなんよ。そういうのってわかるわけやん。「こいつ長いもんに巻かれてうまいことやって何か真面目そうなフリしてやってるけど、オモんないんじゃお前!」みたいな(笑)

ー(笑)

そういうのあるやん。俺が好きなのは、ジャンル・スタイルとかじゃなくって、もっと向こう側にあるその人自体の”性質・考え方”が好きかどうかっていうことやと思う。そういうことがレコード屋のバイトでなんとなくわかっていったのよね。「カッコ良い!」って思ったら、すぐ飛びつくことになっちゃうんだよね、俺は。

ーいろんなミュージシャンの方いらっしゃるんですけど、タイジさんの活動のことを羨ましいと思う方、いっぱいいると思います。タイジさんは好きなこと・良いと思ったものを全部やってくれるじゃないですか。中々いないですよ。

かもね、わかんないけどね。

ーそれがタイジさんの魅力だし、羨ましがられる活動の仕方だと思います。

別にみんな、やれば良いんじゃないのって…音楽に刺激を求めて続けるところ、今でもあるもんね。

ー食わず嫌いされないですよね。先入観とか色眼鏡が絶対にないというか。好き嫌いがないから、いろんな方との交友関係があると思うんですよね。

本当にそうかもね。だから「THE SOLAR BUDOKAN」もそうなんだけど、「人たらし」。

ー(笑)

「女たらし」では済まないやつ?「人たらし」なんですよ。

ー以前、インタビューしたんですけど、冷牟田さんも「THE SOLAR BUDOKAN」に参加されてましたし、ホント様々ですよね。

冷牟田さん、何かスゲェ俺のこと評価してくれてるんだよね。早い段階、90年代のライブとか見てくれてて。まあ、「TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA」と「シアターブルック」は同じ時期に出てきてるから。同じレーベルにいたことはないんだけど、でもやっぱ活動を見てるよね。冷牟田さん・「TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA」兄さん連中はフェスの楽屋では楽しいですよね。

ーすごく意外だったんですけど、様々なプロジェクトを進行しながら「シアターブルック」1回休止されます。

あのね…ずっとやってきて「シアターブルック」っていう活動自体がダレて来てたんですよ。
結構みんな忙しいやん、例えばメールの返事が遅かったりとかあんじゃん、マンネリしてる雰囲気もあった。「これは…1回止めた方が、次に動かした時に”ビューン”て走るかな…」って思ったんですよね。自分の離婚とかもあったしね。でも、復活するポイントだけは決めよう、と思ってた。2009年に皆既日食が日本で見れるっていうので、じゃあその年には復活させようっていう風に思ってたんですよね。期間限定の休止っていうの?まあ、狙いはハマったと思うんですよ。その復活させたタイミングで、エピックから出してダッシュできて。あれは成功したなと思ってて、2009年に復活させといて正解だった。11年にはああいう活動もできたし。そういう、ツキみたいなのがあったんだろうね。

ーこれまで、どのプロジェクトがあったとしても「シアターブルック」は絶対止めなかった。ただ「シアターブルック」らしくない、もっと言うとタイジさんらしくないマンネリ化がもたらした、”新しい音楽・刺激を求める”姿勢ではなくなったことが大きかったんですね。

そうだね。「シアターブルック」の活動も”動き”を見せないとダメだなと思ったッスよね。後輩のバンドにも”3.11″以降、休止してるのとかいますやんか、「ちゃんと復活しなあかんよ」みたいなのは言ってるな。結局、バンドって演奏しなきゃだから、休止に慣れると良くないよね。俺の中で解散という選択肢はないんですよね。確かに2006〜7年はね、とはいえ悪かったッスよ。「止めよう・もう休止」みたいな。メンバーは「休止とか言わなくても良いんじゃない?」って。俺は休止って言って、ちゃんと復活っていうのを決めてやるから”ガン!”って行くんじゃんって。

ー(笑)しかもそれがハマったわけですもんね。

そうそうそう、アクションを起こさないと!例えばさ、フリーのジャムセッションとかしてて、ずっと行きっぱなしっていうのは、見てる方はつまんないんだよね。どっかで弾かなくなって、ほんでどっかで戻ってきたときに”ドーーン!”みたいな。その”ドーーン!”が欲しいから辞める、みたいな。何かそういう感覚だったッスね、ジャムセッション感覚。

ーしかも未来の為でしたもんね。だから期間も、長くも短くもなくという。

そうだね、2年って切ったもんね。

ーそこで初めてのソロもリリースされ、2009年に復活され…その後、震災がありました。タイジさん自身、既に様々なメディアで語られていますが、あのタイミングはいろんなミュージシャンの方が、自身の音楽活動に対して自粛という風潮があったり、そもそも何をすれば良いか、何が出来るかを苦心されていたと思うんです。でもタイジさんは”音楽”というツールを活かす、ライブを行われました。あの行動心理は如何にして辿り着いたんでしょうか?

