佐藤タイジ インタビュー

ー 様々なサイドプロジェクトで広がる音楽性の中、「シアターブルック」の休止。復活直後に起こった3.11への想い。
PART.3ではサイドプロジェクト・「シアターブルック」休止・復活〜3.11までをお送りします。

ー「SENSEMILLA」後の「CALM DOWN」でデビューとなり、「ありったけの愛」が収録されます。
最近も再録されましたが約20年前にタイジさん思っていたことと、今思ってることが歌詞に込められた”意味”は変わったのか、それとも一切変わってないのか…

自分の中では何も変わってないんですよ。ただ、周りの状況が大きく変わりましたよね。それでも、人間が抱える問題ってどの時代も実は一緒なのよね。で、俺とかは詩の書き方がああだから、予言めいた感じにどうしてもなっていく。”3.11″直後とかは、自分の歌で「今これ歌えねぇな、この曲はしばらく歌えねぇな」とか実際あったし、今もあるッスね。だから…

ーそれは歌詞的に?

歌詞的に。でも、「ありったけの愛」に関しては、すごいポジティブなんスよね。やっぱあれをずっと歌ってきてたから、「ソーラー」が来てるんスよね。ずっとギブソンのレスポール弾いてきて思うのは、結局”ギブソン弾きはギブソン弾き”なんやと。そのギブソンを使って自分の詩をずっと歌ってきて、”歌に育てられる自分””楽器と作品に育てられる自分”ってのが絶対あるんよね。今、そこに育てられた自分が出て行くわけやんか。今の俺は、ホンマにすごい勢いで辻褄が合い出してるから、すごい不思議な感じよね。

ーあまり振り返ってという話じゃないんですけど、タイジさんは過去から信念・哲学・やりたいことが変わってないから地続きなんですよね。

うん、ずーっと続いてるッスよね。レコード屋時代もセルフィッシュ時代も、夜な夜なさ、悪いことして遊んでる中で、例えば当時やったら「ネルソン・マンデラって知ってるか!?」とか「アパルトヘイトとかアカンやろ!」とかの話で当時はやっぱ盛り上がるわけよ。何かそういうのでやっぱ培われてきてるよね。「今言わないと”アカンこと”っていうのが、絶対いつもあんねん。」っていうこと。それって言ってしまうのが”ロックの役目”なんちゃうん?結局、いつもロックに対してそういう風に捉えてきたんよね。ここに来てやっぱり、後輩の「TOSHI-LOW」とか「難波章浩」とか、哲学的なところで足並み揃ってるから、出てくるサウンドは全然ちゃうんやけどコミュニケーションしやすいよね。まぁどちらかというと、俺が変わってんだろうな(笑)俺みたいなサウンドの嗜好と哲学がセットになるのって、そんなにはない。

ーむしろ、良い意味で”オンリーワン”だと思うんですよね。

特殊なトコにいるなってスゲェ思う。あ、「Searching for Sugar Man」って見た?

ーはい、反アパルトヘイト闘争の…

すごいよね!結局、彼の作品がネルソン・マンデラを開放を導いたってことやん。しかもあのロドリゲスって人の音楽・個性って、すごいシンパシーがあるわけやん。聴きあたりソフトなのにすごいこと言ってる。いつもああいうのがすごいドンピシャなんだよね。

ー音楽の共鳴力で何が出来るか…例えばちゃんとした弁護士や政治家の方は、多分「正義」がしたいんだと思うんですよね。それと同じ、若しくはそれ以上の力が音楽・特にロックにあって「正義」が出来ると思うんですよね。

正義!Justiceね!正義の味方みたいなイメージってあるよね!

ーロックは、いつの時代も悪者ではなかったじゃないですか。

そうだね!”悪いイメージ”のヒーローや。やっぱそういうのは、憧れとしてあったよね。

ーしかも今、タイジさんが実際に体現されている。その活動の1つとしてライブが当てはまると思います。エピック時は時代背景的にCDが売れてたタイミングだから、あんまりライブをしなくても良かったと思うんですが、タイジさんは「シアターブルック」の方向性として”ライブバンド”というベクトルを示されていたのでしょうか?

