代表取締役社長 うつみようこ(うつみようこ&YOKOLOCO BAND)、専務取締役 佐藤タイジ(THEATRE BROOK,TAIJI at THE BONNET、The Sunpaulo)、常務取締役 高野哲(nil,THE JUNEJULYAUGUST、ZIGZO)の3ピース、アコースティックトリオとファンとスタッフからなる「社員」で形成される組織。2011年3月11日におきた東日本大震災の復興支援を機に創設。
音楽を通して『地域ごとに適応した、地域ごとの責任でつくられる、新しいエネルギー源の確保』の啓蒙活動(これを発電活動という。)を開始。独占インタビューPART.1では3.11からインディーズ電力の成り立ちをお送りします。
ー元々、ようこさんと哲さんが東北でライブをする予定だったんですよね?
高野哲(以下、哲):ようこさんが平間(至)さんに呼ばれて塩釜に行ったんだよね?
うつみようこ(以下、ようこ):その前にあなた(哲)と東北でライブしようねって言って決まってたんだけど、地震があった後に平間さんに誘われたから、その流れで誘ったんだよね。
哲:そうだった。オレからしたら、ようこさんにくっついて行ったら、何か出来るんじゃないかと思ってて。震災の後、色んな人が色んなことやろうとしたけど、特に東京とかは「どうしたら良いかわからん」っていうムードだったじゃないですか?で、オレはなんとなくそう思っていて、ようこさんに「何か東北行く予定あったら連れて行って下さい」ってお願いしていて塩釜に誘ってもらったんです。そしたら「クルマ出せ」ってことで「出します」って言ったら「タイジくん拾って来てくれ」っていう流れですね。
ータイジさんとは面識があったんですか?
佐藤タイジ(以下、タイジ):初対面だよ。
哲:今じゃ何度も行ってますけど、初めて「タイジさん家どこだろう?」って(笑)
ようこ:高野くんは別で誘ってタイジくんは”Johnny Winter”のライブ観に行った帰りに飲みに行ったら私がボソッと「ちょっと東北に行ってくんねん、平間さんに誘われてな」って言ったら、タイジくんが「行く行く!」ってなって。それから平間さんに連絡して、その後に哲くんに電話して「すまんけど迎えに行ってくれ。初対面やけど顔わかるよな」って。
哲:全然わかります(笑)
ようこ:タイジくんに「こちらには高野くんていう若手がいらっしゃるから、ひとつ宜しくお願いします」っていう珍道中が始まったんです。
哲:その珍道中が今に至るって感じですよ。
ようこ:まだ3年前だよ。
タイジ:震災あったときに「これは前代未聞や」ってなったわけやん?これはなんかやらなアカンやろってなってフットワーク軽そうなヤツに「なんかやるぞ、なんかあったら教えて」ってメール出すやん。したらようこちゃんから…あのメールが印象的で「わたしたちミュージシャンの仕事はしばらく後でしょう。今はわたしたちが行っても何の役にも立たへんから2週間後だ」と。そんで「今は自分の体を守るのが1番で枕元に長靴置いとき」って。
ようこ:そんなこと言ってたっけ?
タイジ:そうそう、そのメールがすごい印象的。
ようこ:「長靴置いとき」って言うたのが?
タイジ:「なるほど!」って思って枕元に長靴を置いたよ。まだ全然危険な状態やった中で、そういうこと言ってくれる人は他に1人もおらへんかったから。ようこちゃんは阪神のときの経験もあるし経験値が高い。そのとき、たまたま”Johnny Winter”行って大事なことを教えてもらったよ。
ようこ:ちょうど海外のミュージシャンが来る・来ないのタイミングで”Johnny Winter”は来はって、「チケット1枚余ってるからタイジくん行く?」って言うて一緒に行ったんですよね。
ー前回、タイジさんにインタビューさせて頂いたときに「自分は何も出来なかった中で”ソウル・フラワー・ユニオン”は行っていて後悔が残った」と話されていましたが、今のお話に通じますよね。
ようこ:ウチらは余興で演奏しに行っただけだよ?
タイジ:いやいや、それは我々からしたらデカイ出来事やったんすよ。
ようこ:関西にいたからね。近くにいる人がやれることやろうっていうね。神戸のときと今回の東北は全く事情が違いますから。
ーその東北へ震災直後に行かれましたが、そのときの景色は覚えていらっしゃいますか?