うーん…まずね、俺が神戸の震災の時に、何もできなかった。多分20〜22歳くらい…で、セルフィッシュとやってるときだったのかな?セルフィッシュの社長に「お前が行っても何の足しにもならんし、邪魔になるだけやから行くな」って言われて。「そうか…」って。本当はどういう状況になってるんやとか、何が必要なんやとか、自分の目で見たかったんやけど、「行くな」って言われたからいかへんかってん。それがすごい後悔の念として残ったわけ。あん時に「ソウル・フラワー・ユニオン」とかすごい行ってて、「偉いなぁ、中川は」ってすごい横目で見てたんよ。で、新潟の時にあのチャリティーイベントに…

ー新潟AIDをやられてましたよね。

うん、やってみてすごい良かったんだよね。チャリティーくらい普通にやんねーと、チャリティーぐらいしかできねーしと。俺はあのタイミングで休みたくなかったんだよね、「やんなくていい」とか言う上司はいないから。自分の会社独立してたのも、復活のタイミングの前後だったし、それも良かったんだよね。2009〜10年あたりに所謂、ビジネスの仕切りとかリスタートしてたわけ。

ーサードストーンからは抜けて…

そう、抜けて…そんでやり出して。「自粛しなさい」って俺に言う人は1人もいなかったの。自粛とか言ってるノリが全然理解できんかったし、「何で?」って思ったし。別に”売名行為!”ってインターネットで叩かれるとか、全然気にしてなかったね。気にしてねぇよっていうか…

ーそういうレベルでの話ではないですよね。

ないですよね。今思うとあの辺りから、「うつみようこ」と仲良くやり出してて。「ソウル・フラワー・ユニオン」はスゲェなって思ってた張本人が、結構近くにいて、そん時の話とかするわけやんか。”3.11″って、地殻変動で土地が動いたんやけど、その人間関係も揺れてるし、新しい関係性とかになってるやん。あの新しい関係が、すごいモチベーションになったよね。だからみんなが”ガクー…”ってヘコんでたからこそ「元気与えてやんなきゃ」みたいなのがあったッスね。

ーしかもその気持ちのまま、今も続けられています。単発でコンサートやイベント等で行ったミュージシャンもいましたが、タイジさんが続けられているのは「終わることがない」という理解と、風化させないという気持ちの現われだと思うんです。

続けることって、すごい大事ですよね…実はまだまだやれること、いっぱいあるんスよね。特にここ最近は、政府のやり方がすごい疑問に思うし、このまんま情報を隠蔽する政府?に税金を渡し続けると思うと、それに対して「こういう風にして下さい」っていう”プラン出し”をしていく方でいたいよね。こっちにだって考える脳ミソがある、新しいアイディアがあるんだと。意見聞かずに、勝手に人の人生をイジくりまわす?そんな権力は一切ないよって思うんだよね。みんな「えー…マジかー…」って感じだけど、今やっとかんとアカンことっていうのがいっぱいあるから。キャスティングも決まってきたと思うんよ。何にも言えないヤツは、変わることに期待はするけど、何にも言えないまま死んでいくんだよ。それでも言っちゃうヤツもいるでしょ?で、言っちゃうヤツはみんな仲間やと。みんなで言わんと相手は強大やから届かへんし。要するに俺って、最初の段階から自分の言ってる事が絶対間違ってないという、自信があるよね。すごい自信家な故に、デビューとかも遅いんだよね…絶対そうなの。適当なレーベルとは契約したくなかったし、自分たちを安売りしたくはなかったのね。
自分の価値と役割は、それなりにわかってるつもりだから。で、どれくらいの影響力があるんかっていうんはケースバイケースなんやろうけど。今の若い子にさ、例えば「Bob Marley」とか「John Lennon」みたいな存在って必要やと思うんよ。俺はそれで、完全に人格形成されてしもとるから。

ー 音楽を通して伝えられる・変えられることの全ては”個”から始まる。PART.4では「THE SOLAR BUDOKAN」・「LIVE FOR NIPPON」をお送りします。