うん、もちろんライブ好きですからね。ただあの当時、俺はもっとやってりゃ良かったって思う。「ツアーの本数が少ねぇ」って思ってたから、いろんな事情があったんだろうけど、もっとやるべきだったなって。

ー今相当多くやられてますよね。

今ぐらいの勢いで当時からやってりゃ…「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 」ぐらいは行ってたかなーって。

ー(笑)90年代後半〜2000年代に入って、複数プロジェクトをやられるタイミングになります。「The SunPaulo」「ミラクルヤング」「町田 康&佐藤タイジ」等は単順に「シアターブルック」でやれなかったものをやりたかったのか、若しくはビジネス的な面でやられていたのか…

「ミラクルヤング」は…町田さんにやろうって言われて。「あ、良いですよ」って。まぁ、勉強になりましたもんね。「The SunPaulo」は…そうそう、Raveとかに遊びに行くようになって…あ、誘われたんだ、「Candle JUNE」に誘われたんだ。それから「Raveで演奏しねぇか」って言われて、DJのコとセッションするのが「The SunPaulo」になってくんですよね。「シアターブルック」に全部注ぎ込んでたんやけど、Rave以降は「シアターブルック」にいたDJが2000年くらいに辞めるタイミングで、俺が打ち込みとかやりだすんですよね。で、Raveに誘われてなかったら「シアターブルック」に注入されていったんだろうけど、Raveのパーティーで「シアターブルック」は違うなと。それで「シアターブルック」にDJカルチャーから全部押し込んでたのを2000年代に分けるんだよね。自分の”ダンスミュージック主義”と”ロック主義”を分ける。それで「The SunPaulo」はダンスミュージックにする感じになったんだよね。

ー結構、器用ですよね。「The SunPaulo」もそうなんですけど、「Taiji All Stars」とか。

あれ企画だけどね。

ーにしても、切り替えは絶対難しいだろうなって思ってました。

慣れますよ。慣れて…「The SunPaulo」とかは激しい衣装とかを着ていたので。意外とね…できるッスよ。

ー例えば楽曲等、当然色があるんですけど”佐藤タイジ”っていう色はどこも変えてないですし、変えていないのに各プロジェクトの色でいれる。

うんうん、そうですね。

ーそこがあるから今伺ったように、「できるッスよ」っていうことになるのかなって聞いてて思うんですけど。

あのね、あまりキャラを変えるっていうのはないですよね。基本は一緒だし、サウンドのスタイルで明らかに聞こえ方が違う場合でも、楽しんでやれるようになりましたね。まあ「シアターブルック」だけやってれば食えるってわけでもなかったから。もちろん、そういうモチベーションで始めたわけではないけど…いろいろやっていかないとなぁという部分もある時代だった。年齢的にもそうだし。

ーなるほど。レコード屋さんのバイト時代に広がった音楽のジャンルから、時を経てあのタイミングで様々なプロジェクトを通してさらに広がった。変わるのが苦手な人って多い中、タイジさんは常に新しいもの取り入れて発信される魅力がありますよね。

でもまぁ…そうかも。そこに関してはやっぱりレコード屋のバイトは大きかったと思う。世界にはいろんなジャンル・スタイルの音楽があるじゃん?で、俺の好きなタイプの音楽は何かというと、ジャンルじゃないのよね。ロックでもR&Bでも、その中で好き・嫌いあるし。クラシックの同じ曲でも「この人の指揮してるのは好きだけど、この人の指揮のは嫌い」とかね。演奏してるヤツの気持ち、そいつが好きかどうかっていうことになってくわけやんか。長いもんに巻かれて、適当なことをやってるヤツは嫌いなんよ。そういうのってわかるわけやん。「こいつ長いもんに巻かれてうまいことやって何か真面目そうなフリしてやってるけど、オモんないんじゃお前!」みたいな(笑)

ー(笑)

そういうのあるやん。俺が好きなのは、ジャンル・スタイルとかじゃなくって、もっと向こう側にあるその人自体の”性質・考え方”が好きかどうかっていうことやと思う。そういうことがレコード屋のバイトでなんとなくわかっていったのよね。「カッコ良い!」って思ったら、すぐ飛びつくことになっちゃうんだよね、俺は。

