1年7ヶ月ぶりに2ndアルバム『BORN IN THE U.S.A.』をリリースするBŌMI。シングルライクな楽曲たちは、これまでの彼女が充分に詰め込まれた作品となっていて、それは新たな始まりを告げる作品と言っても過言ではない。
リリースに際し、これまでのBŌMIさんの軌跡を全4回に渡りお送りします。
BŌMIさんの音楽を中心とした歴史について伺おうと思うんですが、元々生活においてどういった位置づけだったんでしょう?
BŌMI:子供の頃、3歳くらいのときなんですけど、しゃもじを持って歌ってたらしいですよ。家にジャバラのカーテンがあったから、それを舞台に見立てて(笑)多分、人前に出ることが好きだったんでしょうね。私はしつけの厳しい家に育ったので、NHKで流れる音楽とか童謡、あと演歌とかね、そういうのしか聴いてなかったんです。
歌うことは好きだった?
BŌMI:好きでしたし、褒められたかったんだと思います。歌ってると「わーっ」ってみんな褒めてくれたから(笑)
演歌だと、家族の人が聴いていたのを覚えていったの?
BŌMI:お母さんが美空ひばりさんが好きだったから、今でも覚えてますね。あと、「およげ!たいやきくん」はよく歌ってました。
渋いですね(笑)
BŌMI:そう!そのあと、SPEEDとか聴きましたけどね(笑)今もそうですけど、私は”音楽=自分の姿勢”だと思っていて、その観点で衝撃を受けたのが18歳のときに出会ったNeil Youngでしたね。
渋さ度合いで言うと、さっきと良い意味で変わらないけど(笑)きっかけは?
BŌMI:それまでって、音楽の基準は”テレビの中で笑いながら歌ってる人たち”だったんです。そこまでロックを通ってなかったからも知れないですけど、自分のペースで表現する姿はホントびっくりでしたね。その初めて観たNeil Youngは、ギターが15本くらい彼の後ろに並んでいるだけのステージで、MCも一切なく、1人で演奏していてお客さんに媚びてなかったんです。
ー私は何なんだろう?って矢印が向くようになった
今まで観てきた”エンターテイメント性”の逆ですよね。
BŌMI:真逆だし、エンタメ感のなさ(笑)だからといって、フォーク・ロックをやるということではなくて、私はもっと雑多な人間だから、1つのジャンルで云々ではないし、興味も移り変わっていくけど、その姿勢に共感しました。
歌詞や楽曲の要素も然りだけど、パフォーマンスも含めたアーティストの姿勢が重要だったんだろうね。
BŌMI:Björkとかもそう。ちょうどその頃来日していて、独特の踊りをしてたんですけど、”ちゃんと上手に踊らなきゃいけない”じゃないんだなって。本当に高ぶっていないと、パフォーマンスって呼べないなって。そうやって表現をする上で当たり前のことを、1つ1つ気づいていった感じですね。
表現者に共感をしていく中で、BŌMIさん自身はすぐに行動できたのかな?
BŌMI:もちろん、その2人にはなれないけど(笑)それは彼や彼女でしかないっていう強みだし、そこに共感をしたから。まず、「私は何なんだろう?」って矢印が向くようになりましたね。
すぐに「どう表現していくか?」というより、まず自分に向き合うことがあったと。
BŌMI:うん、考えましたね。みんなと同じように中学・高校・大学に行って、なんとなく周りと合わせて生きていたら、「みんなと同じことしか考えられないんじゃないか?」っていう怖さがあったんです。
アイデンティティがなくなっちゃうみたいな?
BŌMI:私は合わせるのが上手だから(笑)で、そう考えてるタイミングで音楽を始めて、ライブハウスに出たりしてたので大学を辞めました。
大学での生活と歌を歌う生活って、当時は別のベクトルだと思うんだけど、歌だけにしたかったから?
BŌMI:そうです。歌だけにしたかったし、今思えばそんなことないんですけど、自分をそこに追い込まないとその道が開けないっていう恐怖が強かったんです。割と器用なことが、返って流されて行きやすいって思ったし。特に高校・大学時代は”自分なんだけど自分じゃない”って感覚があったから。
合わせてた自分や流されていく自分は、器用だからこそ生きていけたけど、自分で認めたくはなかったんだろうね。
BŌMI:だから自分に向き合ってからは、すごく楽になって。自分を出して”他人に嫌われてもいい”って思えたとき、すごく気が晴れましたね。今でも、「好かれたい」って思うときと「嫌われてもいい」って思うことを繰り返しちゃうんですけど、自分を出してるときの方が楽ですね。
それってある意味人間らしいし、そういう想いって作品でも交差すると思うんですよね。
BŌMI:うん。昔から期待に応えようとする癖がありましたね。私の作品にも関わってくることですけど、求められてることに対して、いつもそこに近づきたいって気持ちが強いんです。
ー毎日何かを表現していないと落ち込んじゃう
実際に歌うことに集中できる環境になってからはどうなったの?
BŌMI:何も決めてなくて(笑)それまでずっと学校に行ってた時間が空いて、「うわー、どうやって使っていいかわかんない!」って(笑)
歌う時間が欲しかったのにね(笑)
BŌMI:1ヶ月くらいソワソワしてた(笑)それで少し落ち込んじゃったんですけど、朝10時に起きて夕方16時までテレビ観ちゃってた。
何観てたの?
BŌMI:連ドラの再放送を連続で観てました。それを1ヶ月続けてたら、さすがに「ヤバイ!」って気づいて、iMacを買って1日1曲打ち込みで作ったり、キーボードの練習したりするようになりましたね。
それは歌いたいことを表現する術として、作曲に繋がったの?例えば曲を作って貰う術もあると思うんですよね。
BŌMI:貰えるならそうしたかったですけど、そのときは毎日何かを表現していないと落ち込んじゃうから。「あ、今日何も生み出してない」って。でもいい曲は出来なかった(笑)
(笑)とはいえ、連ドラの時間じゃなく想像する時間に充てられたのは大きかったんだよね?
BŌMI:連ドラは見たままです(笑)見終わってから朝まで作ってたから。でも、今それをやることは出来ないくらいの深度で、音楽に向き合う切実さがあったと思いますね。
すごいストイックな生活だよね。それはどのくらい続いたの?
BŌMI:あれは”魔”の家だったので10ヶ月くらいですね。
魔”の家ってどういうこと?
BŌMI:ノイローゼになりそうなくらい、隣の部屋の音がすっごい聞こえてたんです。だから8畳のお部屋だったんですけど、2畳の防音室を入れたら真っ暗になっちゃって。泣いちゃったりもしたし、思春期特有の感情でしたね。
それはよく10ヶ月もったよね。しかもライブ活動を続けながらでしょ?
BŌMI:ずっと続けてました。ただ、良いときはお客さんもすっごい集まるんですけど、次の展開がなかったからすぐに散っていくんですよね。
その次の展開が「Gyao!Gyappy!!Gyapping!!!」に繋がっていく?
BŌMI:それが”BŌMI”として、世の中に出たタイミングですね。