ータイジさんもそうですし、タイジさんが憧れていた人たちもそうだと思うんですけど、嘘つかないじゃないですか。音楽って嘘つけないですし。だからあのタイミングで、「THE SOLAR BUDOKAN」やれたと思うんですよね。タイジさんが嘘つかないこと知ってる人たちで、タイジさんを賛同してる人たちでないと、絶対集まらないじゃないですか。それがタイジさんの魅力の一つだと思うんですよね。みんなをまとめるというか”仲間を作って・声を上げて・発信していく”っていうところ。もちろん「シアターブルック」でもやれることですし、今の「インディーズ電力」でもやれることだと思うんですけど。タイジさんが今まで得てきた経験、知識、感情が、今良い作用をし始めるんだなと。

「人たらし」なところも、割と機能してるよね。やっぱ中津川とか、結局何か俺、ホストみたいになっとったやんね(笑)

ー(笑)2日間、大変だったんじゃないですか?

声ガラガラやったもんね(笑)

ー今活動していく中で、もちろん引き続き「シアターブルック」が母体にあって、「インディーズ電力」「パンダ兄さんとモジャモジャワーカーズ」もありますし…

「The SunPaulo」もね、始めないといけないですね。

ーその忙しい中で、来年もソーラーをやられることを聞いているんですが、規模は違えど、「LIVE FOR NIPPON」と同じように続けていく、続けていかなきゃいけないものであって。タイジさんが何を伝えていきたくて、何を持ち帰って欲しいですか?

うーん、いろんな言い方が多分できると思うけど、…「私は自由なのだ!」っていうことを主張すること。主張しないと”自由”にはならないということ。これが、大原則やと思うから。

ーそれすっごい納得感ありますね。

主張しない限り、自由にはなれないのよ。やっぱ、主張する先輩たちを見てきて、主張する音楽で感動してきたわけやんか。そういう音楽でありたいし、そういう人間でいたいし。俺はみんなに主張する人間へ育って欲しい。主張しないと、ダメなんだというのを伝えたい。あとはまだ人類って、進化する伸びしろがあるのよね。エネルギーに関しても、そんな地面ばっかり掘らんでええやんと。メタンハイドレードとか、まあそりゃ優秀なんかもしれんけど、リスクあるでと。掘って、またなくなったらどないするん?と。もう辞めなさいよそういうのと。ちゃんと循環できるシステム組めるでしょうがと。そっちにいかへん政府に税金なんか払いたないわと。人間にとっての問題は、全然進化してなくって、ローマ帝国の時代から今もなーんにも変わってないわけやん。例えば権力っていうものは、必ずその権力を守る為に金を使う、みたいな。社会を進歩させる為に金を使わへんねん。だから「権力者の育て方」っていうことやろな。権力者を育てるっていうその視点?が必要になっちゃうのかな。日本の権力がやってることは、権力を守ることだけ、みたいな。あれは別に日本の為にやってるんじゃないんよ。必ず歴史が判断というか残すよね。賢くない政治家が権力をもった際に、結局いつも歴史は繰り返すから。だから、どれだけ本当に新しいアイディアを、人類を進化させて、しかも権力者も納得できるような、アイディアを出すかにかかってると思うよね。突拍子もない創造性と、権力者を育てる視点。その…理想の権力をイメージすることが少なくなってきたかなと思うな…きっとあると思うんだよね。

ーイメージするのがどんどんヘタクソになってきますもんね。”想像力を育てる教育”みたいなものが大きなテーマとしてあるかもしれないですね。

あぁ、それはすごいあると思う。

ーそれは”音楽”や”ロック”が当てはまると思うんですよね。

うん、だと思うんだけどね。そうだよね、想像力育てられるよね。今回、ソーラー電池でやってみて、自分のアンプからすごい良い音がして…あれはホンマに嬉しかったんだよね。あれはもう「神の啓示」やと思うくらいの…

ー想像力から来た、大発明だと思います。

大発明だね。興奮したよね、あの興奮はすごい覚えてるよね。

ーライブの革命じゃないですか?

俺は超革命だったッスよ。ビックリしたもん。

ーライブハウスでもやっちゃえば、ほぼノイズも乗らないですもんね。

そっちなんスよ、これに限っては絶対そっちの方が良いんスよね。でも「みんなでやろう!ワー!」みたいな感じに意外となってへんやん?

