TOSHI-LOW(BRAHMAN)インタビュー

ー昨年リリースされた「超克」は日本語が中心とされた楽曲でした。その中で「俤」の歌詞がすごく印象的だったのですが”俤”という漢字を僕は知らなかったんですね。これまでも歌詞の意味を表す手段として、漢語がすごく重要な役割を果たしていたと思うのですが、日本語で歌うにあたって変化はあったのでしょうか?

オレもあの漢字を知らなかったよ。”おもかげ”っていうタイトルが浮かんで、「面影」って書いてみたら全然イメージに合わなくて。それは”面影”って表してしまうと「影」いわゆる「shadow」「残像」のような、実体のないものになってしまうだろうから。オレが言いたい”おもかげ”っつうのは「そこに確かにあったもの」であって、あれ”亻(にんべん)”に”弟”でしょ。”亻(にんべん)”って人じゃない?これはオレが見た光景とまるっきり一緒だなと。そこに確かに”人”がいたわけだから。あ、これはオレが思ってた、”俤”だって思ったんだよ。そこまで辿り着くのに、すんごい右往左往したけどね。

ー辞書を何度も引かれたり?

「あれでもない、これでもない」って、ものすごい調べて。勿論、他のタイトル探したりしたけど、せっかく漢字に意味があるから、もっと実体のある言葉で”おもかげ”的なものにしたいなと思って。
別に難しい漢字を使いたかったわけじゃないし、むしろ昔よりそれは減ってるのね。勿論、自分も読めない漢字が多いし、全部が読めたり書けたりするわけじゃないから。でも、1個1個精査して選んでくと「あれ、本当にオレが思ってる漢字ってこれかな…」って思ったら、もう3種類・4種類あったりするんだよね。それを選んでいくと「あ、これだ!」って。でも、どうでもいいところは簡単なものにしてもいいしね。ただ大事なところに関してはそうしたかった。今考えれば、むしろ昔の方がわざと難しくして、小難しく見えるようにしてた気はする。

ーでもそれは、楽曲へのイメージをより深くさせる為にですよね?

いや、逆に中身がないから外身をつけようとしてたんだと思う。

ーすごい正直ですね…ただ今のお話を伺って、夢物語ではなく実体があるものには日本語・漢語で表現するのが大事で、それは変わることなくTOSHI-LOWさんが敢えて選んでいたのだと。

結局、震災が起きるまでは、死へのカウントダウンの歌を歌ったとしても、「別にアンタ、健康な人が何を言ってるの?」ってなるわけじゃん。さっき言った「そんなのさぁ…(笑)」みたいな笑い話ではなく、震災以降は捉え方が変わった人達も多いと思うんだよね。いつ何が起こるか分からないこの世に「絶対」とか「まさか」なんてないんだっていう。末期癌の患者より、自分や健康な人が早く死ぬことだってある。さっき笑ってた人が、一瞬で灰にならなきゃいけなくなることもある。で、オレも頭の中で想像してたことじゃなくて、見たものじゃん。その現実化したことが、自分の空想上じゃなくて「こうだった」「こうだったけど、じゃあオレはどうすんだ」ということを書かなきゃならなくなってしまったし、オレも次に行かなきゃいけなくなってしまった。そうすると、言葉もより現実に近くなってくるし、肉体化してくるんだと思う。だからオレはやっぱり変わってないんだと思うよ。見てる人達や聴いてる人達が「これ、そういうことだったんですよね?」っていう風に変わっただけであって。

ー実際にライブ会場での多くのオーディエンスは「BRAHMAN」を”体感する”ことで良い意味で暴れたりしていたところに加えて”共感する”という部分が増えてきたんだと思います。

共感…でも暴れてもいいんだよ、自分もそうだったからね。ただ暴れたかったし、たまたま道路の上じゃなくてライブハウスだっただけの話なんで。むしろね、歓迎するし(笑)邪魔しなきゃ(笑)

ー(笑)ライブ中にオーディエンス側に降りるシーンが多いですが、本能的に行ってしまうんですか?

いや、わかんない。自分で「あぁ、お約束になっちゃったな」って思ってる部分もある。

ー本当ですか?

だってほら、なんとなく自分でタイミングとか考えてるってことじゃん?

ー(笑)なるほど

ただのお約束だからとかじゃなくて。例えばバンドだってさ、曲決まってて演ってりゃバカらしくなるじゃん?ある程度、自分のやり方があるんだと思うし、そこに緊張感を持たせる一瞬のタイミングをね「キュッ!」って持っていきたいっていうのはあるよね。

ーあのタイミングがバンド・TOSHI-LOWさんの中で、1つのピークポイントになっている?