ーいろんなミュージシャンの方いらっしゃるんですけど、タイジさんの活動のことを羨ましいと思う方、いっぱいいると思います。タイジさんは好きなこと・良いと思ったものを全部やってくれるじゃないですか。中々いないですよ。

かもね、わかんないけどね。

ーそれがタイジさんの魅力だし、羨ましがられる活動の仕方だと思います。

別にみんな、やれば良いんじゃないのって…音楽に刺激を求めて続けるところ、今でもあるもんね。

ー食わず嫌いされないですよね。先入観とか色眼鏡が絶対にないというか。好き嫌いがないから、いろんな方との交友関係があると思うんですよね。

本当にそうかもね。だから「THE SOLAR BUDOKAN」もそうなんだけど、「人たらし」。

ー(笑)

「女たらし」では済まないやつ?「人たらし」なんですよ。

ー以前、インタビューしたんですけど、冷牟田さんも「THE SOLAR BUDOKAN」に参加されてましたし、ホント様々ですよね。

冷牟田さん、何かスゲェ俺のこと評価してくれてるんだよね。早い段階、90年代のライブとか見てくれてて。まあ、「TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA」と「シアターブルック」は同じ時期に出てきてるから。同じレーベルにいたことはないんだけど、でもやっぱ活動を見てるよね。冷牟田さん・「TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA」兄さん連中はフェスの楽屋では楽しいですよね。

ーすごく意外だったんですけど、様々なプロジェクトを進行しながら「シアターブルック」1回休止されます。

あのね…ずっとやってきて「シアターブルック」っていう活動自体がダレて来てたんですよ。
結構みんな忙しいやん、例えばメールの返事が遅かったりとかあんじゃん、マンネリしてる雰囲気もあった。「これは…1回止めた方が、次に動かした時に”ビューン”て走るかな…」って思ったんですよね。自分の離婚とかもあったしね。でも、復活するポイントだけは決めよう、と思ってた。2009年に皆既日食が日本で見れるっていうので、じゃあその年には復活させようっていう風に思ってたんですよね。期間限定の休止っていうの?まあ、狙いはハマったと思うんですよ。その復活させたタイミングで、エピックから出してダッシュできて。あれは成功したなと思ってて、2009年に復活させといて正解だった。11年にはああいう活動もできたし。そういう、ツキみたいなのがあったんだろうね。

ーこれまで、どのプロジェクトがあったとしても「シアターブルック」は絶対止めなかった。ただ「シアターブルック」らしくない、もっと言うとタイジさんらしくないマンネリ化がもたらした、”新しい音楽・刺激を求める”姿勢ではなくなったことが大きかったんですね。

そうだね。「シアターブルック」の活動も”動き”を見せないとダメだなと思ったッスよね。後輩のバンドにも”3.11″以降、休止してるのとかいますやんか、「ちゃんと復活しなあかんよ」みたいなのは言ってるな。結局、バンドって演奏しなきゃだから、休止に慣れると良くないよね。俺の中で解散という選択肢はないんですよね。確かに2006〜7年はね、とはいえ悪かったッスよ。「止めよう・もう休止」みたいな。メンバーは「休止とか言わなくても良いんじゃない?」って。俺は休止って言って、ちゃんと復活っていうのを決めてやるから”ガン!”って行くんじゃんって。

ー(笑)しかもそれがハマったわけですもんね。

そうそうそう、アクションを起こさないと!例えばさ、フリーのジャムセッションとかしてて、ずっと行きっぱなしっていうのは、見てる方はつまんないんだよね。どっかで弾かなくなって、ほんでどっかで戻ってきたときに”ドーーン!”みたいな。その”ドーーン!”が欲しいから辞める、みたいな。何かそういう感覚だったッスね、ジャムセッション感覚。

ーしかも未来の為でしたもんね。だから期間も、長くも短くもなくという。

そうだね、2年って切ったもんね。

ーそこで初めてのソロもリリースされ、2009年に復活され…その後、震災がありました。タイジさん自身、既に様々なメディアで語られていますが、あのタイミングはいろんなミュージシャンの方が、自身の音楽活動に対して自粛という風潮があったり、そもそも何をすれば良いか、何が出来るかを苦心されていたと思うんです。でもタイジさんは”音楽”というツールを活かす、ライブを行われました。あの行動心理は如何にして辿り着いたんでしょうか?