ーですね…

「なんで?」ってすごい思うんよね。…こっちの方が音も良くて、循環型でコレが結論なんちゃうん?って思うんやけど、都合が悪いのが多いんやろね?でも…「お前の都合なんか知るか、お前とか…(笑)」ホンマにな、すごい小さいんよ。どんどん科学もさ、凄まじい勢いで進化してるわけやん?実際宇宙って何個かある?とかいう話になってきてるやろ?宇宙、膨張してるしみたいな。人間…ちっちゃいで。

ー(笑)お金や経済が大事だとして、本当に大事で本質的なことをうまく曖昧にさせるところがりますよね。

多分な。やっぱ焦点を曖昧にさせるところがあるよね。グジャっとモザイクを掛ける作用が経済にはあるんですよね。もちろん、意識のある経済界の人も絶対におるんだろうけど。俺が思うのは”3.11″を負の遺産にしかかってるんよね。蓋をして、隠して、なかったことにしようとしてる。
それは賢くない、弱い人間の選択の仕方よね。このタイミングで大きく転換できないと、多分人類っつーのの未来は、さほど輝いてないよね。これを肯定的な遺産にしなくてはならないって思ってるの。で、それができるのは権力者ではなくって”個”やと思ってるの。我々はひとりひとりは”個”やん。権力者ではないが”個”の集まりやん。”個”で出来ることが結構あるっていうことなんよね。”個”のレベルなら原発なくても生活はできるし、中国と仲良くする方法はあるよね。人類は減ってくやん、例えば地球上に人間が10人なら国境も言語の差もきっとないよね。向かってんのがそこやねん。まぁ10人はちょっと少なかったけど、そっからまた1万人になるかもしれないしっていう、それの繰り返しやと思う。で、残ってるインフラとか見たら巨大な橋とか原発とかも残ってるわけ。もしかしたらまだ漏れてるかもしんない…今変えなアカンことを、変えれんまま過ぎ去っていこうとしてることが、すごい悔しい。自分の無力さも感じるし、うん…

ーでもタイジさんの場合はそれを知ってるからこそ、行動されてます。今のタイジさんの話のように”行動しない人・話さない人・自由にならない人”って、いるわけで、それを変える今の活動だと思うんですよね。タイジさんには絶対やり続けて欲しいですし、僕らはそれをより伝える側なので広めることを続けていかないとと思いますし。タイジさんが”人たらし”と表現されましたが同じ意識・意義を持った人を繋ぐ”ハブ”であるから、先日の中津川でも変えていくきっかけを提示出来たと思うんですよね。

そうッスよね。中津川は大成功だったんですよね。あれは1番、「すごい有意義なことやってんなー」みたいな感じになるしね。1番リベラルなフェスにしたいですよね。

ー多分、続けなくなったら負けなんですよね。

負けるわけにはいかないですよね。絶対負けたくない。本当に権力が嫌いみたい、俺(笑)

ー”リベラルを手に!”ですよね。

そう!やっぱ今の政治の状況見てたら全部保守やん。敵対する2つのグループじゃなくてはならない、とは思わないけど今政府全体が保守なのだってところで、何か俺もう1個くらい政府作ってもええんちゃうん?とか…思う。

ーその発想面白いですね…

うん、例えば武器を取るのかどうか。そうなると内戦ってことになるし。そうなったらいつも、銃もって戦いに行くんは若い子なわけやん?それは違うんよね。じゃあどうすんのか?デモか?いや、チゲェな…と現実的に変えていかないかん法律とかがあんねんけど、その…スターウォーズの革命軍みたいな。いろんなヤツが、いろんな服着てて、いろんな飛行機で、やっていくわけやんか。だから、法律を変えていくっていうのと、もう1個別の政府作るっつーのとか…両立するのだろうかとか、色々考えるんすけどね。

ー今のタイジさんの活動はそれに等しい、もしくは匹敵するような、一番変えづらい”意識”変えられるじゃないですか。その方が強いですよね。

そうッスね。絶対来年の中津川はね、小泉さんを本当に呼びたいんですよね。あの人は影響力あるんですよね。あの人が言い出してから廃棄物のニュースとかが出るようになったんですよ。やっぱそういうことなんだよね。言ってかないとダメだよね。もう日本の政治が大分終了しとるからね、どうやってリニューアルするか?このリニューアルの仕方、すごい難しいと思うよ。でもここで大事なんは「THE SOLAR BUDOKAN」の成功の秘密なんよね。何故、あれができたのかっていうこと。あそこは、集約させられるプラットフォームになり得るのよね。なるだけ影響力のある連中をまとめて、具体的なプランを話していく。変えなアカン法律とか、変えなアカン選挙制度とかさ。