だって、ちょっと覚醒してなかったらあんなのやらないでしょ?冷静に「あ、すいません…」つってさ(笑)「ちょっといいっすか?頭の上、宜しいでしょうか?」みたいな(笑)そんな失礼なことないよね、「ウォオッッ!」って思うからさ。

ー(笑)「BRAHMAN」でこれだけ表現出来ている中で、「OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND」では別の表現方法が成されていますけど、TOSHI-LOWさん自身も得られていることがあるのでしょうか?

あれじゃない?「バンドマン」としては、別に優れてないとは思ってないし、自信ないのかっていったら堂々とできると思ってる。けど、やっぱり「唄い手」「音楽家」「プレイヤー」としてどうなの?っていったらもう下の下だから。確かに上手くて何の心も打たない音楽よりは、そういう自分…下手でも心を打つ方が何十倍もいいと思ってる。だけど、それを言いわけにしちゃダメだなって思ってたところもあったんだよね。さっき、暴れるだけでもいいとか言ってたけど、じゃあ暴れるだけでさ、やっていい限界だってあるじゃん?例えばその歳になってもそれだけかよ…みたいなさ。丸くなるって意味じゃなくて、生きてきた相応に感じるものがあるから、それだけでは生きていけないよねと。だから自分が選んだバンドっていうトコの一角である、パッションの部分だけでやってきてしまったもの以上のものが、やっぱ必要になったんじゃないかな。そう考えれば必然だったんだと思うし、やったことによって、自分達の寿命は延びてしまったよ。

ーそれは「BRAHMAN」としてですか?

だって、アイドルは60歳までやんないでしょ?寿命があるっしょ?だから自分たちが単に暴れるだけだったら、わかんないけど10代で終わったり。ただ単に大人っぽい音にするとか言ったら、どっかで終わってたんじゃないかなと思う。そんだけ単一化してたり、自分達を切り取って”これだけ”にしてくと、絶対無理があるじゃん。全てに「表と裏」「上下左右」があるから。前までは上下左右全部行って終わりか、崖から落ちて人生終わりみたいに思ってたんだけど、そうじゃなくて「あ、もしかしてもう1回自分が歩いてきた道行くのか?」って気づいたよね。そういうのがメビウスの輪なのか分かんないけど、そうなった時に同じでは出来ないよね。それこそお約束になるよね。

ー例えば同じ楽曲を演奏しても「進化」があると?

そう。自分でお約束にしない為には、そうならない為のもう1歩進む歩幅があれば、ずっと同じことや同じ曲をやっても、お約束にはならないとオレは思ってる。でも条件があって、自分が進化や変化をし続けていけるならって話であると思っていて。自分が成長を止めてさ、安定だと思ってそこに座り込んで「安定は希望です」なんて言い出したら、最悪。まぁオレの音楽、表現者としては終わりだろうね(笑)

ーライブが正しくそうですよね、良い意味で安定が出来ない。だからこそ、最高も最悪もあるけれど、その覚悟でずっと続けられているわけですよね。

やってるつもりなんだけど、今でもブレたり調子こいてたなとかあるよ。やっぱ良くできたら図に乗るし、悪くなったら落ち込むし。最悪のライブだと、前はどっちかっつうと投げ出したんだよね…投げ出したっていうか、ちょっと背中見せてた気がする。マイクに向かってなかったっつうか、それをキレて暴れることで誤魔化してた気はする。

ーでも、それはそれでパワーになっていたとも思うのですが?

もちろん、もちろん。自家発電の怒りみたいなね。「何でうまくいかねーんだオレは!バカが!」みたいな感じで”ガラガラガッシャーン”っていうこともできるけど、そんなの続かないよね。

ーそうですよね…先程、「両極端」というお話がありましたが、ライブもきっと真ん中がないと思うんですよ。「まあまあだったね」っていうライブがない。

酷かったなってライブ、いくらでもあると思う。むしろオレら、他の平均的バンドよりもすんごい多いと思うよ。その1回だけ見た人で「あれ?」って思う人いっぱいいると思うもん。

ー僕も若い時に、「金沢vanvanV4」っていうライブハウスに「BRAHMAN」がツアーで来てくれたことがあって観に行ったんですけど、若気の至りでTOSHI-LOWさんに伝えたらすっごい怒られました(笑)

図星の時が人間1番怒るからね。もし、自分が分かってなければ特にさ。だから、図星だったんじゃない?