タイジ:最初いわきやったっけ?
ようこ:そうそう。最初いわきで、平間さんが塩釜出身なので塩釜に行ったんです。いわきは小屋だったんですけど、完全に電気がない状態で3人バラバラで演ったんですよね。で、塩釜に行って…
タイジ:電気のないショッピングモールの駐車場やったね。
哲:真っ暗で船がショッピングモールに突き刺さってるような状態で。
ようこ:今ぐらいの時期で夕方から始まったんだけど、わたしたちのときは夜になって、真っ暗で寒いし。
ーさらに電気がないということは生音ですか?
タイジ:そう。他の人が演ってるの観てても聴こえへんし、「これは3人で一緒に演るべきちゃうか?」と。
哲:「大きな声を3つ合わせれば聴こえるんじゃない?」って。500人くらいいらっしゃってたんだけど、ちょうどキャンドル・ジュンがロウソクでライティングしてて、真ん中にそれを取り囲むように1人で弾き語りするんだけど、どうしたって…どんな歌を歌っても雰囲気が寂しいんですよ。我々3人は僕のクルマを楽屋代わりにしてそれを観てたんですけど、「アカン、3人で演って寂しい感じをむしろ笑かしに行こう」ってなって、ようこさんのレパートリー中心に「UFO」「津軽海峡冬景色」と「ありったけの愛」をその場で選んで。
ー”みんなが知っている”っていう…
哲:それを僕もすごく思ってて。さっき、ようこさんの話で阪神のときに”余興”って表現されてましたけど、それぐらいの方がみんなの心が和らぐっていうのをようこさんはわかってたからなんですよね。
ようこ:ヒット曲ないからな(笑)
哲:それも我々のテーマですから(笑)
タイジ:当時、「インディーズ電力」ってワードは思いついてたんや。電力のメジャー会社の1社に頼っていたから、1つ止まったら全部止まるってなるわけで。地方別でメジャーに対するインディーズの電力会社があれば良いじゃないかと話してたのが、いつの間にかバンド名になったという(笑)
哲:最初、いわきのburrowsで演ったときにタイジさんが「原発から1番近いライブハウス」って大きな声で言ってて、そこのお客さんも大喝采でもちろんオレも同じで。次にタイジさんが「インディーズ電力」って言ってる瞬間で覚えてるのは、塩竈市のスポーツセンターが避難所になってて、炊き出しの手伝いとかでお邪魔したんだけど。そこに塩釜市長さんがいらっしゃってて、隣に座ったタイジさんが「市長、インディーズ電力!」って(笑)その2泊3日で「インディーズ電力」って言葉を100回くらいは言ってましたね。
ーまさに”発電活動”ですね。
タイジ:「やりましょうよ、電力会社作りましょうよ。雇用にもなるし」って。
ようこ:気がついたらバンド名になってたんよね。色んな人が名付け親やって言うてますけど、定かではない(笑)
タイジ:いつからそうなったのか全然わからんし(笑)
哲:未だ(仮)だよね(笑)
ー”役職”とかも後付けだったり?
ようこ:気がついたらそういうことになっていて、タイジくんのマネージャーが「会社組織になりました」って言うてて、急に新聞を作ったんだよね。
哲:事後報告(笑)
ようこ:そのあと「フライヤーを作ります」って電気の請求書になってたり、いつの間にか「あ、こういうことになったんや」って。最初は替え歌バンドでもなくって、3人でやった方が早かったとか、コンパクトだったっていう東北でのライブの流れでしたね。
哲:「3人だったらどこでも行ける」っていうところからでしたからね。3人リード・ボーカルだから電気がなくても大きな声でハーモニーも出せるし。最初は替え歌じゃなくて「Come Together」を普通に演ってましたからね。
ようこ:タイジくんが「Rockin’ in the Free World」を違う歌詞にしたら高野くんが替え歌を作り出したんです。
タイジ:その話を紐解いていくと斉藤和義の替え歌(ずっとウソだった)があったからやんね。あれ出たときに叩かれてたときあったやろ?「それ、おかしいでしょ」と。で、オレもやるよってなって、あとは芋づる式に(笑)
哲:(笑)そうそう。ようこさんは「Anarchy in the UK」でオレは「Smoke on the water」とかやり始めましたね。