ー先日の「LIVE FOR NIPPON」のように、中津川にもトークイベント的な時間いくつもあって、本当嬉しいですよね。

そうっスよね。ちゃんと音楽があって。そうなんスよ。60年代より我々が進化してるとして、この世代の現実的な”革命”って、どういう形なの?っていうのを模索したいよね。

ーさらにタイジさんの武器”音楽”を通して、どれだけ意識変えて、広められるかっていうところが重要だと思います。

そうっスよね。今、なんとなく俺も活字にして残しておこうっていうのはあるッスね。活字にしたら残るから。残す価値のある歴史にしたいやん、これを。このまんまいったら何か…

ー同じこと繰り返すだけですからね…

このタイミングで変えれんかったら、多分変えられへん。ホンマに日本が変えられるかどうかで、こっから先の世界史が変わるんよ。すごい影響力あるはず、この国がどうやって動かすかが。

ーそうですね、30年後の歴史で”あいつらはアホだ”って書かれるかもしれないわけですからね。

可能性あるッス。すっごいあるっス。でそうなったら、国力っていうのも下がるッスよ。地震来てメルトダウンはするわ、まずその時点でアウトなんよね。あってはならないことやらかしてるんやから。政府にしても東電にしても、普通はあんな失敗をやらかしたチームはクビッスよ。何故今全員、飯食ってるのか…そこがナンセンスなんスよ。例えば、会社とかでメルトダウン並みの失敗をやらかしたら、やらかした部署はもちろんサイナラでしょ?じゃないとダメだと思うし。あの特定秘密保護法案は、やってならないことをやらかしてるのよ。とてつもないことが未だに起きてるから、秘密にせんと、スピーディーな情報を公開するとパニックになる。この前の台風も警報を出して避難命令を出すとみんながパニくるんで出しませんでしたって、こんなんばっかりやん。みんながパニックにならないように情報を隠蔽しました…そろそろ学ぶべきやんな。情報を隠蔽する方が、被害がでかいのよね。

ーわかってるわけですからね…

うん、すごい賢くない結論を導き出そうとしてるから。情報公開するんが”怖い”っつーんはもちろんわかるんやけど、でも情報は公開せんとさらに被害が拡大するのよね。情報公開することによって必ず、それに対してのアイディアって出てくるのよ。人類的な危機なわけやから、みんなで知恵出さなあかんわけやんか。情報を隠蔽する法律はよくないッス。

ーその前に…なんとか改正されませんかね?

実際ね、あの法律を今の政府は悪用しませんよって言うかもしれないけど、次の政府がどうかわかんないし、結局は悪用できる法律やん。

ー全然できますね…

悪用できるものは、悪用するヤツが必ずいるんですよ。そんなん残したらアカンし、この国にゲンナリしたんは確かよね。この間の強行採決?この国にいて良いのかなって思ったね。俺にも子供できたし、嘘つく大人が権力持ってるわけでしょ?その国で育つ子供は嘘つく大人を見て育つわけやからさ。

ー真似しますよね…

所謂、”マナーの崩壊”なんだよね。そこが崩壊したら…国は終わると思うのね。その国が持ってる道徳観念を崩壊させるってことはもう国が崩壊に向かってるんですよね…

ーでも、まだ止められますよね?

うん、まだ止められる。実際大変やけどな。大変やけど、止められる。止められるし…

ーそこには、より多くの個が必要になって…

うん、多くの個が必要ですよね。

ーその為の活動・意見だと思うので、ちゃんと未来の為に残すことが現代を生きている、我々の責務だと思うので、タイジさんの持ってる音楽という武器で広めて欲しいです。

うん、手っ取り早いね。

ーこんなに広まりやすい活動、絶対ないと思うんで。

音楽はスピードが早いんだよね。

ーしかも共感もされる、最高のツールをタイジさん持ってらっしゃるんで。是非、タイジさんという”ハブ”で、変えて欲しいと思います。

そうですね。ちゃんと主張できる大人、じゃないとダメですよね。

ーそして僕らはもっと広められる努力を惜しんではいけないと。正しいものはやっぱり伝えたい…嘘じゃない人の言葉をやっぱ紡いで、出していきたいので。

そうですよね…大事ッスよー、物書き。ホンマに今起きていることを自分の文筆の力で必ず動くところ、あるからね。

ー嘘が正だと思われるのが悔しいですし。

そうなんスよ…

ー正しいことをするにはお金がかかるっていう、この…なんとも言えないギャップ感…

全然こっちに助成金とか出てこんしなー(笑)


取材:2013.12.13
撮影:Eri Shibata
インタビュー・テキスト:Atsushi Tsuji(辻 敦志) @classic0330