ーその節は失礼致しました…東北のことについてもお伺いしたいのですが3.11以降、色んなミュージシャンの方々の関わり方がある中で、ライブ活動、復興支援活動、幡ヶ谷再生大学、東北ライブハウス大作戦等、自ら被災地へ行き続けられていますね。

自分の為にやってるからね。三陸の為とか、東北の為じゃない。自分のエゴやわがままでやってるんだと思う。東北に行って、そういう風にしてると、なんとなくもう1回自分を見直せるというか…それも答えが1個じゃなくて、何回も行ってれば情が湧くし。

ーそれこそ、現地のミュージシャンに限らず、親交が生まれますよね。

今までバンドだけやってたら、絶対知り合わないような人がいっぱいできるよね。普通に石巻行って、漁師と呑みに行ったりすんだよ。まぁ、地元とかだと音楽で出会った人以外もあるんだけどさ。
高校生の時から音楽を通じてしか、基本的には友達いないから。東京出てきてからも、ほとんど音楽通じての友達だし。てことは、そうじゃない人ってすごい少なくてさ。そうじゃなくって友達になったから、自分に良い部分もあるんだよね。別に「BRAHMANなんて知らねぇよ!」みたいな感じで付き合うわけじゃん。そうすると人間だからさ、オレらが「売れてる」「売れてない」とか、そんな評価じゃないじゃん。泊まってベロベロんなったオレがね、管巻いてさ「最低だなオマエ」って言われてるオレでいいわけであって。

ー(笑)音楽のコミュニケーション方法でTOSHI-LOWさんが築かれた繋がりもあれば、お話頂いたようにTOSHI-LOWさんという人間性で築かれた繋がりが出来ることで、見つめ直すという部分に繋がっているのでは?と、お伺いして思いました。

まぁ、自分に音楽があって良かったよね。なかったら…他の表現方法があればいいけど、オレの場合は犯罪じゃない?なかったら、最低な部分いっぱいあるから。デリカシーもねぇし、深く人を傷つけることもする。したいと思ってしてるわけじゃないけど、結果そうなってしまうことがあるし。

ーでも、それはTOSHI-LOWさんが嘘をつかないでいる結果だととも思うんですよね。

確かに。自分では嘘をつこうと思ってついてはないけど、言いわけだって2個も3個も重ねていけば、「あぁ、これは嘘になってしまったな」っていうことだってあるよね。変わらないでいようと思うと、逆にどんどん嘘になっていくことだってあるじゃん?「すごいピュアな気持ちのまま、震災に取り組んでます!」「3年間変わりません!」っつったらやっぱり嘘なんだよ。自分の中でも、風化してる部分もあるんだよね。あんなに人に偉そうに言うくせに、自分でふと忘れてしまったりすることとか。あんとき大泣きしてたくせに、もうなんとも動かなくなってしまった自分もいたりとか。
小さな幸せに感動してた自分もいるくせに、また電気が煌々とついてる日常が当たり前になってる自分もいるじゃん。だからそれを結構、繰り返すというか…

ーそれこそが「自分の為に」という部分と「見つめ直す」という部分ですよね。

そうだね。だから最近思うのは、今後は評価されなくてもやり続けると思うし、むしろ評価されない方が今後はいいのかなと。本当はそんなことは別にオレの音楽とは関係ないのであってね。ただ、オレが歌いたいことに近い…とても近い事案が起きたんだよね。だから行き続けると思うし、それは何も偉いわけでもないし、すごいわけでもない。「誰の為にやってんの?」「誰を救ってんの?」っつったら、多分オレは自分自身のことを救ってるし、自分以外は救えない。

ーそれでも、TOSHI-LOWさんが現地に行かれたことで、救われた方がいると思うんですよね。

それも勘違いじゃん?良い意味でも悪い意味でも。勿論オレだって、一生懸命付き合う人とは付き合うし、「最悪ですね」っていう高校生には「バーカ!」とか言うかもしんない。だからその瞬間・瞬間でしかないよね。ただ、その瞬間・瞬間がずっと続いてくると、また慣れてしまったりとか、気をつけてたのにもう二度とこんなことしないと思ってた過ちを繰り返してしまったりとかあるよね。
「勉強しねーな、オレはバカだな」と思うことも多いから。まあ、何でもやりたいと思ったことやった方がいいよね。やっぱ、やらない後悔って役に立たないから。やった後悔は次に進めたり、それが最悪だとしても、その最悪を噛み締めて生きていけるじゃん。

ー今日のインタビューがそれに近くて…最初、TOSHI-LOWさんに「面白くない」って言われたのがショックでしたけど、それでもインタビューして良かったなと感じてます。

まあ、こうなればね。

ーはい、勿論最初に大失敗してるのですが…

(笑)帰ろうかと思ったよ。

ー(苦笑)本当にすいませんでした。

そんなの、もう分かんないけど○○○○とか、つまんない雑誌読めばいいじゃん、みたいに思うよね。

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