うーん…まずね、俺が神戸の震災の時に、何もできなかった。多分20〜22歳くらい…で、セルフィッシュとやってるときだったのかな?セルフィッシュの社長に「お前が行っても何の足しにもならんし、邪魔になるだけやから行くな」って言われて。「そうか…」って。本当はどういう状況になってるんやとか、何が必要なんやとか、自分の目で見たかったんやけど、「行くな」って言われたからいかへんかってん。それがすごい後悔の念として残ったわけ。あん時に「ソウル・フラワー・ユニオン」とかすごい行ってて、「偉いなぁ、中川は」ってすごい横目で見てたんよ。で、新潟の時にあのチャリティーイベントに…

ー新潟AIDをやられてましたよね。

うん、やってみてすごい良かったんだよね。チャリティーくらい普通にやんねーと、チャリティーぐらいしかできねーしと。俺はあのタイミングで休みたくなかったんだよね、「やんなくていい」とか言う上司はいないから。自分の会社独立してたのも、復活のタイミングの前後だったし、それも良かったんだよね。2009〜10年あたりに所謂、ビジネスの仕切りとかリスタートしてたわけ。

ーサードストーンからは抜けて…

そう、抜けて…そんでやり出して。「自粛しなさい」って俺に言う人は1人もいなかったの。自粛とか言ってるノリが全然理解できんかったし、「何で?」って思ったし。別に”売名行為!”ってインターネットで叩かれるとか、全然気にしてなかったね。気にしてねぇよっていうか…

ーそういうレベルでの話ではないですよね。

ないですよね。今思うとあの辺りから、「うつみようこ」と仲良くやり出してて。「ソウル・フラワー・ユニオン」はスゲェなって思ってた張本人が、結構近くにいて、そん時の話とかするわけやんか。”3.11″って、地殻変動で土地が動いたんやけど、その人間関係も揺れてるし、新しい関係性とかになってるやん。あの新しい関係が、すごいモチベーションになったよね。だからみんなが”ガクー…”ってヘコんでたからこそ「元気与えてやんなきゃ」みたいなのがあったッスね。

ーしかもその気持ちのまま、今も続けられています。単発でコンサートやイベント等で行ったミュージシャンもいましたが、タイジさんが続けられているのは「終わることがない」という理解と、風化させないという気持ちの現われだと思うんです。

続けることって、すごい大事ですよね…実はまだまだやれること、いっぱいあるんスよね。特にここ最近は、政府のやり方がすごい疑問に思うし、このまんま情報を隠蔽する政府?に税金を渡し続けると思うと、それに対して「こういう風にして下さい」っていう”プラン出し”をしていく方でいたいよね。こっちにだって考える脳ミソがある、新しいアイディアがあるんだと。意見聞かずに、勝手に人の人生をイジくりまわす?そんな権力は一切ないよって思うんだよね。みんな「えー…マジかー…」って感じだけど、今やっとかんとアカンことっていうのがいっぱいあるから。キャスティングも決まってきたと思うんよ。何にも言えないヤツは、変わることに期待はするけど、何にも言えないまま死んでいくんだよ。それでも言っちゃうヤツもいるでしょ?で、言っちゃうヤツはみんな仲間やと。みんなで言わんと相手は強大やから届かへんし。要するに俺って、最初の段階から自分の言ってる事が絶対間違ってないという、自信があるよね。すごい自信家な故に、デビューとかも遅いんだよね…絶対そうなの。適当なレーベルとは契約したくなかったし、自分たちを安売りしたくはなかったのね。
自分の価値と役割は、それなりにわかってるつもりだから。で、どれくらいの影響力があるんかっていうんはケースバイケースなんやろうけど。今の若い子にさ、例えば「Bob Marley」とか「John Lennon」みたいな存在って必要やと思うんよ。俺はそれで、完全に人格形成されてしもとるから。

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